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西武包囲網

(スポーツ)
せいぶほういもう

プロ野球、パ・リーグにおいて、1989年から1990年代前半に、西武ライオンズに対して行われた作戦の呼称。

1989年

1980年代、西武ライオンズは蒼々たるメンバーを擁し、黄金時代を築いていた。

独走を許すまじと考えた日本ハム・ファイターズの近藤貞雄監督は、
1989年、シーズン開始前に「西武を倒そう」と各球団に一つの提案を持ちかける。
この提案に近鉄バファローズ、オリックス・ブレーブス、福岡ダイエーホークス、ロッテオリオンズが呼応。
近鉄バファローズの仰木彬監督により、「西武包囲網」と命名された。

西武戦を中心に試合展開を進め、各球団のエース級投手をぶつけるなど、
徹底した作戦により黄金時代の牙城は崩れる。

シーズンはライオンズ、バファローズ、ブレーブスの三つ巴となる。
前年涙を飲んだバファローズが優勝し、ライオンズの連覇を4で止めた。

1990年代前半

前年のバファローズ優勝により西武包囲網は成功に見えた。

しかし、翌1990年には、ブレーブス、ホークス、オリオンズの3球団の監督が交代。
チームカラーの変更などで各球団のまとまりが無くなる。
また、主導的な立場であった近鉄バファローズが選手故障等の原因で低迷。

再び西武ライオンズの独走状態を許してしまう。

1994年

オリックス・ブルーウェーブの監督に就任した仰木は、再び狙いを西武ライオンズに定める。
「世紀のトレード」の相手で、根本陸夫が率いる福岡ダイエーホークス、
前年の1993年には2位と快進撃を演じた大沢啓二監督率いる日本ハム・ファイターズを中心に再び包囲網を築く。

前半戦は混戦模様となり、ライオンズ、ホークス、ブルーウェーブの3球団が優勝争いに加わった。
後半戦に巻き返した近鉄バファローズを含め、4球団で争われた。

最後はライオンズが優勝するものの、森祇晶監督が勇退、黄金時代の終焉へと向かった。

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