木走日記

場末の時事評論

「死に損ないのくそじじい」修学旅行中学生による被爆者暴言事件を愚考する〜旧態依然とした修学旅行の場を借りた「平和教育」は時代遅れ


 8日付け朝日新聞記事から。

修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪
山本恭介、岡田将平
2014年6月8日00時17分

 長崎原爆で被爆し、語り部として活動している森口貢(みつぎ)さん(77)=長崎市=が5月、修学旅行で同市を訪れた横浜市の公立中学校3年生の男子生徒5人から、「死に損ない」などと暴言を吐かれていたことが分かった。森口さんは学校に抗議し、校長が電話で謝罪した。被爆者団体は「生徒たちに学ぼうという気持ちが足りない」と嘆いている。

 森口さんや学校によると、3年生119人が5月27日に長崎市を訪れ、森口さんが所属する「長崎の証言の会」の9人が班ごとに被爆遺構を案内した。

 森口さんは10人ほどを爆心地から600メートルほどの山里小学校へ案内。話を始めようとした際、別行動をしていた男子生徒5人が近づき、「死に損ないのくそじじい」と大声を上げ、周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などと言ったという。

 森口さんは翌日、「多くの被爆者の方に申し訳なく、つらい時間でした」と記した手紙を校長に郵送。今月3日に学校へ電話すると、校長から「すみませんでした」と謝罪されたという。

 校長は取材に、暴言の前に森口さんが、態度が悪い男子生徒1人に「出て行け」と言って叱った経緯があったと説明。「(暴言は)逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい」と話した。今後、生徒の感想文と校長の謝罪文を送るという。

 森口さんは原爆投下後に長崎市中心部に入り、入市被爆をした。小学校教諭を退職後、1998年から被爆遺構の案内や講話をしている。現在は長崎の証言の会事務局長。森口さんは「こんな経験は初めて。被爆69年となり、戦争や原爆をひとごとと感じているのだろうか。本気で向き合ってもらえなかったことが悔しく、悲しい」と話した。

(後略)

http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html?ref=reca

 うむ、長崎の被爆者に対して修学旅行中の横浜市公立中学校3年生の男子生徒らが、「死に損ないのくそじじい」と大声を上げ、周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などと言ったそうであります。

 いろいろなことを考えさせられる「事件」ではあります。

 この「事件」、表層的には、これ思想的な問題ではなく単に礼節をわきまえていないバカ男子生徒達による、最低限のマナーを守ることができない愚行であります、成人式でバカ騒動を起こして逮捕される社会的素養が未成熟な一部の思慮の足りない新成人たちと同類であります。

 いつの時代にも礼儀を知らない馬鹿な若者はおるものですが、ネット上ではすでに中学校名や個人名までが調べられており炎上中ですが、情報の真偽はともかく困った連中ではあります。

 同校校長は、「(暴言は)逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい」とし、今後、生徒の感想文と校長の謝罪文を送ると朝日新聞の取材に応えているようですが、どうなんでしょうか、彼らが心より自らの暴言を撤回し反省することを祈るばかりであります。

 さて、本件は一部中学生達の年長者に対する礼節を欠いた反社会的愚行です、単にバカの話です。

 その上でですが、本件の背景的な側面を考察したい、すなわち日本の戦後における学校教育現場における「平和学習」、いわゆる平和教育の有様について一石を投じている「事件」とも見なせると思いました。

 日本では、平和教育は、国際理解教育、同和教育性教育などとともに、人権学習の大きな柱であると日教組などから重視されてきました、教育全体の目標の一つと掲げられてきた経緯があります。

 平和教育の実践の場としては、反戦映画の校内映写会を実施することも多いですが、最も大きいものは今回の「事件」の現場にもなった修学旅行であります。

 西日本の小・中学校では、広島・長崎における原爆資料館の見学・語り部の講話・平和公園での慰霊などがコース化されており、広島の平和公園では、全校児童から託された千羽鶴や平和へのメッセージを手向けることなども多いわけです。
 特に高等学校で活発なのが、韓国・中国・台湾への修学旅行であり、日本統治時代の支配について学習を深めることが主体となります、まあ最近は、対日関係の悪化による自粛ムードもあり減少傾向にあるようですが。

 さて「語り部」についてです。

 正直、彼らの体験談は多くの現代の児童・生徒たちにとって「ひとごと」にしか理解できないでしょう。

 はっきりいって多くの場合、「つまらない」わけです。

 日本における戦争体験者の高齢化と聴視者である児童・生徒の戦争知識のますますの欠落・無関心により、伝承が年々難しくなっているわけです。

 そして、講話を聴く児童・生徒の態度も問われることが多くなっています。

 長崎では、2005年(平成17年)に大阪府の中学校修学旅行団が野次を飛ばして講話をさまたげましたし、一方で、昭和天皇の戦争責任や自衛隊イラク派遣などの私見に終始して被爆体験を語らない語り手がいるなど、「特定の政治的立場を植え付けている」(偏向教育)結果になっていると指摘されているケースもあるわけです。

 戦後69年、戦争体験者の高齢化もあり「語り部」達のコミュニケーションスキルの問題も含めて、「平和教育」の有り様が問われるいるのではないでしょうか。

 年配者をリスペクトできない馬鹿な子供は平和教育以前に基礎的社会人教育を徹底すべきでしょうが、今回の被害者である語り部の森口さんは「こんな経験は初めて。被爆69年となり、戦争や原爆をひとごとと感じているのだろうか。本気で向き合ってもらえなかったことが悔しく、悲しい」と話していますが、一部の不良たちはともかく真面目な多くの児童・学生たちまでもが、残念ながら今後ますます「戦争や原爆をひとごとと感じる」と判断することが多くなることでしょう。

 旧態依然とした日本の「平和教育」の在り方について、そろそろ再考すべき時なのではないでしょうか。

 きつい表現をあえてしますが、修学旅行先で東京ディズニーランドハウステンボスが人気を博しているこの時代に、ご老人を語り部にする「平和教育」コースが、学生の関心を引く点で、アミューズメント系施設に太刀打ちできようはずもありません。

 さらに現在の若者たちは韓国や中国の反日的活動が常態化している時代におります。

 ネットなどで胡散臭い彼らの反日宣伝活動(プロパガンダ)をよく知っています。

 古色蒼然とした語り部たちの「反核反戦」の主張を、反日イデオロギーに染まった偏向した史観と思想を押し付けられていると、現代の真面目な生徒達が捉えてしまったとしたなら、せっかくの体験談も平和教育としては効果が薄れてしまいます。

 今回「死に損ない」などと暴言を受けた語り部は「多くの被爆者の方に申し訳なく、つらい時間でした」と語っていますが、真面目な学生たちにとっても平和教育を目的とした修学旅行自体が「つらい時間」であっては、本末転倒でありましょう。

 もうこのような修学旅行の場を借りた「平和教育」は時代遅れなのではないでしょうか。
 


(木走まさみず)