1880年生まれ、1977年没。岐阜県出身。画家。 東京美術学校(現在の東京芸術大学)を首席で卒業するも、職業的な画家にはならず、筏流しなどの職業に就く。画家として本格的に活躍し始めるのは50代になってからだが、その後も寡作であった。1967年には「来客が増えると困る」という理由で文化勲章を辞退、「現代の仙人」と呼ばれた。動植物を単純ながらも味わい深い筆致で描いた作品に特徴がある。
文字らしい文字、立派な文字というものが、あるのだろうか。あるような気がしている。ただし巧い拙いとは少し違うような気がする。美しい醜いとも違う気がする。丁寧な文字か粗雑な文字かなんぞは、初めから論外だけれども。 明治の元勲と称ばれる政治家・政商らの書や書簡を評した、榊莫山の言葉が残っている。巧い、平凡、下手、貧相、字になってない、などなど、忌憚なく評されてあって痛快だ。評価の基準も分れ目も、むろん私には解らない。ただ在世中の業績や、巷間伝えられる人柄や伝記的事実とは一致しない場合がしばしばで、面白いもんだなあと記憶している。 榊莫山は伊賀の人だ。大正十五年(1926)生れだから学徒出陣兵として徴…
熊谷守一美術館の外壁に彫られてある、逞しい蟻たちのうちの二匹だ。右の一匹は恥かしながら、ウェブ上での私のアイコンたる一朴蟻である。 「文化庁からお電話。なんでも文化勲章をくださるとかで、受取るかとお訊ねだけど、出てみる?」 「いや、いらない……」 熊谷守一と夫人との、有名な会話だ。美術館は画伯ご夫妻のお住い跡地に建っている。そこ豊島区千早の地に、ご夫妻は長年住まわれた。 往来からの眼を遮るように鬱蒼と繁茂した樹木と草ぐさに護られた、平屋の日本家屋だった。晩年の画伯はほとんど外出することもなく、庭にしゃがみこんだり縁側に寝転んだりしながら、猫と戯れ、小動物や草木を観察して過した。花ばなや小鳥たち…
★熊谷守一 画壇の仙人展 札幌三越、2023年11月7日(火)-11月13日(月) (WEBサイト→) www.mitsukoshi.mistore.jp 熊谷守一(1880年-1977年)は岐阜県恵那郡(現在の中津川市)生まれ。1900年東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学。1909年、文部省美術展覧会にて『蝋燭』が褒状を受けました。1967年には文化勲章を辞退し、世俗から離れて、終日自宅の庭の草花や花を眺め、97歳まで描き続けました。その姿は「画壇の仙人」「超俗の人」とも呼ばれました。 モリカズの作品は、その生活(人生)そのままに、自由で、伸びやかです。その作風は「モリカズ様式…
”仙人と呼ばれた画家「熊谷守一」”が副題の通り彼の晩年の姿を追った写真の数々。 中には『土門拳』と膝を突き合わせている場面を捉えたものや、『熊谷』が作者を撮った写真もあり。 添えられたキャプションは彼自身の言葉の抜粋も、うっすらと記憶にあるなと思ったら『沖田修一』による映画〔モリのいる場所(2018年)〕を(WOWOWではあるものの)見ていたからなのね。 会場内には写真家も来場されており、客の一人が当該映画のことを声高に話し掛けていたが、声がデカすぎて、五月蠅いことこの上なし。 会期は~~6月2日(金)まで。
熊谷守一(1880 - 1977) 積上げる、志す、完成に向けて努力する、という方向以外にも、老境の澄みかたはありうるんじゃないか。熊谷守一はさような夢を抱かせてくれる画家だ。 付知(つけち:現中津川市、近年まで恵那郡)の生家では三男坊だった。姉妹もあった。父は不在がちだった。岐阜へ出て製糸工場を営んでいたのだ。岐阜の家は旅館を買い取った広い家で、お妾さん二人とその子どもたちが暮していた。つまり異母兄弟姉妹がいく人もあった。のちに父は岐阜に市政が敷かれると、初代の市長に就任した。 岐阜の家では片方のお妾が権力を握っていて、子どもらにお母さんと呼ばせていた。幼い画伯も付知から岐阜へ呼び寄せられ、…
