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中先代の乱

(社会)
なかせんだいのらん

北条高時の遺児・北条時行を擁した諏訪頼重らの挙兵に始まる戦乱。
先代(北条氏)と後代(足利氏)の間で、一時的に鎌倉を制圧したことから「中先代の乱」と呼ばれる。また、鎌倉制圧が二十日程度であることから「二十日先代の乱」ともいう。
足利尊氏はこの乱を機に建武政権に反旗を翻す。

建武二年(1335)

  • 7月14日、北条時行・諏訪頼重が信濃に挙兵
  • 7月22日、武蔵女影原・小手指原・府中・井出沢で北条方が勝利
  • 7月25日、北条時行鎌倉に入る
  • 8月2日、足利尊氏出陣
  • 8月9日、遠江橋本で足利方勝利
  • 8月19日、足利尊氏鎌倉奪還、諏訪頼重自害、北条時行逃亡
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