「臨床哲学」とは聞き慣れない名称であるが、現実社会の具体的場面で生じて いるさまざまな問題を「治療」という観点から、しかも「医者」ではなく、むし ろ「患者」の立場に立って考えていこうとする哲学的活動を指している。これま での哲学がアカデミズムの内部で抽象的な「一般的原理」の探究を目指してきた のに対し、臨床哲学はあくまでも具体的な「個別事例」から出発することによっ て既成の原理を揺さぶり、新たな観念や思考のスタイルを紡ぎ出すことを試み る。
わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書 832) 作者:鷲田 清一 筑摩書房 Amazon よくわからないことを少しずつ考えてみる 著者は臨床哲学として、対話の中から人々と一緒に考えていく哲学の第一人者。著者の書籍はどれも読みやすく、面白いと思いますが、本書は特に、1話づつ完結というか、小さな「分かっているようで、実はよくわからない」ことをテーマにしたエッセイ的なお話が13話書かれています。一気に読んでもいいと思いますが、今回は、サウナタイムの友として1話ずつチビチビと読みすすめたので、読了に1か月以上かかってしまいました。 第1話の「問いについて問う 意味について」から第1…
「聴」くことの力 臨床哲学試論 コミュニケーションの基本である「聴く」というスキルに焦点を当てたもので、 鷲田さん自身が長年にわたって取材やインタビューで培ってきた経験やノウハウを分かりやすくまとめています。 本書では、「聴く」という行為がどのように人間関係や自己成長に影響するか、またどのようにして「聴く」力を高めることができるかについて、具体的な例やアドバイスを交えながら説明しています。 臨床と哲学の融合で、すべての医療従事者に読んでほしい本です。 ある問いに対して、 医師、看護師、精神科医でそれぞれ、かける言葉に違いがでます。 患者になんと声かけするといいのでしょう。 "話しが上手い"は天…
今年は「共同親権後の社会」でも続くであろう「パートナーズの問題」を中心に哲学カフェしたいと思っています。 これが「子どもの潜在化」の問題にも光を当てることになると思います。そして「潜在性とコミュニケーション」は僕の臨床哲学のテーマでもあります。 * (臨床)哲学を愚直に行なおうとすると、どうしてもイデオロギー(最近ではフェミニズム)の権力性と利権批判につながり、僕は「反動化した元リベラルの裏切り者」扱いされているようです。 古くは「さいろ社(既存の医療ジャーナリズムに乗らず独立系出版社/無広告でがんばった)」、記憶に新しいところでは「『待つ』支援からの乗り越え」(淡路プラッツ蓮井さんらとの共同…
私は発達障害持ちの大学生です。このブログは,生活の中で記録しておきたいと思った事柄をまとめて取っておくために開設しました。私のプロフィールは以下の通りです。・発達障害(ASDとADHD) ・大学生 ・女性 ・ADHD薬 アトモキセチン服用中発達障害者にとって、近しい環境にある当事者の語る情報がいかに有難いかを身をもって感じています。拙い記録ですが,似たような環境にある人にとって何らかの有益な情報となれば幸いです。 𓆛 𓆜 𓆝 𓆞 𓆟 𓆡 𓆢𓆛 𓆜 𓆝 𓆞 𓆟 𓆡 𓆢𓆛 𓆜 𓆝 𓆞 𓆟 𓆡 𓆢𓆛 𓆜 𓆝 𓆞 𓆟 𓆡 𓆢𓆛 𓆜 𓆝 𓆞 𓆟 𓆡 𓆢𓆛 心理ケアの限定性を耐え抜く力 カウンセリングや精…
先月末の土日は、大阪大学中之島センターへ。 恩師と先輩にお声がけいただき、東アジア臨床哲学会議なるものに出席してきました。 中国、韓国、日本の哲学者たちが集うなか、カフェフィロメンバーとして、代表の山本さんと共同発表。 カフェフィロが掲げる「社会のなかで生きる哲学」とはどのようなものか、具体例を示しつつ、今回の共通テーマであった「哲学の再定義」を試みる。いや、「哲学の再定義」というより、「哲学すること」の再定義といったほうが正確かもしれません。 哲学カフェや子どもの哲学といったプログラムの前準備(お金のやりくり含む)や合間の交流、哲学カフェをきっかけに生まれた別のなにかに関わることも、自らの哲…
