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2006-03-26 もう一回だけ日の丸・君が代論争再考

[]もう一回だけ日の丸・君が代論争再考 10:04

 以下のエントリー及び青龍さんの反論エントリーの追記です。

(議論の経緯の知らない読者は恐れ入りますが以下のテクストを時系列にお読みいただくと議論の流れがご理解いただけると思います。)

木走日記

「スポーツ朝鮮」記事より説得力がない「朝日新聞」社説〜国旗・国歌論争http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060317/1142563601

青龍の雑文Blog

君が代 - それは「マナー」か?

http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_7f60.html

木走日記

日の丸・君が代論争再考

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060323/1143119561

青龍の雑文Blog

続・君が代 - それは「マナー」か?

http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_0155.html

 青龍さん、真摯なエントリーありがとうございます。

 読者のみなさん、コメント欄にて多くの有意義なご意見ありがとうございます。

 青龍さんが再びご意見を書かれてタイトルに「続」と付けてきましたので、怪獣映画大好きな私は思わずときめいてしまって(苦笑)、ここはエントリータイトルで「木走の逆襲」とか「青龍VS木走〜地上最大の決戦」とか「キバシリファイナルウオーズ」とか、ゴジラシリーズのタイトルを付けようかと思ってしまいました。(爆)

 が、いづれも木走がゴジラのように消滅・退治されてしまう恐れがあるので止めておきました。(苦笑)

(↑すみません、軽い冗談です)



●真摯な青龍さんの再反論

 さて前回エントリーに関して、青龍さんから真摯なトラックバックをいただきました。

青龍の雑文Blog

続・君が代 - それは「マナー」か?

http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_0155.html

 とても青龍さんの考えている内容が素直に伝わってきて良く理解できるたいへん読みやすい文章であります。

 で、木走に対する意見(疑問も含めてと思います)主な3点を抜粋引用させていただきます。

木走の意見 

私が強く主張したいのは、「卒業式で君が代を斉唱すべきという主張は君が代ひいては国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」という認識は、今日の日本では残念ながら一般化していないだろうということです。

 「国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」そこに結びつけることには、私には(そして私が思うに多くの国民には)違和感しかないのです。

それに対する青龍さんの意見

 私も、日本国民の多くは戦前の軍国主義や全体主義への回帰を理由に君が代を支持しているわけではないと思います。木走様の分析されるように各種のスポーツイベントなどを通じて君が代に愛着を感じている人が多いのでしょう。

 ただ、コメント欄でも書いたように、それだけなら自らが歌いたいという動機にはなっても歌いたくない者にまで無理矢理歌わせようという気にはならないのではないかと思います。

 強制してまでの斉唱を求める人は、国歌の斉唱による効果(国歌への帰属意識を高めたり・人格形成に役立つ等)を必要だと考えているでしょうし、その前提として日の丸・君が代が国歌としてふさわしいと考えているのでしょう。私の指摘した「国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」というのは広くそのようなものも含むのです(その意味では、君が代に無関心な人も、スポーツイベントを通じて何となく君が代が好きになった人も、もちろん君が代が嫌いな人もこの二点について何らかの立場に立っています。どうでもいいというのも一つの立場なのですから)。

 前回書いたように、君が代についての主張が特定の価値観に基づくものであることは何も悪いことではありません。それを認識することが議論の出発点なのだと私は考えます。

 なるほど、「強制してまでの斉唱を求める人は、国歌の斉唱による効果(国歌への帰属意識を高めたり・人格形成に役立つ等)を必要だと考えている」点が問題なわけですね。

 本題とは少し離れるかも知れませんが、とても興味深いことですが、国旗(日の丸)掲揚と国歌(君が代)斉唱を等しく議論している中で、私はどちらかというと国旗(日の丸)に意識が向かっているのに対し、青龍さんは、「それだけなら自らが歌いたいという動機にはなっても歌いたくない者にまで無理矢理歌わせようという気にはならないのではないか」というご意見にもありますが、どちらかというと国歌(君が代)斉唱により違和感があるようですね。

木走の意見 

国旗掲揚や国歌斉唱は、「法律」でもって強制的に罰するようなことはエレガントではなくもちろんそのようなやり方は反対であり、この件は「マナー」のような、それは守るべきであると私は個人的に考えていますが、守らない他者を罰するような「掟(おきて)」にするのは決して望ましくないというニュアンスも込めてのモノです。

 このような「マナー」がやがて戦前のような「掟(おきて)」となってしまうならば、私は断固反対いたしましょう。(私はその可能性は少ないという現状認識を持っていますが)

 法律による強制には反対です。

 ですから私は法的拘束力のない「マナー」を使ったのでした。

それに対する青龍さんの意見

 木走様が「マナー」という言葉を使った真意は了解しました。ただ、朝日新聞社説に対する批判として「マナー」という言葉が出てきた文脈からすると少々読み取りにくかったのではないかという気はしますが。

 それはともかく、木走様が法律による強制に反対という文脈で「マナー」という言葉を使われるのであれば、これまでの東京都教育委員会の措置についてはどの様に考えられるのでしょうか、これまでの木走様の発言からはそのあたりが判らなかったので是非伺いたいと思います。

 はい、ここまで意図して避けてきましたが、ここは東京都教育委員会の措置について私の意見を述べないとアンフェアーですね。(後ほど)

木走の意見 

しかし、私はそのような旗の持つ負の属性も含めて、「国旗」に自国・他国の区別無く敬意を払うことは、国際的には200ヶ国以上の独立国がひしめく現在の世界を少なくとも公平に公正に振る舞うための構成員として、少なくとも必要な「マナー」であると考えるのですが、いかがでしょうか。

  ある集団(自分以外のです)がそこに愛着を持ち敬愛の情を抱いているならば、日本を含めどの国の国歌・国旗にも、敬意を表すべきではないでしょうか。

それに対する青龍さんの意見

 他の人(集団)が愛着を抱いていることを尊重すべきであるという点では、私も木走様も違いはないと思うのです。問題は、いかなる対応をすることが尊重する(または敬意を払う)ことになるのかという点ではないでしょうか。

 この点についての私の見解は国旗掲揚・国歌斉唱の際にそれを乱すことなく静かに待っているのであればそれで十分ではないかというものです。

 なぜこのように考えるかと言えば、このような対応が国旗・国歌を尊重する者とそうでない者を平等に扱っていると考えるからです。

 すなわち、国旗・国歌を尊重するとは旗や歌そのものを尊重するということではなく、その背後にある国旗・国歌への愛着を持つ人の心を尊重することですが、他方君が代を歌いたくないと考える人も日の丸・君が代に対する否定的な感情またはその他の者に対する愛着ゆえに、日の丸・君が代を掲揚・斉唱したくないのであり彼らの意思に反して日の丸掲揚の際に起立させ君が代を斉唱させることは彼らの心を傷つけることになります。

 国旗・国歌に対して敬意を払うべきという「マナー」が他者が愛着を持つものへの尊重を基盤とするのであれば、それは君が代を歌いたくないという人に対しても同様に向けられるべきではないでしょう。愛着を持つ者への共感だけがなされ愛着を持たない者への配慮を欠いている「マナー」は両者の立場の置換可能性がない不平等な枠組みではないかと思うのです。

 また、他国の国歌斉唱の際には起立するだけで「マナー」を守っていることになるのであれば、自国の国歌の場合には起立だけでなく歌うことまで求められるのはなぜなのでしょうか。

 なるほど、たしかに「問題は、いかなる対応をすることが尊重する(または敬意を払う)ことになるのかという点ではないでしょうか。」、ここが一つのポイントですよね。

 ここでも、木走として興味深いのは、青龍さんのおもいのひとつは最後の文章、「他国の国歌斉唱の際には起立するだけで「マナー」を守っていることになるのであれば、自国の国歌の場合には起立だけでなく歌うことまで求められるのはなぜなのでしょうか。」にあるように、「君が代」を斉唱する行為に対する違和感があるのだと思いました。

 ・・・



●真摯な青龍さんの再反論に対する木走の反論

 今回のこの議論で私があえて東京都教育委員会の措置について私の意見を述べてこなかったのは、2つの理由です。

 ひとつは繰り返し述べてきたことですが、私個人はこの問題であまりイデオロギー的議論をしてそこに拘泥することを好まなかったからです。

 で、もうひとつは、教職員(大人)と生徒(小人)を混在して議論することを避けたかったからです。

 一番最初のエントリーでも指摘したことですが、取り上げた朝日社説も、正にその議論の混在があります。

【社説】2006年03月15日(水曜日)付 朝日新聞

http://www.asahi.com/paper/editorial20060315.html

 うーん、国旗・国歌論争は、不肖・木走的にはどうでもいいというか、余り関心はないんですが、日本も負け韓国国旗ばかりさんざん見せられたので(苦笑)、ここは少し朝日新聞の社説について考えてみましょう。

 まず、記事の結語「卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。教育委員会の過剰な介入で、大切な思い出を汚してはならない。」は、とっても違和感がありますねえ、卒業式の主役は言うまでもなく生徒でしょ。

 なんで教師も主役なんだ? 脇役ならわかるけど。

 前々回エントリーより抜粋

 しかし、ここでは東京都教育委員会の措置について触れないと議論が進まないので、ここは問題の東京都教育委員会の通達を検証いたしましょう。

(↑また検証とか思わないで下さいね(苦笑) 一次ソースはしつこく検証するのが私のクセなのです)

 まず3月15日付け朝日社説が「先週末、都立の定時制高校の卒業式で、十数人の卒業生の大半が国歌斉唱で起立しなかった。これを受けて、都教委は都立学校の校長に新たな通達を出した。生徒への「適正な指導」を教職員に徹底するよう求める内容だ。」と指摘している東京都教育委員会の通達(17教指企第1193号)を見てみましょう。

平成18年3月13日

教育庁

「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」の発出について

 東京都教育委員会は、学習指導要領の趣旨を踏まえ、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう指導してまいりました。しかし、今般、一部の都立高等学校定時制課程卒業式において、国歌斉唱時に学級の生徒の大半が起立しないという事態が発生しました。ついては、別紙のとおり校長が自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達を発出しましたので、お知らせします。

 あわせて、本日、全都立学校の校長を招集して、「教育課程の適正実施にかかわる説明会」を開催し、本通達の趣旨の周知を図りましたので、お知らせします。

別紙

17教指企第1193号

平成18年3月13日

都立高等学校長殿

都立盲・ろう・養護学校長殿

都立中学校・中等教育学校長殿

東京都教育委員会教育長

中村 正彦

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)

 東京都教育委員会は、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(平成15年10月23日付15教指企第569号)により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するように通達した。また、「入学式・卒業式の適正な実施について(通知)」(平成16年3月11日付15教指高第525号)により、生徒に対する不適正な指導を行わないこと等を校長が教職員に指導するよう通知した。 しかし、今般、一部の都立高等学校定時制課程卒業式において、国歌斉唱時に学級の生徒の大半が起立しないという事態が発生した。

 ついては、上記通達及び通知の趣旨をなお一層徹底するとともに、校長は自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達する。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr060313.htm

 これは、かの有名(悪名高い?)平成15年の10.23通達を徹底せよという通達ですね。

 細かい話ですが、同様主旨の3.11通知(平成16年3月11日付15教指高第525号)が各学校長に通知されていますが、「通知」と今回の「通達」ではまったく重みが違います。

 「通達」に基づく校長の職務命令に従わない場合は、教職員は服務上の責任を問われることになるからです。

 で、平成15年の10.23通達の内容を押さえておきましょう。

15教指企第569号

平成15年10月23日

 

 都立高等学校長殿

 都立盲・ろう・養護学校長殿

東京都教育委員会教育長

横 山 洋 吉

 

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)

 

 東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。

 これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施態様には様々な課題がある。このため、各学校は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。

 ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達する。

 なお、「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」(平成11年10月19日付11教指高第203号、平成11年10月19日付11教指心第63号)並びに「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」(平成10年11月20日付10教指高第161号)は、平成15年10月22日限り廃止する。

 

 

1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。

 

2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。

 

3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。

別紙

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針

 

1 国旗の掲揚について

  入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。

 (1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。

 (2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。

 (3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。

 (4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

 

2 国歌の斉唱について

  入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。

 (1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。

 (2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。

 (3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

 (4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。

 

3 会場設営等について

  入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。

 (1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。

 (2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。                    

 (3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。

 (4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr031023s_2.htm

 通達自体は各学校長(管理者)に当てた業務命令ですが、「記」の3項にも明記してあるように「3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。」とあり、一般教職員はこの通達に書かれている内容を遂行するための学校長の「職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われる」わけであります。

 で、ここで検証しておきたい重要な事項は、これらの通達は教職員に何を具体的に強制していて、また生徒達には何を具体的に強制しているのか、と言うことです。

 ここを徹底検証してみましょう。

 別紙を良く読むと、まず「1 国旗の掲揚について」ついては、国旗の掲げる場所とその時間を細かく指定していますが特に教職員・生徒に何か具体的行動を求めている箇所はないようです。

