近江の城。三成の「過ぎたるもの」の一。
型式としては山城で、名前の通り佐和山を軸に縄張りされていた。
鎌倉時代に、近江の豪族の佐保時綱によって築かれる。その後、浅井氏の城となり、磯野員昌が城主となる。
織田氏のものとなってからは丹羽長秀に与えられた。「本能寺の変」の後、堀秀政・堀尾吉晴らを経て天正18年には石田三成の城となった。
関ヶ原戦後、東軍の攻撃を受け落城。戦功で三成の旧領を与えられた井伊氏は佐和山城に代えて彦根城を造営した。彦根城の建設資材は佐和山城からかなりが転用された。
さらに、佐和山城は徹底的に破却され*1、廃城となった。
*1:領民の石田氏への思慕を削ぐ目的からとも言われるが