作家、詩人、エッセイスト。1933年群馬県生まれ。 58年早稲田大学第一文学部露文科卒。在学中は五木寛之氏、三木卓氏らと文学活動をともにする。卒業と同時に北海道新聞社に入社。65年、小説「まるい世界」で第三回新日本文学賞佳作。67年、北海道新聞社を退社と同時に文学活動に入る。 作品は小説、詩を中心に、鳥・虫・魚を題材にしたエッセーも多い。毎日新聞の同人誌評担当を長く続けた。
1991年8月、すみれ通信舎から刊行された川崎彰彦(1933~2010)とたなかよしゆき(1950~)の往復書簡エッセイ集。装幀装画は粟津謙太郎。 「トラック日本」編集部の宇多さんから、自然にまつわる往復書簡形式のエッセイ連載という企画がもちこまれたとき、ぼくがとっさに、おもいうかべた相手は年少の友たなかよしゆき君だった。たなか君はぼくなどよりはるかにフィールドでの経験を積んだ自然観察者だし、自然をうたっても、その背後に、たとえば中村草田男のような、人間界にたいする、したたかな批評が働いていることを知っていたからだ。 はたして連載が始まると、ぼくにとって、なによりも心たのしい仕事になった。シュ…
2002年11月、宇多出版企画から刊行された川崎彰彦(1933~2010)のエッセイ集。装幀・装画は粟津謙太郎、挿絵はうらたじゅん。 これは一九九七年三月から奈良新聞の文化欄に、同じ「くぬぎ丘雑記」の題名で、最初は月一回、途中から月二回の割合で連載したエッセーのうち百十九回までを収めたものである。 最初のうち、奈良新聞であることを強く意識して奈良をテーマにしたものを書こうと多少無理をしたが、やがてあまり奈良にこだわらないことにしよう、と方針を変えた。その方が私らしい自然体になれると考えたからである。連載中は奈良新聞の担当者(いちいちお名前は挙げないが)にひとかたならぬお世話になった。私は病気以…
1992年11月、編集工房ノアから刊行された川崎彰彦(1933~2010)の第3詩集。装幀は粟津謙太郎。 これはぼくの第三詩集ということになる。一九八九年冬、二度目の脳卒中で倒れて以後の作品だけを集めた。 救急病院のベッドでぼくは精神的に打ちひしがれて横たわっていた。そんなとき心に浮かんできた詩のごときものを付き添ってくれていた友人に口述して書きとめてもらった。ぼくには詩が残されている、この思いが一筋の光明になって、ぼくを生かしてくれた。詩集名にもした「合図」を含むⅠの前半の詩である。「合図」の「お前も生きていけ」というのは小山清の読者なら先刻お気づきだろうが「落穂ひろい」という至純の短篇のな…
1977年8月、ぬ書房から刊行された詩人論集。編集は小野十三郎。写真は横田喜代子。 目次 序 詩を通じての人間の連帯 小野十三郎 松瀬青々 ある先駆者 坪内稔典 与謝野晶子 母性の中心で 三井葉子 川田順 覚醒した長距離走者 米満英男 釋迢空 わたつみの胸に抱かれて 倉橋健一 安西冬衛 詩における謎かけの機能 福中都生子 阿波野青畝 存在化された自然 大橋嶺夫 日野草城 早熟にして晩成 伊丹公子 山口誓子 俳句形式の方法化へ 坪内稔典 森川暁水 したたかに美しく 金子晋 小野十三郎 大阪には小野十三郎がいる 川崎彰彦 伊東静雄 故郷すでになく 甲斐崎圭 港野喜代子 庶民の語り部 右原尨 桂信子…