クイズタイムショック@20170801205134

テレビ朝日のクイズ番組。
昭和44年、田宮二郎の司会でスタート。
彼の「現代は時間との戦いです。さぁ、あなたの心臓に挑戦します。タイム・イズ・マネー、一分間で100万円のチャンスです」という名ゼリフと、正解が3問以下なら挑戦者のイスが回ってしまうという、まさに「[[ショッキング]]」なスリルが人気を呼んだ。
田宮の自殺後は[[山口崇]]が司会を務め、以後、昭和61年(1986年)まで続いた。(通算888回)
ところがどっこい平成元年(1990年)、生島ヒロシの司会で復活。
生島版最大の特徴は「ショックポイント」の存在。
その、「ショックポイント」が設定された問題で間違うと出場者に炭ガスが吹き付けられ、獲得賞金を没収されるようになっていた((正解3問以下でも炭ガス。))。
しかし、その雰囲気の明るさが災いし、わずか半年で終了。
テレビ朝日はこの生島版を、タイムショックの黒歴史としている。
そんな「タイムショック」は2000年、俳優の鹿賀丈史を「時の番人」に、中山秀征・新山千春を進行役にそれぞれ起用し、「タイムショック21」としてまたも復活。
2002年6月の打ち切りまでのあいだ、クイズの内容が二転三転していった。
現在は期末期首改編期の特番「タイムショック」として放送されている。;正解が5問以下であればトルネードスピンで、解答席が回転する。
2007年、「新タイムショック」にリニューアルされる。
なお、オリジナルから「タイムショック」まで出題ナレーションは一貫して矢島正明である。

*タイムショックの問題アラカルト
-これまで20万近く問題が出題されたが、解答者をうまく惑わし、引っかけの問題が多かった。その例として紹介
--「今、何問目」(タイムショックではおなじみの問題)
--その派生では「問題を入れて最後の問題か、ホント」や「あと何問ですか」「これまであなたは何問正解した」などがある。
--「1問目の答えは何?」(大半は後半に出題される)
--「YES」「NO」問題。特に生島ヒロシ司会の最終回で全問YESかNOか答える問題があった ((このとき、矢島正明は「である」と出題された)) ((この「YES」「NO」問題で前半と後半3問。ショックポイントが掛けられたが、挑戦した男性はすべてクリアして、賞金獲得できた)) ((また、稀に「ある」「なし」クイズや「ホント」か「ウソ」のクイズも存在した))
--「ハンバーガーってどこの食べ物か」「旧大陸がヨーロッパなら新大陸はどこか?」(答え「アメリカ」)と答えが海外というパターン ((また、これを例にその日に出題された問題で偶然にも同じ答えもあった))
--「昼休みと春休み、毎日休めるのは?」(答え「昼休み」)と二者択一パターン。どっちが正解の問題。また、三択問題もまれにあった。((その中で「獅子・虎・ひょう。さて、大事なものの子は、何の子」(答え「虎」)と3つの関連があるが、一つの答えは実は違うことだったというのがある))
--「心臓と肝臓、毛が生えるのはどっち」(答え「どちらでもない」) 実は、どちらでもないというケースもあった ((「心臓に毛が生える」は慣用句でいすれも毛が生えない))
--「俗に…」(初期からの間で出題の際に、慣用句などで必ず「俗に」という言葉が多かった)
--「大金庫。ダイヤルで何で合わせる」(答え「ダイヤル」)と問題の中にすでに答えがあるような問題((また、「先生の閻魔帳の正式名はなんでちょう」と「教務手帳」と意図的にヒントのような答えもいくつかあった))
--「英語の「ユーモア」その頭文字は?」(答え「Y」)と英単語の問題 ((つまり「英語の「コメディ」の頭文字は?」は「C」という具合))
--「ピーターパンはフック船長なら宝島は」(答え「シルバー船長」)とこのように前置きを入れての問題。
--「おとといのあさってはいつ?」(答え「今日」)
--2問続けての問題その例=「シャーロック・ホームズの相棒は」(「ワトソン博士」(だが))「ワトソン博士の職業は何でしょう」(答え「医者」)とこのように前の問題を言って、その答えに続きの問題 
--「青函トンネルの「青」は「青森」。「函」はどこ?」(答え「函館」)「では、関門トンネルの「関」はどこか?」(答え「下関」)と2問続けての関連問題や続けざまに同じような問題
-複雑な計算問題((これは得意であっても、瞬時に答えを言うため難問だった))
--「90900+1000はいくつ」
--「さいころの目をすべて足すといくつ」
--「1かける1分の2は1分の2。では、1割る1分の2は」
--「200万円を千円札で何枚」
--「1[[ダース]]半は何本か」
--「時速40kmで2時間。何km進んだ?」(この答え3km。「時速40km」だけで考えすぎるたらいけない)

