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2009-08-15 終戦記念日の産経の少しノスタルジックでメランコリックな記事

[]「日本は無条件降伏していない」〜終戦記念日の産経の少しノスタルジックでメランコリックな記事 20:10



 64回目の終戦記念日を迎えたわけですが、終戦記念日に産経紙面に掲載された記事がとても懐かしかったのでご紹介。

【昭和正論座】東工大教授・江藤淳 昭和53年8月10日掲載 (1/4ページ)

2009.8.15 07:37

 ■日本は無条件降伏していない

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090815/plc0908150738003-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090815/plc0908150738003-n2.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090815/plc0908150738003-n3.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090815/plc0908150738003-n4.htm

 昭和53年8月10日掲載とありますので31年前の懐かしい記事なのでありますが、このへんの保守産経のこだわりというか意固地さは、不肖・木走は嫌いではありません、むしろ大好きだったりします。

 31年前、江藤氏と本多氏との間のいわゆる「無条件降伏論争」が起きたわけですが、若い読者の方の中には論争の経緯も含めて知らない人も多いでしょうから、終戦記念日でもありますので、今日はこの話題を取り上げたいと思います。

 最近の教科書ではどう書かれているのか情報をおさえていないのでわかりませんが、40代親父である不肖・木走が中学・高校の時には当たり前のごとくほぼすべての教科書には「日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した」と記述されていたと記憶しています。

 で、まず江藤淳氏に代表される『日本は無条件降伏していない』説のその主張をこの記事を引用する形でご説明しましょう。

 主張の核心(コア)部分はここ。

 (前略) 

 なぜなら、ポツダム宣言第五項は、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ(Following are our terms.)」として、第六項以下の条項に降伏条件を明示し、「無条件降伏(unconditional surrender)」なる語が用いられているのは第十三項においてだけで、それもただ一ケ所「全日本国軍隊ノ無条件降伏(the unconditional surrender of all Japanese armed forces)」という文言において用いられているだけだからである。

 つまり、ポツダム宣言を受諾した結果「無条件降伏」したのは「全日本国軍隊」であって日本国ではなかったのである。これは決して無意味な言葉の遊戯でもなければ、私の詭弁(きべん)でもない。この事実の上には今日の日本の存立がかかり、殊に対ソ関係においては、わが北方領土返還要求の合法性がかかっている。

 (後略)

 ポツダム宣言で「無条件降伏」なる語が用いられているのは第十三項においてだけで、それもただ一ケ所「全日本国軍隊ノ無条件降伏」という文言において用いられているだけであり、「つまり、ポツダム宣言を受諾した結果「無条件降伏」したのは「全日本国軍隊」であって日本国ではなかった」、日本国としては有条件の降伏だったのだとする主張であります。

 さらにポツダム宣言が無条件降伏文書ではないことは、実はアメリカ側も認識していたと主張します。

 ≪降伏条件実行求める権利≫  

 ところで、『アメリカ合衆国外交関係文書」所収第一二五四文書「国務省覚書」(一九四五年七月二十六日の宣言と国務省の政策との比較検討)を一見すると、ポツダム宣言発出当時から米国務省がこの宣言の性格を正確に把握し、それが従来の国務省の政策の抜本的な変更を意味することを認識していたことが明らかである。

 もともと「無条件降伏」の構想は、米大統領フランクリン・ローズヴエルトが南北戦争の戦後処理にヒントを得て、着想したものだといわれている。それはまず一九四三年一月二十六日、カサブランカ会談終了時の記者会見において、対枢軸国方針として声明され、同年十一月二十七日のカイロ宣言において、「日本国の無条件降伏」という文言に特定された。

 この基本方針が、ポツダム宣言における「全日本国軍隊の無条件降伏」に後退を余儀なくされたのは、(1)ローズヴエルトの病死、(2)日本軍の予想外な頑強な抵抗、(3)連合国間の思惑の変化等々の理由によるものと考えられる。これについて米国務省は、前記「覚書」において、戦勝国の意志を一方的に敗戦国に押しつけようとする従来の「無条件降伏」方式が、ポツダム宣言の結果重大な修正を加えられたことを認め、次のような見解を下している。

 ≪ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規定によって解釈される国際協定をなすものとなる≫つまり、ポツダム宣言は、日本のみならず連合国をも拘束する双務的な協定であり、したがって日本は、占領中といえどもこの協定の相手方に対して、降伏条件の実行を求める権利を留保し得ていたのである。

 ポツダム宣言をさかのぼる2年前のカイロ宣言においては確かに「日本国の無条件降伏」という文言に特定されていますが、この基本方針が、ポツダム宣言における「全日本国軍隊の無条件降伏」に後退を余儀なくされたのは、いくつかの理由があり、その結果 ≪ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規定によって解釈される国際協定をなすものとなる≫つまり国際条約の体裁を有した有条件降伏文書であったと「国務省覚書」に記されているとします。

 つまるところ、日本国のポツダム宣言受諾は無条件降伏ではなく、「全日本国軍隊の無条件降伏」という条件を含む有条件降伏だったとの主張なのであります。

 ・・・

 一方本多氏に代表される『日本は無条件降伏したのだ』説ですが、以下のサイトがよくまとまっているようですのでご紹介。

日本国は無条件降伏をしたか?

http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/ADD/Mujoukenkoufuku.htm

 まず日本が無条件降伏したという認識は「戦後まもなくから、普通に言われていること」であるとし、政府の国会答弁を2つ掲載しています。

昭和24年11月26日 衆議院予算委員会(注)

○吉田国務大臣(内閣総理大臣 吉田茂君) 

・・・またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。繰返して申しますが、日本としては権利として主張することはできないと思います。しかしながら日本国国民の希望に反した条約、協定は結局行われないことになりますから、好意を持つておる連合国としては、日本国民の希望は十分取入れたものを条約の内容としてつくるだろう、こう思うのであります。

昭和26年10月24日 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会

○西村政府委員(外務事務官 條約局長 西村熊雄君)

 日本は連合国がポツダム宣言という形で提示いたしました戦争終結の條件を無條件で受けて終戦いたしたのであります。無條件降伏というのは、戰勝国が提示した條件に何ら條件をつけずして降伏したという意味であります。その当時、政府、大本営連合会議においてポツダム宣言に対して種々の條件を付してこれを受諾したいという議があつたことは、佐竹委員よく御存じのことだと思います。ただ連合国が戦争指導方針として、無條件降伏というものを強く主張しておりました情勢から考えまして、日本全体といたしましては、何ら條件を付さないで、先方の提示した條件を受けたのであります。それが無條件降伏をしたという意味でございます。むろん先方が提示したポツダム宣言の中には條件がございます。その條件の一として、日本の領土の範囲は連合国できめるという一項がございます。その條項に従つて、連合国が日本の領土について最終的な決定を与えるまで、日本といたしましては、あらゆる角度から日本の要請、国民感情その他が連合国によつて考慮に入れられるよう努力いたすことは当然でございますし、また政府といたしましては、十分その責務を盡したと存じております。しかしその結果、平和條約におきまして、連合国が最終的決定をいたしました以上は、條件をつけないでポツダム宣言を受諾した以上、日本としては男らしくこれを受けるものであるというのが、総理の考え方だと存じます。

 またアメリカ側も実質的には日本の無条件降伏であると認識しているとしています。

 実際はどうだったのでしょう。日本が降伏した直後の、1945年9月6日付け、米国からマッカーサーへの通達には、次のように書かれています。

1945年9月6日付け、マッカーサー宛て通達

1 天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。

 このように、米国は、日本の降伏は、日本国の無条件降伏であると、マッカーサーに指示し、マッカーサーは、無条件降伏であるとの認識で。占領政策を実施しています。

 日本国も同様で、たとえば、昭和25年02月06日、衆議員予算委員会で、吉田総理大臣は次のように、連合国にポツダム宣言違反があっても、権利として交渉できないと答弁しています。

昭和25年02月06日、衆議員予算委員会 吉田総理大臣答弁(注)

お答えいたしますが、先ほども申した通り、今日日本としてはまだ独立を回復せず、かたがた独立して外交交渉に当る地位におりませんから、従つて、今お話のようなポツダム宣言に違反した事項があるその場合に、政府としては権利として交渉することはできません。

 このように、日米双方共に、ポツダム宣言の条項は、法律用語で言うところの『条件』であるとは、認識していません。(もし、条件であるならば、条件が満たされない場合は、降伏自体が無効になりかねないのに、日米共に、そのような認識を持っていません。)

 たとえ、形式的に降伏条件とも読める条項が条文にあったとしても、実際に条件と認識せずに、実際に実施の権利がないならば、実質的には、無条件降伏です。 (実際に実施の実行力があるかどうかは、無条件か有条件かとは関係ないとしても、実際に実施の権利がないならば、実質的には、無条件降伏です。)

 「たとえ、形式的に降伏条件とも読める条項が条文にあったとしても、実際に条件と認識せずに、実際に実施の権利がないならば、実質的には、無条件降伏」なのだとの主張です。

 ・・・

 この議論、決着はどうなったのかは例によってフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用しましょう。

無条件降伏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(前略)

無条件降伏論争

1978年、文芸評論家の江藤淳と本多秋五の間で「無条件降伏論争」が行なわれた(江藤『全文芸時評』『もう一つの戦後史』、『本多秋五全集』第13巻)。その際、東大教授で国際法の権威である高野雄一は、江藤が正しいとした。その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である[6]。この際本多は、ドイツの降伏が無条件降伏であったのに対し、日本のそれは条件つき降伏だったと認めつつ、カイロ宣言の精神がポツダム宣言の底流に流れているとしている。

(後略)

http://ja.wikipedia.org/wiki/無条件降伏

 「東大教授で国際法の権威である高野雄一は、江藤が正しいとした。その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である」と記されています。

 高野氏はポツダム宣言は「事前に条件を提示した和平勧告降伏要求」であると解釈しています。

 ・・・

 ・・・

 この31年前の『日本は無条件降伏していない』論争は、一時とても熱き論争となりましたが、一部のコアな学者や評論家を除いてはその後下火になり、一般国民の間では最近までほとんど議論されずに忘れ去られた過去の議論となっていました。

 私の私見ですが、ポツダム宣言受諾の意味するところが、日本が無条件降伏を受諾したのではなく、「全日本国軍隊の無条件降伏」という条件を含む有条件降伏を受諾したというのが、国際法的解釈として正当であったとして、私を含む多くの国民にとってその法的解釈論争の意味はあまり見いだせなかったのではないでしょうか。

