長島一向一揆(ながしまいっこういっき)
1570年頃から1574年にかけ、尾張国長島を中心とした地域で、本願寺の反信長蜂起に伴い、一向宗の門徒達や非門徒の武士団が起した反乱。信長は、門徒達の捨て身の戦いで苦戦、一族や重臣の多くを失ったが遂には降伏させた。一揆鎮圧後、門徒による自治領は完全に崩壊し、信長の所領となった。
昨日の初日を観た舞台の稽古場レポートです! 植木祥平出演・演出 長島一向一揆に関わった人々の生き様や想いを描く、舞台『みんな出ておいで~』稽古場レポート | SPICE (取材・文・撮影=吉田沙奈さん) spice.eplus.jp 「〜 物語の舞台は、元亀元年(1570年)の長島。織田信長の台頭で戦が激化する中、本願寺の門徒が多く暮らす平和な島には、阿弥陀様に救いを求めて多くの人がやってくるようになっていた。植木祥平が演じるのは、長島に渡ってきた牢人の日根野。島で暮らすみな(七木奏音)と辰次郎(田島亮)に教えてもらいながら念仏を練習するが全く上達しない日根野に、周りで見ているキャストからは笑…
朝、善福寺川沿いを走ってきました。明日、強い雨が降りそうなので、今日で桜は見納めかなと思いながら走りました。 「日本史1200人」473 斎藤龍興(タツオキ;1548〜1573) 美濃国・戦国大名。父・義龍の死により14歳で家督を継いだが、祖父や父と比べると凡庸で、家臣の信望を得ることができなかった。1567年には家臣が信長に内応した為、遂に稲葉山城を落とされ北伊勢の長島へと退散した。当時20歳で、以降は再び大名として美濃に返り咲くことはなかった。亡命した龍興は1570年に始まる長島一向一揆に参加し、信長に対する抵抗を継続した。また、三好三人衆と結託して、信長が擁立した室町幕府将軍・足利義昭を…
2017年11月20日発行 近江の武将蒲生賢秀の嫡男鶴千代は幼き頃より聡明だった。信長が戦って勝てる相手か否か岐阜城下までに行って自分の目で確かめ、到底敵う相手でないと判断すると、そのことを父に報告した。蒲生家の主城日野城では信長に身方するか否か評定が開かれていたが、父都共に参加した鶴千代は数日で決着がつくと驚くべき予言をした。信長は蒲生家の主君六角(佐々木)承楨の籠城する観音寺城を攻めようとしていた。鶴千代は六角勢の戦ぶりを見て後の参考にするためだと言って観音寺城まで駆けつけたが、その実は織田勢の戦い方を見るためだった。六角承楨らは戦わずして甲賀に逃げ、鶴千代は父の下に戻った。父は鶴千代は自…
3月8日 正午頃に出発して午後3時頃に「なばなの里」に到着しました。 揖斐川・長良川・木曽川に囲まれた輪中で16世紀には長島一向一揆がおきた歴史的な土地でもあります。 ベゴニア園とイルミネーションが有名で今回が3度目です。 01 02 03 04 05:フクシア 06 07 08:河津桜が満開です。 09 10 ねこんたフォトギャラリー
DDD青山クロスシアターにてSEVENSENSES produce 植木祥平演出の企画第一弾、舞台『みんな出ておいで〜』初日観劇。楽しかったです。実は稽古期間少なそうでちょっと心配だったけれど、初演出の植木祥平さんが集めた俳優さんたちの座組なので杞憂でした。「みんな出ておいで〜」このタイトルに…えっ😳 となりました。初日だから書かないでおきます。史実だからこそ胸に響く長島一向一揆の真実… 。今の情勢を頭の片隅に思いながら…。「鎮魂」、平和へのメッセージを受けとりました。テンポがよくて見応えのあるエンタメ作品でした。ひとつの空間で月日もバーンと流れるし場面転換も多いけれど、ナレーションはなく、セ…
「俳優の植木祥平が演出、朝ドラも担当した三谷昌登が脚本 長島一向一揆のある物語を描いた、舞台『みんな出ておいで~』を上演」SPICE spice.eplus.jp SEVENSENSES produce 植木祥平演出 vol.1舞台『みんな出ておいで~』日程:2024年3月5日(火)~3月10日(日)会場:DDD青山クロスシアター演出:植木祥平(「渋谷ハチ公前」所属)脚本:三谷昌登出演者:生島勇輝、岡田優、大朏岳優、君沢ユウキ、髙野春樹、田島亮、七木奏音、山口貴也(五十音順) 【Story】元亀元年(1570年)。突如石山本願寺は、当時天下布武を掲げ、畿内で暴れまわっていた織⽥信⻑に対し宣戦布…
唐突なクイズです! 貴方はいったいどれだけ正確に歴史を把握しているでしょうか? 現代(たった数十年前)のことでも意外と間違って認識しているものがあると思いますよ。 今回は自分が学んできた、そして誤って認識していたものを含めて選りすぐりの問題を出題します。 全問正解できたなら、自信と誇りをもっていいと思います。 でも、よっぽどの人でない限り全問正解はできないと思います。 随時追記していきますので、是非しばしの間正しい歴史を学んでいただければと思います。 【追記、修正履歴】 2024年2月11日:第1問~第7問 2024年2月12日:第8問~第15問追記 2024年2月15日:第16問~第19問追…
戦国大名伊勢北畠氏の歴史 その3具房上洛(1570)~三瀬の変(1576)までになります。 その1、その2の続きです。 dainagonnokura.hatenablog.jp dainagonnokura.hatenablog.jp 1570 北畠具房の上洛と元亀争乱の発生 1571 茶筅の元服 1572 具房、いつの間にか右中将になる 1573 武田信玄に協力を約束する具教 1573 大湊への出船要請 1573 信雄の初陣? 1574 信雄上洛? 1574 長島一向一揆の殲滅に参加 1575 長篠の戦いと信長からの黒印状 1575 信雄へ家督を譲る 1575 具教と具房の動向 1575 越…
