「メディアが『国益』と言い始めたらおしまい」(池上彰)〜『国益』という言葉の捉え方が少しばかりかび臭くないですか?
うむ、ジャーナリストの池上彰氏が月刊誌「世界」(岩波書店)12月号で発言した内容がネットで話題になっています。
「『国益に反して何が悪い?』池上彰が朝日叩きとネトウヨの無知を大批判!」と題してリテラに記事がおこされています。
2014.11.16
「国益に反して何が悪い?」池上彰が朝日叩きとネトウヨの無知を大批判!
http://lite-ra.com/2014/11/post-633.html
大変興味深い内容です。
当該記事より池上氏の発言部分のみ引用いたしましょう、まず「国益に反して何が悪い?」の部分。
〈今回、一番私が違和感を覚えるのは、「国益を損なった」という言い方です。極端な言い方をすれば、メディアが「国益」と言い始めたらおしまいだと思います。〉
〈これが国益に反するかどうかと考え始めたら、いまの政権を叩かないのが一番という話になるわけでしょう。それでは御用新聞になってしまう。私は、国益がどうこうと考えずに事実を伝えるべきで、結果的に国益も損ねることになったとすれば、その政権がおかしなことをやっていたに過ぎないと思います。〉
次にネトウヨ批判箇所、「かつては絶対に使ってはいけないとされた差別用語が臆面もなくネットには飛び交っています」と指摘しています。
〈嫌韓だけでなく、かつては絶対に使ってはいけないとされた差別用語が臆面もなくネットには飛び交っていますね。(中略)書き放題のネットを唯一の情報源としている人たちには、出版界や新聞などとは全く別の“常識”が生まれているのではないでしょうか。〉
〈ある大学で講義をしたとき、レポートの裏に学生の質問が書いてあって、「日本のメディアはみんな在日に支配されているというのは本当ですか」と。かなりの部分の若者たちがそうしたネット言説を信じているんですね。〉
さらに「歴史も知らないまま日本の誇りを持つというのは、非常に歪んでいます」日本は「優等民族だという発想がこわい」と批判します。
〈歴史的な発展段階で通る過程において起きることを、韓国だから中国だからこうなんだといって叩いている。ちょっと前は日本だって同じだったよ、という歴史も知らないまま日本の誇りを持つというのは、非常に歪んでいます。〉
〈「昔はよかった」とか「取り戻そう」というのも、その「昔」とは何なでしょうか。日本はいま街にゴミを捨てる人もいないけれど、一九六四年の東京オリンピックの前に一大キャンペーンが行われるまでは本当にゴミだらけで、青山通りから渋谷は、風が吹くとゴミが舞っていた。〉
〈昔から日本は清潔好きで、行列はちゃんとつくる優等民族だという発想がこわいですね。民族の問題じゃない。発展段階や政治体制の問題なのに。〉
「昔の日本は悪くなかったと主張」するようなことは、「それこそ国益を損ねます」と批判しています。
〈国益について言うと、ドイツは七〇年間「ナチスのドイツといまのドイツは違う」と言い続けてきて現在がある。日本が慰安婦問題で「昔の軍国日本の行為です。平和国家日本は違う」ときちんと言えなければ、昔の日本は悪くなかったと主張していると受け止められるでしょう。そういう大局観がないと、それこそ国益を損ねますね。〉
〈だって、何百万人もの日本人を死に追いやった責任が誰かにあるわけでしょう。ドイツは経済的に発展するためにも謝罪をし、周辺の理解を得なければならなかった。さらには、自国の通貨マルクを捨ててでもユーロを選ぶことによって信頼を勝ち取るしかなかった。そこまでのことを甘受しているドイツと、周りを悪しざまに言うことがうけている日本と、相当差がありますね。〉
・・・
そもそも「国益」という言葉の厳密な定義はなんなのでしょうか。
池上氏は「極端な言い方をすれば、メディアが「国益」と言い始めたらおしまいだと思います」、「これが国益に反するかどうかと考え始めたら、いまの政権を叩かないのが一番という話になるわけでしょう。それでは御用新聞になってしまう」と指摘していますが、違和感がありました。
この場合池上氏は「国益」をあたかも「政権の利益」と捉えているように読めるのですが、一般論として「国益」とは「国の利益」でしょう、つまり「国家・国民の利益の総体」だと考えるべきで、ならば「国益に反する」と時の政権やメディアを批判することは、批判対象が自民党政権であろうと民主党政権であろうと朝日新聞であろうと産経新聞であろうと有りなのではないでしょうか。
おそらくですが、池上氏が「メディアが「国益」と言い始めたらおしまい」と指摘する心理的要因のひとつには、「国益」という言葉が醸し出す「国家主義」「軍国主義」「民族主義」「国粋主義」的響きにあるのでしょう。
池上氏は、国家の利益こそが国民の利益より優先する「国家主義」的きな臭さを「国益」という言葉から感じているのかもしれません。
現在の「国益」は、日本では戦後60年代からnational interestの訳語として概念として使用されるようになったもので、national interestはアメリカの共和党がよく使用する概念であり、「国家主義」「軍国主義」「民族主義」「国粋主義」とは相容れない概念であります。
メディアが「国益」を言い出す=「御用新聞」になってしまう、という等式が成り立つのは、独裁国家の場合だけでしょう。
極端の話、ときの政権が「国益に反する」ことをしたら、政権批判は認められるべきです。
日本のように報道の自由が広く認められ、議会制民主主義により政権交代も可能な政治体制の民主主義国家においては、「国益に反する」という権力批判やメディア批判はありでしょう。
もちろんそのような言論に反論する権利も認めた上でですが。
「メディアが『国益』と言い始めたらおしまい」(池上彰)との発言ですが、とても違和感を感じました。
『国益』という言葉の捉え方が少しばかりかび臭くないですかね。
(木走まさみず)