原稿執筆、何とか4000字弱に到達。せめて12,000字は行きたいところ。 焦ってやっつけ仕事にならんように落ち着こう。 こういうときにいつも思い出す「やっつけ仕事」。 youtu.be 読了。 哲学対話のシラバス(授業15コマ分)を書いてほしいという依頼があるため参考として。書くのはいいのだけど、私はよっぽど条件が整わないと授業を引き受けないと思うので(それ以前に講師の依頼はされていないので)、誰がやりはるんだろうという疑問が残る……以前、阪大でも話題に出た「誰でも運営できる(属人的でない)授業コンテンツの開発」という流れかな。でも対話って危険が伴うので、それなりに経験値と見識を持った人に引…
早いものでもう年の瀬ですが、早いといえばこの12月で当ブログももう開設2周年でした。どうにか細々と続けております。日頃のご愛顧のほど誠にありがとうございます。まだしばらくは趣味として続けていければと思います。 それでは11月の気になる新刊から。 フィッツジェラルド10-傑作選 (中公文庫 む 4-14) 作者:スコット・フィッツジェラルド 中央公論新社 Amazon 村上春樹訳によるフィッツジェラルドの短編傑作選が中公文庫より登場。春樹ふくむフィッツジェラルドの翻訳については当ブログの人気記事であるこちらをどうぞ。 『グレート・ギャツビー』冒頭の翻訳3種類を比べてみた 野崎孝・小川高義・村上春…
1日(水)晴れ 授業一コマ。哲学対話を「幸せってどういうこと?」という問いでやる。あまり深い考えはないけれど、今期は学生さんに問いを立ててもらう時間を省略してしまっている。それでも対話の中で自然と問いや疑問に連なるものは出てくる。夕方のKさんたちとの勉強会も白熱した。「問い」の意味を考える。 3日(金)祝日 学校はオープンキャンパスだけど業務がないので有給取得。前日の夜の思いつきに身を任せて3人で秋吉台サファリランドへ。車で小一時間。駐車場に車を停めて歩いて入れるエリアへ。キリンも近くで見れるし、大きいカメやカンガルーなどは檻の中に入って触れ合うこともできる。カンガルーが目の前をぴょんぴょん飛…
【 水野良樹のHIROBA:鷲田清一との対談 】 いきものがかりの水野良樹さんが、HIROBAの新公式サイトに、鷲田清一さんとの対談を掲載していた。https://hirobaweb.com/washidakiyokazu_1/ 以下は一部抜粋。 鷲田さんに”場”について聞いてみる 水野:僕はいきものがかりという音楽グループで世に出たのですが、HIROBAというプロジェクトもしていまして。小説家や詩人、俳優や芸人など、音楽とは異なる分野で活躍される方とお話をしたり、ときには一緒にものをつくったりする活動をしています。 人間が中心になるのではなく、“場”があって、そこでひとが出会って、何かができ…
五時四十分起床。無印良品で買った枕がハズレだったようで、ここ数日、首が不調。そのせいか熟睡できていない感覚があり、疲労が抜けていない。ま、キツすぎるということではないのだが。 午前中は掃除、読書。午後は妻と吉祥寺へ。ABCマートでスニーカー、ニトリで枕。枕は柔らかめで少しだけ高さのあるものにしてみた。さて、どうかな。 鷲田清一「所有について(26)」(「群像」2023年10月号掲載)。次号、最終回。propertyという言葉がなぜ「所有」と「固有」という二つの意味を持つのかを掘り下げることで、これまでの考察が一気に集約されていく。この論理的展開、すごい。 群像 2023年 10 月号 [雑誌]…
「食はひとの生理と文化のはざまでいつも揺れている」というのは、鷲田清一氏の言葉で(※)、人間は食べずには生きていけないし、共食が人とのコミュニケーションの大切な手段とされているのは、歴史的にも明らかなことである。けれど、食に対する好き嫌いやこだわりほど、個人差の大きく面倒なものもない。「おいしい」という言葉が孕む嘘と本当、そこには、人付き合いにおける「いつもありがとうございます」が孕む感謝と皮肉に通ずる、複雑な色合いがある。 高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社) 「読みたい」以上に「読まなければならない」という気持ちが強すぎて、心の余裕ができたときに読もうと思っていたら、刊…
五時四十分起床。今朝も暑い。 仕事。某保険系案件を黙々と。やるべきことは多いが、外部からのメールや電話が異様に少ない。よくある状況なのだが、なんとなく落ち着かなくなる。取引先が信頼して任せてくださっている、ということか。 午後、外出。中野坂上にて、某案件の打ち合わせ。三十分から一時間で終わるかと思ったら、一時間半以上かかった。おもしろくてやりがいもあるのだが、まだ地固めが済んでいない状態。ふらふらと前へ進んでいく。 戻ってからは連絡が多く、対応に追われた。 鷲田清一「所有について(24)」(「群像」2023年8月号掲載)。所有と受託の関係。受託は信任、信用、信頼といった観念的な要素で「所有」を…