1 国旗の掲揚について

  入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。

 (1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。

 (2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。

 (3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。

 (4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

 次に「2 国歌の斉唱について」ですが、

2 国歌の斉唱について

  入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。

 (1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。

 (2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。

 (3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

 (4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。

 「(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。」は主催者への指示ですので問題無さそうです。

 「(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。」は、司会者への指示ですが、ここは微妙ですが、2つの指示が混在しています。

 司会者は 自ら「国歌斉唱」と発声せよという指示と、参加者に「起立を促す」ことをせよという指示です。この場合の参加者は当然、教職員、来賓、生徒、父母達、式参加者全員でありましょう。

 たた、この(2)はあくまで司会者への指示であり、司会者が参加者に「起立を促す」ことを指示しているのであり、結果(参加者が起立したかどうか)は問われてはいません。

 「(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」ですが、ここがひとつの重要な点ですが、「会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」よう指示されているのは、「教職員」だけであります。

 つまり素直に文章を解釈すれば、教職員以外(来賓や生徒や父母達)は「会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」行為を強制されてはいません。

 「(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。」は些末なことですね。

 最後に「3 会場設営等について」ですが、

3 会場設営等について

  入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。

 (1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。

 (2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。                    

 (3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。

 (4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。

 これもまあ「生徒・児童の着席場所」や「教職員の服装」等についての些末な問題であります。

 ・・・

 以上、実際の通達を細かく読んでみると次の2点が明らかであります。

 この通達で「会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」よう指示されているのは、「教職員」だけである。

 児童・生徒(来賓・父母含む)に直接、何らかの「行為の強制」として関連あるのは、「国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す」箇所だけであり、ここの箇所は司会者への指示であり、参加者は「起立を促す」結果を強制されてはいない。

 国歌斉唱のとき、「声を出して斉唱する」行為を強制されているのは教職員だけであります。

 生徒の立場でこの通達内容を読み解くと、国旗掲揚・国歌斉唱のとき、「起立を促す」ことはされますが、「起立」が強制されている文章には読めません。

 まして、国歌「斉唱」に関しては、まったく生徒には触れていません。

 素直に読めば、この通達は次のように解釈できるでしょう。

 式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。

 教職員は会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

 ・・・

 私は朝日新聞の社説も青龍さんのご意見も、教職員に対する通達を参加者(特に学生・生徒)までに拡大解釈している側面があると思ってしまうのですが、いかがでしょうか。

 今回の通達が「起立を促す」のが結果として徹底されていないことに対する再度の業務命令の徹底である点は、まことにエレガントでないと思います。

 「マナー」というには教職員にとっては「強制」に近いのは御指摘通りでしょう。

 しかし、この点は東京都の職員である都立高校教職員という特定のグループに関しての特殊な問題であり、それはそれで公務員のあり方も含めて、私は別に議論を分けて考えた方がいいと思っています。

 少なくても一般人や生徒に対する「強制」とは区別する必要があると思います。

 私には、生徒や一般参加者が何を強制されているのかのほうが、より重要なことなのですが、その点であたかも生徒も「君が代まで強制的にうたわされる」と誤解を招く表現を使われるのは、議論の本質的部分であるだけに問題があると思ってしまいました。

 東京都教職員を含めて議論すべきであるというのなら異論はないですが、だとすれば私がイデオロギー論抜きで語ろうとしていたテーマ「国旗・国歌に敬意を払うことは「マナー」のようなものではないか」という一般論とは、いささか論点が違ってきてしまうと考えます。(通底する共通の問題があるのは理解しますが)

 ・・・

 国旗掲揚・国歌斉唱の際、「起立する」行為は私個人は守られるべきマナーと思っている点では前回同様、考え方は変えていません。

 私も個人的には「君が代」は唱いたくありませんが(ひどい悪声ですし(苦笑))

 青龍さま、みなさまの忌憚のないご意見をお待ちします。



(木走まさみず)

tntn 2006/03/26 10:36 あなたがやりたいのならどうぞお好きに。

私は、すっかり「プチ金正日」と化した狂信的某三流作家に手を貸すなんて絶対に嫌です。「極右も極左も行き着くところは同じ」というのが、私が歴史を学んで得た教訓です。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/03/26 10:53 なるほど、さすが木走さまです。
おかげで私の感じていた違和感の源が良く認識できました。
私的には、入学式も卒業式もセレモニーであり、学校と言う集団生活の場で行なわれるセレモニーについて、その式次第に則って行い、参加するのが当然と思っているわけです。
これは国際社会でもいっしょで、他国へ行けば、その国のセレモニーに従うのは当然ですね。
これができないと不作法、非常識となってしまうわけです。
で、その場合、例えばアルコールで乾杯なんてことがあると、ムスリムの人は「宗教上の理由で水かジュースにしてください」なんてことになるわけです。これに配慮するのが主催者側の見識で、当然、これは認められます。
おそらく日の丸・君が代嫌いの人は、これらがムスリムにとってのアルコールのように感じるんでしょうね。
ただ、ここで問題なのは、こういった食習慣に関わるタブー(もちろんアレルギーなども含まれます)については抜け道を用意するのがマナーなんですが、国旗・国歌の問題は、世界的に共通の認識があるわけですよ。
お宅の国の国旗には敬意を表しますが、自分の国旗は嫌いだから、ってのは通用しないんです。
逆に相手をバカにしてるように受け取られるかも知れない。
ムスリムだって偶像崇拝はしませんが、国旗や国歌は尊重するんです。
私はご存知のように多文化共生主義です。
だからこそ、世界共通の認識を子供のうちから教えて、外国でも普通に暮らせる人間に教育して欲しいんですよ。
国旗・国歌への態度しかり、セレモニーへの参加しかり、もっと言えば集団生活への適応しかりです。
これらができないと、場合によっては命に関わることだってあるわけです。
はっきり言ってイデオロギーなんて生きていてナンボ。

も一つはアルコールアレルルギーの人が「オレは酒呑めないんだから、お前らも飲むな」ってのは不作法だし非常識だということです。

くどいようですが、日の丸・君が代が嫌いな人は、国歌・国旗を改定する運動をプライベートな時間に行なえば良いし、あるいは他国へ移住すれば良い。
自分の個人的イデオロギーを押し付けるのは“強制”ではないんですか?ということ。
教育者だと言うなら、国旗・国歌への尊敬、セレモニーへの参加の心がけ、集団生活の規律など、普遍的な“知識”を教えて下さいということです。

tntn 2006/03/26 10:55 話は変わりますけど、昨日、エルガーの「威風堂々第一番」という曲を聴きました。英国の「第二国歌」とも言われている有名な曲ですけど、日本にもこういう、「威風堂々」とした、血湧き肉踊るような曲ができないものでしょうか。

ほかにも、「イタリア国歌を最後まで歌えるのは大統領一人だけだろう」というジョークがありますが、トリノ五輪の閉会式で歌われたヴェルディ「ナブッコ」の「行け、わが思いよ」はその不人気(?)な国歌にかわって第二国歌の地位にありますし、他にもシベリウスの「フィンランディア」とか、スーザの「星条旗よ永遠なれ」なんて有名です。

昨日も書いたんですけど、イギリス人フェントンが「初代」の曲を書き、ドイツ人エッケルが現在の曲の編曲に関与した君が代は、正直言って曲調が「ダサい」というか、「聴いてて憂鬱になる」曲ですよね。だから、もし変えられないとすれば、もうちょっとポジティブな曲を「第二国歌」みたくできないかなと思います。

ちなみに私は日の丸はデザイン的にも大好きです。
だから嫌なのは、白地に寄せ書きして汚すバカどもです。
あいつらこそ、「国旗不敬罪」で死刑にしたいです(苦笑)。

tntn 2006/03/26 11:00 鮎川さま

結局、私が強制を嫌うのは、強制しているほうもイデオロギー色プンプンだからです。

狂人石原がここまで国歌・国旗に固執するのは、「愚民どもは黙って俺様に服従しろ」ってことでしょ。図らずもその意図は、将棋バカが天皇に話して明らかになりました。天皇は「強制しないでね」といったにもかかわらず。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/03/26 11:34 tnさま。
私も第2国歌の制定には全く異論がありません。
というか、国民投票でもして、国歌も国旗も変わってもOKです。
別に日の丸・君が代だから尊重したいというわけではないのです。
この辺はご理解戴けていると思いますが。
で、認識が大きく違うのは、現状が“強制”なのか?ってところでしょうね。
私は教育であり指導だと思っています。
あるいはコンプライアンスの問題。

ところで、日の丸・君が代ですが・・・
あのですね、純粋に美意識の問題から言うと、どっちも美しいとは思えません。
日の丸は、ジャパニーズ・ホワイト(カーレースなんかで、ブリティッシュ・グリーン、フレンチ・ブルー、ジャーマン・シルバーetc.)って言いますから、白地は良いとしても、太陽って赤いですか?朝日の表現なんですかねー?
君が代については、全く同意です。
一部で言われてる“上を向いて歩こう”でも良いし、なんかありませんかね?
アニメやゲームのクリエイターに作らせたいですね。
個人的には「サクラ大戦」(御存知?)のテーマみたいの希望です。

木走さま、板汚し失礼!

biaslookbiaslook 2006/03/26 11:41 >tnさん
私は生徒への強制は大反対です。しかし、イデオロギーの臭いが非常に強く、都教育委員会の思想に疑問があったとしても、公務員への強制になぜ問題があるのでしょうか。「愚民」という言い方は、生徒・保護者をさしていると思いますが、tnさんの意見とは無関係です。
また、天皇の話した内容を持ち出すのは不適切です。どんなに正しい話であっても、天皇の意見を政治に持ち出してはなりません。

木走さん、かなり話が整理されてきました。
論点は「公務員は国家における不文律を守らなければならないか」そして「不文律を守らない場合、法律で強制するのは可か不可か」というかですね。

TEPOTEPO 2006/03/26 11:51  この論争とてもおもしろいです。青龍さんも木走さんも論説が落ち着いていてじっくり考えることができて有りがたいです。
 しかし木走さんのソース第一主義のねちっこさは、いつもながらしつこくていいなあ(笑)
 私の考え。要は教職員は式の間に範を示して「国旗・国歌」に敬意を払えってことでしょう。すごく真っ当な通達じゃないですか。まして、このエントリーでも木走さんが指摘しているとおり、反対派は通達自体は教職員に対する指示であるのに、生徒にまで適用されているような拡大解釈しているのは、まったくおかしいですよね。これでは生徒や父母を利用していると思われても仕方ないんじゃないかなあ。
 僕自身は起立することは強制でもぜんぜんかまわないと思っていますが、一連の通達は生徒に何も強制していないという点では極めて穏健な穏当な内容じゃないですか。

T961T961 2006/03/26 11:59  WBCにおける日本代表チームの優勝で、国旗・国歌に対する態度が見直され始めた、と思う。日本人として、日の丸を背負ってという意識や態度の高潔さに日本中が感動した。これに対して、トリノオリンピック女子フィギュア競技における荒川静香選手の日の丸を纏ってのウィニングランが、なかったことにされている現状が私には残念でならない。どちらも気高くも感動的なシーンであっただけに惜しまれることこの上ない。日本人であることに誇りを感じた、との感想をマスコミを通じて寄せていた国民も多かった。或いは荒川静香選手のように、国旗が掲揚されるのを誇らしく感じた、とのコメントもあった。こうした感想は、多くの日本人にとって、極めて率直なものであろう。だが、いつものように日本の国旗・国歌に不快感を催す連中がいる。卒業式や入学式を控えて、いつものように馬鹿馬鹿しい論争も繰り広げられているようである。それがいかに的外れであるか、私なりに検証してみたい。

 国旗・国歌は国の象徴であり、それ以外の何者でもない。国とは、私であり、貴方である。歴史であり、伝統であり、現在であり、未来である。先達から受け継がれた財産であり負債であり、今の私が生きている環境そのものである。私は私自身を大切にし、同時に貴方を大切に思い、そして生きる。そういうものの総体が国旗・国歌である。国旗・国歌を敬うのは、貴方への敬意であり、他国への敬意であり、生命に対する畏怖の念に等しい。そこにイデオロギーなる余計なものは存在しない。それが本来の姿である。

 故に、国旗・国歌を振りかざしてはならない。それは正義を振りかざすことに等しい。−正義とは「涜れた布」−すべて我らの義は涜れた布きれの如し。涜れた布きれとは、月経時のあてぎれを意味し、古代にはいずれの民族にも、経血は人を涜すという迷信があり、この涜れはそれに触れた人を涜し、さらにその人に触れた人を涜す、というようにまるで伝染病のように広まるとされていた。故に正義を口にすることは、涜れた布を銜えていることに等しい。正義を口にした途端、涜れてしまう。正そうとすることが歪め、清めようとすることが涜す(山本七平著日本教について)。

 ここにイデオロギーなる余計なものを差し挟んではならないのは自明である。国旗・国歌にイデオロギーを持ち込まんとする者は、陋劣漢か経験の浅い愚かな者のすることである。国旗・国歌は敬うものであっても、論争の対象になるようなものでは、そもそもない。したがって、卒業式にて国旗掲揚し、国歌斉唱するというのは、これまでの己のコンディションに感謝する意であると同時に、よりよい未来を創造せんとする誓いに他ならない。なんの問題があるのか。

