そしてその道とは気ちがいの母親からの、逃避行として用意された道でもあっただろう。どうあれ読書行為とは逃避なのでありもしようが、私の場合には、様相を異にしていたのではなかったか。――ともかく、みずからのことを特権化するのは止すとしよう。私が初めて読んだ小説はいまでも神保町の一画から買い取ったものが手許にあって、アメリカの児童文学者が書いた、漫画ばかりを読んでいる主人公が漫画のなかの怪物とともに西部劇の舞台や、宇宙旅行に出たりと点々とするという筋立ての、いわゆるポストモダン風、一九八〇年代風の小説であった。このような小説を読んだことの下地が、中学時代の私に、ドゥルーズ/ガタリのテクストを、読んでも…