*1986年3月の最終回のクイズ問題
この回は、意地悪問題や引っかけ問題を中心に出題された。大泉滉に関してのちに記すが、アシスタントだった[[廣瀬雅子]]はこのような問題が出題された
+「タイムショックが生まれたのは昭和何年?」(昭和44年)
+「その年に生まれた子は今年何歳になるの?」(17歳)
+「タイムショック。初代アシスタンドは誰?」([[渋沢詩子]])
+「山東昭子と加山雄三。どちらが先に全問正解した?」(加山雄三)
+「17年前、官製はがき1枚いくら?」(7円)
+「マイルドセブンが生まれたのは、17年前よりまえ(か)あと(か)」(あと)
+「この17年、総理大臣になった人、10人以上(か)以内(か)」(10人以内)
+「では、17年前の総理大臣は誰?」(佐藤栄作)
+「石原裕次郎と加山雄三。17年前独身だったのは?」(加山雄三)
+「タイムショック。今日まで設問数は10万問以上(か)以内(か)」(10万問以上)
+「では、100万円を獲った人は。50人以上(か)以内(か)」(50人以上)
+「タイムショック。今日は何回目」(888回)

→いわば「タイムショック」の歴史の一部を問題にした。

*解答者のエピソード
-田宮・山口時代では、大泉滉は、出演した回すべて3問以下で椅子が回ってのペナルティを経験。最終回で1問のみ正解と椅子が回ったため、「解答者がすべて椅子が回った」不名誉な記録を樹立した。
-さらに、[[左ト全]]は1問。[[木の葉のこ]]は全問不正解で椅子が回ったことがあった。
-囲碁棋士の[[小山鎮男]]は、1978年放送の500回記念大会でクイズマニアとして出演した。((このときに、「タイムショック」などのクイズ番組で出演した[[村田栄子]]と仙台市のスイミングスクールクラブ長が全問正解。また、初代ウルトラクイズチャンピオンも出演した。)) ((小山は優勝を逃したものの、11問正解と大健闘した))
-1978年の山口崇初司会では初出場大会と銘打って、池畑慎之介や松山英太郎、[[小林千登勢]]が登場した((池畑慎之介が2009年の特番でそのときをVTRで紹介された))
-1984年の800回目記念大会では当時の司会者の山口崇は解答者として参戦。8問正解した。この際に、これまで15年近く出題した矢島正明が初めて顔出し出演をした。((1986年の最終回でも矢島は出演。特別にクイズ問題では顔出しで出題した))
-クイズ作家になる前にクイズマニアとして出場した人もおり、山口時代では[[道蔦岳史]]((1985年9月放送の回では9問正解した))、2000年以降の中山時代では当時大学生だった[[日高大介]]も出場した。
-1990年の生島時代の最終回では当時大学生だった[[能勢一幸]]が出演。10問正解した(([[能勢一幸]]はのちのウルトラクイズのクイズ王))
-2007年以降のリニューアルではロザン・宇治原史規は14回出演。また、相方の菅広文も出演したこともあった。