木走日記

場末の時事評論

真摯に議論したいアメリカによる原爆投下の意味〜原子爆弾を天佑と表現した海軍大臣米内光政

kibashiri2007-07-04




 1945年8月6日午前8時15分、B-29エノラ・ゲイ)によって投下された原子爆弾リトルボーイ広島市内ほぼ中央に位置するT字形の相生橋が目標点のほぼ上空580メートルで炸裂しました。

 全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t、濃縮ウラン型のこのリトルボーイ (Little Boy) は、甚大な被害をもたらしました、当時の広島市内には34万人の人がいた中で、爆心地から1.2kmの範囲では8月6日中に50%の人が死亡、12月末までに14万人が死亡したと推定されています。

 つづく8月9日に長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告があります。

 8月9日午前11時2分、B-29(ボックスカー)が長崎市原子爆弾ファットマンを投下いたします。

 長さ3.25m、直径1.52m、重量4.5t、プルトニウム型のファットマン(Fat Man)は、長崎市の北部(現在の松山町)の上空550mで炸裂いたします。

 当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人にのぼります。

 この長崎原爆投下のわずか6日後の8月15日、日本国政府ポツダム宣言を受諾、連合国に対し無条件降伏を宣言いたします。

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●実は米軍は日本が降伏する前に原爆を投下したかった〜鳥飼行博研究室HPより

 長崎原爆資料館「C-2 原爆投下への道」では、アメリカによる原爆投下の理由を次のように説明しています。

「1938年にドイツで発見された核分裂は、原爆に応用できることが示唆された。1942年、アメリカはマンハッタン計画を発足させ、当時の日本の国家予算をしのぐ巨費を投じて原爆を開発した。原爆はドイツを対象に開発されたが、後に目標を日本に変更、京都など18ヶ所が候補に上がった。結局、1945年8月6日広島、同9日長崎に投下された。原爆投下の理由として、早期終戦のためと言われているが、20億ドルを投じたマンハッタン計画を誇示する目的もあった。また、ソ連との冷たい戦争の最初の作戦という性格も持っていた。」

長崎原爆資料館
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/

 この当たりのアメリカの思惑を詳述しているサイトがありますので、失礼して該当個所を引用ご紹介いたしましょう。

(前略)

ポツダム会談最中、1945年7月16日トリニティ(原爆実験)が成功した。米海軍レーヒ提督のように、日本通の軍人は、国体護持を認めれば、日本は和平に応じることを見抜いていた。しかし、ルーズベルト大統領は、1943年1月のカサブランカ会談、11月のカイロ会談(チャーチル首相・蒋介石総統)で、枢軸国に無条件降伏を求めること、単独和平はありえないこと(米国にではなく、連合国への降伏)を、世界に公言していた。したがって、米国は国体護持を巡って単独で日本と和平交渉することはできなかった。

1945年2月のヤルタ協定では、ドイツ降伏(1945年5月8日)3ヶ月以内にソ連は対日戦に参戦すると確約した。米軍は、兵力が低下していた満州駐屯の関東軍の軍事力を過大評価しており、中国大陸の日本軍を壊滅するには、ソ連の軍事力が不可欠であると考えていた。そこで、日本領千島列島だけでなく、蒋介石に、日本が有していた中国・満州での権益をソ連に譲渡させることまでして,スターリンに対日参戦を約束させた。

 しかし、暗号解読によって,日本がソ連を通じて和平交渉を求めていることを知る。(7月16日のスチムソン陸軍長官の日記:"I also received important paper in re Japanese maneuverings for peace. It seems to me that we are at the psychological moment to commence our warnings [to surrender] to Japan. ...the recent news of attempted approaches on the part of Japan to Russia impels me to urge prompt delivery of our warning. [マジックによる無線暗号解読通報the Magic Diplomatic Summariesによる日本のソ連への和平仲介依頼を察知していた])

