コシャマインの乱(こしゃまいんのらん)
1457年、和人とアイヌ人との間の最初の大規模な戦乱。蝦夷地で勢力を増した和人と、コシャマインを指導者にした先住民族アイヌ人とが激突。のちに松前藩の藩祖といわれこととなる客将武田信広の計略により、和人の勝利に終わった。以降、和人の多くは松前付近に集結し、後の和人地の原型を作り上げた。
函館市のお隣にある北斗市は、その名前を活用してよく北斗の拳とのコラボをやっている。 hokutoinfo.com上磯町と大野町が合併するときにいろいろ候補の名前があって、個人的には稲海市あたりが良いなと思っていたんだけど(大野平野は米どころだから)なぜか北斗市に決まってしまって釈然としない気持ちになった。 北斗といえば北見北斗(スポーツ強豪校)のイメージが強いし、一番めんどくさいのは北杜市という読み仮名がまったく同じの市があるところ。 そのせいで昔は「北斗市」で検索しても北杜市の結果しか出てこなくて憤懣やるかたなかった。それでも時がたつにつれて徐々に浸透してきたし、北斗の拳コラボイベントも定期…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/08/07/201518 「丸3年での我々的見え方…近世以降の解釈と観光アイノについて」… 実はあまり積極的に拡散はしていないが、昨年もこんな風に通史でどうなるか?を組み立ててみたりはしているのだが、 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/09/051702 「羽黒山鏡ヶ池に眠る「羽黒鏡」とは?…出羽三山信仰の核の一つを学ぶ」… ここで書いた様に、今年ここまで弾丸ツアーを行い、解った事、疑問になった事、そこから深堀りし謎が解けたり解けかかった事…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/09/16/192421 「北海道中世史を東北から見るたたき台として…東北の中世墓の傾向や宗教北上の傾向を見てみよう」…前項はこちら。 では、前項に準じ、山形より南、北陸へその傾向を伸ばしてみよう。 抽出方法は前項同様。 まずはその傾向を見ていく事が最優先…深掘りの為の叩き台。 では抽出データより。 一つだけ注意点。 東北でガラス玉や水晶の検出があった。 ここ北陸ではそういう記載ではなく、ズバリ「数珠」と記載されたものが検出され、材質記載が無い。一応、数珠はガラス玉,水晶に上げていく。 A,新潟県 ・遺…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/08/110448 実は筆者は四度目の「北海道弾丸ツアー」を敢行した。 とは言え、今回は二人旅、相互フォロワーさんと同行させて戴いた。 当初、同行者に道南での用事があり、それに合わせてお互いに気になる一致箇所があったので、二人で攻めてみるか…こんな感じ。 まずは一致箇所に行き、そこから先は状況に応じて回ってみるか…である。 その一致箇所こそ、上ノ国の「勝山館&夷王山墳墓群」。 筆者としては、 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/23/1…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/06/04/194346 久々に「消えた宗教施設」…これに繋げてみよう。 関連項はこちら。 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/06/03/202005 先の北海道での「羽黒権現堂」を含む一節。 実はこれらを学ぶ過程でSNSで気になる事を見ていた。 https://twitter.com/porun778/status/1663566352538570754?t=xhDAxPfhb2hf41kRHWaKyQ&s=19 @porun778ぽるん様 よ…
北海道はでっかいど~ 北海道はその昔、蝦夷と呼ばれていました。 そこに住んでいたのはアイヌの人たちでした。 目次 蝦夷の祖(?)、蠣崎季繁 松前藩の政治 蝦夷錦 蝦夷の祖(?)、蠣崎季繁 北海道が蝦夷地と呼ばれた時代。 もともとは蠣崎氏(かきざきし)という、室町時代後期に北海道に進出した日本人の武家勢力がいました。 蠣崎季繁(かきざきすえしげ)は室町時代中期の武士です。 若狭国の守護武田信繁の近親で、蝦夷地に渡って下之国安東政季の娘婿となり、蠣崎氏を名乗って花沢館(現在の北海道檜山郡上ノ国町)に住んだとされますが、様々な伝承があり定かではありません。 生誕は不明ですが、亡くなったのは寛正3(1…