木走日記

場末の時事評論

「ふるさと納税」:「ふるさと」記入欄とともに「死に場所」記入欄も必要でしょう

●「ふるさと納税」創設へ、政府と与党が方針

 今日(10日)の日経新聞記事から。

ふるさと納税」創設へ、政府と与党が方針

 政府・与党は9日、納税額の一部を故郷など地方の自治体に移す「ふるさと納税」を創設する方針を固めた。地方自治体間の税収格差を是正する狙いで、7月の参院選に向けた地方活性化策の目玉と位置付ける。近く総務省が設置する有識者の研究会や、年末の与党税制調査会で議論したうえで、2008年度税制改正で実現をめざす。

 菅義偉総務相が同日、首相官邸安倍晋三首相に会い、こうした方針を説明した。首相は同日夜、首相官邸で記者団に「多くの人の自分の生まれ故郷を大切にしたい、地域の美しさを守っていきたいという思いをどうくみ取っていくか検討していかなければならない」とふるさと納税を検討していく考えを示した。 (07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070510AT3S0901I09052007.html

 納税額の一部を故郷など地方の自治体に移す「ふるさと納税」を創設する方針を政府は固めたそうですが、2008年度税制改正で実現をめざすのだそうです。

 安倍首相も「多くの人の自分の生まれ故郷を大切にしたい、地域の美しさを守っていきたいという思いをどうくみ取っていくか検討」と大乗気のようでありますが、どう考えてもこの時期にこのような地方自治体間の税収格差を是正する案が出てきたのは、参院選に向けた票取り作戦としか見えないのでありますが・・・

 それはまあ置いておくとしても、現行は個人住民税は地方税法上、1月1日に住民票がある自治体に納付することになっており、税率は6月徴収分から、一律10%(市区町村税6%、都道府県税4%)なわけですが、納税先を自由に選べるようになれば、過疎などで税収減に悩んでいる地方自治体には朗報となることは間違いないでしょう。

 ・・・

 しかしながら、この「ふるさと納税」、ちまたで論じられている個人住民税の一部を生まれ故郷の自治体に納付するという案ですが、これはとても都市部側の反発を招かざるを得ない不公平な案であります。

 慎重の上にも慎重なしっかりとした議論をし不公平感のない具体案を提示いただかないと、都市住民としては納得できないのであります。

 まず、地方税には行政サービスを受ける住民が税を負担する「受益者負担の原則」の観点から、「ふるさと納税」は実に多くの問題点が指摘されています。

 「ふるさと納税」を選択した住民は、他の住民に比べ、居住地に対しては少ない税負担で同じ行政サービスを受けられることになるためで、不公平感やサービスの低下を招く恐れもあるわけです。

 「ふるさと」や応援したい「地方」に恩返しの気持ちも込めてお金を還元したいという気持ちは尊いものですし、そのような制度を検討することはまったく良いことだと思います。

 しかし、その手段がなぜ「地方税」なのか?



●「ふるさと納税」原案を押さえておく

 そもそもこの「ふるさと納税」の原案は、別に政府自民党のアイディアではありません。

 以下のサイトで原案を見ることができます。

【4】実現可能な税制改革その1、個人所得税http://members.jcom.home.ne.jp/dosyu/furusato-04.html

 失礼して、原案からその定義と意義を抜粋、ご紹介いたしましょう。

1.定義

  個人の所得税の一定割合を個人が育ったふるさとに納税するという新税制度。

2.ふるさとの定義

  個人が小中学校の義務教育期間、過ごした都道府県。
 ・小中学校時代、複数の都道府県に移り住んだ場合、
  期間の長い2カ所に2分割納税する。
 ・この期間海外に住んでいた人は、自分で自分のふるさと都道府県を指定する。
(個人の確定申告書にふるさと欄を設け、個人による書き込み式とする。個人の申告を 信用するという立場に立つ。)    