 問題は、歴史とはそれを認識する個人の経験であることなのだ。人によってその経験の深浅には自ずと違いがある。ただそれだけのことに過ぎない。故に、経験の深浅を認識しようともせず、国旗・国歌に擦り付けるのは陋劣漢か愚かな者のすることに他ならない。無益な論争はやめて、経験を深める努力が先ではないか。

ryankigzryankigz 2006/03/26 13:04 全体的に木走さんのご意見に近い考えです。

自分は右派だと思っていて、「当然日本の国旗は日の丸で国歌は君が代ですがそれが何か?」という立場ではあるのですが、法律の制定、またいまの起立率、声量まで調べて云々、という教委などの姿勢は「美しくない」「情けないな」とは思います。
なんというか、99年の法律制定時、挨拶を法で決められたような気分で野暮だなあと思っていました。
自分は、法制定以前の、国民の多数が「なんとなく」認める「慣習」により国旗は日の丸であり国歌は君が代である、という状態のほうが好きだったんですな(そういや西村眞悟さんが制定時に「国旗は日の丸とする」の「とする」とは何事か、「である」でないのか、と小一時間政府当局を問い詰めていた記憶があるのですが)。

もちろん法制定の経緯、また現在の都教委の姿勢の原因のひとつに、これまた「美しい」とは決して言えない反対派の運動があったのは承知してますし、それぞれ担当のご苦労は察して余りあるものがありますけれど。

なお、自分の考えとしては、「斉唱」なんだから歌うのまで求められるじゃん、とも思うんですが、最低限「歌わない」というのもありだとは思います。単純に、起立しないのは「美しくない」です。

自分の経験だと、中学・高校(私立)の式では司会の体育の先生が「国歌斉唱。一同起立!」で全員バッと立ち上がって臨んだ覚えがあります。歌ってるかどうかは正直まちまちでしたけど(何人か指摘されてますが、年頃のせいか単純に声を出したくない、なんか気恥ずかしい、という理由で歌ってないやつも見受けられました)。

なんだか自分のいい加減な美意識だけで論じてしまいました。
あんまり、イデオロギーの切り口で語りたくなかったので。

トリルトリル 2006/03/26 19:29 長文読むのしんどいわ〜。

何時いかなる時も「マナーを守れ」と言ってる訳でもないし、「宗旨変えしろ」と強要してる訳でもないと思うんですけどね〜。
嫌なら、ま、口パクでもムードは壊さない=現場へ一定の尊重は認められると思うし。
そういう合理性は発揮されず、もう何が何でも歌いたくない、いや、歌え、の応酬ですかい。ふーっ。
何ら妥協できないと言うなら法令による規制も詮無しかナー。

第二国歌?
威風堂々に対抗して軍艦マーチですか?
良いですね、勇ましくて。
パチンコ屋に久しぶりに逝きたくなるんじゃないでしょうか、お父さんは。

もっとやる事があるような気もすろんですけどねー。

antonianantonian 2006/03/26 19:52 「真摯な」って枕詞をいちいちつける木走さんは意地悪だ。というエントリですね。

しかしまぁ、エルガーなんか軍人好みの曲だしなぁ。エルガー本人はそのイメージ嫌だったみたいだけど。戦争讃歌でよく使われる。まさにどこぞの都庁の親父好み。
血わき肉躍る曲なんぞ選んだら反戦平和な左巻きの逆鱗に触れると思われ。
まぁ、そういうの判ってて「威風堂々」なんぞを持ち出すってのは、高等なジョークなのだと思いますが。

曲の好みって100人いたら100人分違う意見が出ますからね。たとえば私などは、坂本九も、エルガーも「日本の国歌に選ぶ」ならダサい。正直、恥ずかしい・・・。と、考えますね。これはまぁ私がそのように思うのは価値の相違に過ぎないわけで個人の好みに過ぎず、なんらの公共性もないし、普遍ではない。
結局「なんか知らないけど、更にいえばなんとなくダサいかもしれないけど、そういうことにずっとなっていた伝統」っていうものの持つ、怪しからんオーラってのも侮れないものはあります。

masashimasashi 2006/03/27 03:25 >青龍さん
すみません。先週の土曜日より、仕事のトラブルで文章を書く余裕がありません。火曜日あたりになれば時間が取れると思いますので、私の意見はその時にでご容赦いただければ幸いです。
ただ、私の書きたかったことの大部分は、木走さんが書いていらっしゃるので、あまり付け足す点はないです(笑)。

>木走さん
青龍さんのところのコメントが、メールアドレスが必要でちょっと書きづらかったのでこちらに書いたこと、木走さんに対して大変失礼なことかと思いますが、ご容赦いただけるとありがたいです。

GedolGedol 2006/03/27 10:12 ども。
 君が代のメロディの評判があまりよろしくないようですが、「君が代」って歌は日本語を良く判っていない欧米人が賛美歌風に歌うとなかなか趣のある歌なんだけどなぁ・・・。

 あと、東京都の運用に対する批判について誤解されている人がいる様ですけど、これは「国家斉唱に参加しない*生徒*の存在を理由に教師を処罰する」というモノです。つまり事実上、生徒に対する強制を教師に指示しているのだそうです。
 ホントにそんな運用をしているのかは少々疑問ですが、今年の戸山高校の卒業式のビデオに係るゴタゴタを見る限り、少なくとも学校側はそう理解している様です。

くろねこくろねこ 2006/03/27 10:52 私も国旗掲揚や君が代斉唱はマナー的なものという意見に賛成です。
本来は自発的に国を自分のホームランドと意識する延長線上に国旗掲揚や君が代斉唱があると思うからです。
それに日の丸、君が代が法律的に日本の国旗・国歌となったのが平成11年である、と言うのを知って過去の政府自体もそう考えていたんじゃないだろうか、と思っていたわけでして。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1999L127.html

kibashirikibashiri 2006/03/27 11:09
 管理人に木走でございます。

tn様

>あなたがやりたいのならどうぞお好きに。

 冷たいなあ(苦笑

>私は、すっかり「プチ金正日」と化した狂信的某三流作家に手を貸すなんて絶対に嫌です。「極右も極左も行き着くところは同じ」というのが、私が歴史を学んで得た教訓です。

 「「プチ金正日」と化した狂信的某三流作家」って(苦笑

>話は変わりますけど、昨日、エルガーの「威風堂々第一番」という曲を聴きました。英国の「第二国歌」とも言われている有名な曲ですけど、日本にもこういう、「威風堂々」とした、血湧き肉踊るような曲ができないものでしょうか。

 ほほう。

>ほかにも、「イタリア国歌を最後まで歌えるのは大統領一人だけだろう」というジョークがありますが、トリノ五輪の閉会式で歌われたヴェルディ「ナブッコ」の「行け、わが思いよ」はその不人気(?)な国歌にかわって第二国歌の地位にありますし、他にもシベリウスの「フィンランディア」とか、スーザの「星条旗よ永遠なれ」なんて有名です。

 ふーん、tnさんはクラシック系もおくわしいのですねえ。

>昨日も書いたんですけど、イギリス人フェントンが「初代」の曲を書き、ドイツ人エッケルが現在の曲の編曲に関与した君が代は、正直言って曲調が「ダサい」というか、「聴いてて憂鬱になる」曲ですよね。だから、もし変えられないとすれば、もうちょっとポジティブな曲を「第二国歌」みたくできないかなと思います。

 うむ、君が代が暗い曲調なのは否めないですよね。
 私などが悪声の唱うとお経みたいに聞こえちゃいます(苦笑

>ちなみに私は日の丸はデザイン的にも大好きです。
だから嫌なのは、白地に寄せ書きして汚すバカどもです。
あいつらこそ、「国旗不敬罪」で死刑にしたいです(苦笑)。

 「国旗不敬罪」って、あなた、リベラルでしょ(苦笑

鮎川龍人様

>私的には、入学式も卒業式もセレモニーであり、学校と言う集団生活の場で行なわれるセレモニーについて、その式次第に則って行い、参加するのが当然と思っているわけです。
これは国際社会でもいっしょで、他国へ行けば、その国のセレモニーに従うのは当然ですね。
これができないと不作法、非常識となってしまうわけです。

 セレモニーや儀礼に参加する者のマナーという観点、ここなんですよね私もこだわりたいのは。

>で、その場合、例えばアルコールで乾杯なんてことがあると、ムスリムの人は「宗教上の理由で水かジュースにしてください」なんてことになるわけです。これに配慮するのが主催者側の見識で、当然、これは認められます。
おそらく日の丸・君が代嫌いの人は、これらがムスリムにとってのアルコールのように感じるんでしょうね。

 うむ、なるほどです。

>ただ、ここで問題なのは、こういった食習慣に関わるタブー(もちろんアレルギーなども含まれます)については抜け道を用意するのがマナーなんですが、国旗・国歌の問題は、世界的に共通の認識があるわけですよ。
お宅の国の国旗には敬意を表しますが、自分の国旗は嫌いだから、ってのは通用しないんです。
逆に相手をバカにしてるように受け取られるかも知れない。
ムスリムだって偶像崇拝はしませんが、国旗や国歌は尊重するんです。

 はい、ムスリム国家にも国旗・国家がありますね。

>私はご存知のように多文化共生主義です。
だからこそ、世界共通の認識を子供のうちから教えて、外国でも普通に暮らせる人間に教育して欲しいんですよ。
国旗・国歌への態度しかり、セレモニーへの参加しかり、もっと言えば集団生活への適応しかりです。
これらができないと、場合によっては命に関わることだってあるわけです。
はっきり言ってイデオロギーなんて生きていてナンボ。

 多文化共生主義に同感です。

>個人的には「サクラ大戦」(御存知?)のテーマみたいの希望です。

 でええ、「サクラ大戦」のテーマですか(爆

biaslook様

>論点は「公務員は国家における不文律を守らなければならないか」そして「不文律を守らない場合、法律で強制するのは可か不可か」というかですね。

 そうですね、一般人の「マナー」の問題と公務員の問題を区別して議論すべきと感じています。

TEPO様

>この論争とてもおもしろいです。青龍さんも木走さんも論説が落ち着いていてじっくり考えることができて有りがたいです。

 ありがとうございます。議論が冷静にできるのは、これは本当に青龍さんの人柄によるところが大きいのだと思います。

>しかし木走さんのソース第一主義のねちっこさは、いつもながらしつこくていいなあ(笑)

 だから、「ねちっこさ」とか「いつもながらしつこくて」とか、あなたはいつも一言多いっての(苦笑

>私の考え。要は教職員は式の間に範を示して「国旗・国歌」に敬意を払えってことでしょう。

 おお、まさに「範を示せ」ってことなのですね。

>まして、このエントリーでも木走さんが指摘しているとおり、反対派は通達自体は教職員に対する指示であるのに、生徒にまで適用されているような拡大解釈しているのは、まったくおかしいですよね。これでは生徒や父母を利用していると思われても仕方ないんじゃないかなあ。
 僕自身は起立することは強制でもぜんぜんかまわないと思っていますが、一連の通達は生徒に何も強制していないという点では極めて穏健な穏当な内容じゃないですか。

 はい、ただ「起立を促す」ことに成果が上がっていないことを理由にした今回の再通達は、私個人はエレガントで無いと思っています。
 エントリーでも書きましたが、これでは教職員側から「圧力」と受け取られてても致し方ないと思います。

T961様

 おお、コメントどうもです。

>日本人であることに誇りを感じた、との感想をマスコミを通じて寄せていた国民も多かった。或いは荒川静香選手のように、国旗が掲揚されるのを誇らしく感じた、とのコメントもあった。こうした感想は、多くの日本人にとって、極めて率直なものであろう。

 はい、私も感動いたしました。

>国旗・国歌は国の象徴であり、それ以外の何者でもない。国とは、私であり、貴方である。歴史であり、伝統であり、現在であり、未来である。先達から受け継がれた財産であり負債であり、今の私が生きている環境そのものである。私は私自身を大切にし、同時に貴方を大切に思い、そして生きる。そういうものの総体が国旗・国歌である。国旗・国歌を敬うのは、貴方への敬意であり、他国への敬意であり、生命に対する畏怖の念に等しい。そこにイデオロギーなる余計なものは存在しない。それが本来の姿である。

 なるほど、「私は私自身を大切にし、同時に貴方を大切に思い、そして生きる」、つまり、本来国旗・国歌を敬うのは決して排他的行為ではないということですね。

>故に、国旗・国歌を振りかざしてはならない。それは正義を振りかざすことに等しい。−正義とは「涜れた布」−すべて我らの義は涜れた布きれの如し。涜れた布きれとは、月経時のあてぎれを意味し、古代にはいずれの民族にも、経血は人を涜すという迷信があり、この涜れはそれに触れた人を涜し、さらにその人に触れた人を涜す、というようにまるで伝染病のように広まるとされていた。故に正義を口にすることは、涜れた布を銜えていることに等しい。正義を口にした途端、涜れてしまう。正そうとすることが歪め、清めようとすることが涜す(山本七平著日本教について)。