 完敗は完敗だったわけだし、焼け野原にマッカーサーが偉そうにパイプくわえてやってきたし。

 現実には「無条件降伏」でなかろうとあろうと、日本はアメリカに一方的に占領され国家としての独立権を一時取り上げられたし、占領軍・GHQは司法・行政・立法の3権に大きく干渉して、遣りたい放題日本の制度を根本から改革したわけです、憲法も含めて。

 ・・・

 ・・・

 産経が終戦記念日に31年前の「日本は無条件降伏していない」記事を掲載したことは、私的にはその保守派としてのこだわりを私は好きです。

 こういう論争があったことを若い世代に知ってもらうことも意味があると思います。

 ・・・

 個人的には少しノスタルジックでメランコリックな感じもこの日にふさわしくまた良しです。



(木走まさみず)

chengguangchengguang 2009/08/16 13:25 先ず日本で言われているカイロ宣言ですが、原文はCairo Communiqué、英文名ではCairo Conferenceであり、宣言ではありません。また、台湾有志の調査により、このコミュニケには当事者の署名がなされていないことが判明しています。つまり、会談は行われたものの、正式文書としては公表されなかったものです。
またドイツの無条件降伏ですが、これはドイツ政府を代表して降伏文書に署名したものではありません。アフガニスタンやイラクと同じで、ドイツは占領されドイツ国家は消滅しました。このため、戦後誕生した東西ドイツを新生ドイツと呼ぶのは強ち的外れではありません。
日本の降伏は、ポツダム宣言を見ても明らかで、木走さんのお考え通りだと思います。ただ、8月15日はポツダム宣言受諾を日本が表明した日であり、連合国が承認した日ではないため、異論が出る点です。ただ、敗戦後の日本政府が、国際条約に暗かったためか、軍事色を払拭することで満足した所為か、占領軍の傀儡となってしまったことが、今日のドイツと日本との相違になっていると思います。

nucnuc 2009/08/16 21:17 わりとどうでもいいんですが、
8/14 が受諾日で、15 が臣民と陸海軍への通知(玉音放送)です。15はそれほど重要な日ではありません。

なので、丸山・宮沢の八月革命説も8/14に革命が起きているとします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AA%AC

2006-08-15 アメリカのベトナム戦争博物館で感じたある国の「公平性」の限界

kibashiri2006-08-15

[]アメリカのベトナム戦争博物館で感じたある国の「公平性」の限界 19:57

 今日(15)終戦記念日の東京では朝から雨模様でした。

 小泉首相の参拝問題は他のまじめなサイトやブロガーにお任せ(正直食傷気味でもあります(苦笑))して、今日は他国の、過去の戦争に対する評価について考えてみたいのです。



●3年前の話〜ニュージャージー州ベトナム戦争博物館を訪ねる

 3年前の秋、私は一ヶ月ほどアメリカに出張していました。その際、ニューヨーク市内からは車で1時間余りのところにあるニュージャージー州の小さな町ホルムデルにあるアメリカ人の友人宅にしばらく滞在させてもらったことがあります。

 実はホルムデルは、小さな町なのですが1940年代から当地にあるベル電話研究所により世界初のバイポーラトランジスタが実用化された町でもあり、アメリカでは古くからハイテクの街としても有名でして、今日でも多くのIT関連企業が立地されているのです。

 私もこの地に当時滞在した理由は、現地のITベンチャー企業との商談があったためであり、やはり現地の企業に勤務しこの町に住んでいるアメリカ人技術者の家に1週間ほどお世話になったのでした。

 郊外にハイテク企業が多く立地しているにもかかわらず、ホルムデル市街はとても趣のある街で、中でも私が訪れた秋は街全体が静かな落葉の時をむかえていて夕方に市内にある公園を友人と散策するのがとても楽しみでありました。

 ・・・

 さて、その大きな公園を友人と歩いていると、「ニュージャージー州べトナム戦没者慰霊碑」(the New Jersey Vietnam Veterans Memorial)が目に留まりました。

 友人の説明によれば、州出身のべトナム戦没者千数百名の名前が御影石に刻印されているとのことでした。

 で、ここで興味深いことは「べトナム戦没者慰霊碑」のずぐ近くに真新しい「べトナム戦争時代教育センター」(the Vietnam Era Educational Center)という建物があるのです。

 実はアメリカではベトナム戦争関連のこのような博物館は極めて珍しく、友人曰くベトナム戦争に関して教育的施設の意味も持つものとしては現在のところ全米唯一の戦争博物館なのだそうです。

 1998年9月27日に開館されたこの「べトナム戦争時代教育センター」ですが、アメリカらしい逸話としては、開館の時、当地のベトナム帰還兵達が建設資金獲得活動した結果、建設に必要な約300万ドルの資金を寄付することを申し出たのは、なんと州内のアトランティック・シティのカジノ業者だったそうです。

 ・・・

 当時の博物館のパンフを見ながら、このテキストを書いておりますが、博物館の設立目的と特徴を、まとめておきましょう。

 ベトナム戦争は、合衆国にとりながらく「悪い戦争」(“Bad War”)と評価されてきました。ベトナムの共産化を阻止するという当初の目的を達成することもできず、第二次世界大戦後に合衆国が関わった戦争としては10年にも及ぶ最も「長い戦争」であり、約5万8000人という最大規模の戦死者を出したからです。

 1975年にサイゴンが陥落して戦争が終結して暫くは、合衆国の人々にとって冷静にこの戦争に向き合うことは困難でありました。

 1980年代初頭頃から、戦争中及び戦争直後にアメリカ社会から疎外されていたベトナム帰還兵たちが、自らの癒しと名誉回復を求め、帰還兵を中心とした寄付のもとに、1982年に「ベトナム戦没者慰霊碑」(the Vietnam Veterans Memorial)を首都ワシントンD.C. に建立したのでした。そこにはベトナム戦争の米戦死者約5万8000人が御影石に刻まれているそうです。

 その後各州で地域独自の戦没者慰霊碑が建立される中でここニュージャージー州においても、ニュージャージー州出身の帰還兵を中心に、1995年5月7日この地にワシントンと同様の慰霊碑建立をしたのであります。

 ここでは慰霊碑建立にとどまらず、自ら戦ったヴェトナム戦争の経験を後世に伝えることも重要だと考え、慰霊碑とセットにした形で、同じ公園内にベトナム戦争関連の教育的施設兼博物館の建立を思い立ったわけです。

 このセンター設立準備は1993年春から始まり、5年後の1998年9月27日に開館いたしました。

 この展示内容決定にあたっては歴史家や博物館の学芸員以外に、ベトナム帰還兵も参加する委員会が設立され、1996年から1998年にかけて約3年にわたり議論が続けられたことが最大の特徴でありましょう。

 委員会は、最初から戦争の当事者であるベトナム帰還兵の代表が参加し、しかも25人で構成された委員会メンバーの過半数を占める13人が帰還兵に割り当てられたそうです。

 実は歴史家たちが作成した当初の展示内容案に対しては、ベトナム帰還兵が公平に扱われず、反戦運動の扱いがかなり好意的内容になっているとの批判が帰還兵らから寄せられていたのだそうです。

 最終的には歴史的に「公平に扱うこと」を重視し、帰還兵による「勇気ある戦い方」とともに、政府や個人の誤りにも配慮した展示内容が最終的に決められたそうです。

 そのような経緯から、この博物館では、戦争についての価値判断はむしろ見学者に委ねる形で展示内容を工夫することを主眼としているのだそうです。

参考サイト1:「べトナム戦争時代教育センター」のHP。

The Vietnam Era Educational Center

http://www.njvvmf.org/Educational_Center_C2.cfm

参考サイト2:当博物館を訪問した人のレポート

The Vietnam Era Educational Centerについて

http://www.tcp-ip.or.jp/~ainuzuka/nichibei/text4-2.htm



●興味深かった展示物「認識票」:犬の首輪(Dog Tag)〜5行目情報「宗教」の悲しい用途

 ニュージャーシー州「べトナム戦争時代教育センター」の展示コーナーの片隅に、戦没者遺族によるものか帰還兵によるものか失念いたしましたが、当時のアメリカ兵の「認識票」が展示されていました。

 ステンレススティール製のその小判型のプレートは、米兵はみな首からぶら下げる義務があるそうですが、そのわずか5行の認識情報には次の内容が刻まれています。

1行目・ラーストネーム(姓)

2行目・ファーストネーム(名)、ミドルネームのイニシャル

3行目・厚生年金受給No.(志願兵は前にRがつく)

4行目・血液型 ・Rhの種別(POS or NEG)

   ・性別(M or F)

5行目・宗教

 アメリカ兵からは自嘲気味に犬の首輪(Dog Tag)と呼ばれている「認識票」ですが、5行目の情報「宗教」がなぜ必要なのかを、友人からその用途を教わったときにはとても考えさせられ、また(Dog Tag)という自嘲気味の呼び名にも納得したものでした。

 5行目「宗教」はその兵士が生きている限りは全く必要のない情報なのだそうでした。

 

●アメリカの「公平性」の限界

 さて、友人の解説付きで展示を見て回った私は、素直に展示物に感嘆したのでした。

 歴史的に「公平に扱うこと」を重視した博物館だけあって、確かに展示物の内容が反戦運動の役割からアメリカ兵の勇敢な戦いの様まで、公平に扱われていて、最後の展示コーナーでは、枯葉剤や精神障害などのベトナム戦争の負の遺産といわれるものまで詳細な解説文付きで展示されているのでした。

 一般にアメリカだけでなく各国の戦争博物館というものは、その善し悪しはともかく、えてして自国の戦争には肯定的なものであり、自国の戦没者は英雄的に捉えがちであります。

 その点でこの博物館は確かにアメリカ国内の反戦運動や枯葉剤による後遺症や帰還兵の精神障害といった、決してアメリカにとって好ましくはない内容にも踏み込んでいるわけです。

 案内してくれた友人は、ベトナム戦争について、この冷静で「公平」な内容を展示できるまでにこの国は25年もかかったんだと話していました。

 ・・・

 しかしながら、3年前一人の日本人として私が見て、この博物館の展示内容について、友人には言えない別の深い感想を持ったことも事実でした。

 私が感じたのはそれはこの博物館の、いやたぶんアメリカの「公平性」の限界でした。

 この博物館の「公平性」の限界と私が感じたのは、アメリカによって攻められた側・敵国ベトナム人の目線の欠落です。

 アメリカに一方的に自国内に介入され、10年ものながきを戦い100万ともいわれる犠牲者を出したベトナム人の視点からのこの戦争に対する評価がほとんど欠落していると感じたのです。