ありがたいことに フォロワー様(?)からプレゼントをいただけました。 フォロワーさん(?, 差出人不明)よりほしいものリストからいただきました。これ読んで文筆家として精進したいと思います! pic.twitter.com/BSayQKyvoM — SphinXthan (@Sphinxthan) 2023年8月2日 思えば、大学院生時代から「しがない物書き志望」と名乗ってきたものの まだ文筆家としては成果は出ておらずそれでも細々と何か書こうと いろいろインプットしているところですね。 まあ要するに迷走中なわけです。 一体私には何が書けるだろうか。 それを問いながら、それでも私の好む文体というも…
五時四十分起床。喉の痛み、若干和らいではいるが、しぶとく残っている。これじゃ今日もランニングはしないほうがよさそう。気温を気にしつつ身支度。 掃除を済ませ、午前中は軽めのヨガをみっちりと一時間。体が硬いので、楽そうなプログラムでもそれなりにシンドイ。 ▼コレとか。 www.youtube.com 午後は妻と買い出しへ。高円寺、阿佐谷とハシゴ。 View this post on Instagram A post shared by 五十畑裕詞 (@catkicker001) 稲垣諭「「くぐりぬけ」の哲学(11)」(「群像」2023年8月号掲載)。攻撃性による世界や社会や家庭といったシステムの危…
・転職活動で書類通って面接したやつがお祈りされた。鏡を見るたびに証明写真を思い出し、芋づる式にそのことを思い出しては、目を閉じて少しだけ上を向くなどしていた。・じゃが玉人あたりの値段が落ち着いてきたのに加えて、なすピーマンなどの夏野菜もいい感じの値段になってきてうれしい。・『わかりやすいはわかりにくい?ーー臨床哲学講座』鷲田清一 を半分くらい(7章の途中まで)読んだ*1。とくに6章「待つことなく待つ?―ホスピタリティについて」が、期待と、単に待つこととを腑分けしてそれぞれについて述べていて読めてよかった。なんだかんだずっと気になっている百人一首の3番も少しだけ触れられていてびっくりしたり、そう…
「人の生きづらさについて社会学はそれを生み出す社会体制・環境のメカニズムを明らかにし、その変革を通じて何とかしようとするし、心理学は個人の心身にはたらきかけて何とかしようとするけど哲学はどうなのか?」と問われて「臨床哲学とか応用倫理学だとあまり変わらないけど、本来の意味での哲学ならどうかというと、実は社会学も心理学も暗黙の裡に、社会体制・環境にせよ個人の心身にせよ変わりうるもの、変えることができるものと考えていて、そこに介入して変えることもできるしまた変えないこともできると考えている。というよりその前提を外すと成り立たない。しかし哲学の場合「変えようがない・どうしようもない・どうにもならない」…
タイトル: 若い支援者たちのパレーシア~高校生支援の臨床哲学 公開日時: 2019-08-04 11:31:22概要文: 他者の記憶が、若い支援者たちを捉え、時間の蝶番を外してしまった。その奇妙な時間から、若い支 援者たち自身の力で通常の時間に帰ってきた。本文: ■大阪府立西成高校の「となりカフェ」と、神奈川県立田奈高校の「ぴっかりカフェ」 昨日 8 月 3 日、日本大学にて「居場所カフェが教育を変えていく」という 150 人規模の大きなシンポジウムが 開かれ、僕も参加した。 当欄でも時々取り上げる高校内居場所カフェは現在全国の 40 校程度の高校で開催され、メディアでも時々取り 上げられる。…
五時四十分起床。連休が終わり今日から仕事に復帰となる。夏休みは各々好きな時に休むというスタイルが定着しているのでクライアントのスケジュールに合わせたら自分が休むタイミングが非常に取りにくくなり、ゆえにもう何年もまとまった休みをとっていないのだが、年末年始とゴールデンウィークは皆休むのでこちらも休める。とはいえ半分くらいは働くことが多かったのだが、今年の祝日土日は一日しか働かなかった。 今日はまだどの取引先もそれほど動いていないかと思っていたがそんなことはなく、朝から普通にメールが届き、普通に電話でやりとりをした。某社CSR系パンフレット、某社イベント企画、某社カレンダーなど。 夕方、ウォーキン…