『太神山不動寺大会式』フィールドワーク

kheperer2005-09-28



龍谷の森」南側の山系にある田上山(標高599.7m)。この田上山(太神山)の頂上には、貞観元年(859年)、円珍によって開かれたお寺がある。今日はここの大護摩供の奉納を見てきた。


この太神山不動寺比叡山の麓にある三井寺と同じ天台宗。奉納では山伏の出で立ちで法螺貝を吹き、宝剣で舞い、護摩を焚く。大津市史によると、この行事は、収穫前の五穀豊穣を祈願するという農家の信仰と深い関係を持っていたらしい。しかし地元では米の収穫はもう終わっている。今では収穫時期のより早い早稲に変わってしまったのかも知れない。


今は緑あふれる田上山、古くは、藤原宮や紫香楽宮といった都の建設や東大寺建立などのために繰り返し伐採を受けてきた。万葉集にも藤原京の造営時にこの山から木を切り出し、水運によって運ぶ様子が歌われているそうだ。もともと花崗岩質のやせた土壌の田上山、都造成ほどの大規模伐採を受けると容易にはげ山となる。そこで明治に入ってヒメヤシャブシを植林し、緑を回復した。このヒメヤシャブシの根っこには、空気中の窒素を直接取り込んで栄養分とする根粒細菌が共生している。だからこんな土壌のやせた土地に樹木が定着するのだ。


「あの人は田上山やで」「なんでや」「木(気)つかんから」
もともとやせた土地で木が生えにくいこの地域ならではの洒落もあるらしい。