ことあるごとに思い出す。熊谷守一さんの作品は言葉によらない俳句であると思う。わたしは既に、熊谷守一さんについてのまとまった感想ブログを書いていたと思っていたのだが、過去記事検索してみると、まだ手付かずだった。 熊谷守一さんと高野素十さんとを並べて論ずることも、まだできない。 そこで今回は、熊谷守一さんの語録のなかから、「俳句」に通ずるところを抜き出しておこうと考えた。それは、部分のようで全体であり、一瞬のようで永遠であり、単純化のようで純粋化である。 「俳句」に通ずるとは、つまり全ての芸術に通ずるということだ。芸術とは詩であり神の姿を垣間見ることに他ならない。(神とは一神教の神という存在ではな…
谷川徹三『芸術の運命』(岩波書店、1964)より切取らせていただきました。 今では行届いた写真集がある。『別冊太陽』『芸術新潮』ほかで、写真と解説満載の特集号も出ている。 学生の分際で円空仏について知る機会は、ほとんどなかった。谷川徹三『芸術の運命』との出逢いは、熊谷守一と坂本繁二郎に近づくきっかけを得た点で巨きかったが、円空を知ったことはもっと巨きかった。元禄年間に入寂した天台の僧である。西鶴・芭蕉の時代だ。旅先で当地の材に仏像や神像を彫り、長逗留することなく次の地へと発ってゆく暮しを続けた。 鉈彫り(なたぼり)という昔から民間にあった粗彫りの技法で、あっという間に彫りあげてしまう。桜材から…
熊谷守一美術館、往来に面した外装画。 往って帰ってきただけでは散歩にもならない。それほど近所に、熊谷守一美術館がある。一九八五年開館だそうだが、私は記憶していない。気が付いたら開館していた。会社員時代、つまり我が生涯でもっとも目まぐるしかった時期に当っていて、美術界の情報に疎かったのだろう。 熊谷ご夫妻が住んでおられたお宅の跡地が、画伯没後に美術館となり、やはり画家でいらっしゃる次女の榧さんが館長となり、今日まで続いてきた。 二階は企画展示室だが、一階には熊谷守一作品の常設展示室があり、喫茶スペースもある。いつ立寄らせていただいても気持の好い、小美術館である。 悪ガキ時代は、いつもというほどで…
★熊谷守一 画壇の仙人展 札幌三越、2021年11月30日(火)ー12月6日(日) (WEBサイト→) www.mitsukoshi.mistore.jp 熊谷守一は、1880年(明治12年)岐阜県恵那郡生まれ。1900年東京藝術学校(現在の東京藝術大学)を卒業。1967年には文化勲章を受けるもこれを辞退し、それ以後も世俗から離れ、一日中自宅の庭の草花や虫を眺め、97歳まで制作をつづけた「画壇の仙人」「超俗の人」でもありました。その人生は作品と同様、まさに自由であり、のびやかであったと言えるでしょう。熊谷守一の作風は「モリカズ様式」とも呼ばれ、単純な形態と色彩によって構成され、いまもって多くの…
たまには美しい空間で美しい絵を観て癒されよう! 本日は熊谷守一つけち記念館へ行ってきましたの備忘です。 熊谷 守一(くまがい もりかず)1880年(明治13年)4月2日、岐阜県恵那郡付知(現・中津川市付知町)生まれ富裕層の出身であるが極度の芸術家気質で貧乏生活を送る日本の美術史においてはフォービズム→作風徐々にシンプルになり→晩年は抽象絵画に接近勲三等(辞退)、文化勲章(辞退)、「画壇の仙人」と呼ばれた。 wikiより抜粋 猫お好きだったみたいです。 というか生き物全般、かな。 小さな館内は2階建。 展示室は「初期作品」「後期作品」「企画展示」の3つに分かれています。 展示室内はもちろん写真撮…
熊谷守一はその個性的な絵画で名高い画家ですが、その名前を冠した美術館があることはあまり知られていないのではないでしょうか。 ここは、守一の自宅あとに、二女の榧(かや)が私設美術館を設立したのが始まりで、その後に豊島区立の現在のものになったということです。 場所は有楽町線の要町駅から徒歩で9分という、静かな住宅地の一角にあります。 外観、内観ともユニークな建物で、一見の価値があります。一階には落ち着いた雰囲気のカフェが併設されています。 ひととき、都会の喧騒から離れて、作品の世界にひたることができるところでした。 今は、特別展が開催されており、旅先での風景を描いた作品が多数展示されていたのも印象…