 おお山本七平ですね。正義を振りかざさないように「国旗・国歌を振りかざしてはならない」わけですね。

>無益な論争はやめて、経験を深める努力が先ではないか。

 うーむ、この結びの言葉はそのまま不肖・木走にも掛かってくるお言葉のようです(汗
ryankigz様

>全体的に木走さんのご意見に近い考えです。

 ありがとうございます。

>自分は右派だと思っていて、「当然日本の国旗は日の丸で国歌は君が代ですがそれが何か?」という立場ではあるのですが、法律の制定、またいまの起立率、声量まで調べて云々、という教委などの姿勢は「美しくない」「情けないな」とは思います。
なんというか、99年の法律制定時、挨拶を法で決められたような気分で野暮だなあと思っていました。

 ああ、その「野暮だなあ」という感覚、共有しています。

>なお、自分の考えとしては、「斉唱」なんだから歌うのまで求められるじゃん、とも思うんですが、最低限「歌わない」というのもありだとは思います。単純に、起立しないのは「美しくない」です。

 はい、どこまでが「マナー」として許される態度かはひとつの重要な争点になると思います。
 私も「起立」ぐらいはしようよって感じです。

トリル様

>長文読むのしんどいわ〜。

 スミマセン(汗 通達文の検証が長すぎたかな・・・

>嫌なら、ま、口パクでもムードは壊さない=現場へ一定の尊重は認められると思うし。
そういう合理性は発揮されず、もう何が何でも歌いたくない、いや、歌え、の応酬ですかい。ふーっ。
何ら妥協できないと言うなら法令による規制も詮無しかナー。

 うーむ、「法令による規制」ですかあ、私は反対だなあ。

>第二国歌?
威風堂々に対抗して軍艦マーチですか?
良いですね、勇ましくて。
パチンコ屋に久しぶりに逝きたくなるんじゃないでしょうか、お父さんは。

 フフフ、「軍艦マーチ」はないでしょ(苦笑

>もっとやる事があるような気もすろんですけどねー。

 ドキッ。これは当ブログにも言えてたりして(汗
 ここ一週間この議論ばっかだなあ・・・

antonian様

>「真摯な」って枕詞をいちいちつける木走さんは意地悪だ。というエントリですね。

 ぜんぜん、ちがーう、ってば(爆

>しかしまぁ、エルガーなんか軍人好みの曲だしなぁ。エルガー本人はそのイメージ嫌だったみたいだけど。戦争讃歌でよく使われる。まさにどこぞの都庁の親父好み。
血わき肉躍る曲なんぞ選んだら反戦平和な左巻きの逆鱗に触れると思われ。
まぁ、そういうの判ってて「威風堂々」なんぞを持ち出すってのは、高等なジョークなのだと思いますが。

 あ、「威風堂々」は個人的に好きです。

>曲の好みって100人いたら100人分違う意見が出ますからね。たとえば私などは、坂本九も、エルガーも「日本の国歌に選ぶ」ならダサい。正直、恥ずかしい・・・。と、考えますね。これはまぁ私がそのように思うのは価値の相違に過ぎないわけで個人の好みに過ぎず、なんらの公共性もないし、普遍ではない。

 なるほどですね。じゃ、童謡なんかどうですかね、「こがねむし」とかの古風なメロディライン、私好きなんですが。

 「こがねむしは金持ちだあ、かねくら建てた、倉たてたあ・・・」

 どうでしょう、成金ニッポンって感じが出ていませんかね。(失礼しました)

masashi様

>>木走さん
青龍さんのところのコメントが、メールアドレスが必要でちょっと書きづらかったのでこちらに書いたこと、木走さんに対して大変失礼なことかと思いますが、ご容赦いただけるとありがたいです。

 全然失礼じゃないですよ。有意義な議論する上でとても嬉しく思っていますです。

Gedol様

 ども。

>君が代のメロディの評判があまりよろしくないようですが、「君が代」って歌は日本語を良く判っていない欧米人が賛美歌風に歌うとなかなか趣のある歌なんだけどなぁ・・・。

 へええ、賛美歌風ねえ、聞いてみたいなあ。

> あと、東京都の運用に対する批判について誤解されている人がいる様ですけど、これは「国家斉唱に参加しない*生徒*の存在を理由に教師を処罰する」というモノです。つまり事実上、生徒に対する強制を教師に指示しているのだそうです。

 うん、ここ隠れた争点にはなりそうですよね。

>ホントにそんな運用をしているのかは少々疑問ですが、今年の戸山高校の卒業式のビデオに係るゴタゴタを見る限り、少なくとも学校側はそう理解している様です。

 この通達自体を学校側や教職員側が拡大解釈して運用する危険性については、たしかに憂慮されるべき議論されてしかるべき点ですね。

くろねこ様

>私も国旗掲揚や君が代斉唱はマナー的なものという意見に賛成です。
本来は自発的に国を自分のホームランドと意識する延長線上に国旗掲揚や君が代斉唱があると思うからです。

 はい。

>それに日の丸、君が代が法律的に日本の国旗・国歌となったのが平成11年である、と言うのを知って過去の政府自体もそう考えていたんじゃないだろうか、と思っていたわけでして。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1999L127.html

 おお、そうか日の丸は正式には「日章旗」っていうんでしたね。わすれてたなあ。



 みなさま、有意義なコメントありがとうございます。

kaioukaiou 2006/03/27 11:24 ちょいと加熱してきてる感がありますが、興味深い世界の国歌サイトのURLを。
http://members.at.infoseek.co.jp/inouen/anthem/word/index.html

これで見る限り、どこの国も国歌で謳っているのは戦争で勝利するという「戦争が前提」にあるんですよね。
もう少し噛み砕いていえば国民主権で謳ってるのですが、そこへいくと日本の君が代は天皇賛歌という
国民の上に更に敬うべき存在を謳ってる訳です。サヨクな人はそれ故国歌を否定したりするんですが、
個人的には天皇は憲法でも日本の象徴とされてるんだからそれでいいじゃないかとも思うんですよね。
無闇に「天皇=人間」を無意識に強調するあまり何につけても難癖つけたがるマスゴミの態度の方が
問題あると思うなぁ。

更に問題としたいのは、バブル以降か、もう少し前からか、祝日に日本国旗を飾る家が少なくなったのだけど、
裏では国旗を掲げると難癖つける人が居たとも聞くんです。確かに日の丸自体は不幸な歴史を背負っていて
ここでもやってるように議論するのは大事なんだけど、国旗を掲げるのは悪い事じゃない、世界的に見ても
ごくごく普通の行動なのに議論というプロセスを飛ばして迫害する方向へいってはいけないと思うんですよ。

でも日本は教育の場で絶対そういう議論をさせようとしません。なのに卒業式だけ議論抜きに強要するのは
いかがなものか?と思う。卒業式のセレモニーに国歌国旗は否定しないんだけど、それを認識させる為の
ディベートを何故、させようとしないのか。むしろそこを掘り下げたほうがいいんじゃなかろうか?と。

toorisugaritoorisugari 2006/03/27 11:52 ははー!いつも丁寧な説明ありがとうございます.
しかし,一つの疑問があって,「生徒の大半が起立しなかったので,教育委員会が教職員に国歌斉唱についての要項を徹底させる」というのも,やはり筋違いで,マスコミも日教組も教育委員会も,互いの本音を隠しながら罵り合っているような印象をぬぐえません.
それはさておき,国歌,国旗に対するマナーは,特に国際大会においては大切にされていて,最近も,国旗掲揚のときに帽子を脱がなかった選手が批判された事からも,国旗掲揚時のマナーくらいは教育するべきものと感じます.
まあ,日教組の言い分としては,「日の丸を国旗として,あるいは君が代を国歌として認めない」ということなのでしょうが,そんな議論は,式の最中にやるじゃなく,市役所でやってくれよ!
にしても,国歌や国旗を右翼の象徴として扱うマスコミも,そろそろ止めてもらえないかな〜.一連の事件をサヨクやら特亜各国は,「右翼」やら「軍国主義」としてしか見ないのだから.それじゃ,健全な議論ができないのじゃない?まずは,その手の先入観を作るような風潮を無くすことが必要ではないでしょうか.

dokendoken 2006/03/27 12:21 法律で国旗掲揚・国歌斉唱を定めちゃった事で余計にイデオロギストwの反発を招いてしまった気がします。
法整備で頭から押さえ込むのは、最近のナショナリズムの高揚を考えれば必要無かったし、むしろやるべきでは無かったでしょうね。
とは言え、国公立学校で国旗国歌に対して良くない印象を与えるような教育を放置して良いのかといえば疑問ですし、教師と学校の板ばさみで校長先生が自殺しちゃったりした結果に法整備したような記憶があります。(自殺したのは法整備の後でしたっけ?)全くエレガントではありませんが必要な法律だったのかなぁと思ったりもします。

マナー派の人からすればイデオロギーを持ち出さずスマートに議論できないか?と考え、イデオロギー派の人からすれば、自分の考えと正反対の事をマナーと言う名のイデオロギーで押し付けるな、と。よくここまで冷静に議論できたなと驚くばかりです。

zoffyzoffy 2006/03/27 20:39 大人がムキになる愚 国旗国歌(社説)3月18日付朝刊
起立せずで処分とは 国旗国家(社説)3月31日付朝刊
国旗・国歌――甲子園とは話が違う(社説)4月2日付朝刊
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200404090173.html

うーん……。ロジカルに流れてるように読めますが、そもそも3月15日の通達は、「君が代」を歌う時に立たない生徒が多い学校があったもんで立って歌うよう生徒に“指導することを、教職員に徹底するよう”に校長に言わば命じてるものですよね。
で、そこに“学習指導要領に基づき”と挟まれてます。
その「高等学校学習指導要領」ですが、「第4章 特別活動」の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」のところに次のように書かれてます。
----
3 入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。
----
「10.23 通達」ってので生徒に触れてないのは、すでに「学習指導要領」に記述されてるからでは?と思いましたが、どんなものでしょう?
『朝日』の「3.15 通達」批判は“拡大解釈”なのでしょうか??

zoffyzoffy 2006/03/27 20:43 すみません、アタマの四行は別のエディタにメモってたのを一緒にコピペしてしまったものでした。無視してかまいません。失礼しました。:(

mimimomimimimomi 2006/03/28 00:30 私は某国立大学(今は独立行政法人か)の出身なのですが、入学式にも卒業式にも国旗国歌が登場しなくて拍子抜け(?)した記憶があります。
どういう背景があってそうなっていたのかは知るよしもありませんが、国立の学校でさえこんな感じなのに、と思うと、都教委のあまりの必死さにイデオロギーの影が見えてしまうのです。

飯大蔵飯大蔵 2006/03/28 02:24 お邪魔します。
遅くなりました。TBを熱心に見ない管理者だそうなので、見てねと催促です。
ところで大相撲の表彰式見ましたか。モンゴル対決の末モンゴル国歌が流れると思ったら君が代でした。あれっ?

seiryu95seiryu95 2006/03/28 11:36  木走様、皆様、お返事が遅くなりまして済みません。先ほどやっと次のエントリーを書き上げたのですが、ココログがメンテナンス中なのでエントリーができない状況です。お詫びかたがた、たまには与太話を。
>鮎川様
 「サクラ大戦」のテーマですか。あれも好きなんですが、ロボットもののあつい主題歌が大好きな私としては「勇者王誕生!」(ガオガイガー)が一押しです。

> antonian様
>「真摯な」って枕詞をいちいちつける木走さんは意地悪だ。というエントリですね。

 ちょっと傷ついていじけてます(笑)。

>masashi様
 こちらのエントリーも遅れていますのでどうかお気になさらないでください。いつも貴重な御意見ありがとうございます。

kibashirikibashiri 2006/03/28 12:37 kaiou様

>ちょいと加熱してきてる感がありますが、興味深い世界の国歌サイトのURLを。
http://members.at.infoseek.co.jp/inouen/anthem/word/index.html

 貴重なサイト情報ありがとうございます。
 へええ、こんな奇特なサイトあるんですねえ。
 個人的にはロシア連邦チェチェン共和国の国歌の歌詞(特に一番)が気に入りました。
 ちょっとコピペ。

Буьйсанна борз ехкаш дуьненчу девлла тхо,
Iуьйранна лом угIуш тхан цIераш техкина.
Аьрзонийн баннашкахь наноша дакхийна,
Тархаш тIехь дой хьийзо дайша тхо Iамийна..

