60〜80年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは二塁手。背番号は78→4→5番。
1946年11月10日生まれ。兵庫県出身。
報徳学園高校から駒澤大学を中退後、篠崎倉庫を経て、
1967年、ドラフト外で西鉄ライオンズに入団。
2年目の1968年に二塁のレギュラーを掴むと、翌1969年はリーグ最多の34二塁打で.295と躍進。
1970年には21本塁打と長打力も発揮。同年、黒い霧事件で厳重注意処分。
1972年には20本塁打、打率.301に加え25盗塁と万能ぶりを見せて初のベストナインに輝く。
1973年5月20日の近鉄バファローズ戦でプロ野球通算30000号本塁打。
1979年、鵜沢達雄・根本隆との2対1の交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍。
1979年5月9日の阪神タイガース戦で1試合4二塁打の日本タイ記録。
同年8月5日の阪神タイガース戦で代打サヨナラ本塁打を記録。
セ・リーグ2年目の1980年には自己最高の70打点、.314をマークして2度目のベストナインに選ばれた。
1984年、現役引退。
1985年、打撃コーチに就任。
1989年、日本ハム・ファイターズのコーチに就任。
1992年、TVKの野球解説者となる。
1993年より、TVQ野球解説者。
1998年〜1999年、韓国プロ野球・ロッテジャイアンツの臨時打撃コーチを務める。
その後、野球解説者の傍ら、マスターズリーグ・福岡ドンタクズの選手としても活躍。
2006年、ロッテジャイアンツの臨時打撃コーチに復帰。