・天安2年(858) 8.27 惟仁親王は践祚した(清和天皇)。(『日本三代実録』) ※清和天皇は9歳と幼年のため、太政大臣,藤原良房が政務を代行した。幼帝が即位せざるを得ないという、天皇制の危機的状況の中、それに対応するために良房が代行することになったとも考えられる(樋口健太郎「良房」『図説 藤原氏』)。 ※恒貞親王の廃太子以降、天皇になりえる内親王の立后が忌避されたことから、皇位が男系男子に継承される傾向が強まり、幼帝が登場する要因になったとも考えられる(仁藤智子「幼帝の出現と皇位継承」『天皇はいかに受け継がれたか』)。 ・天安2年(858) 8.29 清和天皇は、祖母である皇太夫人,順子…