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2009-09-08

[]高速道路の無料化

新しく配信されたマル激では高速道路の無料化を巡って、山崎養世さんをゲストに招いて、その疑問点に逐一答えるという放送をしていた。この高速道路の無料化については、あれだけ民主党に投票した国民が、これには大多数が反対しているという奇妙な世論調査が提出されている。

この世論調査は、放送の中でも指摘されていたが、世論操作ともいうべきものであって、マスコミがその疑問点だけを大宣伝しているために不安をあおって反対世論を高めたと受け取った方がいいようなものではないかと感じる。どんな考え方であっても、その全貌を理解するのは難しいところがあり、重箱の隅をつつくように不安材料を見つけ出そうと思えば、それはいくらでも見つけられるものではないかと思う。山崎さんの話を聞けば、その不安や疑問がいかに末梢的なものであるかがよくわかるのだが、なぜかマスコミには山崎さんの話がなかなか出てこない。このマスコミネガティブキャンペーンに負けずに、民主党は公約通りに高速道路の無料化を実現してほしいものだと思う。

山崎さんは、以前に郵政民営化に反対するという主張をマル激で見たときに初めて知った人だが、宮台氏が驚嘆するように、その論理展開の見事さにすごい人だと僕も感じたものだった。山崎さんの論理展開の見事さは、その全体性の把握の正確さ・深さ・見通しの広さにある。マスコミの論調を見ると、目先の損得勘定からネガティブに欠点だと指摘できるところを探し出して宣伝しているように見える。今まで取っていた通行料金がなくなれば、その分どこから金が取られて、誰が損するかということが声高に言われている。しかし山崎さんは、料金を取るということが、道路行政の中でどのような意味を持っているのか、また日本全体の財政においてどのような意味を持っているのか、官僚機構の無駄遣いといわれている天下りや利権の中でどのような構造的位置を占めているかということから話を始めている。

マスコミの論調は、目先の事実の整合性のつじつまを合わせる論理であるから、他のことを想定の外に追い出してしまえば論理的には整合性を持つ。しかし、その論調は、全体性の中で位置づけてみると、それに矛盾する命題がいくらでも出てきてしまうという論理的な破綻をするような論調だ。論理レベルとしてはきわめて低いものである。だが、山崎さんは、全体性の中で、基本命題となるものを設定し、そこから論理的な帰結として展開していく中で、結果的に高速道路を無料化することが正しいというものが導かれていくような展開をしている。見事な論理レベルの高さではないかと思う。

山崎さんの主張の中心は、高速道路をただにして、経済的な利益を配分することで大衆の支持を得ようというような考えではない。そういう損得勘定での主張ではないのだ。中心となるのは、道路行政の持っている利権構造を壊すために何をするかということなのだ。道路行政というものが、国民の財産を増やし、国民の幸せを増大させる方向ではなく、その利権にぶら下がる人間の私益を増やすための構造を持っているという、その構造を壊すということが中心の主張だ。

この利権にぶら下がる一部の人間にとっては、山崎さんの主張は全く賛成できないものだろうが、そうでない大部分の大衆にとっては、これが理解できれば賛成する人が大部分になるだろう。道路行政が、一部の人間の私益のために利権の構造を持っているということは、道路改革を進めたときに多くの人がわかっていたと思うのだが、道路公団が「改革」されたときに、その構造が壊れたと勘違いしてしまった人が多いかもしれない。だが、山崎さんの指摘では、その利権構造はまだ温存されているという。

その象徴的な現れは、国際的に見て突出している道路支出の額だと山崎さんは指摘する。ヨーロッパの国よりも遥かに多く、国土が何十倍も広い、車社会のアメリカに近い額の金が道路につぎ込まれているという。日本の道路行政は、道路を国民のために造ることが目的ではなく、道路に関連している人間たちに金をばらまくために行われているという。全くの利権構造ができあがっているという。

日本の高速道路は、日本の復興期に建設が始まったので、当初は資金がなく借金で始められたという。借金で始められたために、それを返すために通行料の徴収が必要だったという。この当初の措置は正しかったと山崎さんは指摘する。しかし、高度経済成長が始まり、日本に車があふれるようになると、自動車にかけられた税収が飛躍的に伸び(山崎さんに寄れば高速道路建設当初の200億円が100倍の2兆円になったという)、もはや借金で作る必要がなくなっているのに、このあともずっと借金で作り続けるような構造を持っているという。これこそが利権の構造を生み出していると山崎さんは指摘する。

借金をし続けるためには、借金を返す財源を作らなければならないが、それが通行料金になるという。つまり、通行料金をゼロにするということは、借金をし続けるということが出来なくなることにつながるという。

この借金についても、山崎さんの指摘は多くの人が耳を傾けるべき重要なものがある。それは、今のような超低金利の時代だからその問題が劇的な形で出てくることがないが、少しでも金利が上がれば、その利子を返すだけで手一杯になり永遠に借金の返済が出来なくなるという。そうすれば、将来にわたる国民の負担はさらに重いものになるという。

また、この借金は新しい高速道路を造るために使われるそうだが、新しい高速道路というのは、料金収入が黒字になることが見込めるところは一つもないという。今の高速道路は、1キロ走るために25円必要になるという。100キロで2500円だ。高速道路を利用するのは、それが早く行けるというメリットがあるからだが、50キロ程度走るだけではそのメリットは少ない。やはり100キロ以上は走らないと、高速道路を使う意味がないだろう。時間短縮のために2500円をつぎ込むだけの余裕があるかどうか。今でさえ3分の2の高速道路はガラガラだという。誰も利用しないのだ。

