60〜70年代のプロ野球、読売ジャイアンツの選手。 旧名「末次民夫」。
右投右打、ポジションは外野手。背番号は38番。
1942年3月2日生まれ。熊本県出身。
鎮西高校で夏の選手権に出場。中央大学に進学し、東都大学リーグで活躍。
1965年、読売ジャイアンツに入団。
2年目より左翼手として一軍に定着。5番打者として、V9黄金時代を支えた。
チャンスに強く、日本シリーズでの活躍が特に目立った。
1974年、「利光」に改名。
1977年、現役引退。
1978年、二軍打撃コーチに就任。
1981年、一軍打撃コーチに昇格。
1987年、再び二軍打撃コーチに転じる。
1992年、二軍監督に就任。
1995年、フロント入り、スカウトに就任。1999年よりスカウト部長を務める。
2006年、ジャイアンツ・アカデミーの校長に就任。
謙虚な性格であり、同僚、スカウトしたほとんどの選手から慕われていることで有名。
また、誠実な人柄で有名であり、入団以来選手・コーチ・フロントと一度も球団を離れていない。
岳父は宮井勝成。