*Amazonより 【あらすじ】 合わせても500人位の軍勢しか集まらない、13もの地頭が乱立していた志摩国。そんな中九鬼家が支配する大王崎の沖に、千石船が座礁した。座礁した船は荷物と共にその土地のものとされていて、久々の大物を得た九鬼嘉隆ら一党は荷物を「略奪」する。その船には土佐の名家である一条家の娘のお咲が、伊勢神宮に嫁ぐために乗船していた。嘉隆はお咲を強引に奪い、嫁にしてしまう。 そんな嘉隆の乱暴狼藉は周囲の反感を買う。地頭らが国司の名門北畠家に訴え出るも嘉隆は応じず、地頭たちは九鬼家の居城に総攻撃をかける。九鬼家唯一の砦である波崎砦に一旦逃げ込んで、そこから海戦で勢力の回復を目指すも、…
元亀元年(1570年)6月28日に行われた姉川の合戦を舞台に、弓の名人・遠藤与一郎が再び登場します。物語は、浅井・朝倉勢と織田・徳川勢が激突した合戦で、与一郎が足軽から身を立てていく姿が描かれています。2023年:43冊目 評価:☆☆☆ 長島忠義 北近江合戦心得〈二〉 (小学館文庫) 作者:井原忠政 小学館 Amazon 「三河雑兵」と対をなすお家再興戦国物語! 「ええか、浅井家を復興したくばワシに忠誠を尽くせ」 浅井旧臣で弓馬の名手・遠藤与一郎は、於市を通じ秀吉と取引をしたーー長政の遺児を匿ってもらう代わりに、羽柴家のため働く。ただし、足軽からの登用である。 早速与一郎は、朝倉方を即裏切った…
大河ドラマどうする家康ですが無事に終了しました。 ご苦労様でした。 視聴率は厳しかったようですが ネット配信や再放送を繰り返しているので 仕方ない面もあるでしょうが。 でも若い視聴者層に勝手に媚びたあまりに 今までの視聴者も見なくなり 歴史軽視な展開になってしまった感じでしょうか。 歴史に詳しい若い視聴者も見ていたか 怪しいかもしれませんが。 そもそも若い視聴者層でなく単にJ事務所に 媚びただけだったのかもしれませんが。 J事務所のファン以外は見ていなかったのかも。 それでもJ事務所のファン層がいなければ もっと数字は苦戦した可能性もあったでしょうが。 当方ですが瀬名の回で脱落し関ヶ原大阪の陣…
どうもこんにちは僕です。 本日の本はこちら 柴田勝家 織田軍の「総司令官」 (中公新書) 作者:和田裕弘 中央公論新社 Amazon 柴田勝家の実像に迫る書籍となっている。 家老として織田家を支えていた勝家ですが、特に北陸地方の総帥として活躍。しかし最終的に羽柴秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗れ、そのまま本拠地北ノ庄城で自害という最後でした。 敗者は往々にして、勝者に真実を捻じ曲げられて後世に伝えられるもので。 だけども、柴田勝家は違うだろうと思う。 信長から北陸地方を任された地方司令官なのだから、そんな勝家の活躍が存分に書かれた本だ! 是非勝家派の人は見てほしい。 そんな本の内容の中で自分がコレは!と…
朝、善福寺川沿いを走ってきました。気温が10℃だったので、タイツを履かずに走りました。外に出る時はチョッと怖かったです。 「日本史1200人」378 滝川一益(1525〜1586) 武将、織田氏の宿老。早くから信長に仕え美濃攻めも経験している。長島一向一揆の鎮圧を任されて武功を上げ、その後は各地を転戦して貢献した。1582年の武田攻めでは、総大将となった信長の嫡男・信忠の軍監として活躍し、厩橋城の城主となった。しかし、本能寺の変の際には北条氏直と交戦していたため、清須会議(織田家継承会議)には間に合わず、織田家における地位は急落した。宿老から外れた一益は、やがて柴田勝家に接近したが、勝家が賤ヶ…
昨日は嫁さんが居なかったので、昔働いていた高円寺周辺をぶらついてから、阿佐ヶ谷の家の近くの飲み屋さんに行きました。タン・ハツ・レバー・カシラを塩で美味しく頂きました。ハツモト・タンシタは初めてでしたが美味しくて、お店を開拓した気分でした。今日のランは雨でお休みです。 「日本史1200人」374 織田信孝(1558〜1583) 信長の3男。信長に降伏した神戸具盛の養嗣子とされた。長島一向一揆攻めに初の参陣をし、以後は信忠軍団の組下にありながらも、信長の側近としても活動した。さらに四国攻めの総司令官「南海の総管」に抜擢され、渡海は6月2日に予定されていたが、まさに6月2日早朝に本能寺の変が勃発した…
「豊臣秀長」という名前を耳にすることは少ないかもしれませんが、この人物は実は日本歴史の中で大変重要な役割を果たしていたんです。私たちがよく知る天下人、豊臣秀吉は、百姓の出身から天下を取った英雄として有名ですよね。しかし、秀吉の華々しいサクセスストーリーの影で、彼の背後には秀吉の弟である豊臣秀長がいたんです。秀長は、初期豊臣家の経営を実質的に支える重要な役割を担っていました。大河ドラマにも登場することはあるものの、彼のキャラクターは特別強烈なものではないため、多くの人にはあまり知られていないのが実情です。今回の動画では、そんな地味ながらも非常に才能に溢れ、多くの障害にも立ち向かった豊臣秀長の魅力…