3.意義

所得税を納めるようになった個人を育てたのは、個人のふるさとである。
ふるさとなくして個人の現在の姿は無い。人間形成、技能修得の大切な時期を過ごしたふるさとに、恩返しの意味で所得税の一定割合を納税することは、理にかなったことであり、日本人の精神構造にも合致すると思われる。個人に対する人材育成のコストがかかっているのだから。
主体的生活者が増え、地方での就職生活を送るケースが増えたとは言え、やはり、仕事が集中する大都市に人口が集中し、産業や税金が集中するのは避けられない。多くの首長が「地域主権」を唱えている。地域に産業を誘致したり、ふるさとUターンを推奨したり、地道な活動を展開しているが、今こそ本質的に「地域主権」を実現するための新しい税財政を実現する必要がある。

 なるほど所得税を納めるようになった個人を育てたのは、個人のふるさとである。ふるさとなくして個人の現在の姿は無い。人間形成、技能修得の大切な時期を過ごしたふるさとに、恩返しの意味で所得税の一定割合を納税することは、理にかなったことであり、日本人の精神構造にも合致すると思われる。個人に対する人材育成のコストがかかっている」とは、とても納得できるアイディアなのであります。

 実は私はこのアイディア自体はとても肯定的に評価しています。

 このような着想は今までになかったものですし、特に税制と税収地方格差是正問題に一石を投じたという点ですばらしいものであります。



●生活者の一生から欠落している「老養期間」

 しかしときの政府が真剣にこの制度の導入検討を決定したとなれば、問題点を指摘しないわけにはまいりません。

 「ふるさと納税」の理論的骨子は、生活者の一生を「教育期間」と「就労期間」にわけている点です。

 つまり「教育期間」において、人間形成、技能修得の大切な時期を過ごしたふるさとに個人に対する人材育成のコストがかかっていた分は、「就労期間」を過ごしている都市部からでも「恩返し」しようという着想です。

 この点は気持ちとしてはよく理解できますが、しかしながら、生活者の一生を「教育期間」と「就労期間」だけに二分している議論自体が実は破綻しています。

 この前代未聞の少子高齢化社会を迎えつつある日本において長期に渡るであろう「老人養護期間」を加えなければ、正しい議論はできないのであります。

 つまり、生活者の一生を、納税しないで行政サービスを受ける「教育期間」と、しっかりと納税義務を果たす「就労期間」と、そしてまた納税しないで行政サービスを受ける「老人養護期間」に、しっかり3つに分けなければなりません。

 そして「ふるさと納税」は、人生前半の納税しないで行政サービスを受ける「教育期間」に対する「就労期間」における恩返しとしてはビジョンがありますが、これからのまた納税しないでおそらく長期に渡り行政サービスを受けるであろう「老人養護期間」に対する「就労期間」における恩返し納税に相当する「担保」が示されていないのです。

 これは重要な不公平です。



●「ふるさと」記入欄とともに「死に場所」記入欄も必要でしょう

 たとえば同等所得のAさんとBさんがいます。

 Aさんはその自治体出身で「ふるさと納税」はなく、他方Bさんは「ふるさと納税」を選択したので、他の住民に比べ、居住地に対しては少ない税負担で同じ行政サービスを受けられることになります。

 過去の「教育期間」の行政サービスへの恩返しとしてはまだいいでしょう。

 しかし、AさんもBさんも現住地の自治体で余生を暮らしそこを死に場所とするつもりならば、将来の「老人養護期間」に対する税の公正さは完全に破綻してしまいます。

 私はある地方自治体の「高齢者虐待防止推進委員会(仮称)」の検討委員会に不定期参加しています関係で、今の自治体において「老人養護関連費」がいかに負担になっているのかよく理解しているつもりです。

 地方税において「教育関連費」に比しますます負担が大きくなっている「老人養護費」の比率を見れば、当然の議論であります。

 ・・・

 もし、生まれた場所に「恩返し」する「ふるさと納税」を導入するならば、あわせて死に場所にも「所場代」を払う制度を担保しなければ不公平でありましょう。

 「ふるさと」記入欄とともに「死に場所」記入欄も必要でしょう。



(木走まさみず)



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