 確かに反戦運動も取り上げていますがそれはあくまでアメリカ国内の活動として扱われています。

 また枯葉剤による後遺症や帰還兵の精神障害に関しても帰還兵の症状に主題があり、現地におけるベトナム人側からの視点での言及がほとんどないのです。

 ・・・

 近代戦に於いてアメリカ人にとり最大のトラウマであり反省しやすい材料の揃っているベトナム戦争においてすら、彼らの「公平性」には限界があり、あくまでも自国内の異論に対する「公平性」であり、敵国の価値観に対する「公平性」には及ばないわけです。

 もちろん私はこの博物館の「公平性」の限界を単純に非難しようとは全く思っていません。

 ・・・

 アメリカは近代戦に於いて自国の存亡を賭けた総力戦というのを経験したことがありません。

 第二次世界大戦ですらアメリカ本土に上陸され他国の軍隊に国土を蹂躙された経験を持ちません。(日本軍の真珠湾奇襲攻撃やアリューシャン島嶼占領など一部の例外を除いてです)

 みなさまもよくご承知でしょうが、近代戦に於いてアメリカ軍は負けを知らず、唯一の「悪い戦争」であるベトナム戦争においても戦場はいつも相手国であり、戦死者の数はいつも相手国のほうがアメリカよりも一桁(場合によっては2桁)多い有利な戦争しかしていません。

 太平洋戦争に於いても民間を含めて300万を数える犠牲者を出し文字通り自国の存亡を賭けた総力戦に敗れた日本ですが、アメリカ側の太平洋方面の戦死者は日本の10分の1以下の十数万人(ヨーロッパ戦線などを含めての全体では約40万人)にとどまっています。

 実は独立以来の近代においてアメリカにとって唯一国内が戦場になり、アメリカ史上最大の戦没者を出したのは、62万8千人の犠牲者を出した内戦である1860年の「南北戦争」までさかのぼらなければならないのです。

 つまり現在のアメリカ人は、戦場になった側、爆弾を落とされた側の立場でものを見ようにもその経験は皆無なのです。

 これではアメリカの戦争博物館に「公平性」の限界があるとしても仕方がないのかも知れません。

 ・・・



●ホーチミン市の「ベトナム戦争犯罪博物館」で1枚20セントで売っていたドッグタグ

 ベトナムのホーチミン市にも「ベトナム戦争犯罪博物館」という戦争博物館があります。

 ここでは当然ながらベトナム側の視点からベトナム戦争の、特にアメリカの戦争犯罪にスポットを当てて展示されているそうです。

 数年前のこんなニュースから・・・

30年ぶりにベトナム帰還兵の手に戻ってきた認識票

映画などで良く見るが、米兵がクビからぶら下げている金属製の認識票がありますよね。あれ、なぜか知らないけど自嘲的にドッグタグ(犬の首輪)と呼ばれている。

ドイツに住むホリー・ステーゼさんは夫と2にんで2000年9月にベトナム旅行に行った。ホーチミンシティの戦争犯罪博物館を訪れた時に、少女がバケツに米軍のドッグタグを20枚ほど入れて売っていたという。

ホリーさんは、なんの気なしに、そのうちの2枚を土産に買った。

タグにはフィル・テイトムという名前が刻まれていた。3年ほど、ホリーさんは、時々思い出したかのように「フィルってどんな兵士だったのだろう?どんな経緯でドッグタグを失ったんだろう?」と疑問に思っていたという。

そしてある日、どうしても好奇心が抑えられなくなり、ホリーさんはインターネットでフィルの消息を調査し始めた。

ホリーさんが、最初にやったのはベトナム戦争の戦死者に「フィル・テイトム」がいるかどうか。フィルの名前は戦死者5万数千の中には含まれていなかった。となると、フィルは生きているのだ。

ホリーさんはネット1時間ほど、Ancestry.comなどを調べた結果、フィル・テイトムの電話番号を突きとめた。念のために、ホリーさんはフィルの兄弟に連絡を入れ、事情を説明した。そしてフィルが大喜びするだろう、という保証をもらってから、ドッグタグを同封した手紙を送ったという。

フィルにとっては青天の霹靂のような出来事だった。

フィルは1971年、ベトナムのチュ・ライに駐屯していた。そこで、仲間の兵士が誤ってピンを抜いた手榴弾を落としてしまった。手榴弾はフィルの至近距離で爆発、破片で背中に大怪我を負ったフィルは病院に運ばれた。

目を醒ますと、全てが無くなっていた。ドッグタグもね。ベトナムから持ちかえったものは、手紙で送った何枚かの写真と背中にめり込んでいる手榴弾の破片だけだったんだ。

そして32年ぶりに戻ってきたドッグタグを手にしてこう言った。

もしこいつが口をきけたら、驚くべき物語がきけるんだろうがね。でもオレにとっては、またこのタグを手にしたってことだけで大変な意味があるんだ。

ホリーさんは何もかもが上手くいったことを喜びながらも、一つだけ残念に思っていることがあるという。

少女のバケツの中にはドッグタグが20枚ほど入っていた。全部買ってくれば良かったわ。1枚20セントしかしなかったんだから。

2003年7月22日

http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0307/22b.html

 興味深い話です。

 同じ戦争を経験した二つの国の戦争博物館で、かたやアメリカでは大切に貴重な戦争資料として展示されている「認識票」(ドッグタグ)が、かたやベトナムではアメリカの戦争犯罪にスポットを当てて展示されている博物館の横で、数年前まで少女のバケツの中に1枚20セントで売られていたわけです。

 ・・・

 ひとつの戦争の評価は国が違えばいかに異なるかまた共通の普遍的な評価がいかに難しいか、この2つの博物館における米兵の「認識票」(ドッグタグ)の扱いの違いを示す逸話は、その事実を象徴的に教えてくれているのではないでしょうか。



(木走まさみず)

bobbob 2006/08/16 09:22 木走さん、こんにちは。
難しい問題ですが「相手の立場に立つ」ということに限界があるのは仕方がないことでしょうね。
個人個人(国々)によって価値観が異なるのですから相手の立場に立ったところで「俺なら気にしないな」と思えることでも相手の価値観から見れば多いに問題がある場合は多々あるものです。相手の立場に立つことを想像は出来ても違う価値観から見た世界を想像することはなかなか出来ないものなのでしょう。
価値観は変えられないのに、立場だけ相手の立場に立った場合を想定し「俺ならそこまで気にしない」「それは許せる」という結論を出すことは逆に被害者側の神経を逆撫ですることになることもあると思います。そうであれば無理に相手の立場に立つことを想定せず、自分の立場から自己反省をするというのも一つの手法なのかも知れません。

AmericanAmerican 2006/08/16 13:58 第二次世界大戦から帰還したアメリカ兵は、
祝福を受け、各地でパレードをやったり
のんきに恋人とキスしている写真があったりと
ともかくそのときは「誇り」だったわけです。
『俺たちゃ一般市民としてやるべきことをちゃんとやったんだ。
だから祝福されたんだ』。

ところが、ベトナム戦争は第二次世界大戦とは
また別の戦争だったわけです。
とあるの女性兵は、帰還して地元のカルフォニア州に
帰って歓迎を期待していたそうなのですが、何の歓迎も無い。
パレードも無い。
(もちろん、ベトナムで米国で放映されるニュースは
見ていないので、何が起こっていたのかは知るすべが無かった)
それですら、一般人から醜いものを見るかのような目で
見られて、さらに一部の人から罵倒されて
唾を履かれたことがたまらなく嫌だったと
供述していたそうです。
(その後、耐えられなくなったその女性さんは、
他の土地に移り住んだそうです)

彼女が戦ってきたはずの数年間は一体何だったのでしょうか。

たしかに、ベトナムでは罪なき人々が殺されました。
でも、この女性は女性である意味人生を
台無しにされてしまったわけです。
彼女も、そういう意味では戦争の被害者なのかもしれません。

何も後遺症などが残らなかった点では
彼女はまだマシなのかもしれません。
何しろ、ベトナム戦争では戦場での戦死者の他にも、
後遺症による障害や死亡などが多かったわけですから。

この戦争ではベトナムが大きく傷つきました。
アメリカも大きく傷つきました。
どちらが悪とか善とかは関係なく、
これがわずか数十年前に起こったことだということが
未だに自分は実感が沸きません・・・。

権兵衛権兵衛 2006/08/16 14:03 アメリカの視点トベトナムの視点、どちらも決して間違えてはいません。更に第三者の視点が存在し、それぞれが倫理的、経済的、政治的あるいは歴史的それぞれの意見をもっていることでしょう。自分はそれで良いと思います。
相互理解は確かに必要ですが、それは逆説的には「本質的な相互理解が不可能であるからこそ」必要なものではないでしょうか。
完全なる相互理解が成立したとき、そこにあるのは静的死だけだと思います。「あちらも分かるがこちらも分かる、だから何もできない」というやつです。これでは社会全体の動きが著しく阻害されてしまいます。
共存する際に必要なものは「互いの存在を認める」ことですが、ヘタな相互理解の努力は、むしろこれを阻害しかねませんし。

桂木桂木 2006/08/16 14:19 木走りさんが単純に不平等性を言い立てないでいてくれてよかったと思います。価値観が違うものを平等に扱うと言うことにはもとから無理があるからです。
ベトナム戦争博物館にしてもアメリカと言う国の枠に縛られているわけで、真に平等性を確保するとしたらある意味ベトナムがアメリカになり、自分自身として認識されなければ無理でしょう。
理解しようと努力する事は必要だし、その努力は怠るべきではありませんが、どこまで行っても本当に理解できるとは思わないほうが無難でしょう。
暮らしに根付いた価値観の相違と言うものは簡単に抜けませんし、優秀なテロリストの多くが帰化した2世に多いという事実があるようにゆり戻しもあります。
相手を思いやると言うことも、どうしても自分たちの持つ価値観からのことであって、相手の立場に立つということはなかなか難しいことです。
やはり交渉事として少しずつ摺りあわせをやって価値観の相違を共通の認識にまで持ってゆくことが必要でしょう。
ただ、それについてどちらの側からも同じように見えるとは決して思わないことです。
同じものでも物事の裏から見る、表から見るで違う面を見せるように、同じ妥協点なのに違う意味になるということも十分考えられることであり、違う国、民族、グループ間の妥協である限り過度の期待はしないことだと思います。

momongaamomongaa 2006/08/16 18:19  確か、小林秀雄の言葉に、「人間というものは、誤解する程度に、理解しあえれば、充分だ」と言うのがあったような・・・ けだし名言ですねえ・・・ 、僕なんかは、内心ずっとそう思って生きてきたような、そんな気さえしますね、人と人の関係だって、同じなのですよ。
 ある意味で、真実は、人を傷つけるのですね・・・ あなた自身の真実だって、多分、他人に知られたくない事(真実)等、多分、山のようにあるのではないですかね、たとえ見えていても 「言わぬが花」 という関係が必要なのですね。