私たちは雌狼が子を産んだ夜に生まれた。
朝に、ライオンが遠吠えすると、私たちは私たちの名を与えられた。
鷲の巣で、私たちの母たちは私たちを育てた、
牡馬を飼いならすことを、私たちの父たちが私たちに教えた。

 うーん、雌狼とかライオンとか鷲とか牡馬とか、何やらよくわからんけど動物がいっぱいで楽しそうですよね(笑

>更に問題としたいのは、バブル以降か、もう少し前からか、祝日に日本国旗を飾る家が少なくなったのだけど、裏では国旗を掲げると難癖つける人が居たとも聞くんです。確かに日の丸自体は不幸な歴史を背負っていてここでもやってるように議論するのは大事なんだけど、国旗を掲げるのは悪い事じゃない、世界的に見てもごくごく普通の行動なのに議論というプロセスを飛ばして迫害する方向へいってはいけないと思うんですよ。

 そういえば国旗掲げる家ってほとんど見なくなりましたねえ。一昔前は祝日のこと「旗日」って言ってたんですけど。

>でも日本は教育の場で絶対そういう議論をさせようとしません。なのに卒業式だけ議論抜きに強要するのはいかがなものか?と思う。卒業式のセレモニーに国歌国旗は否定しないんだけど、それを認識させる為のディベートを何故、させようとしないのか。むしろそこを掘り下げたほうがいいんじゃなかろうか?と。

 なるほどです、たしかに議論するのは大事ですよね。

toorisugari様

>ははー!いつも丁寧な説明ありがとうございます.
しかし,一つの疑問があって,「生徒の大半が起立しなかったので,教育委員会が教職員に国歌斉唱についての要項を徹底させる」というのも,やはり筋違いで,マスコミも日教組も教育委員会も,互いの本音を隠しながら罵り合っているような印象をぬぐえません.
 「互いの本音を隠しながら罵り合っている」ですか(苦笑

>にしても,国歌や国旗を右翼の象徴として扱うマスコミも,そろそろ止めてもらえないかな〜.一連の事件をサヨクやら特亜各国は,「右翼」やら「軍国主義」としてしか見ないのだから.それじゃ,健全な議論ができないのじゃない?まずは,その手の先入観を作るような風潮を無くすことが必要ではないでしょうか.

 確かに単純なレッテル張りでは建設的な議論は望めませんよね。左右両方に言えることだとは思いますが。

doken様

>法律で国旗掲揚・国歌斉唱を定めちゃった事で余計にイデオロギストwの反発を招いてしまった気がします。
法整備で頭から押さえ込むのは、最近のナショナリズムの高揚を考えれば必要無かったし、むしろやるべきでは無かったでしょうね。

 なるほどです。

>とは言え、国公立学校で国旗国歌に対して良くない印象を与えるような教育を放置して良いのかといえば疑問ですし、教師と学校の板ばさみで校長先生が自殺しちゃったりした結果に法整備したような記憶があります。(自殺したのは法整備の後でしたっけ?)全くエレガントではありませんが必要な法律だったのかなぁと思ったりもします。

 悲劇的な事件でしたよね。

>マナー派の人からすればイデオロギーを持ち出さずスマートに議論できないか?と考え、イデオロギー派の人からすれば、自分の考えと正反対の事をマナーと言う名のイデオロギーで押し付けるな、と。よくここまで冷静に議論できたなと驚くばかりです。

 ほめてます? 呆れてます?(苦笑

zoffy様
>うーん……。ロジカルに流れてるように読めますが、そもそも3月15日の通達は、「君が代」を歌う時に立たない生徒が多い学校があったもんで立って歌うよう生徒に“指導することを、教職員に徹底するよう”に校長に言わば命じてるものですよね。
で、そこに“学習指導要領に基づき”と挟まれてます。
その「高等学校学習指導要領」ですが、「第4章 特別活動」の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」のところに次のように書かれてます。
----
3 入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。
----

 なるほど、「学習指導要領」には、「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と明記されているのですね。

>「10.23 通達」ってので生徒に触れてないのは、すでに「学習指導要領」に記述されてるからでは?と思いましたが、どんなものでしょう?
『朝日』の「3.15 通達」批判は“拡大解釈”なのでしょうか??

 なるほど、「学習指導要領」には明記されているので、あえて通達では細かくはふれていないわけですね。

 うむ、とても参考になりました。

mimimomi様

>私は某国立大学(今は独立行政法人か)の出身なのですが、入学式にも卒業式にも国旗国歌が登場しなくて拍子抜け(?)した記憶があります。
どういう背景があってそうなっていたのかは知るよしもありませんが、国立の学校でさえこんな感じなのに、と思うと、都教委のあまりの必死さにイデオロギーの影が見えてしまうのです。

 はい、国民全体の意識とは乖離しているように思えますよね。

飯大蔵様

>遅くなりました。TBを熱心に見ない管理者だそうなので、見てねと催促です。

 な、なんということを(汗
 誤解でございますよ。トラバは必ず拝読しています。ただレスとかを横着してたりしてます(汗

>ところで大相撲の表彰式見ましたか。モンゴル対決の末モンゴル国歌が流れると思ったら君が代でした。あれっ?

 そりゃ国技ですから(苦笑

seiryu95様

>木走様、皆様、お返事が遅くなりまして済みません。先ほどやっと次のエントリーを書き上げたのですが、ココログがメンテナンス中なのでエントリーができない状況です。

 おおそうですか。エントリー楽しみにしております。

>> antonian様
>>「真摯な」って枕詞をいちいちつける木走さんは意地悪だ。というエントリですね。

>ちょっと傷ついていじけてます(笑)。

 またあ、やだなああ、ボキャブラリーの貧困な私にとって「真摯な」は最高級の形容なのでありますよ。
 (少し乱用しすぎましたかねえ(苦笑))



 みなさま、貴重なご意見ありがとうございます。

seiryu95seiryu95 2006/03/29 11:29 >木走様
 続きの記事をエントリーしました。トラックバックさせていただいたのでよろしくおねがいします。

 >またあ、やだなああ、ボキャブラリーの貧困な私にとって「真摯な」は最高級の形容なのでありますよ。
 (少し乱用しすぎましたかねえ(苦笑))

 これは言葉が足りなかったみたいですね。済みません。
 木走様の過分な評価は少々こそばゆい気もしますがありがたく思ってます。
 どちらかというと、木走様の高評価が意地悪に見えるほどantonian様にとって私のエントリーが物足りないものだったのか、というあたりにいじけているわけでして。

kibashirikibashiri 2006/03/30 11:05 seiryu95様

 おおじっくり拝読させていただきました。
 で、昨日、青龍様へのレス文章(けっこう長文)をせっかく書いたのに、私のパソコンが調子悪くて(というか私のミスで)テキストファイルを消失してしまいました(ガックシ

 スミマセン、ショックで呆然としております。レスは今しばらくお待ちを・・・
 
>木走様の過分な評価は少々こそばゆい気もしますがありがたく思ってます。
 どちらかというと、木走様の高評価が意地悪に見えるほどantonian様にとって私のエントリーが物足りないものだったのか、というあたりにいじけているわけでして。

 ああ、そういう読みだったんですか(苦笑

K 2006/04/19 14:23 (前略)
『海外でひどい目にあう子供達』の実例である.

『事例1=英国の公立学校の入学試験で、日本の国旗・国歌の意味を尋ねられたが答えられずに不合格になった.

事例2=米国の小学校に入学した時の歓迎会で、『君が代』が演奏されたのに座ったままでいると厳しく注意され恥をかいた.

事例3=パプア・ニューギニアで、国旗降下の時そのまま仕事を続けていたら突然殴りつけられた.

この他にも成人のケースでは、足で蹴られた、銃を付きつけられたなどという物騒な事例もあります.国旗・国歌について学校で教えられていない為、このような事が起きています.これは教育の放棄であり、子供達の学ぶ権利の重大な侵害です』

伊藤玲子さんは、手弁当で孤軍奮闘しておられる.パンフレットには『神奈川教育正常化連絡協議会』とあり、事務局の電話番号が書いてある.多分彼女の携帯番号だと思われるのだが、特に神奈川県の方々は、迷惑にならない範囲で激励してあげて欲しいと思う.090−4818−7227
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060414

kibashirikibashiri 2006/04/19 22:09 K様

>事例1=英国の公立学校の入学試験で、日本の国旗・国歌の意味を尋ねられたが答えられずに不合格になった.

 ううむ。

>事例2=米国の小学校に入学した時の歓迎会で、『君が代』が演奏されたのに座ったままでいると厳しく注意され恥をかいた.

 ななんと。

>事例3=パプア・ニューギニアで、国旗降下の時そのまま仕事を続けていたら突然殴りつけられた.

 アイタタ。

>この他にも成人のケースでは、足で蹴られた、銃を付きつけられたなどという物騒な事例もあります.国旗・国歌について学校で教えられていない為、このような事が起きています.これは教育の放棄であり、子供達の学ぶ権利の重大な侵害です

 うむ、なるほどです。

>伊藤玲子さんは、手弁当で孤軍奮闘しておられる.パンフレットには『神奈川教育正常化連絡協議会』とあり、事務局の電話番号が書いてある.多分彼女の携帯番号だと思われるのだが、特に神奈川県の方々は、迷惑にならない範囲で激励してあげて欲しいと思う.090−4818−7227
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060414

 K様貴重な情報ありがとうございます。

 うーむ、このような実害も発生しているのか・・・

2006-03-23 日の丸・君が代論争再考

[]日の丸・君が代論争再考 22:12

 今回は当ブログで初めて、[議論]というカテゴリーを作ってみました。

 以下のエントリーの追記です。

■[メディア]「スポーツ朝鮮」記事より説得力がない「朝日新聞」社説〜国旗・国歌論争

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060317/1142563601



●真摯な青龍さんの反論

 上記エントリーに関して、青龍さんから真摯なトラックバック及び反論をいただきました。

青龍の雑文Blog

君が代 - それは「マナー」か?

http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_7f60.html

 不肖・木走は、根っからの横着者でして、トラバいただいても普通積極的にレスしたりは少ないのですが、この青龍さんの内容はとても興味深かったのです。

 そこで、ややこしい不毛な議論は本来あまり好きではないのですが、誠実な青龍さんならば、木走のオバカな議論にも嫌にならず、有意義な議論もできるかな、と期待して、今回は苦手な議論をしてみたいと思いました。

 ・・・

 まず青龍さんの反論内容を引用させていただきましょう。

 青龍さん、すみません、少々お行儀悪いかもしれませんが、どの文章も重要だと思われましたので全文引用させていただきます。(問題有れば御指摘下さい、訂正します。)

君が代 - それは「マナー」か?

 木走様は

自国の国旗・国歌に敬意を示すことは「しつけ」として当たり前と思うんですが、これからの国際社会に置いて、自国の国旗・国歌に敬意を示せない人が、はたして他国の国旗・国歌に敬意をもてるのでしょうか。

 理屈ではなくこれはマナーの問題だと思うのですが、違うのでしょうか。

と主張されています。

 しかし、私はこの主張には賛同できません。なぜなら、この主張は日の丸・君が代を巡る価値観の対立を捨象して、一見価値中立的な「マナー」を持ち出すことにより、結果として異なる価値観に基づく行為を押しつけるものだからです。

 すなわち、この主張では、卒業式で君が代を斉唱することがなぜ「マナー」なのかという点が問題とされません。突き詰めて考えれば卒業式で君が代を斉唱すべきという主張は君が代ひいては国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なものであり、それは君が代の斉唱を拒否するもう一方のイデオロギーとの関連でそれを「マナー」として認めるべきかを検討する必要があるのに、その検討の過程は省略されて君が代の斉唱が「マナー」であることがいつの間にか議論の前提とされているのです。そして、そこから導き出される「マナー」は守られるべき、というある意味同義反復的論法では、もはや思想信条の自由や信教の自由との調整は問題とされません。本来その調整の結果確定されるべきマナーの内容が既に決定されているのですから。

 この論理構造は戦前の神道非宗教論と酷似しています。神道が宗教でなく国家儀礼とされることで神道という特定の宗教に基づく行為を強制することが信教の自由の侵害ではないとされたように、特定のイデオロギー(価値観)に基づく行為を強制することがそれをマナーと言い換えることで信教の自由や思想信条の自由を侵害するものではないとされてしまっているのです。

 私は、木走様がこのマナーの是非の部分の検討を意図的に省略しているとは思いません。ただ、意図的ではないために問題はより深刻なのだというのが私の考えです。

すなわち、木走様は自らの主張が特定のイデオロギーに立脚していることに無自覚な(もしくはその認識が薄い)ため自らの主張が中立であることを議論の前提としてしまっているように思います。

 同様の傾向は自らの立ち位置をニュートラルとされる鮎川様や、君が代を歌わないことを特定の思想を表現すると評価する一方で、君が代を歌わせることの思想性・イデオロギー性には言及されないmasashi様にも見て取れます。

 私も木走様も鮎川様もmasashi様も、みなそれぞれのイデオロギーを持ちそれに基づいて議論をしている、それが議論の出発点であることは、心にとめておいた方がよいと思うのです。

 うーん、基本的にはとっても文章の理論としては、納得いきます。最後の文章の「私も木走様も鮎川様もmasashi様も、みなそれぞれのイデオロギーを持ちそれに基づいて議論をしている、それが議論の出発点であることは、心にとめておいた方がよいと思う」という御指摘もその通りであると思います。

 人はそれぞれ必ず議論するときの立ち位置、青龍さんが言うところの「それぞれのイデオロギーを持ちそれに基づいて議論をしている」わけであります。

 そしてこのエントリーで私は確かに「マナー」とか「しつけ」とか、一見中立的に聞こえる(見える)用語を用いているのですが、その「マナー」とか「しつけ」は守るべきであると主張すること自体、ある「行為を押しつける」主張と見なされてもしかたがないようです。