今年の夏は沖縄に旅行をして、沖縄自動車道という高速道路を走ってみたが、道路はガラガラだった。米軍のトラックが目立つくらい自動車の数が少なかった。沖縄自動車道は、端から端まで走っても料金は1000円だった。つまり距離にして40キロ程度だったのだろう。40キロを高速で走るとどのくらい時間が短縮できるか。ほとんど意味がないように感じた。30分短縮するのもかなり飛ばさなければならないだろう。誰も利用しないわけだ。

ほとんど使う意味のない高速道路を使わずに、大部分の人は一般道を走ることになるが、そうすると一般道は混雑することになる。そこで今度は、一般道バイパスを通したり、整備したりという必要が出てくる。世界一高い建設費のかかる高速道路を造っておいて、そこは誰も使わずに、一般道が混むのでまた道路に金をつぎ込むというのが、道路行政の利権構造にもなっているようだ。

山崎さんに寄れば、日本の高速道路というのは、利用させないために高い料金を取っているようなものだという。今すぐにでも、地方だけでも高速料金を無料にすれば、一般道の混雑は緩和され、緩和されることによって交差点の信号待ちや、渋滞のアイドリングによるCO2の排出も減るだろうという予想も出ている。

自民党がやった休日の1000円を上限とするETCのサービスについては、山崎さんは全く発想が違う政策だという。あれは、全くの損得勘定から出されたものに過ぎない。日本の道路行政の全体を見通して発想されたものではないのだ。休日にあのようなサービスをすれば、高速が渋滞するのは当たり前だが、あの政策はその人出を当て込んでいるので、むしろ渋滞することを想定しているのではないかとも思える。環境破壊に通じるような政策だ。

しかも、サービスをETCに限定することで、ETCに関係するところの利権がまた潤うという構造を持っている。つまり、自民党の政策は、利権を壊すどころか、利権を温存しさらに私服を肥やすために利用されるようなものになっている。

高速道路の無料化というのは、単に高速道路がただになれば得をするというような単純な話ではない。むしろ、日本の道路行政を健全な方向に向かわせるものであり、これを突破口として本当の意味での構造改革に進むきっかけともなるものである。自分に得かどうかというようなことを判断基準にするのではなく、日本の将来を見据えてそれに賛成するか反対するかを考えるべきものだろう。その視点が、マスコミ報道では全く語られていない。民主党には、この公約をぜひ実現してほしいものだと思う。この高速道路の無料化が実現すれば、民主党が掲げる他の改革もその実現が期待できるものになるだろう。高速道路の無料化の実現がなるかどうか期待して注目したい思う。

それにしても、マスコミ報道は論理レベルも低いが、倫理レベルも低いのではないかと感じるものが多い。民主党の子育て支援としての子供手当の問題も、個人的な損得の面からのみ報道されている。子供がいれば得をするけれども、子供のいない家庭は損をするので反対だということを、子供のいない夫婦にいわせるような報道が続いている。

これなどは、日本の有権者は、個人的なエゴを判断基準の一番に置いているので、それこそが世論にとって一番大事だと主張しているようなものだ。日本人は、これほど民度が低く、エゴの固まりで損得でしか物事を判断しないのだ、と思われていいのだろうか。今度の選挙で民主党を選択したということは、今の自分の損得に民主党が応えてくれることを期待していたのではなく、将来の子供たち、あるいは老後の自分たちの生活が、今のままでは破綻が免れないと思ったからこそ、利権を温存する自民党では全く期待できないものを変えてほしいと思って民主党に投票したのではないだろうか。たとえ今は子供がいない人たちでも、将来は今の多くの子供たちが社会を支えて、その貢献によって幸せな老後が送れるかどうかが決まるのではないだろうか。そのために多少の負担をするのは、市民としての義務だろう。

もしエゴと損得で選ぶのなら、利権のおこぼれに預かれるように自民党にすり寄っていけばいいのだと思う。だが、もうおこぼれを配るほどの余裕も自民党にはないのだと思う。自民党にお灸を据えるために、民主支持ではないけれど、あえて民主党に投票したのだと、マスコミはそのような論調を提出しているが、そのような意識で投票している人が多かったとしたら、民主党の改革は失敗し、もっとひどい状況になって、利権の自民党が復活してしまうだろう。神保哲生氏が語るように、民主党を選んだということは、自分の損得勘定をお任せするのではなく、もっと広い視野で将来にわたって何を選択するかということを我々が選んだのだという意識を持つことが必要だろう。

民主党の力が足りなくて改革がうまくいかないこともあるだろう。利権に絡んでいる人間たちの抵抗はかなり強いものがあると思う。しかし、そのときにも、民主党がだめなら自民党があるさというような判断停止の状態ではなく、民主党が本来の改革の方向(全体性の把握による最適なシステム構築)を向いているなら、その失敗を成功の方向に向かせるべき協力していくことが目覚めた市民の選び取る方向ではないかと思う。その意味でも、高速道路の無料化の方向を強く支持して、何らかの協力をしたいものだと思う。


*追記

 自民党が、内部改革をして、たとえば河野太郎氏のような全体性を見つめることが出来る政治家が主流となるように再生するようなら、もちろん民主・自民両党で切磋琢磨して日本の政治レベルを上げてほしいものだと思う。だが、河野太郎氏が傍流として生き続けるなら、やはり自民党には期待できないと思うだけだろうと思う。

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