Pavel Nedvěd
チェコ代表歴のある元サッカー選手
生年月日 : 1972年8月30日
出身地 : Cheb (ヘプ、チェコ共和国)
身長・体重 : 177cm・70kg
ポジション : MF (オフェンシブハーフ、サイドハーフ)
1991〜92 : FKデュクラ・プラハ
1992〜96 : ACスパルタ・プラハ
1996〜01 : SSラツィオ (イタリア)
2001〜09 : ユヴェントスFC (イタリア)
脅威のスタミナ・正確さ・パワフルかつスピーディーな動きで、中盤のすべてを支配するヨーロッパ最高峰のMF。また、左右両足から繰り出されるシュートは脅威的な破壊力を持ち、献身的なディフェンスも持味の1つ。
プロサッカー選手であった父親の影響からサッカーを始め、故郷スカルナの下部組織を経て、1991年に兵役を終えFKデュクラ・プラハへ加入。19歳でファースチチームデビューを果たしデビューシーズンから素晴らしい活躍を披露。翌1992年にはチェコ国内の強豪ACスパルタ・プラハへ引き抜かれる。1996年のUEFAヨーロッパ選手権で準優勝し、その年の夏にSSラツィオ (イタリア) へ移籍した。SSラツィオに移籍した当初は不馴れなボランチでのプレーに苦しむ事となったが、地道な努力で現在のレギュラーポジションを確立する。1999-00シーズンにはSSラツィオにとって念願だったスクデットを獲得。更にはコッパ・イタリアも制し2冠を達成。ネドヴェドを抜きにして語る事は出来ない程の活躍を見せた。
2001-02シーズン、イタリアの名門ユベントスへ移籍。このシーズンのスクデット獲得、翌2002-03シーズンのスクデット連覇に大きく貢献。2002-03年シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、決勝進出の原動力となりながらも累積警告で決勝戦には出場できず、ACミランにビッグイヤーを奪われた。2006-07シーズン、ユベントスは試合の買収行為などで処分を受けセリエBに降格したものの、ネドヴェドはユベントスから離れず、デル・ピエロと共に1シーズンでセリエAに昇格した立役者の1人であった。
2008-09シーズンを最後に現役を引退した。
チェコ代表デビューは1994年6月5日、アイルランドの首都ダブリンで行われたウェールズ戦。91試合出場・18得点。
EURO2004の直後に代表引退を発表したが、2005年11月のドイツワールドカップ・ヨーロッパ予選プレイオフで代表復帰。その後2006年ドイツワールドカップ本大会に出場。そして2006年8月16日の親善試合セルビア戦でチェコ代表を引退した。