kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

今更だけど、テレビで取り扱っていたので――プログラミング教育を導入 小中の次期学習指導要領方針

とりあえず、
新聞で取り上げていた記事を探して、ブックマーク貼りました。
この話題。


MEMO:プログラミング教育を導入 小中の次期学習指導要領方針 - 毎日新聞 MEMO:プログラミング教育を導入 小中の次期学習指導要領方針 - 毎日新聞

文部科学省は、人工知能(AI)やビッグデータ解析などのITの専門人材育成を加速させるため、2020年度以降実施される次期学習指導要領で、プログラミング教育を小中学校に取り入れ、高校では必修化する方針を固めた。数理・情報系大学の学部・大学院の新設や定員拡充も促し、小学校から大学院までを通じてIT教育の強化を図る。
 プログラミング教育は、小学校では体験学習を中心とし、中学校ではホームページ作成やロボット製作などの課題学習として取り入れる。高校では次期指導要領で必修化される見通しの情報の新科目で導入する考え。ただ、情報の免許を持つ教員は少なく、文科省はIT企業などと連携した教材開発や教員研修、指導者派遣を検討する。
 大学では数理・情報系だけでなく、文系学部でも情報系の授業を必修化し、医学や農学など専門分野と情報分野を融合した教育を実施できる体制を整備する。滋賀大がビッグデータを扱うデータサイエンス学部を、名古屋大が情報学部を17年度に新設予定で、他の大学でも改組が進みそうだ。

ちょくちょく、いろんなところで見かけだして。
思うところはあったのですけども。
私、教育大学卒業だし。
大学での専攻が『教育行政』で。
その当時の、教育現場におけるITの取り組み。でしたしね。
で、
今夜はNHKが7時のニュースで取り上げていたので。
一言おもうところを書くことにしました。


昨今の議論を見ていると、
どうも間違った方へ進んでいるなぁ。というのが私の印象です。
学校で教えることが可能な技術なんて、
正直に言って、役に立ちません。
ITの世界って、
5年も経てば最先端の技術が陳腐化してしまうくらい、
変革スピードの速い世界ですから。
これは私が大学生だった、20年以上も前にすでに問題として認識されていました。
その当時は、
教育現場で、
BASICを基礎に、教材を作っていたのですけども。
というのも国産PCベースで、教材を作っていたのですのね。
DOS世代の前は、10年間ほど、NEC系の国産機が国内の主流でしたから。
これのBASIC言語をベースに教材を開発していたわけです。
ところが、
すでに日本国内では、国産機は駆逐されて、DOS/V機が主流となり。
さらにMS−DOSからウィンドウズへとOSが移行。
それにともなって、汎用開発言語として主流になったのが、C言語で。
IT系専門学校では、C言語の技術指導が中心になっていました。
BASICでの教材研究なんて、時代遅れになってしまったのですね。
さらに、
この後、ウィンドウズ95、98が爆発的に普及して、
インターネットが広く一般に浸透すると、
今度は、
ホームページ作成のhtml構文でのページ作成が、
主流になるわけです。
私が
大学に在学していたのは、6年程度ですけども。
その間に、このくらいは動いてました。
今だと、javaとかperlとかphpとか、もっと先へ進んでいますし。
IT産業の進歩の早さを思えば、
10〜15年一区切りの学習指導要領で、
実業に結びつくような技術を学ばせることを目指すのは、無茶、無謀です。
技術を学習指導要領に取り込んでいる間に、その技術が陳腐化していくわけで。非現実的、と言わざるえません。
ところが、メディアは、どうしてか『実学』としての側面ばかり強調する取り上げ方をしてますので。これは、どうかなぁ。と思う次第です。
政府案の方を見る限りは、
どうやら、「学問」として、体系的に『概念』『仕組み』を教えることに重きを置いているように見受けられるので。
その点は安心できるのですが。
メディアによって扇動された世論がおかしな方向へ流れてしまわない、ことを祈るばかりです。
ちなみに、
私としては、
一応理想とする義務教育カリキュラムの内容は、
●コンピュータ、プログラムの『概念』『仕組み』を体系的に教えること
これは、モーターの仕組みとか、政治参加の仕組みとか、
それを学校で教えるのと同じレベルでの話です。
コンピュータという道具が具体的にどういう仕組みで動いているのか、ソフトとハードの違い、繋がりくらいは基礎知識として学校で教えてほしいな。と思います。
最近は、とくにインターネットに代表される『ネットワーク』の概念、
その具体的な構造について。
簡単な知識が必要ではないか、と。情報をどのようにやりとりしているのか。
それは大事じゃないですかね。
次に、
●適正のある児童に成功体験をさせること。
私としては、プログラミングの義務教育化では、むしろこっちの方が重要だと思っています。
座学が苦手だけど、かけっこが得意。とか。
運動は苦手だけど、暗記が得意、とか。
ひとりひとり、個性があるわけで。
中には、プログラムに最適なロジカルな思考、というか。
プログラマー的な発想が得意とか、そういう子供だって、世の中には100人に1人くらい
いておかしくない、と思うんですけどね。
そういう風にプログラマーとして適正のある子供が、
ヒーローになれる機会を小・中学校で提供できれば、
自然と、自分が活躍出来る途に進んでいくものだと思うのですよ。
義務教育に求められるのは、
そういう機会を、より多くの児童に提供できる、って一点ではないでしょうか。
それができれば、
100人に1人の割合で、
プログラミングを独学する子供が出てくる、のではないかな。と。
思ったりします。
公教育でできるのは、そういう機会を提供するまでで。
そこから先の、具体的な技術は、
本人の意志と行動によって身につけていくべきものでしょう。
もちろん、その場合にもサポートできる体制づくりは、公教育での課題になりますけども。

公教育で、コンピューターを教える意義は、そういうものではないか。と思います。