プロ化を果たした日本サッカー 1985年、メキシコワールドカップ予選で韓国に完敗したことをきっかけに、日本サッカー界はプロ化に向かって動き出す。86年には日産の木村和司と西ドイツから戻ってきた奥寺康彦が、 “スペシャル・ライセンス・プレイヤー” という名称で日本最初のプロ選手となり、その翌年には日本リーグの多くの選手がプロ契約を結ぶようになった。 88年に実質的なプロ化検討委員会が発足すると、推進派によりサッカー協会に具体的案が提示される。サッカー協会副会長・長沼健も賛同し、一気に日本リーグのプロ化の話は進んでいった。だが保守派の中には、リーグのプロ化を果たしても成功は難しいと反対する者もいた…