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平安京

(地理)
へいあんきょう

京都の旧称。
794年、桓武天皇が長岡京から遷都した。ナクヨうぐいす平安京と覚えられる。遷都に際し、政教分離を画策した天皇は平城京からの寺社の移転を認めなかった。実際、藤原氏の氏神を祭る春日大社などは平城京にある。
1869年、東京奠都。
京都盆地のうち、桂川と鴨川に挟まれた東西約4.5km、南北約5.2kmの範囲を碁盤目状に区画し、北端に大内裏を置いた。
中央を南北に通る朱雀大路の東側を左京、西側を右京と呼ぶ。また、平安時代初期には左京を「洛陽城」、右京を「長安城」とも呼んだ。湿地の多い右京は早くから廃れ、左京(洛陽城)が栄えたため、京都の市街地を「洛中」、周辺地域を「洛外」と呼んだり、京都へ行くことを「上洛」と呼んだりするようになった。

以降長らく遷都が行われなくなった理由

日本書紀』、『続日本紀』などの史書によれば以前の京は代変わりなどに際し頻繁に遷都が行われている。しかし平安京遷都の後は長らく遷都が行われなくなった。平安京造営が徳政論争で藤原緒嗣によって中止されたためかと考えられる。神道では死の穢れを払拭できなかったが、仏教を取り入れたためにそれを恐れる必要がなくなったという説もある。

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