ポツダム会談では、スターリン自らがトルーマンに8月15日に対日参戦することを告げた。(7月17日のトルーマンの日記:He'll be in the Jap War on August 15th. Fini Japs when that comes about. ----I can deal with Stalin. He is honest--but smart as hell.)トルーマンも原爆完成をスターリンに告げることを決心する。さらに、日本が和平の仲介を頼んできたことをスターリントルーマンに直接,直ぐに伝え、なんとその回答まで教えた。もはやソ連の対日参戦前に日本は降伏してしまうと思われた。(7月18[19]日のトルーマンの日記:Discussed Manhattan (it is a success). Decided to tell Stalin about it. Stalin had told P.M. of telegram from Jap Emperor asking for peace. Stalin also read his answer to me. It was satisfactory. Believe Japs will fold up before Russia comes in. )しかし、日本がソ連の仲介で降伏してしまえば,戦後のソ連軍が日本に進駐し、ソ連封じ込めも水泡に帰す。

最強兵器の威力を実証しないうちに大戦が終了すれば、戦後、米議会は原爆の威力を理解できず、予算を縮小するであろう。さらに、世界最強の軍隊であることを証明をする機会も失えば、ソ連を抑えて世界の覇権を掌握することも困難になる。
 米軍は、日本が降伏する前に,原爆を投下したかった。

(後略)

鳥飼行博研究室
原爆投下と終戦◇Atomic Bombings 1945 より抜粋
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/hiroshima.html

 つまり鳥飼行博氏によれば、暗号解読によって,日本がソ連を通じて和平交渉を求めていることを知ったアメリカは、ソ連の対日参戦前に日本は降伏してしまう可能性を恐れます。

 「最強兵器の威力を実証しないうちに大戦が終了すれば、戦後、米議会は原爆の威力を理解できず、予算を縮小するであろう。さらに、世界最強の軍隊であることを証明をする機会も失えば、ソ連を抑えて世界の覇権を掌握することも困難になる」からです。

 アメリカが急いで8月6日と8月9日に2種類の原子爆弾を投下した理由は、鳥飼行博氏によれば「日本を降伏させるため」という通説とは逆に、日本が降伏する前に原爆を投下してその威力を見せつけるためだったのだといいます。

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原子爆弾を天佑と表現した海軍大臣米内光政

 8月6日に広島への原爆投下、8月9日に長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告、この危機に直面し、海軍大臣米内光政大将は、8月12日、次のように語ります。

 「----原子爆弾ソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾ソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢[国民の厭戦気分の蔓延]を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」(「海軍大将米内光政覚書」;ビックス『昭和天皇講談社学術文庫 引用)

 つまり、戦争の大義、日本軍の兵士・国民の戦意喪失が、敗戦の原因ではなく、原爆という軍事技術が,日本を降伏に追い込んだ、という理由付けができたのであります。

 原爆投下を終戦の口実=天佑としたのであります。

 これは、米政府・米軍の公式見解である「原爆投下が日本を終戦を決断させ、和平をもたらした」という原爆終戦和平説にも沿ったもので、米国の原爆投下の正当性を日本が結果として認めたかたちになったわけです。

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アメリカによる原爆投下の意味

 今日(4日)の主要紙社説は昨日の久間防衛相辞任を一斉に取り上げています。

【朝日社説】防衛相辞任―原爆投下から目をそらすな
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【読売社説】防衛相辞任 冷静さを欠いた「原爆投下」論議(7月4日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070703ig90.htm
【毎日社説】久間氏辞任 心からの反省が伝わらない
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/
【産経社説】久間防衛相辞任 遅きに失した決断だった
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070704/shc070704000.htm
【日経社説】政権の危機管理を疑わせる久間辞任劇(7/4)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20070703AS1K0300203072007.html

 ニュアンスの微妙な差はあるモノの辞任やむなし、むしろ遅きに失したという主張が並びます。

【朝日社説】防衛相辞任―原爆投下から目をそらすな
 原爆投下を容認するかのような発言は、被爆者の痛みを踏みにじり、日本の「核廃絶」の姿勢を揺るがすものだった。辞任は当然である。

