駿府城の前身は、駿河守護を代々務めた今川氏の居館で、詳細な位置は不明ながら駿府城三ノ丸付近にあったと伝わる。 この居館は、今川館とも駿府館とも呼ばれ、今川範政が応永18年(1411)に花倉から念願の駿府入部を果たして築いたものだが、室町時代の守護所、つまりは邸宅兼行政府であり、防御機能はそれほど強固ではなかった。ただ、館と詰城というのが一般的な時代で、今川氏も北西に賤機山城という詰城を持ち、周辺の出城と連携して防衛するようになっていたという。 また、今川氏時代の駿府は、藁科川と安部川が土砂を運んで作った平野という姿をそのまま残しており、両川は今と違って分かれたままで、安部川は賎機山の東麓に沿う…