2009/08/11(火) 歎異抄第1章を読むのですが、書き出しについては以前少し書きましたので、今日は他の文について考えたいと思います。(書き出しの文については、あらためて書きたいと思っております)弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと[云々]。「往生極楽の一段」であるということをはずさなければ、難しい文章ではありません。しかし、第3章や第13章と同様…