●真摯な青龍さんの反論に対する木走の反論

 同意ばかりしても議論になりませんのでささやかに建設的な反論を試みましょう。(苦笑)

青龍さんのご意見

 この主張は日の丸・君が代を巡る価値観の対立を捨象して、一見価値中立的な「マナー」を持ち出すことにより、結果として異なる価値観に基づく行為を押しつけるものだから

 元エントリーでもたしかに私は「イデオロギー論は抜きにして」という前提を明示した上で記述したものですが、確かに私は「日の丸・君が代を巡る価値観の対立を捨象」した議論を展開いたしました。

 その理由は、第一には、細かい過去のイデオロギー論的事象について議論する用意が私の方にまったくなく(意識としても能力としても嗜好としてもです)、イデオロギー的議論に拘泥するのを避けたかったからであります。

 しかしより本質的には、この日の丸・君が代論争そのものが持つ「過去の価値観の対立」に意味を見出すことが、というよりもそこに議論を集約させて拘泥してしまうことが、この問題を議論し解決するうえで正しい方法論なのか、個人的にはとても疑問に思っていたからです。

青龍さんのご意見の続き

 すなわち、この主張では、卒業式で君が代を斉唱することがなぜ「マナー」なのかという点が問題とされません。突き詰めて考えれば卒業式で君が代を斉唱すべきという主張は君が代ひいては国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なものであり、それは君が代の斉唱を拒否するもう一方のイデオロギーとの関連でそれを「マナー」として認めるべきかを検討する必要があるのに、その検討の過程は省略されて君が代の斉唱が「マナー」であることがいつの間にか議論の前提とされているのです。

 この部分で納得がいかないのは「突き詰めて考えれば卒業式で君が代を斉唱すべきという主張は君が代ひいては国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」という表現です。

 確かに歴史を紐解けば、事実として日の丸にも君が代にも、かつてイデオロギー的なものはあったのでしょう。

 愛国心や民族主義はくり返し戦争の原因になってきたわけですし、戦争になったとき、必ず政治家は国民に愛国心を強制する。ナショナリズムと軍国主義は深く結びついていて、それを別のものだというのは無理があるという意見もあるでしょう。

 

 国旗や国歌はナショナリズムとして悪用されることも多いわけでして、愛国心をあおることで、自分の国が最もすぐれているような錯覚を起こさせ、まわりの国を侵略したり、支配したりすることもあったでしょう。

 戦前の日本やドイツがその典型的な例だったのかも知れません。そういう歴史を持つ日本が国旗や国歌にこだわるのは、再び戦前のような過ちを犯すことになると考えることもできましょう。

 しかしです。

 いくつかの世論調査では、日の丸については国民の約90%が国旗として支持し、君が代は約70%が国歌として支持している現状は何を意味しているのでしょうか。(もちろん、この支持にはまあべつにいいんじゃないという消極的支持もふくまれるでしょうが)

 敗戦から60年が経過し、日の丸・君が代に戦争を連想する世代よりも、今回のWBCやトリノオリンピックをはじめとしたスポーツの国際大会を連想する世代が圧倒的に増加していることがこの支持率になっていることは明らかです。

 私が強く主張したいのは、「卒業式で君が代を斉唱すべきという主張は君が代ひいては国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」という認識は、今日の日本では残念ながら一般化していないだろうということです。

 「国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」そこに結びつけることには、私には(そして私が思うに多くの国民には)違和感しかないのです。

 私が元エントリーのタイトルを「「スポーツ朝鮮」記事より説得力がない「朝日新聞」社説〜国旗・国歌論争」としたのも、正にこのような現状認識からなのです。

 ・・・

青龍さんのご意見の続き

そして、そこから導き出される「マナー」は守られるべき、というある意味同義反復的論法では、もはや思想信条の自由や信教の自由との調整は問題とされません。本来その調整の結果確定されるべきマナーの内容が既に決定されているのですから。

 私が「マナー」という用語を用いたのはなにも戦前回帰のためではまったくありませんが。(苦笑)

 国旗掲揚や国歌斉唱は、「法律」でもって強制的に罰するようなことはエレガントではなくもちろんそのようなやり方は反対であり、この件は「マナー」のような、それは守るべきであると私は個人的に考えていますが、守らない他者を罰するような「掟(おきて)」にするのは決して望ましくないというニュアンスも込めてのモノです。

 このような「マナー」がやがて戦前のような「掟(おきて)」となってしまうならば、私は断固反対いたしましょう。(私はその可能性は少ないという現状認識を持っていますが)

 法律による強制には反対です。

 ですから私は法的拘束力のない「マナー」を使ったのでした。



●日の丸だけではない「旗」の閉鎖性

 少し議論を国旗に絞ってみます。

 国旗に代表される「旗(はた)」の起源はどこから来ているのでしょうか。

 私には旗の起源に関する正確な知識はありませんが、想像するにおそらく古代から洋の東西を問わず戦さのときの敵・味方の区別に使用されてきたことに由来するのではないでしょうか。

 そもそも国旗を含めて旗の役割は、ある価値観(ときに部族、ときに民族、ときに宗教、ときに国家、ときにイデオロギー)に基づく味方集団の象徴的な印・記号としての役目だったのでしょう。

 ある人間集団を特徴付け、その集団の内なるモノと外なるモノ、敵・味方を区別するための閉鎖的側面を「旗」自体が有しているのでしょう。

 作家、城山三郎氏の次の詩は、まさにそのような旗の持つ「閉鎖性」を糾弾しています。

「旗」

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため

社旗も 校旗も 国々の旗も 国策なる旗も 運動という名の旗も

ひとみなひとり ひとりには ひとつの命

走る雲 冴える月 こぼれる星 奏でる虫 みなひとり ひとつの輝き

花の白さ 杉の青さ 肚の黒さ 愛の軽さ みなひとり ひとつの光

狂い 狂え 狂わん 狂わず みなひとり ひとつの世界 さまざまに 果てなき世界

山ねぼけ 湖しらけ 森かげり 人は老いゆ

生きるには 旗要らず

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため

限りある命のために

「支店長の曲り角」城山三郎著より

http://www.bk1.co.jp/product/863099

 ここでは「国旗」も「社旗」も「運動という名の旗」もすべて否定されています。

 具体的に例えば、「日の丸」も「朝日新聞社旗」も「あか旗」もと言い換えるとまたおしかりいただいちゃうでしょうか(苦笑

 ・・・

 日の丸だけではなく、それぞれの「国旗」には負の歴史もあり、また国旗掲揚という行為には、ある種の集団を記号化した旗のもつ宿命的属性としてのその閉鎖性を指摘することは間違ってはいないでしょう。

 その面で否定するならば、日の丸だけではなくいろいろな旗が否定対象になってしかるべきでしょう。

 ・・・

 しかし、私はそのような旗の持つ負の属性も含めて、「国旗」に自国・他国の区別無く敬意を払うことは、国際的には200ヶ国以上の独立国がひしめく現在の世界を少なくとも公平に公正に振る舞うための構成員として、少なくとも必要な「マナー」であると考えるのですが、いかがでしょうか。

 ・・・

 ある集団(自分以外のです)がそこに愛着を持ち敬愛の情を抱いているならば、日本を含めどの国の国歌・国旗にも、敬意を表すべきではないでしょうか。

 私は北朝鮮という国家の現状の有様を個人的にはまったく否定しますが、もし日本人の中で、儀礼中に理不尽に北朝鮮国歌や国旗を冒涜する者がいれば、その人間を軽蔑することでしょう。

 国旗・国歌に儀礼として敬意を表することと、その国の過去・イデオロギー・有様に隷属・服従することは、まったく別次元であると考えているからです。

 ・・・

 青龍さま、読者のみなさまの、忌憚のないご意見をお待ちします。

 (異論・反論は優しくネ(爆))



(木走まさみず)

kaioukaiou 2006/03/23 23:19 国旗というのはイデオロギーよりもマナーよりもなによりも全ての国において等しく「国の器」の証として
国旗の元に国のアイデンティティーをも表示するものと思ってます。
よく中国や朝鮮から日の丸=軍国主義と揶揄(あえてこの表現)されますが、歴史的に見れば例えば中国でも
軍旗もまた軍国の証そのままであるし、紀元前から戦乱を続けてきた欧州にとっても国旗はあくまで国の証。
等しく「国」という入れ物に住まう人々の存在意義でもある訳です。

それを踏まえた上で国旗を誇るも汚すも結局はその国の人々だけが許されるのであって、他国が国旗を燃やしたり
すればそれ自体本来なら「宣戦布告」と捉えられる訳です。

つきつめて言えば国旗はそれぐらいの重みを持って扱われるべき「存在」の筈であり、その意義を
賛成なり反対なり真摯に考えてる人が現在何人いるのか?というのが自分にとっての歯がゆいところなんですわ。
確かに日本の軍国主義の時代に生まれたには違いないですが、だからといって日の丸を否定するのでなく、
軍国主義に至った経緯をこそ反省せねばならないのに、何故、いつから日の丸という存在にすりかわったのか?

自分にとって日の丸は軍国主義の象徴ではなく、あくまで日本という国を表示してるだけです。
ただし、日の丸に敬意は払ってもその下に集う日本には敬意はあまり払えないなぁと苦笑しきりw;

masashimasashi 2006/03/24 01:20 まず最初に、長文失礼します。この場をお借りすることを木走さんに深くお詫び申し上げます。

>青龍さん
青龍さんのところのエントリ見てませんでした。大変申し訳ございません。

『私も木走様も鮎川様もmasashi様も、みなそれぞれのイデオロギーを持ちそれに基づいて議論をしている、それが議論の出発点であることは、心にとめておいた方がよいと思うのです。』

仰せの通りです。私も自分の有しているイデオロギーを棚に上げた書き方をしたことを、青龍さんの文章を読んで再認識させられました。

私は、自治体を通じての大学生や多くのNPOやボランティアグループなどで市民活動をしている人(プロ市民ではないです:笑)とお話をする機会をいただきました。
特に、神戸に住んでいる私には、震災直後の被災者に対する支援などを含めて、いろいろな体験をさせていただきました。そこで私なりに(また、いろいろな学識経験者の方々などとも議論をさせていただいて)考えたこととして、「人と人のつながりにおける多様性の欠如」があります。
地域の付き合いの希薄化について、何も昔みたいな「ムラ」社会を復活させようと言うわけではなく、これからの時代に応じた多様な結びつきを壊さないようなシステム(例えば、それが放任により生じるのであればそれもよし・・実際にはありえませんが:笑)を考えるべきではないか。そして、やはり人は、社会の中で他の人とつながりを感じられる社会を必要としているのではないかと感じました。
そんな方法が簡単に見つかれば苦労しませんが、試行錯誤はあるもののこれからの時代に即した方法を手探りで現在も探している状況です。

この時に、日本人であるということから、容易に同意できる部分−−それが、慣習なのか、Common Lawなのかはわかりませんが−−重要な役割を果たすのだと強く感じました。それが、家族、地域、そして国というある集団を安定させる一つの重要な要素であると考えています。・・それがないと、人は不安を感じたりするケースが多いようです。もちろん、全ての人々が個を持っていれば別でしょうが、そんな社会は今のところ私には想像できません。

国歌・国旗にイデオロギーがないか?と問われれば、おっしゃるとおり無いわけはないと思います。そもそも、イデオロギーが絡まない物事など、探すことですら難しい。極端なことを言えば、色や数式でさえ、イデオロギーと結びつけることは可能でしょう。
ただ、私はイデオロギー論争をしたいわけではありません。社会の安定装置としての一定の共通認識は必要ではないか。そして、その認識として国歌や国旗は意味のあるものではないか、と考えている次第です。
すなわち、国歌・国旗に対して、イデオロギーを強く意識する人もいれば、ほとんどそれを感じない人もいる。というのが、実際のところでしょう。もちろん、それにイデオロギーを強く意識する人のことを考えないとは言いません。その人にも言論の自由や思想の自由は当然ありますし、有意義な議論ができることに異論はありません。ですから、今回の青龍さんとの議論も非常に意味のあるものだと思います。
ただ、繰り返しになりますが私はイデオロギー論争をしたいのではないのです。家族・地域・国における一定の共通認識を持つことが、そして教育においてそれをさせることが、イデオロギーの論争に値するものなのかを考えて、その必要までは見いだせないと思っているに過ぎません。
さらに、子供の教育として、大人に与えられるべき思想信条の自由をそのまま持ち込むことに対して違和感を感じているのです。

今回の青龍さんの疑問は、あくまで国歌国旗のイデオロギー色に対する個人的認識の差異が問題点かと考えます。私の思いこみかもしれませんが、木走さんも鮎川さんも、マナーを言われたのはそういう理由ではないかと思います。
青龍さんがおっしゃられるように、マナーであってもイデオロギーはあると言うことはそのとおりかと思います。また、思想信条に対する強制であるということも事実でしょう。
しかし、少しでもあるからと言って、社会全体の問題になるとは思いません。し、その効用を否定できるだけの論点だろうか、とも感じています。
私は、これをバランスの問題だと思っています。もちろん、私のバランスなので、偏っている可能性は非常に高いですが(笑)。社会は、数多くの人々の総体で構成されます。よって、世論なんて適当なものですが、同時に世論は重要な意味を持つとも考えます。私は、私自身のフィルターを通してですが、世論の立つ位置を感じて認識しています。それが、このような議論をさせていただいている理由であり、私の感想でもあります。

