日本国有鉄道の前身である鉄道省が設計した旅客用蒸気機関車。
四国以外の全国に配置され「貴婦人」と呼ばれた。大きく戦前型と戦後型に分けられる。
日中戦争への特需景気により輸送力の増強を迫られた国鉄は旧来の機関車をベースとし新機構を盛り込んだC54形とC55形を製造していた。
そして日中戦争のに突入する数ヶ月前にC55形の牽引力を20%上げた機関車が2機登場した。
この2機はC55形の63・64号機を名乗るはずだったが、新性能のためC57形という新形式が誕生した。
C55型で強化が必要であった板厚をC55型の14mmから16mmに変更し、動輪もスポーク輪からアメリカンボックス輪にされ補強された。
そのせいかC57形は初期トラブルもなく現場には歓迎され、1次型138両と2次型31両が一気に製造された。
またC55形よりも洗練されたそのスタイルからファンに貴婦人と親しまれるようになった。
戦後になって引き揚げ列車や買出し列車などの旅客需要が急増したため、C57形は準幹線用とされ3次型20両と4次型12両が製造された。
4次型は新設計やデフの切り欠けにより戦前型にあった優雅なスタイルは失われた。
幹線や準幹線で「かもめ」や最後の蒸気機関車定期運用となった急行日南などを30年以上担当し続けた。
その後は宗谷線、室蘭線、羽越線、紀勢線、山陰線、播但線、日豊本線、吉都線などを主にローカル運用で余生を過ごした。