素晴らしい天気だ。 月桃の鉢替えをしてから母と車で練馬区美術館へ。Mさんにもらった招待券で。 桜はほぼ散っているが、まだ見て嬉しい感じ。 スーパーの駐車場に停めた。1000円以上買えば40分無料。太っ腹。 美術館前の公園は子連れがたくさん。微笑ましい。 絵は少しのびやかさがなかったけれど、好きなものもあった。 出て、15分ほど離れた牧野記念庭園へ。駐車場から大きな道へ出るまでが、一通としか思えないような狭い道を次々行くので神経が細った。 目的の駐車場が満車で、では近くのと行ったら空き地になっていて、少し離れたところになった。 中の展示室に飾ってあった博士の写真は、緑の中からぬっと顔を出していて…
美術展のキービジュアルの一つ「超現実派の散歩」東郷青児(1929)/SOMPO美術館で早くまた東郷青児の収蔵品展やってくれないかな~ 一昨日の4月11日(木)、板橋区立美術館へ「『シュルレアリスム宣言』100年~シュルレアリスムと日本」展を観に行った。 私個人的な話になるんだけど、板橋区には30年前くらいに6年間住んでいた。なんだけど、板橋区立美術館に行ったことはなかったな~存在すら知らなかった。まあ私が住んでいたところは都営三田線の板橋本町駅付近で、直線距離で6km以上離れてる(板橋区広い!)。地形的には荒川沿いの平地(高島平)から武蔵野台地へ急激に高くなる端っこの舌状台地に建っていた赤塚城…
画家 熊谷守一の著書に「二科の研究所の書生さんに『どうしたらいい絵がかけるか』と聞かれたときなど、わたしは、『自分を活かす自然な絵をかけばいい』と答えていました。下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、そういっていました」という名言がある。 人はなぜ美術家に憧れると言ったら、好きなことで生きていけるから。しかも上手いレベルになれば、それなりに多くの人に評価されて、収入も得ることができる。ただし、上手いという基準はとても曖昧だ。構成力や技術力を基準にすればいいわけではない。その人だけの個性を磨いて活かさなければ、上手いとされる域にに辿り着く…
東京ステーションギャラリーの『安井仲治 生誕120年 僕の大切な写真』展を先日訪問した。この企画展は愛知県美術館、兵庫県立美術館でも巡回展示される。200点以上の作品を堪能した。 38歳で夭折した安井仲治(1903-1942)というカメラマンは写真の可能性を切り拓いた偉大なアマチュア写真家だった。戦前のわずか20年の仕事ぶりは、「写真とはかくあるべきものだ」と興奮して叫んだ土門拳や、「初めてのリアリズムであり、モダニズムではなかったか」と熱っぽく語った森山大道などから賞賛を受けている。 代表作は以下。「猿回しの図」(見物人に焦点)。「メーデー」(報道写真の先取り)。「流氓(るぼう)ユダヤ」シリ…
『モリのいる場所』を視た。モリは言うのだった、「生きていることが好き」と。「いい言葉だなあ」「そう、言い切りたいな」と痛感していたのである。そう想っていなくても、言ってしまえばいいのかどうか。 ▲『自転車道』(写真)稀に、ウオーキングをしている方がいる。ブレーキを軽くかけ、避ける。概ね、中高年の人たちだ。「危なくないのか」 www.youtube.com【下手について/今日も少しだけ】 映画『モリのいる場所』のモデルは、熊谷守一氏である。 www.youtube.com 印象的なシーンがあった。 実話らしい。 絵に関して、こう発言していたようだ。「下手でいい」 何故か。「上手は先が見えるから」…
先日掲題の写真展を見に行ったので感想をメモ。写真に関心があるなら見に行って損はない展覧会と感じた。
(写真)中津川市立図書館の館内。 2024年(令和6年)2月、岐阜県中津川市新町のひと・まちテラスにある中津川市立図書館を訪れました。「中津川市街地の映画館」からの続きです。 2023年(令和5年)7月15日、中津川市立図書館を核とする中津川市ひと・まちテラスが開館しました。中心駅の駅前でも郊外でもなく、栗きんとんの名店「すや」などが並ぶ新町商店街にあり、近年に開館した図書館としてはかなり珍しい立地と思われます。 ayc.hatenablog.com 1. 新図書館の建設 1.1 建設計画時の混乱 1. 中津川市立図書館 1.1 書架・館内 1.2 郷土資料 2. 中津川市ひと・まちテラス 1…