 国際関係に於いても同じく、相手が、真実を受け入れられるようになるまでは、語らない方が良いという事も、多々あるのでしょうね、例えば、韓国などに対しては、現時点で真実を語る事は、いたずらに、頭に血を上らせるだけの事でしょうし、けれど、それでも、言わねばならないとすれば、「搦め手」から、という知恵が欲しいものだけれど、日本の政治家には、どうも、そこのところの知恵が無いようです。

 ともあれ、これは、「他人の関係」に於いて、必ず留意しなければならない事だけれど、身内の場合に於いては、多少はまた、別でありましょう、その真実は、より深く追求されなければならないし、そうでなければ、「家庭内別居」状態という事になりますでしょうし、その結果は、「熟年離婚」と相成る訳ですね、つまり、アメリカの、25年かけての、ベトナム戦争への議論というものは、たとえその結果が、同じ「誤解」であるとしても、より「深化した誤解」として、それなりに、評価出来るものではないでしょうか?

 けれど、日本の場合、戦後六十年たっても、その「深化した誤解」にさえ、行き着いていないというのが、現状でしょうね、日本の政治家達の語る「真実」などは、殆どの国民にとっては「白々しい嘘」でしかないし、国内に於いてさえ、「国家の視点」と「国民の視点」が、これほど乖離した国も、珍しいかも知れませんね。

ダートダート 2006/08/16 18:30 それぞれの国がそれぞれの方法で、展示すればいいだけだと
思いますけどね。完全な相互理解なんて幻想に過ぎません。

ただ嘘を吐いたり、ことさら自国や相手国を貶めるような
展示は避けて欲しいですね。日帝とか米帝をスローガンに
する展示物は馬鹿らしいです。記録と政治宣伝は別物です。

それにしてもAmerican氏のベトナム帰還兵の話は悲しいです。

kibashirikibashiri 2006/08/17 11:19  管理人の木走でございます。

bob様

>木走さん、こんにちは。

 どうもようこそです。

>難しい問題ですが「相手の立場に立つ」ということに限界があるのは仕方がないことでしょうね。

 なるほど。

>個人個人(国々)によって価値観が異なるのですから相手の立場に立ったところで「俺なら気にしないな」と思えることでも相手の価値観から見れば多いに問題がある場合は多々あるものです。相手の立場に立つことを想像は出来ても違う価値観から見た世界を想像することはなかなか出来ないものなのでしょう。

 人間は、相手に思いはめぐらすことはできても相手の心(考え方)まで理解することは難しい、ということですね。

>価値観は変えられないのに、立場だけ相手の立場に立った場合を想定し「俺ならそこまで気にしない」「それは許せる」という結論を出すことは逆に被害者側の神経を逆撫ですることになることもあると思います。そうであれば無理に相手の立場に立つことを想定せず、自分の立場から自己反省をするというのも一つの手法なのかも知れません。

 そうですね、相互理解の第一歩には互いの自己反省は必須なのでしょうね。国家対国家でも、人対人でも・・・

American様

>第二次世界大戦から帰還したアメリカ兵は、祝福を受け、各地でパレードをやったり
のんきに恋人とキスしている写真があったりとともかくそのときは「誇り」だったわけです。
『俺たちゃ一般市民としてやるべきことをちゃんとやったんだ。だから祝福されたんだ』。
ところが、ベトナム戦争は第二次世界大戦とはまた別の戦争だったわけです。

 うむベトナム戦争はアメリカとして満足な結果を何も得れなかった戦争でした。

>とあるの女性兵は、帰還して地元のカルフォニア州に帰って歓迎を期待していたそうなのですが、何の歓迎も無い。パレードも無い。
(もちろん、ベトナムで米国で放映されるニュースは見ていないので、何が起こっていたのかは知るすべが無かった)
それですら、一般人から醜いものを見るかのような目で見られて、さらに一部の人から罵倒されて唾を履かれたことがたまらなく嫌だったと供述していたそうです。
(その後、耐えられなくなったその女性さんは、他の土地に移り住んだそうです)

 うーむ。

>彼女が戦ってきたはずの数年間は一体何だったのでしょうか。
たしかに、ベトナムでは罪なき人々が殺されました。
でも、この女性は女性である意味人生を
台無しにされてしまったわけです。
彼女も、そういう意味では戦争の被害者なのかもしれません。

 彼女にしてみれば、国家への忠誠心から彼女の意志とは別に貴重な彼女の人生の時を費やして参戦したのに、全く評価されないどころか批判にさらされてしまったわけですね。
>何も後遺症などが残らなかった点では彼女はまだマシなのかもしれません。
何しろ、ベトナム戦争では戦場での戦死者の他にも、後遺症による障害や死亡などが多かったわけですから。

 はい、傷痍軍人の数もたしか数十万人規模だと聞いております。

>この戦争ではベトナムが大きく傷つきました。
アメリカも大きく傷つきました。
どちらが悪とか善とかは関係なく、
これがわずか数十年前に起こったことだということが
未だに自分は実感が沸きません・・・。

 ベトナム戦争は特にアメリカにとって「忘れたい戦争」なのかも知れませんね。
 戦後のアメリカの、特に今日のアフガンやイラク戦争におけるアメリカの国家戦略を考察する際、アメリカにとってのベトナム戦争とは何だったのか、をあらためて振り返り冷静に分析してみることも無駄ではないでしょう。

権兵衛様

>アメリカの視点トベトナムの視点、どちらも決して間違えてはいません。更に第三者の視点が存在し、それぞれが倫理的、経済的、政治的あるいは歴史的それぞれの意見をもっていることでしょう。自分はそれで良いと思います。

 国家ごとにそれぞれの視点があって当然だろう、ということですね。

>相互理解は確かに必要ですが、それは逆説的には「本質的な相互理解が不可能であるからこそ」必要なものではないでしょうか。
完全なる相互理解が成立したとき、そこにあるのは静的死だけだと思います。「あちらも分かるがこちらも分かる、だから何もできない」というやつです。これでは社会全体の動きが著しく阻害されてしまいます。

 うむ、なるほどです。

>共存する際に必要なものは「互いの存在を認める」ことですが、ヘタな相互理解の努力は、むしろこれを阻害しかねませんし。

 理解もしてないのに「解ったつもり」になって、結果的に「裏切られた」と勝手に解釈して怒ったりするのは愚の骨頂なわけで・・・

桂木様

>木走りさんが単純に不平等性を言い立てないでいてくれてよかったと思います。価値観が違うものを平等に扱うと言うことにはもとから無理があるからです。
ベトナム戦争博物館にしてもアメリカと言う国の枠に縛られているわけで、真に平等性を確保するとしたらある意味ベトナムがアメリカになり、自分自身として認識されなければ無理でしょう。

 はい。

>理解しようと努力する事は必要だし、その努力は怠るべきではありませんが、どこまで行っても本当に理解できるとは思わないほうが無難でしょう。
暮らしに根付いた価値観の相違と言うものは簡単に抜けませんし、優秀なテロリストの多くが帰化した2世に多いという事実があるようにゆり戻しもあります。
相手を思いやると言うことも、どうしても自分たちの持つ価値観からのことであって、相手の立場に立つということはなかなか難しいことです。

 相互理解の努力は怠るべきではないが、完全な価値観の一致はあり得ない事実は冷静に認識しておくことですね。

>やはり交渉事として少しずつ摺りあわせをやって価値観の相違を共通の認識にまで持ってゆくことが必要でしょう。
ただ、それについてどちらの側からも同じように見えるとは決して思わないことです。
同じものでも物事の裏から見る、表から見るで違う面を見せるように、同じ妥協点なのに違う意味になるということも十分考えられることであり、違う国、民族、グループ間の妥協である限り過度の期待はしないことだと思います。

 互いの差分も認め合うことが大切なわけですね。

momongaa様

>確か、小林秀雄の言葉に、「人間というものは、誤解する程度に、理解しあえれば、充分だ」と言うのがあったような・・・ けだし名言ですねえ・・・ 、僕なんかは、内心ずっとそう思って生きてきたような、そんな気さえしますね、人と人の関係だって、同じなのですよ。
 ある意味で、真実は、人を傷つけるのですね・・・ あなた自身の真実だって、多分、他人に知られたくない事(真実)等、多分、山のようにあるのではないですかね、たとえ見えていても 「言わぬが花」 という関係が必要なのですね。

 うーん、この「人間というものは、誤解する程度に、理解しあえれば、充分だ」は、深いなあ。

>国際関係に於いても同じく、相手が、真実を受け入れられるようになるまでは、語らない方が良いという事も、多々あるのでしょうね、例えば、韓国などに対しては、現時点で真実を語る事は、いたずらに、頭に血を上らせるだけの事でしょうし、けれど、それでも、言わねばならないとすれば、「搦め手」から、という知恵が欲しいものだけれど、日本の政治家には、どうも、そこのところの知恵が無いようです。

 本当のことを言わないで上げる優しさが必要なのですね。

>ともあれ、これは、「他人の関係」に於いて、必ず留意しなければならない事だけれど、身内の場合に於いては、多少はまた、別でありましょう、その真実は、より深く追求されなければならないし、そうでなければ、「家庭内別居」状態という事になりますでしょうし、その結果は、「熟年離婚」と相成る訳ですね、つまり、アメリカの、25年かけての、ベトナム戦争への議論というものは、たとえその結果が、同じ「誤解」であるとしても、より「深化した誤解」として、それなりに、評価出来るものではないでしょうか?