前回も、木走さんが書かれていましたが、おそらく青龍さんも木走さんも僭越ながら私も、言っていることは大して変わらないのではないかと今でも思います。ただ、認識の仕方が異なるだけじゃないかと感じる次第です。

なお蛇足ですが、「太田肇:囲い込み症候群,ちくま書房」という本には興味深い記述があります。従来の市民参加や地域というものは、既存組織の人の囲い込みに終始している部分が強く見られるからです。そこには、人と人がつながることを新しい価値の発見ではなく、義務としている点で問題があると思います。まだまだ、私自身にも何がよいのかは全くわかっていませんが(笑)。
民主主義・成熟市民社会の理想型は、どこまでも遠く果てしないものだと感じます(笑)。

読みづらい長文失礼しました。

トリルトリル 2006/03/24 01:51 私は、まぁ、マナーで良いかと思います。
例えば無神論者がそうであることを振り回して、周囲の者が畏敬する形をいたずらに汚したり喧嘩を売ったりする事は、状況と覚悟を決めてやるべきでしょう。
何時でも何処でもとなれば社会的にはキチガイでしかないと思います。
となれば、一応形は嗜みとして抑えておくべきかと思います。

飯大蔵飯大蔵 2006/03/24 02:05 お邪魔します。
国旗・国家のイデオロギーと言うのは、付加されたもののようですね。私の経験から言って、教育などによって教えられないとイデオロギーを感じないものだと思います。
 オリンピックやWBCでの国対抗は確かにナショナリズムを喚起すると思いますが、それが国の対立を生むべきでもなく、適度の刺激を与えるものだと考えるべきなのでしょう。言ってみればクラス対抗ソフトボール大会みたいなものでしょう。
そのような意味で
>私は法的拘束力のない「マナー」を使ったのでした。
はなかなか意味の深い言い方だと思います。

私の思いを言えば
 日の丸・君が代が侵略戦争時に使われていたことは事実であり、我々は村山談話と同様重く受け止めるべきだと思います。しかしそれを捨て去ることが本当にいい事なのでしょうか。
 私は日の丸・君が代とは、過去の戦争を頭に描きながら向き合うことにしています。ナチスのせいにして現在の国民は関係ないという態度より誠実だと思います。日の丸・君が代は日本が軍国主義になる前に作られたものです。この素晴らしいものを軍国主義が使ったから止めるのは、軍国主義に取られたような気がするのです。私はこれを我々の手に戻すこと、平和と友好のシンボルに変えていくことが我々の責務ではないかと思います。
私のエントリーhttp://iitaizou.at.webry.info/200601/article_24.htmlも見ていただきたいと思います。

seiryu95seiryu95 2006/03/24 03:33 >木走様
 私の拙いエントリーを取り上げていただきありがとうございます。
 全文引用は何も問題ありません。閑散としている私のブログよりもこちらで取り上げていただいた方が多くの方の目にとまるのでむしろありがたいぐらいです(笑)。
 木走様のエントリーに対するお返事は後ほど私のブログの方で書こうと思います(昨日徹夜して記事を書いていたのが祟って今現在かなり眠たいです)が、その前に気になった点を一点だけ補足しておこうかと思います。
 「君が代ひいては国家や歴史に対する特定の価値観」とは戦前の軍国主義的価値観やナショナリズムも含みますがそれに限定されるものではなく、卒業式のような儀式の場で国歌を斉唱することによって何らかの目的(国家への帰属意識を高める、子供の人格形成に役立つ等)を達成しようとする価値観を広く包含します。逆に、卒業式で君が代を歌うことに個人の好き嫌いを超えた何らかの意義を感じていない人であれば、自らが歌うとしても他の者が歌わないことに対し強制までしようとは考えないのではないかと思うのです(ただ、特に日本では皆がやっているからやるべきだという同調圧力が強いことも検討すべきかもしれません)。WBCで日の丸を振って応援していた人も、日の丸を振らずに応援していた人を非難することはないように思います。
 他方、君が代を歌わない理由も人によって違ってくるでしょう。戦前の軍国主義を彷彿とさせるからという人もいれば、私のように君が代ひいては天皇制が平等という理念と矛盾するがゆえに歌わないという者もいます。また、宗教的な理由から歌わない人も存在するでしょうし、単に面倒くさいから歌わないという人も当然いると思います。
 このように、君が代の斉唱をさせたい人も歌いたくない人もその理由は様々であり、その動機の強弱も様々です。私がイデオロギーと表現したため仰々しいものに限定して理解されたのかもしれませんが、それは誰でも持っているものだというのが私の考えです。
 書いている間に本格的に眠くなってきたので今日はこれだけにしておきます。遅筆なため、議論への応答が遅れるかもしれませんがどうかご容赦ください。

biaslookbiaslook 2006/03/24 03:59 >seiryu95さん
校歌はどうなのでしょうか。
在学中の嫌な思い出を思い出させるという人もいれば、校歌が「学校」という枠を押し付けるゆえに歌いたくないという人もいるかもしれなせん。また、単に面倒くさいから歌わないという人も当然いると思います。
 このように、校歌の斉唱をさせたい人も歌いたくない人もその理由は様々であり、その動機の強弱も様々です。つまり、ある共同体において1つの決まった歌を歌わせることを権力の押し付けと見ることができ、歌いたくない動機は誰でも持っているものだという考えもできます。

 生徒が校歌も君が代も自分で歌いたくない、というのなら別に構いません。しかし、教師が生徒に対して歌わないように指導したり、公務員が歌わないことが問題なのです。

biaslookbiaslook 2006/03/24 04:13 >seiryu95さん(追記)
校歌と君が代は違う。君が代は純粋にイデオロギーの問題だと言われるかもしれません。
しかし、それは、私とseiryu95さんの価値観の基準の違いです。その基準によって、木走さんはマナーと言っており、seiryu95さんはイデオロギーと言っているだけです。よって、たとえ校歌を歌わないことがその教師の価値観であっても、それを生徒に指導するのは間違っているし、公務員が校歌を歌わないことを拒否するのは間違っていると思います。

nebuonebuo 2006/03/24 06:37 この問題は前から興味をもって読んでいるのでひとつだけ気がついたことを書かせていただきます。この問題、賛成派の人は国歌、国旗論争といい、反対派の人は君が代、日の丸論争といっていることが多いように感じています。反対派の人は正面から国歌、国旗に敬意をはらうことを指導することに反対するのは気後れするのか賛同を得られないと思っているせいなのか、話を戦前のことにすりかえているような気がします。その結果、不毛な議論になってしまっています。反対派の方は、全ての国旗国歌というものに敬意をはらう必要がないのか、それとも君が代、日の丸が気に入らないのかについての立場をはっきりさせていただいた上で議論を進めるべきではないでしょうか。私は国歌、国旗に敬意をはらうのは一部の国を除いて世界中の常識だから、それを教えることは当然と考えていますし、強制すべきことと思っています。日の丸、君が代についても今のままで問題ないと思います。日の丸君が代を国歌国旗にすると、どうして軍国主義を肯定することになるのか今ひとつ理解できないのですがそれについては議論の余地はあると考えています。

ふにふにふにふに 2006/03/24 11:02  なぜか問題になるのって公立の学校なんですよね。
公立の学校は、当然国のお金で運営されており、教師は国に給料もらって働いてるんですよね(正確には特別地方公務員だっけか?)。
んで、その学校の公式行事で国歌を歌って国旗掲揚してもめるのがそもそも理解できないんですよねぇ〜
私学なら、学校の方針としてってので判るんですけどね。

もう、納得できない先生たち・保護者たちが集まって、自分たちで学校作っちゃえば良いんじゃないですかね?
指導要録さえ守ってれば補助も出るんだし(朝鮮高級学校みたいなのは駄目だけどww)、まあ公立よりは高くなるけど、それで思想信条の自由が思う存分買えるんだから良いんじゃないですかねぇ〜
たぶん誰も止めないよ。
まあ、こういうと、お金が無くて公立にしか行けない子供が・・・
とかいう人がいると思うけど、子供が歌わなくても起立しなくてもそれはまた別の問題なわけで、まあ場の空気を読んで欠席すると言う選択もあるわけで、そのことで私の思想心情が侵害されたってのは、他の大多数の生徒の権利をその子が一方的に侵害することでもあるのだから通らないでしょうしね。
 職業選択の自由がある大の大人が、わざわざ公務員を選択しておいて、その雇い主である国に対しておおっぴらに反対運動を行うってのがわかんないんですよ。
いつも思うんですが、公立学校の先生って教師として採用される時に、公務員としての職務規定をまもりますという宣誓とか無いんですかね?

 まあ、現体制を革命で打破したい存在にとっては、日の丸や君が代はまさに現体制の象徴ですから、日の丸君が代反対運動ってのは、体制転覆のための革命活動なんですよね〜
で、直接そう言っちゃうとみんなそっぽを向いちゃうから、もっともらしい理由を後付でつけたのが、今の反対運動なんですよねぇ。
そういう意味では、純粋に信じて運動している人たちは、ある意味被害者といえるかも知れませんねぇ〜
ま、同情はしませんがww

ふにふにふにふに 2006/03/24 11:17 mumurブルログ(一部でヘイトサイトとして有名なw)でこんなの拾いました

>東京都日野市立小学校・ピアノ伴奏拒否事件
>東京地裁2003年12月3日判決
>平成14年(行ウ)第51号 懲戒処分取消請求事件 棄却

>「全体の奉仕者である地方公務員は、思想・良心の自由についても公共の福祉の見地から、職務の公共性において制約を受ける」
>「学校教育法などで、入学式において国歌の斉唱が求められていることなどから、職務命令は合理的範囲内」
>「目的や手段に著しい不合理性がない以上、職務命令の違法性は問えない」
>「職務命令は正当で、思想・良心の自由を制約するものであっても、教諭は受忍すべきものだ」

これが現在の司法での考え方ということです。
まあ、弁護士会は正反対でしょうがねww

zoffyzoffy 2006/03/24 11:50 はじめまして、こんにちは。

木走さん:法律による強制には反対です。

元ネタの「朝日」の記事は東京都教育委員会からの通達による強制を批判するものだったと思いますが、そこのところはどうなんでしょうね。
自分も国立競技場でもどこでも国歌流れたら帽子脱いで立ちますけどね。よその国のならなおさら。
でも、都教委みたいなやり方されたら反発しそうです。

GedolGedol 2006/03/24 11:55 ども。コメントの削除・再記入を繰り返す愚を行っているろくでもない人材代表でございますw

 さて、まず「国旗国歌は国を規定するもので国が指定している」論。
 そりゃそうなんでございます。以前、真っ赤な友人が「俺は君が代が嫌いなのにワールドカップで流れると何故か感動してしまう」と言っておりました。それは当たり前なのです。なぜなら国歌は個人的な好き嫌いやイデオロギーに拘り無く「その国そのものを示すポインタ」の機能をもっていますので、そのポインタを参照して彼の頭の中には「わが国」という実体が想起されているわけです。日の丸にしたって同じ事でございます。
 ですから国旗国歌を制定するのは別に悪い事じゃないし、学校で「そのように指定されている」旨教えるのはプチサヨ的に考えても何も問題ないのでございます。

 次に「国旗掲揚国歌斉唱はマナー」論なのですが、これは「そもそもマナーとは何か」とか「学校行事での国歌斉唱がマナーとなった理由は」とかの点から考えてゆくと少なくとも現在の日本では必要無いなぁ・・・と思うのでございます。
 例えば徴兵制を布く国の様な場合は国旗国歌を事ある毎に意識させるのは国にとっても当人にとっても大事なことです。何せ自分の意思とは無関係に「国のために」死地に赴かされる可能性が多分にあるワケで、そのような場合は多少なりとも国家主義的思想をもっていないと辛いだろうなぁ、と思うわけです。
 あるいは前回のコメントで申し上げた様に、人工的に統合した国家では何か「要」になるオブジェクトが必要で、それが個々の国情によって国旗国歌だったり宗教団体であったり独裁者であったりするわけでございます。
 ところがわが国を顧みますに、この国は「単一民族」であると誤解されるくらい近隣と比して十分ユニークな国でありまして、そのうえ制度上「金稼いで税金を納める」以上の奉仕を国家に対して求められていないコトになっておりますので、少なくとも国内的には国旗国歌の役処が無いのでございます。実際問題、社会人になってしまうと国旗に触れる機会など極端に減ってしまうのが実情ではないでしょうか。よく感じるのですが、そもそも国旗の正しい掲揚の仕方とか皆さん御存知なんでしょうか。祭日など夜中に国旗を出しっぱなしにしていませんか?結構見かける光景でございますよ。
 ま、とにかくそんなワケで私は「学校行事における国旗掲揚国家斉唱」は戦前の教育現場における「規則」が形骸化して「マナー」として残っているに過ぎないと考えるのです。そして、そもそも他人を不快にするマナーって何だ?という問題が残るのでございます。

