マサ斎藤@20180718170100

元プロレスラー。
[[1942年]]8月7日生まれ。東京都中野区出身。本名は斎藤昌典。180cm、120kg。
明治大学在学中にレスリング日本代表として東京オリンピックに出場、卒業後の[[1965年]]4月に日本プロレスに入門した。 デビューは同年6月3日の札幌中島スポーツセンターにおける高崎山猿吉(現[[魁勝司]])戦。
翌[[1966年]]6月、東京プロレスに参加。崩壊後は渡米し、フリーの悪役レスラーとして田吾作スタイルで活躍する。[[1984年]]4月に[[ケン・パテラ]]が起こした警官暴行事件に巻き込まれて十数人の警官をなぎ倒してしまい、1年間の刑務所暮らしを送ったことは有名。その逆境をものともせず刑務所内で肉体改造に成功し、鋼のような筋肉を身につけてファンを驚かせた。
日本では斎藤を師と慕う長州力の招きに応じて[[維新軍団]]に参謀格として合流、ジャパンプロレス、新日本プロレスに参戦。刑務所内からアントニオ猪木を挑発して言った「Go for broke!」(当たって砕けろ)はプロレスファンの間で瞬間的に流行語となるほどのインパクトを残した。
1987年10月4日に巌流島で行われたアントニオ猪木との時間無制限ノールールマッチは「巌流島の戦い」と呼ばれ伝説となっている。
「獄門鬼」のニックネームで世代闘争をくぐり抜け、長州力、橋本真也のパートナーとして活躍。長州力政権下の新日本プロレスでは第一線を退き、テレビ番組「ワールドプロレスリング」の解説者としてもお馴染みとなる。時々日本語を忘れるアメリカ訛りのしゃべり方と、一人で暴走する[[辻義就]]アナを冷ややかにたしなめる[[ストロングスタイル]]な解説は一部ファンの熱狂的支持を集めた。
[[1999年]]2月14日、日本武道館においてスコット・ノートンと引退試合を行った。
得意技はバックドロップ、監獄固め、逆エビ固め。
獲得したタイトルは、AWA世界ヘビー級王座、IWGPタッグ王座。
[[2005年]]、健介オフィスのアドバイザーに就任。
[[2018年]]7月14日死去。享年75。
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