 はい、このようなベトナム戦争への議論そのものは尊いですよね。高く評価していいと思います。

>けれど、日本の場合、戦後六十年たっても、その「深化した誤解」にさえ、行き着いていないというのが、現状でしょうね、日本の政治家達の語る「真実」などは、殆どの国民にとっては「白々しい嘘」でしかないし、国内に於いてさえ、「国家の視点」と「国民の視点」が、これほど乖離した国も、珍しいかも知れませんね。

 どうなんでしょう、戦後61年、日本もこのへんで真摯な議論をする時期なのだと感じます。

ダート様

>それぞれの国がそれぞれの方法で、展示すればいいだけだと思いますけどね。完全な相互理解なんて幻想に過ぎません。

 はい。

>ただ嘘を吐いたり、ことさら自国や相手国を貶めるような展示は避けて欲しいですね。日帝とか米帝をスローガンにする展示物は馬鹿らしいです。記録と政治宣伝は別物です。
 インチキやウソは言語道断ですよね。

>それにしてもAmerican氏のベトナム帰還兵の話は悲しいです。

 まったくです。



 みなさま、貴重なご意見ありがとうございます。

shsh 2006/08/18 01:52 はじめまして。私はベトナム戦争のことは詳しくないのですが、以前ある本を読んでいて目を覚されたことがありました。
それは、いまでこそソ連が崩壊し、社会主義なんてものが旧体制になって、パラダイムが一変してしまった。
しかし未来の結果を知らない当時、共産勢力の拡張がどれだけ現実的な恐怖であったか、現時点から振り返っても想像はできないということです。

当時「ドミノ理論」という言葉があったように、たしかに米国があそこで泥沼の戦いをくりひろげなければ、ベトナムは容易く共産政権が樹立したことは確実で。その結果が隣国カンボジアのポルポト政権下同様になる、ということは十分ありうる歴史の if だったでしょう。
そしてベトナムに早期に共産政権が樹立していた場合、周辺国に赤化が及んでいたはず。

米国がベトナム戦争を避けえたか、またあの戦争に大義はなかったか、現代の目線からそれを裁くのは難しいことなのでしょう。
それが完全に歴史上の点景として、ある程度客観的な評価ができるには20年、30年では足りないのかも知れません。

2006-08-08 「百人斬り競争」野田元少尉の手記

[]日本国民に告ぐ。日本男児の血の叫びを聞け。〜「百人斬り競争」野田元少尉の手記 16:19

 8月でありますし、今回は時事を離れて戦争の話を少し。



●スポニチのたわいもない「由伸“百人斬り”」記事で思い出した毎日の「百人斬り競争」報道

 昨日(8日)のスポニチ紙面記事から・・・

由伸“百人斬り”も欲求不満

 【巨人4―1横浜】巨人は6日、東京ドームで横浜と対戦し快勝。高橋由伸は初回にマークした9号3ランで、本塁打を放った投手が100人に到達した。

 手放しでは喜べなかった。サインボールを投げ入れるヒーロー儀式を終えた高橋由は、右翼席に頭を下げた。チーム2カ月ぶりの2カード連続勝ち越しに導いても、心からは笑えなかった。「ジレンマは当然ある。自分自身もチームも結果が出てないし、責任は十分感じているつもり。僕らが結果を出さないといけないから」と高橋由。

 “百人斬り弾”は初回だった。無死一、二塁から送りバントを試みた二岡が守備妨害、李スンヨプが空振り三振。嫌なムードを振り払う特大140メートル、先制9号3ランを右翼席に運んだ。本塁打を放ったのは牛田で100人目。「多いのか少ないのか分かんないよ」と首をひねったが、阿部が6号ソロで続き、上原の100勝王手をアシストした。

(後略)

[ 2006年08月07日付 紙面記事 ]

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2006/08/07/04.html

 巨人の「高橋由伸は初回にマークした9号3ランで、本塁打を放った投手が100人に到達した」という、別にどうということのないスポニチのスポーツ記事なわけですが、不肖・木走は別に巨人にも高橋由伸選手にも関心はないのですがこの記事タイトルには少し苦笑してしまいました。

 由伸“百人斬り”ねえ。

 「“百人斬り弾”は初回だった。」そうですが、このスポニチ記者がたわいもない意図で「本塁打を放った投手が100人に到達した」ことを“百人斬り”という表現で見出しにしたのだろうことは察しがつくのですが、広島の原爆記念日に当たる8月6日の試合に由伸“百人斬り”の見出しを見てしまうとね・・・

 私などは、スポーツニッポンの親会社である毎日新聞(当時は大阪毎日新聞と東京日日新聞)が1937年にしでかした戦意昂揚記事「百人斬り競争」報道を思い出してしまうのであります。

百人斬り競争

百人斬り競争(ひゃくにんぎりきょうそう)とは、日中戦争初期の南京攻略戦時に、日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く100人を斬るかを競ったとされる競争である。この模様は、当時の大阪毎日新聞と東京日日新聞において報道されたが、この行為が事実か否か、誰を斬ったのかを巡って論争となり、訴訟問題としても発展している。

概要

この競争の模様は、大阪毎日新聞と1937年11月30日付けと12月13日付けの東京日日新聞(現在の毎日新聞)によって報道された。その報道によると、日本軍が南京へと進撃中の無錫から南京に到る間に、日本軍の向井敏明少尉(歩兵第9連隊-第3大隊-歩兵砲小隊長)と野田毅少尉(歩兵第9連隊-第3大隊副官)のどちらが早く100人を斬るか競争を行っていると報じた。

1937年11月30日付けの東京日日新聞記事では、無錫−常州間で向井少尉は56人、野田少尉は25人の中国兵を斬ったと報じている。また、1937年12月13日付けの記事では、12月10日に記者と会った時のインタビューとして、すでに向井少尉は106人、野田少尉は105人の中国兵を殺害しており100人斬り競争の勝敗が決定できず、改めて150人を目標とする殺害競争を始めると報じている。

戦犯裁判

戦後、向井・野田両少尉は、東京日日新聞の報道などを基に南京軍事法廷において起訴され、死刑判決を受け、1948年1月28日に南京郊外で処刑された。

論争

その後この事件は忘れられていたが、1971年に本多勝一が書いたルポルタージュ『中国の旅』(朝日新聞連載、のちに単行本化された)でこの事件とその報道が取り上げられた。これに対し、イザヤ・ベンダサン(山本七平とされる)が百人斬り競争は「伝説」だとし、これに対し本多が反論した。その後、鈴木明が議論に加わった。更に、山本七平は『中国の旅』批判の一部として“100人を斬り殺すなど不可能”として議論した。これらの議論に対して洞富雄が批判を行った。

それ以来、南京大虐殺について虐殺「あった」派から「百人斬り競争」が言及され、大虐殺「なかった」派は『肯定論の非論理性』を指摘するという構図となっている。そもそも南京大虐殺は日本軍による組織的な事件とされていることから「百人斬り競争」をその事実肯定の根拠とするのは見当はずれとの見方もあり重要視されていない。

近年、本宮ひろ志の漫画『国が燃える』が南京大虐殺をとりあげ、この事件が事実かのような描写が含まれていたが、抗議を受けて謝罪と訂正がなされた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89

 その真偽が裁判沙汰にもなったわけですが、ここで「百人斬り競争」の真贋論争をするつもりはさらさらないですが、裁判を通じて「肯定派」も「否定派」も共通認識として認めたのは、当時のメディアの戦意昂揚記事の裏付けを取らないいい加減な記事掲載行為でありました。

 それはさておき・・・



●月刊WiLL8月号に掲載された野田元少尉の手記

 「百人斬り競争」の当事者の一人である野田元少尉が戦後1948年1月28日に南京郊外の雨花台で銃殺処刑されるまでに獄中で綴った手記が月刊誌『月刊WiLL 8月号』に掲載されています。

特集南京大虐殺の真実

「百人斬り」野田元少尉銃殺までの獄中日記

月刊WiLL 8月号 P.212〜P224

 これは読み応えがありました。いつ処刑されるかわからぬまま、一日、一日を過ごしていく野田氏。不安と希望に苛まれる日々。手記は処刑当日まで綴られています。

 1947年12月18日に南京の法廷で「百人斬り競争」の罪に問われた野田元少尉は銃殺刑の宣告をついに受けます。

 おそらくその判決を受け覚悟を決めたのであろう12月28日の手記、「一.日本国民に告ぐ」と題した一文は、とても考えさせられる読み応えのある文章でした。

 『月刊WiLL 8月号』より12月28日の該当個所を引用。

一。日本国民に告ぐ

 私は曽って新聞紙上に向井利明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。

 只、今般中国の裁判に於て俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定させられましたことに就ては私は断乎無実を叫ぶものであります。

 再言します。私は南京に於て百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。

 たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以て今後中日間の怨みや讐(あだ)や仇(かたき)を絶対にやめて頂きたいのです。

 東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。

 今後は恩讐を越えて誠心を以て中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいです。

 中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以てするなら中国人にも解らない筈はありません。

 至誠神に通じると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。

 西郷さんは「敬天愛人」と申しました。何卒中国を愛して頂きます。

 愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。

 猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以て神が教示されたのです。

 日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。

 此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈り致しまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。

 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

(月刊WiLL 8月号 P.220〜P221より抜粋)

 いかがでしょうか。 全文は『月刊WiLL 8月号』を是非お読みいただくとして、とても考えさせられる文章ではありませんか。

 南京戦犯所の獄中に於いて10日前に銃殺死刑を宣告を受けた後の手記です。

 彼はすでに死刑を宣告されてますから、この文章にはいっさいの生への執着も力みもてらいも感じられません。

 「自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。」と深く日本国民に詫びを入れつつ、しかし、「私は南京に於て百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。」と自らの「百人斬競争」に関しては最後まで冤罪であると訴えます。

 そして考えさせられるのは、「愛と至誠には国境はありません。」とし、「中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたい」と強く訴えているのです。

 とても深い感銘を与える文章だと思いました。



●野田毅元少尉の獄中手記がなぜ話題にならないのか私には理解できない

 「百人斬り競争」の真偽が裁判にまで取り上げられてきたわけですが、私にすれば当時からメディアの報道などいいかげん極まりないわけですから、本人も認めているとおり「冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせ」したのがもっとも実態に近いのではないかと思います。

 戦時のことですから当人達も「虚報の武勇伝を以て」母校で自慢したりもしたことでしょう。また、100人はともかく似たような修羅場があったことも否定はできないでしょう。