画家 熊谷守一の著書に「川には川に合った生きものが住む。上流には上流の、下流には下流の生きものがいる。自分の分際を忘れるより、自分の分際を守って生きた方が、世の中によいとわたしは思うのです。いくら時代が進んだっていっても、結局、自分自身を失っては何にもなりません。自分にできないことを、世の中に合わせたってどうしようもない。川に落ちて流されるのと同じことで、何にもならない」という名言がある。 今の時代、ローカルというものは存在しにくい。どこの街にも全国チェーンのお店があって、また、ネット通販で最新のものは簡単に手に入れられる。そうして田舎のハンディは最小限に抑えられて、都会っぽくライフを楽しむ人…
こんにちは!心理カウンセラーの東(あずま)ゆうです。 今日は2本ブログ更新予定。まずは思考的な自分の緩め方シリーズです! ▽ちなみに前回はこちら。温泉編 wakuwaku-takoyaki.hatenablog.com 思考と感性のバランス感覚を大切にしています 「絵」に興味をもったきっかけについて どんな「絵」を選んでいたか? テーマ別のおすすめ絵画(※私の独断と偏見によるものです笑) 思考と感性のバランス感覚を大切にしています 私は普段「頭(=思考)をフル回転させている分、プライベートの時間では頭をあまり使いません。感性や感覚を野放しにする時間をとるよう意識しています。また、生活において人…
監督 松尾昭典 脚本 三木克巳 原作 秋永芳郎 出演 小林旭 沢本忠雄 渡辺美佐子 白木マリ 大坂志郎 稲垣美穂子 安部徹 内田良平 待田京介 青山恭二 丘野美子 芦田伸介 www.nikkatsu.com 日活より 今朝の日経日曜版で鍬形蕙斎の「鳥獣略画式」が紹介されていました。なんだか癒される。サラサラ描いた感ある丸い猫。 ゲージュツには詳しくありませんが、丸い猫だけでなく熊谷守一のカクカクした猫もいいと思います。 熊谷守一美術館は熊谷が実際暮らした宅地跡に建てられていて、数年前に行ったことがあります。熊谷が座った木製の椅子も展示してあり、自由に座ることができます。 なんだか小学校の木製の…
午後半休取って病院へ。 行く前に古本屋へ。最初誰もいなくて、棚を見ていたら奥から人が出てくる音がしてヘビメタが爆音でかかった。おっさんとんがってるなーと思ったら、30代ぐらいの男性だった。「鳥の会議」と「北アルプスの歴史」を買う。世界冒険シリーズみたいな箱入の本とか、「ローマの休日」のシナリオで英語を勉強しようって本とか気になったのもあったがまた今度。全体としては統一してあるのにところどころジャンルが散乱している印象の棚づくり。ふくやまけいこの漫画が一冊あった。 神社に寄る。賽銭箱の上の屋根からずっと水滴が落ちている。 診察待ちの待合室で、車いすに乗ったくちゃくちゃに縮んでしまったようなおじい…
前項からの続き。 面している道路側から見た岡本太郎記念館。右手になぜかジャングル的な庭木が茂っていて、その庭にも太郎の作品が展示されていて、入館者は観ることができる。 ということで初の岡本太郎記念館。 結論から言えば想像以上に小さかった。 個人宅としては大きいとは思う(それも青山の一等地!)。Googleマップで測ってみると敷地的は幅24m✕奥行23m≒約550㎡ 約166坪くらいだと思う。なんだけど美術館としてはちょっと小さすぎかな。 似たような施設?で『豊島区立 熊谷守一美術館』に行ったことがあるんだけど、敷地で言えばこっちの方が広い。しかし熊谷守一美術館は家をそのまま美術館に使ったわけで…
雨の日曜なので、ひさしぶりにメナード 美術館へ、なんと1年半ぶりくらい。 花ひらく春と題した所蔵企画展、新年ら しい春の慶びの絵が気持ちを明るくさせ てくれる。 同時開催の小特集「小さな作品たち」と いう展示があった。ジャコメッティ彫刻 やド・スタールや熊谷守一の絵など可愛 いサイズゆえについ目を凝らしてしまう、 なかなかおもしろい小特集だった。 もう一回行こうか。 ktoshi.hatenablog.com