【読売社説】防衛相辞任 冷静さを欠いた「原爆投下」論議(7月4日付・読売社説)
 久間氏は、日本政府のイラク戦争支持は「公式に言ったわけではない」と語るなど失言を重ねていた。このような言動を繰り返しては辞任もやむをえまい。

【毎日社説】久間氏辞任 心からの反省が伝わらない
 久間氏の発言は核廃絶を訴える国の方針に反し、筆舌に尽くしがたい苦痛を味わってきた被爆者やその家族の心情を踏みにじるものだった。辞任は当然のことであり遅すぎるぐらいだ。

【産経社説】久間防衛相辞任 遅きに失した決断だった
 現職の防衛相で、しかも被爆地、長崎県選出の政治家である。イラク戦争をめぐる米国の判断を公然と批判する発言もあった。資質にかかわる問題とみなされてもやむを得ず、自ら進退を明確にしたのは当然だ。

【日経社説】政権の危機管理を疑わせる久間辞任劇(7/4)
 遅きに失した感のある久間章生防衛相の辞任である。参院選を意識して与党内からも批判が噴き出したのを見てようやく辞意を固めた久間氏の危機管理能力の欠如には驚きを感じる。久間氏をかばってきた安倍晋三首相の判断力にも疑問符を付けざるを得ない。

 保守系の読売・産経までが辞任やむなしとしたのは、それぞれの社説が指摘しているとおり、久間章生防衛相の「イラク戦争をめぐる米国の判断を公然と批判する発言」(【産経社説】)を快く思っていなかった点も大きかったのでありましょう。

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 ここで久間章生防衛相の発言内容について少し傍証になるかもしれませんが触れておきましょう。

 実は米軍は日本が降伏する前に原爆を投下したかった理由があったとする説もあり、また、現実に終戦時の日本の為政者達が、原爆投下を終戦の口実=天佑としたという動かし難い事実もあるわけです。

 当時、主要国米ソ独日が競って新型原子爆弾を研究・開発していたことは今日では広く知られている事実であります。

 当時の技術力・資金力から日本がアメリカより先に新型原子爆弾の開発成功させる可能性はゼロに等しかったでしょうが、仮に日本やドイツがアメリカより先に新型原子爆弾の開発に成功していたなら躊躇なく原爆を使用していたであろうことは想像に難くありません。

 アメリカがそう判断したように、爆撃機千機相当の戦略爆撃をたった1機(観測機を含めて数機)で実施できるように改良したのが原爆投下であるならば、原子爆弾があれば、数百機の爆撃機とそれを運用する航空基地.搭乗員,整備員、航空機生産工場、資材・燃料を節約できるわけで、原爆は、威力のある最新兵器として戦略爆撃に利用することは、当時のいずれの国であれ、何も躊躇なく決定されていたことでしょう。

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 防衛大臣という要職にある閣僚が原爆投下に「しょうがない」などという表現を用いること自体、言語道断であり今回の辞任はやむを得ないという点では異論ありません。

 アメリカの原爆投下のその戦争犯罪性は厳しく議論されて当然でありましょうし、筆舌に尽くしがたい苦痛を味わってきた被爆者やその家族の心情を思い計ることは、唯一の被爆国である日本の政治家にとり決して軽視してはいけない大切な当然の配慮でありましょう。

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 しかしながら、アメリカによる原爆投下の意味に関する真摯な議論そのものをタブー視する必要はないと思います。

 原爆を日本の降伏前に落としたがっていたアメリカ、原子爆弾を天佑と判断した当時の日本、しっかりと事実を検証し考察すべき課題だと思います。

 唯一の被爆国日本にとって、アメリカによる原爆投下の意味、その議論を避けて通るべきではないと考えます。



(木走まさみず)



<参考サイト>
長崎原爆資料館
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/
原子爆弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE
■鳥飼行博研究室
原爆投下と終戦◇Atomic Bombings 1945 より抜粋
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/hiroshima.html