 しかし、ここでは「百人斬り競争」の真偽を論じたいのではなく、上記の手記に吐露された野田元少尉の心情について想いを馳せたいのです。

 「百人」斬ったかどうかの実証も重要なのでしょうが、私にはこの手記の内容のほうがより多くのことを語っているとすら思えるからです。

 銃殺刑を宣告され、自らを「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受するとしつつも、「中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり」と日中友好を訴えているわけです。

 ・・・

 この「一。日本国民に告ぐ」で始まり「日本男児の血の叫びを聞け。」で終わる文章は、事実上の野田元少尉の日本国民に対する悲痛な遺書であると考えられるでしょう。

 そして死刑宣告された彼のこの文章には、後年の共産主義教育を受け自らの軍国主義的犯罪を認め減刑を受け帰国してきた戦犯達とは明らかに違う強いメッセージ性があると思いました。

 まず彼は御覧の通り、自らに科せられた軍国主義的罪状を完全に否定し続け、その意味では中国戦犯法廷に決して迎合してはいません。

 それにこの文章は死刑宣告後の文であり彼には減刑のため中国に媚びる理由はありません。

 結語。

 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

 すばらしい文章だと思いました。

 ・・・

 この野田毅元少尉の獄中手記がなぜ話題にならないのか私には理解できません。

 ・・・

 1948年1月28日、南京郊外の雨花台に連行され多くの中国人が見守る中、野田毅元少尉は銃殺されます。

 1948年1月28日、手記もその日で終わっています。

 1月28日

 南京戦犯所の皆様、日本の皆様さよなら

 雨花台に散るとも 天を怨まず 人を怨まず

 日本の再建を祈ります。

 万才 万才 万才

 メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。

 そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて、この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。



(木走まさみず)






■<追記>2006.8.9 14:15

 コメント欄やトラバ・リンク等で、賛否両論、活発に議論いただきありがとうございます。

 そもそも「ここで「百人斬り競争」の真贋論争をするつもりはさらさらない」とした上で、「百人斬り競争」野田元少尉の手記をご紹介したのですが、この手記が肯定的にせよ批判的にせよみなさまに注目いただいたことは、手記のご紹介がこのエントリーの一番の主旨でありましたのでとてもありがたく思っています。

 さて、「「百人斬り競争」の真贋論争をするつもりはさらさらない」としたわけは、目下法廷で最高裁まで争われている係争中の問題でもあり一ブログで取り扱うのは荷が重すぎるとの判断からでしたが、うーむ、ここを避けての手記の紹介だけのエントリーはやはり論法に無理があったようで、どうにもこうにも、不肖・木走の認識が甘かったようです(苦笑

 それはさておき、コメント欄のご意見やトラバのご意見を拝読していて、いくつか誤解いただいている点もあると感じたものですから、論点整理だけはする必要があると思い、ここに追記させていただきます。

 ・・・

●「百人斬り」訴訟で争われている争点

 まず、コメント欄で議論されている内容がまさに、現在進行形で「百人斬り」訴訟として法廷で争われていますので少しこの裁判の内容を整理しておきます。

 原告側(遺族側)が裁判で問題視している報道は3点です。

1、報道

(1)当時の報道

◎昭12.11.30 東京日々新聞が両少尉は百人斬り競争を企てたと報道

◎12.12.4   第2報

◎12.12.6   第3報(野田89名、向井78名斬る)

◎12.12.13   第4報(野田105名、向井106名。更に150名斬りを目指すと写真入りで報道)

(2)朝日新聞;昭46.11.5 より本多勝一の記事「中国の旅」を連載し、二人は上官にけしかけられ、百人斬り競争を行ったと伝聞記事を掲載。

(3)本多はその他の著書「南京への道」「南京大虐殺13のウソ」でも同様の記事を載せた。

 で原告側は主に4つの理由により本件は「冤罪と判明」されたと主張しています。

2、冤罪と判明

(1)月刊誌「諸君」昭47年1月号〜48年10月号でイザヤ・ペンダサン、鈴木明、山本七平が「百人斬りは虚構」と論評。更に鈴木明、ペンダサンは自著でも虚報と発表した。

(2)昭和46年田所千恵子(向井少尉の娘)は両少尉に対する判決文を含む資料を法務省から入手し、その一部が平成12年1月産経新聞と月刊誌「正論」に公開され、これにより南京軍事裁判の不公正さが明らかになった。

(3)平成13年3月野田マサ(少尉の妹)は野田少尉の遺品の中から少尉の手記を発見、その中に東京日日新聞記事の真相は浅海記者に持ちかけられた創作であったことが記されており、その内容が「正論」平成13年8月号に掲載された。

(4)浅海記者は南京の軍事法廷に説明書を提出し「百人斬りは住民・捕虜に対する残虐行為ではありません」と弁護している。

以上の論争を経て我が国では百人斬りが虚報だったと判明したが、関係者の謝罪はなかった。

 以上をふまえて原告側は本多勝一、朝日新聞社、毎日新聞社(元東京日日新聞社)、柏書房の4被告に対し以下の通り訴訟を起こしました。

訴訟の内容

(1)原告:向井少尉遺族(田所千恵子、エミコ・クーパー)野田少尉遺族(野田マサ)

(2)被告:本多勝一、朝日新聞社、毎日新聞社(元東京日日新聞社)、柏書房

(3)訴因:上記3書籍の中で、百人斬りに関する記述が原告等遺族の名誉を毀損しているから「出版の差し止め」「謝罪広告」「損害賠償」を求める。

 ここで話を整理すればそもそも原告側が訴えている「百人斬り」報道自体、時代背景の異なる3つをまとめて訴えている点に留意が必要です。



●三つの「百人斬り」報道

 そもそも、この裁判で原告側が虚偽だと訴えている「百人斬り」は三つあります。

 まず一つ目は昭和12年、東京日日新聞の記事で「戦闘行為」として伝えられたものです。

 二つ目は、昭和46年、本多勝一氏の『中国の旅』で書かれた内容です。この中で書かれている「百人斬り」は日日新聞の記事とは違っていて百人斬りを斬った対象については中国兵なのか人民なのかは明らかにしていませんが、「上官命令による殺人ゲーム」であり、「勝った方に賞が与えられる」などとしています。

 三つ目は『中国の旅』の追記や『南京への道』、『南京大虐殺否定論13の嘘』における百人斬りです。ここでは「捕虜すえもの斬り、百人斬り競争」がメインになってしまっています。

 原告側弁護士は『中国の旅』以降、鈴木明氏の『南京大虐殺のまぼろし』などが出て、どうも日日新聞の記事は「ウソくさい」ということになってきたので、そのために、本多勝一らは途中から「確かに戦闘行為で百人斬るのは無理だが、あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」と内容をすり替え始めたと主張しています。

 一つ目に対しては主に毎日新聞が、二つ目、三つ目に対しては、主に本多勝一氏、朝日新聞社、柏書房が被告として扱われてきました。

 ご存知の通り、この裁判は、一審、二審と原告側の訴えは棄却され現在最高裁に上告されています。



●一貫して「適正に取材し、正確に記載した」と主張する毎日新聞

 さて上記裁判に於いて、そもそもの元記事に関して、平成15年9月22日第二回公判以来、毎日新聞側は一貫して「適正に取材し、正確に記載した」とし、「記事訂正」や「謝罪広告」の必要はないと主張しています。

 私は前回のエントリーで次のように結語を結びました。

メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。

 そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて、この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。

 それに対して、コメント欄とトラバで次のようなご意見をいただきました。

kemu-ri

『>メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。

>そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて

「肯定する」という言葉の意味がよくわかりませんが、「東京日日」の記事を「事実」だと思っている人って日本に居ないのではないでしょうか。私は、東京日日の記事を「事実」だとは思っていません(同記事よりもっと酷いことが行われたではないかと考えています。望月五三郎手記参照http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20050827/1125089638

木走さんは、どこにもいない「無責任な記事を肯定する人」に向かって呼びかけているのではないでしょうか。

 少なくとも「無責任な記事を肯定する人」は法廷にはいるようです。

 ・・・

 さて、この「百人斬り」報道論争は上記の通り原告側は三つのフェーズに分けて訴訟を起こしているわけですが、コメント欄で御指摘いただいた「あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」という点は、最も後年の3つ目の報道で登場してきた論点であります。

 原告側はもちろんこの点でも被告側に論拠を明示せよとせまり、法廷に11人の証人の喚問を要求いたしました。

 しかしなぜか許可されたのは1名だけでありました。

 ・・・

 本件は現在最高裁上告中であります。

 元記事の真贋、「捕虜すえもの斬り」の検証、全ては今だ確定されていません。

 私も、おそらくはご意見いただいた多くの方々も同様だと思っていますが、真実の検証こそがなにより大切なことであると認識しております。

 

 以上、いくつか議論を整理させていただくために追記させていただきました。

考察NIPPON考察NIPPON 2006/08/08 17:12 最近、こちらを拝見させていただくようになった者です。
WiLLに掲載された野田元少尉の手記、少し前に私も引用して自分の所で紹介しようとしたのですが、ミスって書き上げた分全部飛ばしてしまい、そのままになっていました。
しかし、WiLLのこの記事は写真まで出ていたのでこたえました。最後のほうは、もう心臓を掴まれているかのように苦しかったです。
「この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。」は強く同意いたします。今のメディアはその本質を忘れ商業主義に走りすぎで、非常に懸念しております。

うしうし 2006/08/08 20:27 >当人達も「虚報の武勇伝を以て」母校で自慢
故郷の小学校で講演は武勇伝の実態の告白であって自慢話でもなんでもありません。
野田少尉は殺人競争しても「何ともない」とのことですが
木走さんはこれを読んでも「何ともない」でしょうか?

