違星北斗@20090713193202

違星北斗(1901〔明治34〕年〜1929〔昭和4〕年)はアイヌ民族の歌人。
北海道余市町に生まれる。本名は違星滝次郎。祖父の万次郎は明治5年に東京芝増上寺の開拓使仮学校附属の土人教育所に留学した。「土人学校」ではなく和人が主として通う大川尋常小学校に通うが、差別を受け、和人への反感を募らせる。違星の転機となったのは余市の登村小学校校長に「アイヌと云った方がよいかそれとも土人と云った方が君達にやさしくひゞくか」と配慮され、和人に対する考えを改める。
徴兵検査に甲種合格するが、その後健康を害し、軍隊生活は一ヶ月で除隊となり、その後上京して東京府市場協会に務める。その時に金田一京助と知り合い、その縁で伊波普猷と出会う。伊波は違星に「君らの同族にとっての目下の急務は、同胞に間にはいりこんで通俗講演をやることである」と勧め、違星も「ぜひそうしなければならないと思っている」と答え、アイヌの復興を目指してアイヌへの啓蒙活動に取り組む決意を固め、1926年に北海道に戻り、アイヌ一貫同志会を作ってアイヌの地位向上の運動を始める。
北海道ではジョン・バチェラーや養女のバチェラー八重子の経営する幼稚園を手伝う傍ら、土器発掘などのアイヌ研究に携わる。アイヌ青年の修養会である「茶話笑楽会」を結成し、機関誌『コタン』を創刊する。
1928年からは売薬行商に従事して各地をめぐるが、発病し、余市の実兄の家に身を寄せる。
1929年1月26日死去。
1930年に設立された北海道アイヌ協会(現在の社団法人北海道アイヌ協会)には違星の影響を受けた人々が多く参加している。
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