崇道天皇@20060316184347

早良親王の追号。
早良親王は、光仁天皇の第二皇子。兄桓武天皇の即位に伴って皇太子となるが、大伴家持策画した藤原種継暗殺事件の主謀者として、淡路に流される途中絶食して絶命。なお、此の辺の記事は桓武天皇の詔令より『続日本紀』から刪去され、逸文は『日本紀略』にで見られる。
のち、桓武天皇がその祟りを恐ろしく、その怨霊に対して悔過と鎮謝を度々行って、最後は崇道天皇として追尊した。が、「崇道」とは「祟道」に掛けるではないがという見方もある。建設中の長岡京から平安京へ遷都したのは早良親王の祟りから避けるためである、というのが歴史学会における定説となっている。