「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……
 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……
 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……
 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……
 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm

TEPOTEPO 2006/08/08 23:38  これはプチリベラルを自称する木走さん一流の癖球エントリーですね。しかし、このような観点で問題提起する視点は斬新です。私は支持します。

>うしさん。

 たぶんこのエントリーの論点は、うしさんが提起されているような、そのような議論に拘泥していていいのかという左右両方の論法に対する一石なのだと思いますが、いかが。

ほるほるほるほる 2006/08/09 00:12 うしさんは、中国人のチベット人虐殺をどう思いますか?

kemu-rikemu-ri 2006/08/09 00:36 >メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。
>そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて

「肯定する」という言葉の意味がよくわかりませんが、「東京日日」の記事を「事実」だと思っている人って日本に居ないのではないでしょうか。私は、東京日日の記事を「事実」だとは思っていません(同記事よりもっと酷いことが行われたではないかと考えています。望月五三郎手記参照http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20050827/1125089638)
木走さんは、どこにもいない「無責任な記事を肯定する人」に向かって呼びかけているのではないでしょうか。

ひろみひろみ 2006/08/09 01:34 kemu-riさんは誰に怒っているのでしょう。木走さんのような人にこそ正に平和主義を同意してもらう対象なのではないでしょうか。ここでけんかしていいのでしょうか。言葉尻で自分の考え、基準で判定するのはけっこうですし、トラバするのもかまわないですが、そのような自己満足戦略で何を今まで得たのですか、エゴだけで理論は多数派にはなりません。私は納得できません。私は高校2年生ですが、戦争は大反対です。どうか変に揚げ足を取らないで真摯に木走さんのエントリーを全文もう一度お読みください。

kemu-rikemu-ri 2006/08/09 02:13 >ひろみさん

困りますね。誰にも怒っていない私に向かって「誰に怒っているのでしょう」という言葉を向けるのは「挑発」っぽいですよ。まあいいですけど。
繰り返しますが、私は怒ってません。ただ、木走さんの「‥肯定する人たちに云いたい」という発言が意味不明に感じたから質問したのですね。

ここからは新しい意見ですが、補足すると近年「不毛な真贋論争」を仕掛けたのは、名誉毀損裁判を仕掛けた側のはずですが。これに対し訴えられた側が「野田さんは自分で吹聴しまくっているのに他人を名誉毀損で訴えるのはお門違いでしょう」と反論したわけで。「故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて」といいますが、それはまず「不毛な論争」をしかけた側に向けられる言葉では無いでしょうか。

野田大尉の言葉を積極的に受けとめたいという木走さんの気持ちを否定するつもりはありません(あまり共感はしませんが)。
しかし野田大尉の遺志を称揚しつつ「論争」の片方に対し「故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて」等の言葉を向ける動機が、私にはピンときません。

というのは野田氏が死刑前に東洋平和を希求したということと、野田氏が南京戦で農民を大量殺害した可能性がある(望月手記)ことは別個に論じられるべきで、前者をもって後者を免責するかのような見解には私は立っていないからですね。野田氏は単に戦闘で人を殺したのではなく、本来の戦闘とはかけ離れた「殺人遊戯」を行った可能性がある。それはそれで、別個に検証されなければならない事柄のはずです。

kemu-rikemu-ri 2006/08/09 02:58 ついでに、野田少尉の手記に関していえば、ブクマで言われているように「本人の将来の名誉」に留意した文章、という印象を持ちましたね。だから野田本人の心からの慟哭がここに表現されているとは、私には読み取れませんでした。ただ野田が述べている事のいくつかは実に正当だと思います。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/08/09 08:41 南京攻略におけるいわゆる事件と、この百人切りの問題は、そもそも別物でしょう。
木走さまは当時のマスコミの戦争迎合のあり方を批判し、1級資料である手記を読み直すべきだと言われている。
全くの正論ですね。
当時の世界情勢の中で、それでも日本を悪者に仕立てたい人達は
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/
でも読んで、紹介されているビデオを虚心坦懐に見てみる必要がありますね。
また、非常に多くの場合、日本は国際法を守ろうと努力してきたことを、今一度歴史資料から読み直した方が良いです。
戦争中の“間違い”ということなら、いわゆる連合軍にどれほどの“間違い”があったことか。
原爆や各都市への空襲も含めて見直すべきです。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/08/09 09:32 連投失礼。
紹介したサイトは↓に変更されました。
http://www.history.gr.jp/~nanking/

kemu-rikemu-ri 2006/08/09 09:53 鮎川さん、話を南京事件全体に拡散させるのはどうしてですか。拡散させる必要を感じませんが。それから、南京戦で日本軍が国際法を守る気があったのかどうか、http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060804にある日本軍の史料をそれこそ虚心坦懐に見られてはいかがですか。

malmal 2006/08/09 11:07 野田元少尉とゆー人がどんな人か知らんおバカな私ですが、この人がやった事が本当ならば、デマによって戦意高揚をやらかした極悪非道の大馬鹿者でしょう。このデマにより、無駄に命を散らした兵士や中国人等に対する虐殺を促した可能性が充分考えられるので、こんな馬鹿の手記に対しナニ敬ってるんですかと思うんだけど。無視して当然。てゆ〜か無視すべき。

ダートダート 2006/08/09 12:31 kemu-ri氏の資料を読むと
どれもこれも軍の上層部による綱紀粛正が語られていて
軍の上層部が国際法を遵守していることがわかりました。
いい資料ですね、

こえだこえだ 2006/08/09 13:30 歴史&当時の状況をよく知らないお馬鹿なワタシに誰か教えてください。
貼られたリンクを見ると母校で講演したのは1942年ですね。戦争末期?真っ最中?
野田氏は一時帰国していて?その時講演をしたのでしょうか?それともこのときには既に帰国していて戦後裁判を受ける為に再び中国へ送られた?のですか?中国戦線の最前線(?)にいたであろう人が敗戦色が濃くなり、戦況も不利になりつつある中に、どうして帰国できた(した)のでしょうか?
戦争モノの小説は好きでないので余り読みませんが、体とかを著しく壊さない限り、一旦派兵されたらオクニへは終戦までもどって来られないのだと思っておりましたが・・・

kibashirikibashiri 2006/08/09 14:15  管理人の木走でございます。
 活発なご意見やトラバ、ブクマ、本当にありがとうございます。
 個別のご意見にレスするのも煩雑になると考え、当エントリーに追記の形で、私の考えや少し議論を整理する意味での補足をさせていただきました。

kemu-ri様に一言だけ。
 ご無沙汰しております。例の映画パンフ事件でトラバさせていただいて以来ですね。
 ご意見およびトラバありがとうございます。
 kemu-ri様との真摯な議論は、なにやら木走にとって自分が守旧派みたいでとても心地よいのでした(苦笑)。
 追記にてお名前を出させていただきましたが、あくまで論点整理のためですのでご了承下さい。

オケラオケラ 2006/08/09 15:19 う〜ん、追記をなされても疑問が消えないですね。
真贋論争が不毛なのではなくて、真であるということ、を止めて欲しいんですよね?
無責任な記事を肯定する人達にだけ言葉を向けるのなら、「論争は不毛」といういかにも中立を装った言い方でなく「肯定は止めよ」とすべきなのでは?

『私にすれば当時からメディアの報道などいいかげん極まりないわけですから、本人も認めているとおり「冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせ」したのがもっとも実態に近い』

というふうに管理人さんも贋の立場から論争の一方に加担してるんですから。

まあ記事の内容がたとえ真実でなかったとしても、確実に言えるのは、そういう記事を真実として受容し賞賛したいという需要が日本の大衆に間違いなくあったということ。これは真ですね。
同じ東洋人でも日本人の指導に従わないものは殲滅してしまってもいい、という傾向が日本人のなかにはあった、ということです。

それを念頭に置きながらこの手記を読むと、なんだ、結局「五族協和」を「愛」や「至誠」と言い直してみただけ?としか思えません。
まずかつて自らに武勇伝を吹聴せしめた、民族蔑視の傾向に対する内省が希薄ですからね。なのにいきなり「大愛の境地に達した」などと言ってみる。なにコレ?ですね。
ま、「日本国民に告ぐ」となってますから、率直な心情というよりパブリック・コメントとしてみればアリかもしれません。まあ、いずれにしろ、感銘には遠いかな。

かつての「五族協和」は帝国主義を隠蔽する美しい理念でしたが、この手記に感銘するのも似たようなものかも、と危惧してしまいました、管理人さんには失礼ではありますが。

でんでんでんでん 2006/08/09 16:05  何だか無茶言うコメントが目立ちますが。

オケラ様

>う〜ん、追記をなされても疑問が消えないですね。

 管理人は論点整理のため追記したのであって特定の意見を排除しようとか特定の人の疑問に応えようとは意図してないでしょう。むしろ賛否両論の議論自体に謝意を示してるんじゃないですかね。

>真贋論争が不毛なのではなくて、真であるということ、を止めて欲しいんですよね?
無責任な記事を肯定する人達にだけ言葉を向けるのなら、「論争は不毛」といういかにも中立を装った言い方でなく「肯定は止めよ」とすべきなのでは?

>『私にすれば当時からメディアの報道などいいかげん極まりないわけですから、本人も認めているとおり「冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせ」したのがもっとも実態に近い』
というふうに管理人さんも贋の立場から論争の一方に加担してるんですから。

 どこをどう読めば本件で管理人が中立を装うと読めるのかなあ。
 管理人はかなりはっきり立ち位置を示してると思うけど。

 追記ではこの論争は複雑で報道のフェーズを3つに分けて考えるべきと言っているわけで、加えて明らかに管理人さんの「メディア」とは元記事の毎日新聞を指しているわけですよね。 管理人さんの「不毛の論争」とは「メディア」に掛かっているわけで、少なくとも元記事はおかしいんじゃないかと言ってるわけですよね。
 二つ目と三つ目の争点に関してはエントリー自体では全く触れてもいないわけだし、特に「捕虜すえもの斬り」に関しては別の人のコメント欄での発言だけでしょう。

 重い話題なのは事実であり賛否両論あって言いと思うし、異論・反論あっていいと思うけど、揚げ足取りのような曲解に終始するのは建設的じゃないと思うわけですが。

 オケラ様のほうにこそ一つの価値観に偏った視野の狭さを感じてしまいます。

masashimasashi 2006/08/09 16:25 100人斬り論争については、正確な資料等を十分見たことがないので、そのこと自体についての真偽は私にはわかりません。
ただ、現実問題として同じ日本刀で100人を切ることは不可能ですし(通常、日本刀は2〜3人を斬れば刃こぼれしてもう切り落とすことなどはできなくなる)、何本も日本刀を変えながら切り続けたというのもよくわかりません。・・・もちろん、何年もかけてそういうことが行われたというのであれば、可能性はなくはありません。
勝手な想像で言わせていただければ、世間の自慢話を求める声にたきつけられて、虚構のヒーロー(当時としての)を演じた(あるいはマスコミが祭り上げた)というのが、腑に落ちるところです。亀田兄弟も同じですよね。時代が過ぎて、亀田兄弟が「私は真面目で紳士的であった」と言っても、今を知る人がそれを是とはしないでしょうから、似たような状況であったのでは?と推測してしまいます。

