小説家、劇作家、演出家。明治32年〜昭和60年。
16歳で久保田万太郎に師事。のちに講談師・悟道軒円玉の家に住み込み、口述筆記を通じて江戸文芸を学ぶ。
小山内薫門下の研究員や岡本綺堂番の編集者を経て創作をはじめ、34年に発表した「鶴八鶴次郎」*1と「明治一代女」で第1回直木賞を受賞した*2。
直木賞受賞の頃から師・万太郎と新派にかかわり始め、受賞作2作も本人が劇化し、花柳章太郎が主演を務めた。以後、花柳の死まで専属作者的立場となり、その作品のほとんどが新派古典として今なお上演されている。戦時中に結成される新生新派の主事として演出指導も担当し、欠かすことのできない重要な位置を占めた。
一方、現代小説には「愛染かつら」(36〜39年)があり、松竹は田中絹代・上原謙の主演で映画化、記録的なヒットになった。時代小説では「蛇姫様」(39〜40年)を長谷川一夫・入江たか子で東宝が映画化、これも大きな人気を呼んだ。
戦後は社長・永田雅一に請われて大映専務になり、銀座ホステスの生態を描いた自らの原作「夜の蝶」(57年)を映画化している。東映「獅子丸一平」「新吾十番勝負」も川口の原作。この経歴が示すように、一介の作家を超えて演劇・映画の世界に深く関わり合った人である。
妻・三益愛子は母もの映画でならした女優。長男の川口浩・野添ひとみ夫妻を始め子供たちはみな芸能界に入った。