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渡邉恒雄

(一般)
わたなべつねお

読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。読売巨人軍代表。
横綱審議委員会委員。

1926年(大正15)年5月30日生まれ、東京都出身。愛称は、「ナベツネ」
東京帝国大学(現・東京大学)文学部哲学科卒

略歴

  • 1949年 東京大学文学部哲学科卒業
    • 在学中に共産党に入党(ただし、後に除名された)
  • 1950年 読売新聞社入社
  • 1952年 政治部勤務
    • 政治部記者(大野伴睦の番記者)として頭角をあらわす
  • 1968年、ワシントン支局長
  • 1975年、編集局次長兼政治部長
  • 1977年、編集局総務(局長待遇)
  • 1979年、取締役・論説委員長
  • 1980年、常務取締役・論説委員長
  • 1983年、専務取締役・論説委員長
  • 1984年、元旦の社説の執筆を初めて担当する
  • 1985年、専務取締役・主筆兼論説委員長
  • 1987年、副社長・主筆
  • 1990年、代表取締役副社長・主筆
  • 1991年、代表取締役社長・主筆、横綱審議委員に就任
  • 1999年、日本新聞協会会長に就任
  • 2005年、読売新聞グループ本社会長に就任「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」受賞

プロ野球界における行動

  • 歯に衣着せぬ発言は、時に暴言とも受け取られ様々な分野に波紋を広げた「名物オーナー」
  • 経営幹部に就任した1989年以降、読売巨人の経営に参加するようになったが、「野球には興味がなかった」(本人談)
  • 金権主義を振りかざし、少しでも自分に従わない球団や意見があった場合には、「巨人を中心とした1リーグ制を導入する」「(異論のあった球団を)リーグから追放する」などの恫喝まがいの発言を行ったことでも有名。

2003年、読売巨人軍原辰徳監督の泥沼交代劇を、「単なる読売グループ内の人事異動だ」と発言

巨人ファンのみならず、球界全体を巻き込んで大きな論争の種となった。また、発言の矛先は球界だけではなく、角界等他種スポーツ界、更には同業他社のマスコミ各社に向けても遠慮なく向けられた。

2004年8月、新人選手のスカウトにおける金銭授受の判明により、巨人軍オーナーを辞任

2005年6月、読売巨人軍代表取締役会長に就任。球界復帰。辞任から復帰までの間、わずか10ヶ月であった

2011年11月、読売巨人軍のヘッドコーチ人事をめぐる球団側との内紛

読売巨人軍の清武英利球団代表が、渡邉恒雄のコーチ人事を越権行為であるとして記者会見を開き公表した

著書

わが人生記―青春・政治・野球・大病 (中公新書ラクレ)

わが人生記―青春・政治・野球・大病 (中公新書ラクレ)

関連書籍

渡邉恒雄 メディアと権力 渡邉恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)  渡邉恒雄回顧録

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