 因みにわが母校でも行事の時に校旗掲揚校歌斉唱は別に異論無く行われていました。当たり前です。それは「これから行動する行為主体を示すポインタ」なのでございますから。


・・・この文体は疲れます。よくできるなぁ、木走さん。

追加。
>「目的や手段に著しい不合理性がない以上、職務命令の違法性は問えない」
私ならここを衝きますね。

antonianantonian 2006/03/24 12:17 そういえば、私は琉球圏の島在住ですが、この島のお正月の光景は今も「日の丸を門に出す」あの懐かしい光景があります。島の人々は右翼的な方のいうような「単一民族」ではありません。中国の慣習などの影響も強く、島言葉も日本語と言語もかなり違う。そして戦前には本土における差別なども体験しています。そしてこの島は、戦後、アメリカ占領を体験していて、その時にアメリカから奄美琉球群島で自治国家を設立するという案が出されたにも関わらず、住人のほとんどが日本への帰属を求めました。
普段は「島だけが宇宙」という価値しかないのですが、しかし日本という国に帰属するというのは島の人にとって大切なことのようでもあります。周辺の民として大きな国々の間でいいようにされて来た歴史の中で、島の人にとって「自らが帰属することを選ぶ国」とは日本以外にはなく、自分の島をとても大切に思うと同様、日本の一員であることも大切に思っているように思えます、その思いが旗を掲げることで無言のうちに主張されているのだと思います。
それはいつ何時占領されてもおかしくない最前線の土地に住むから、より切実に感じられるのかもしれません。

tyujhgtyujhg 2006/03/24 14:14 極論を言えば、日本の教育現場で「日の丸」や「君が代」に反対が起こる構図は、中国共産党政府が外交カードとして靖国参拝問題に難癖を付けるのに似た構図のように思えます。
日本政府に反対する、反権力、反体制的な思想を持つ個人や集団が、「日の丸」や「君が代」が持つ歴史と伝統の影の部分を持ち出したり、愛国心があたかも「悪」であるかのように喧伝して、式典の儀礼的行為である国旗掲揚や国歌斉唱に、難癖を付けているように思います。(他の反対の理由で反対している人もいるでしょうが)

私たちは日本の国民であり、日本政府は私たちの代表です。
そして、「日の丸」と「君が代」は、私たちの祖国を象徴する旗であり歌です。
私たちが日本人であるという認識が薄れ、同じ国家に属し同じ国土に住みながら、同胞としての連帯感を喪失して行くことは、国家としての競争力を無くすだけではなく、集団への帰属意識が希薄になることによって、社会生活の色々な場面で支障を来たすことになるのではないでしょうか。
もちろん、国歌や国旗については、一義的には強制や強要をされるべきものではないでしょう。
しかしながら、国家という集団に属しながら、教育現場でその自らの帰属を再確認する行為に対して、異を唱えることは、自らの帰属意識が薄弱なだけでなく、その教育的意味をも台無しにすることではないでしょうか。

toorisugaritoorisugari 2006/03/24 16:26 かなり熱い議論になっているようですが,敢えて読まずにレスします.
まず,自分の疑問は,「校歌」はいいのに「国歌」はだめなの?という点です.校旗,校歌が自分の学校という集団のアイデンティティを象徴している以上,それを容認するなら,国旗,国歌も自分が属する国を象徴しているのだから,それを敬うことを容認する必要があります.
問題は,その敬うという行為を,強制,あるいは反強制(つまり”敬わないように”強制)することです.特に教育現場においての反強制というのは問題があると考えています.自分の体験では,反強制をされたわけではありませんが,国歌斉唱について,そんな雰囲気に近いものは感じたことはあります.先生がイデオロギーを子供に話すのは構わないと思いますが,それだけを話すのは立派な洗脳です.そして,生徒に国歌,国旗を敬う自由を”容認していない”ことになります.
まあ,教育委員会と教員組合の対立などどうでもいいのですが,”教員たるもの,生徒を巻き込むな”というのが本音です.思想対立は大いに結構.でも,そんなのは市役所でやってくれ.式っていう格式ばったところで,学級崩壊をおこしてんじゃねー!格式を重んじないなら,そんな式は初めからするな!そんなに個人の自由が重要なら,学級崩壊を問題視する必要はないのではないでしょうか.
ここまで来ると,日教組もマスコミも論点がずれているようにしか思えないのですが.
自分は,愛国心を強制も反強制もされたくありません.ただ,自分がほんのささやかながらも幸せに生活しているこの国が好きであり,それを象徴する日の丸,君が代に違和感は感じません.そして,ことさら”愛国心”を目の敵にするサヨクの人々の意見には違和感を感じます.

きくいちきくいち 2006/03/24 19:52 初めまして。少し思ったことを書かせてください。
国旗国歌以前に、「卒業式への参加」がそもそも思想の押し付けだ、という意見は出ないのでしょうか。卒業式に限らず「式」と名のつくもの(=儀式)で、イデオロギー的なものを含まないものはほとんど存在しないと思うのですが…
上でふにふに様も同じようなことを書かれていますけど、「式というのはそういうものなのだから、それがいやなら参加をやめなさい、参加するならきちんと決められた手順をこなしなさい」というのがバランスが取れていると思うのですけど。これで困る人っているんでしょうか。

dokendoken 2006/03/24 19:59 ここの議論では君が代斉唱賛成派が圧倒的に多いですが、これが社会の分布と同じなのでしょうか?同じであると自分は感じていますが、そうなのであれば思想的少数派が学校教育を牛耳って居るという事でありますな。血の気の盛んな若いうちから愛国教育して過激な人を増やすよりは、少しくらい左に寄ってても良いかなとは思いますけど、卒業式で歌わないどころか起立もしないなんて、洗脳ですよ。
日教組解体すべし。

反対派の人、君が代を歌わない事で何が得られるのだろうか・・・
そんなゴタゴタを起こすより、歌いたく無いなら立ってクチパクしていれば宜しい。卒業生の為にはスマートに議事進行した方が良いに決まってます。法律で決めたにも関わらずそうできないとは、すごく強い意思、そしてイデオロギーの発露でありますね。前のエントリーにも書きましたが、晴舞台である卒業式の進行をギクシャクさせてまで自分のイデオロギー主張をする、そんな教育は最低です。多少窮屈に感じることでも決められた事は守れるように成らないと。それも大事な教育でしょう。

masashimasashi 2006/03/24 21:09 なんとなく気になったので一言だけ。
私は学生が卒業式で君が代を歌わなくても、実はどうでもいいです。しかし、歌わないことをイデオロギーの発現として教え込む教師がおかしいと感じているのみです。そういう人たちがいるから、教育委員会も無理強いせざるを得ない状態に至っているのではないかと考えます。
強制的に歌わせること(程度によりますが)には反対です。自由意志で誇りを持って歌えるようになればいいですね。

kawakawa 2006/03/25 00:17 うーん、日の丸・君が代を批判する側に「反戦・軍国主義の否定=日の丸・君が代の否定」という等式が出来てしまった時点で戦略的な失敗だったと思いますよ。

本来、重要度は「反戦・軍国主義の否定 >>>> 日の丸・君が代の否定」のはずですから、反戦・軍国主義の否定をしっかりと伝えられているのなら、日の丸・君が代の是非は瑣末な事のはずなんです。
どうも、こう、目的と手段が逆転してるような気がしてなりません。

ただ、マナーというのもどうなんでしょう?
法で規定する事(堅苦しい事・国権の介入)を避けたいという気持ちはわかるんですが、日の丸・君が代に敬意は払わなくとも他国の国旗・国歌にはちゃんと敬意を払うように教育しちゃえますからね

個人的な経験では日の丸を否定されたことはなかったですね。
中学校卒業の時は、君が代歌えと言われましたが歌わなかったですね。(単に人前で歌と歌うという事が恥ずかしかった)
高校卒業の時は、歌ってもいいし歌わなくてもいいと言われました。
全くソリの合わなかった担任が歌わないで欲しそうだったので歌いましたが(笑)

nobu3382nobu3382 2006/03/25 01:29 nebuoさんが
>公立学校の先生って教師として採用される時に、公務員としての
>職務規定をまもりますという宣誓とか無いんですかね?
とかかれてますが、公務員は日本国憲法・法律を守るという誓約書を提出するはずですよ。
わたしもかって提出したことがあります。
#いまは公務員じゃありません。

国旗・国家について活動家の方々が取り上げるのは良いとは思います。
ですが、子供を巻き込んで教員、とくに管理職批判をさせる時点で、おまいらに対して同情的な人の数は減っていることを覚悟しておきな、と言いたい。

しかし、法律を守れない公務員を許すような活動家って、なんとおこちゃまじみた存在なのでしょう。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/03/25 16:30 イデオロギーの問題と捉えられると困ります。
私は国際常識を子供に教えるか否か?と捉えていますので。
ちなみに、自分をニュートラルと思ったこともありませんし。
実際、かなり偏屈です。
でも自分の国の国旗や国歌を尊重しないで、他国のものを尊重できるとは思えないのです。
それに非常識な日本人が増えると他国で生活する時に、いらぬ神経を使うことになるのが困るのです。
やはりイデオロギーに関わる活動は、プライベートな時間に行なうのが社会人として当たり前では?

tntn 2006/03/25 20:08 つうか、要するにこれって、

右翼有権者層への選挙目当てのアピール

でしょ。政治家の靖国参拝もそうだけど、結局選挙目当て。
動機が不純。

kawakawa 2006/03/25 20:10 イデオロギーの問題かどうかは脇に置きますが(私自身はイデオロギーの問題としてしか捉えられないので)、外国に行って恥を書くかも知れないという心配(知識の欠如に対する心配)があるなら、脱帽等の具体的な敬意の払い方と共に、単純に日本以外の国旗・国歌には敬意を払いなさいと教えればよいだけだと思います。

理由・来歴を知らずに世間にあわせているマナー・習慣などは山ほどあるんですから、国旗・国歌に対してもそうして悪い理由は無いと思いますよ。

tntn 2006/03/25 20:12 そう言えば昨日の3K抄に、

>連合国軍総司令部(GHQ)が製造元の憲法護持を叫ぶ社民党の辞書には「愛国心」という言葉はないかのようだ。

ってあって(この論理も強烈なんだけど)、でももし憲法が「GHQ製造元」っていうのなら、君が代だって製造元は英国人(しかも編曲にはドイツ人も関与)だろって言われても文句言えないよねw

seiryu95seiryu95 2006/03/26 00:39  木走様、masashi様、biaslook様の発言にお答えする形でまた記事をエントリーしました。よろしければまた閲覧の上御意見をお聞かせください。

biaslookbiaslook 2006/03/26 07:41 >seiryu95さん、新エントリー拝見しました。コメントをどちらに書くか迷いましたが、コメント欄をすぐ読める、こっちに書きます。

>国家への帰属意識が高まったり、人格形成に役立つ効果を持つとは考えていません。
 国歌を歌うことは、無意識のうちに国歌への帰属意識を高めるものです。それは、近代国民国家の成立に必要です。しかし、人格形成に役に立つ、と考えているのは一部の右層で少数派でしょう。
木走さんの「マナー」という言い方がややこしくなったけど、「マナー」の強制は権力です。しかし、権力が国家の維持には必要です。ちなみに教師が、無知の生徒に国歌を歌わせないことも権力です。

>木走様が法律による強制に反対という文脈で「マナー」という言葉を使われるのであれば、これまでの東京都教育委員会の措置についてはどの様に考えられるのでしょうか、
 生徒が自主的に歌わないのではなく、公務員教師が国歌を歌わなかったり、生徒に歌わないことだけを教えるというのは、「わざわざ法律に書く必要がない国民国家の規律」に違反します。masashiさん発言「それが、慣習なのか、Common Lawなのかはわかりませんが」は参考になります。よって、わざわざ法律を作らなければならなくなったのでしょう。公務員が歌わない原因があって、法律で強制するという結果があります。

>ならば、その点について価値観が違う者との対話の際にそれを問題にしないで議論をすることは不可能ではないでしょうか。
 国民国家に反対する者との対話という意見になりますが、国民国家は当分は必要でしょう。

>偏った教育が行われたから生徒に無理強いしてもよいというのは論理的につながっていないようにおもうのです。
 注目点が違うと思います。国歌を歌わせないこと生徒に強制する公務員教師の排除が目的だと私は思います。

seiryu95さんと私の違いは、公務員教師の振る舞いに対して、どのように対処するかという点でしょう。私は、民主主義国家において、大多数の国民の意見と異なり、それを未成年に強制する(これは権力です)公務員は法律でもって排除すべし、という意見です。

seiryu95さん、未成年に対して権力を振るう公務員への対処法を教えてください。

kibashirikibashiri 2006/03/26 10:16  みなさま真摯な有意義なご意見の数々ありがとうございます。私の意見としては再度新しいエントリーをしましたので、そちらをご覧下さいませ。
 ご意見に対するレスは、必要に応じて新しいエントリーのコメント欄の方でさせていただきます。
 (ちょっと個別にレスするには量が多くてしんどそうなので(汗)スミマセン)

 引き続き忌憚のないご意見をお待ちしております。