木走日記

場末の時事評論

そんなこと、学校で教わった記憶がないんですが本当でしょうか?〜「地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは人が農耕を始めてから」

 なんか最近、産経コラム【産経抄】ばかり取り上げているようで気が引けますが、まあそれだけ愛読していると言うことでご容赦願えればということで・・・

 今日(21日)の産経コラム【産経抄】から。

産経抄】4月21日
2008.4.21 02:05

 色鮮やかな花々が朝の光に輝いている。出勤の途中、手入れの行き届いた庭を通りかかると、気分が浮き立ってくる。「人はなぜ花を愛(め)でるのか」。こんなテーマで2年前、京都でシンポジウムが行われたことがある。

 ▼イラク北部の洞窟(どうくつ)では、約6万年前に埋葬されたネアンデルタール人の骨の周りに、たくさんの花粉が見つかった。当時から死者に花を手向ける習慣があったのではないか、いまも論争が続いている。一方で約1万5000年前、フランスのラスコーの洞窟に描かれた壁画の絵柄に、動物はあっても、花はない。

 ▼日本の縄文土器にも花を表現したものは見当たらない。地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは、人が農耕を始めてからのことだという。原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったからだ。

 ▼人は花の色で衣服を染め、髪飾りを作った。文字や絵画の歴史が始まると、花は詩歌や物語、造形美術で表現されるようになる。花はまた、病人のお見舞いやお祝いのための贈答品としても使われてきた。

 ▼さまざまな分野の専門家の発表をもとに、都市文化研究者の白幡洋三郎氏は、こう推論する。群れをなして生きてきた人は、人と神、人と人との間を取り持つ「なかだち」の役割を花に期待してきたのではないか(『人はなぜ花を愛でるのか』八坂書房)。

 ▼全国各地で、花や木が切り取られたり、踏みつけられたりする被害があいついでいる。前橋市では地元の人たちが大切に育ててきた2000本近くのチューリップが切り落とされている。犯行の動機は想像もつかないけれど、「なかだち」を失った世の中を象徴するようないやな事件だ。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080421/trd0804210207017-n1.htm

 最近の心ない者による前橋市などでたくさんのチューリップの花が切り落とされてしまってる事件を憂いているコラムなのでありますが、たしかに「犯行の動機は想像もつかないけれど」、犯人の心が病んでいるとしか思えない「いやな事件」でございます。

 それはともかくこのコラムで気になったのは次のくだりの部分。

 ▼日本の縄文土器にも花を表現したものは見当たらない。地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは、人が農耕を始めてからのことだという。原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったからだ。

 「地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは、人が農耕を始めてからのことだという」とありますが、これって本当なのでしょうか。

 理由が「原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったから」とありますが、うーん、私の勉強不足からか、この説は初めて耳にしたのであります。

 しかしなあ、きれいな花がたくさん登場したのは、人が農耕を始めてからのことという説が本当ならば、たしか人類の農耕の歴史は8000年ほど前、まあたかだかここ一万年のことでありますから、これは進化の時間尺としてはとても短くて時間が足りないと思うわけですが、「原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったから」が科学的に正しい考えだとしても、新たな環境に適者生存・分化・進化し多様な種をもたらすには、8000年ではあまりにも時間が足らないのではないでしょうか。

 農耕文化の発達と共に、主として、食用の野菜や果物や観賞用の花々が人類の手によって品種改良が施され結果として一部の花のその種類を人工的に増やしたという人口淘汰・品種改良の話しならば納得できるのですが、わずか8000年で「原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったから」という理由で、「きれいな花がたくさん登場したのは、人が農耕を始めてから」だと言われても、ちょっと疑問に思ってしまうのであります。

 別に生物学の専門家でもない素人の不肖・木走なのですが、ちょっと今日の産経コラムの花の進化の下りには疑問符を付けたくなったのでありました。

 
  ・・・

 「原始林が切り開かれた」ことにより「地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは人が農耕を始めてから」ねえ、。

 そんなこと、学校で教わった記憶ないんですが、最近の学説なのかな・・・

 あるいはこのコラムの言い回しだけの問題で「たくさん登場」ってのは目立つぐらいの意味合いなのかなあ・・・

 あるいは私が無知なだけなのか・・・

 コラムですし、こんな細かいことでいちいちソースを示せというのも野暮なことでしょうが、少し時間があれば自分でも調べてみたいと思いましたが、読者のみなさまの中でこのあたりの情報をお持ちの方がいらっしゃれば教えていただきたいです。

 この産経コラムの説の正誤はどうなんでしょうか。

 ・・・



(木走まさみず)