個人的には、kemu-riさんのお話にはちょっとついて行けませんが、木走さんの獄中日記を大きく捉えすぎるのもどうかと思います。もちろん、木走さんはその点も考えられていると思いますが、あくまで全体的な構図における一資料として見るべきだと思うので、ウエイトを上げすぎる(感情移入し過ぎる)のは少し気になります。
ただ、自己保身のために、当時の報道の再検証をしないメディアがあるのであれば、それは批判に値すると思います。そして、その保身が故人を「不当に」辱める行為であれば、それも問題だと思います。・・不当であるかどうかがまず検証されるべきですよね。

基本的には戦争状態の中では、通常考えられないような残虐なことが、ある程度の頻度で生じることは否定しません。おそらく日本軍も、公式に出されている軍紀が守られないようなことも数多くあったでしょう。
それは、現在のイラクに展開する米軍が、この時代(の観念)においても問題視される行為が表面化していることからも明らかでしょう。当時は現在とは社会情勢も違い人権の扱い方も異なっていたはずです(そこに、蔑視感情ともうあったでしょう)。ただ、それはあくまで当時の社会的通念の下で批判検証されるべきものですから、私としてはそれ即極悪と断じるつもりはありません。現在、同様の行為がなされるならば、私も当然反対に回ります。

ただ、ことさら現在の判断基準をもって当時の問題を断じようという雰囲気には、あまり気持ちのよい感じは持っていません。日本軍は悪いところも数多くあったが、それは当時の他の国の軍隊と比べて異常なほどであったのでしょうか?私はそう思っていません。
日本が当時のような状態になることをよしとは思いませんが、単なる否定ではなく良い部分と悪い部分をバランスよく評価していきたいと思います。

荏原仲信荏原仲信 2006/08/09 18:16  木走日記はずっと読んでいますが”考えさせた”という意味で、私にとってはベストスリーに入るエントリーでした。
 最近読んだ「私家版・ユダヤ文化論」内田樹著(文春新書519)につぎのような一節がありました。「スレ違い」と言われそうですが自分の中では実に的確な物言いに思いました。
 (引用開始)
 被害者との同一化によって「告発者」の地位を得ようとする戦略そのものは別に特異なものではない。「周知の被迫害者」とわが身を同一化することによって、倫理的な優位性を略取しようとする構えはすべての「左翼的思考」に固有のものである。「告発者」たちは、わが身と同定すべき「窮民」として、あるときは「プロレタリア」を、あるときは「サバルタン」を、あるときは「難民」を、あるときは「障害者」を、あるときは「性的マイノリティ」を・・・・と無限に「被差別者」のシニフィアンを取り替えることができる。「被差別者」たちの傷の深さと尊厳の喪失こそが、彼らと同一化するおのれ自身の正義と倫理性を担保してくれるからである。
 (引用終了)
※余分なことですが「今だに」という表記は避けた方がよいと思います。「未だに」とするか「今でも」と言い換えるべきと考えます。

seiryu95seiryu95 2006/08/09 18:37 >木走様
 追記の部分も読んだのですが、やはり「真贋論争をするつもりはさらさらない」と仰るのであれば、真贋についてどちらかにつくような発言はされるべきではなかったと思います。野田毅元少尉の平和への思いを取り上げたいのであれば、そこに議論を絞るべきではないでしょうか。
 真贋論争をするつもりはないと仰りながら、真贋についての一方の主張だけを取り上げるのは、言い逃げのような印象がします。普段の木走様のフェアな議論の仕方を見ている私としてはとても残念です。

>少なくとも「無責任な記事を肯定する人」は法廷にはいるようです。

 地裁・高裁の判決文を読んだ限りでは、毎日新聞は戦争中のあの記事が間違いではなかったとは主張していません。原告側は訂正・謝罪請求の前提として、当時の記事が名誉を毀損すると主張しています。毎日新聞側はそれに対して戦時中は当該記事は彼らの名誉を毀損するようなものではなかったことと、その後憲法や社会情勢の変化に伴い当該記事の評価が変わったからといって、直ちに訂正の義務を認めることは法律不遡及の原則に反し不当であると主張していますが、当該記事が正しかったとは主張していません。このあたりの認定はもう少し慎重にされるべきのように思います。

>ほるほる様
>鮎川龍人様

 どうして、百人斬り訴訟の真贋の議論に中国のチベット侵略や日本への原爆・空襲が持ち出されるのか理解に苦しみます。
 私はチベット侵略も原爆投下も疑いようもない犯罪行為だと思っていますし、これらの行為は徹底的に追及されるべきだと思っています。しかし、それは決して、日本の戦争犯罪を相殺したり正当化したりする文脈で持ち出すべきではありません。原爆・空襲でで日本人が甚大な被害を受けたことも、中国がチベットを侵略し重大な人権侵害を行っていることも、日本が中国で行った戦争犯罪の追及とは独立して問題にされるべきでしょう。
 最近の議論(特に右よりの人)を見ていると、チベット侵略が持ち出されるのはほとんど日本の戦争責任追及に対抗する文脈であることに私は不快感を隠せません。
 チベット人民や原爆・空襲の被害者の犠牲を真剣に考えればこそ、彼らの犠牲をこのような相対化の文脈で利用する行為は厳しく非難されるべきだと思います。

桂木桂木 2006/08/09 20:08 百人切り論争については日本刀に限定する時点でもう眉唾です。ただ、それに類
する行為がまったくなかったかどうかという話になると、それは議論の余地があ
るでしょう。
旧日本軍は比較的規律のしっかりした軍隊だとは思いますが、それもケースバイ
ケースで米軍の不祥事(戦時、平時の)の事例を見てもさまざまなことがあった
であろう事は容易に想像されます。
だからといって、そのようなことが日常茶飯事であったかと言うとまったく違う
話になると思えます。規律のない軍隊が勝ち続けるなどありえないからです。

昭和12年時点での報道はある程度の誇張があったでしょうし、当人達にも時流
に流されたきらいもあったのかもしれません。
しかし、論点整理2,3の本多氏等による報道は事実の検証も甘く、あまりにも
情緒的に、しかも戦後の絶対平和主義の視点でしか述べていません。
その影響の大きさを思えばもう少し真摯な検証の上で引用してもらいたかったと
ころです。

一方野田元少尉の手記ですが、個人を貶めるつもりは毛頭ありませんがあまり大
きく取り上げるのもいかがかと思います。
読めばその心根に賛同すること多ではありますが、すでに故人であり、富田メモ
のお心のごとく推量でしか判断することが出来ません。
ただ、なぜ戦犯として処刑されたのか、それはどういうことだったのか現時点で
の評価はどうしても時代の背景に左右されがちですが、善悪の判断はさておいて
検証する必要はあると思います。
この日記もそういう意味で見られるべきではないでしょうか。

momongaamomongaa 2006/08/09 23:19 こんにちわ

 木走りさんのブログは、基本的には好みなのですけれど、時々は拙速と思われるものもありますね、マア、人間ですから、カンペキなどありませんし、今回のエントリーも、論争を引き起こすという意味では、毒クスリにもならぬ、屁のようなブログより、遥かに良いエントリーです。

 けれど、今回の感想を言わせてもらえば、木走りさん、「センチメンタルですねえ〜」という感じですね。

 野田少尉さんの「獄中手記」という代物、僕の目から見れば、死の間際になっても、「自己顕示欲」という、煩悩の消えない人だなあ、と言う感じでしか読めないのですよねえ・・・ 、ホント、「桜の愛、富士山の至誠、日本人よ覚醒せよ」って、美辞麗句がウザイし、あんたが言うのは、おこがましいのよ、百人切りを自慢しとった人間が、何言うとるねん、全く「死ななきゃ直らない人だなぁ」と言う感じですね。

 御遺族の方も、戦後になって「名誉毀損」とかナントカ、騒いでいるようですけれど、戦争中は、名誉だと思って、自慢してたんじゃないでしょうかね? ホント、遺族ともども、往生際の悪いと言うか、なんと言うか、血は争えないという感じがしますですねえ・・・ 。

jimusiosakajimusiosaka 2006/08/09 23:38 初めてお邪魔致します。
>そもそも、この裁判で原告側が虚偽だと訴えている「百人斬り」は三つあります。

 まず一つ目は昭和12年、東京日日新聞の記事で「戦闘行為」として伝えられたものです。

 二つ目は、昭和46年、本多勝一氏の『中国の旅』で書かれた内容です。この中で書かれている「百人斬り」は日日新聞の記事とは違っていて百人斬りを斬った対象については中国兵なのか人民なのかは明らかにしていませんが、「上官命令による殺人ゲーム」であり、「勝った方に賞が与えられる」などとしています。

 三つ目は『中国の旅』の追記や『南京への道』、『南京大虐殺否定論13の嘘』における百人斬りです。ここでは「捕虜すえもの斬り、百人斬り競争」がメインになってしまっています。

 原告側弁護士は『中国の旅』以降、鈴木明氏の『南京大虐殺のまぼろし』などが出て、どうも日日新聞の記事は「ウソくさい」ということになってきたので、そのために、本多勝一らは途中から「確かに戦闘行為で百人斬るのは無理だが、あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」と内容をすり替え始めたと主張しています。


 追記の「この「百人斬り」報道論争は上記の通り原告側は三つのフェーズに分けて 訴訟を起こしているわけですが、コメント欄で御指摘いただいた「あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」という点は、最も後年の3つ目の報道で登場してきた論点であります。」という部分から考えますと、木走様はこの原告側の主張を肯定的にとらえておられるように思われます。
 しかしながら、「「あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」という点は、最も後年の3つ目の報道で登場してきた論点」とおっしゃるのは、事実に反しているのではないでしょうか?
 『中国の旅』において、「百人斬りを斬った対象については中国兵なのか人民なのかは明らかにしていませんが、「上官命令による殺人ゲーム」であり、「勝った方に賞が与えられる」などとしてい」るというのは、本多氏がインタビューした「姜さん」から聞いた話として、本文で記述されているものです(なお、「上官命令」ではなく、「上官がけしかけた」となっています)。しかし、注釈においては(コメント欄でうしさんが紹介しておられる)いわゆる志々目証言が挙げられており、「すえもの斬り」という言葉は使われていないものの、「百人斬り」の実態が「捕虜のすえもの斬り」であったことが示されています。なお、この注釈は昭和47年発行の単行本から既に書かれています(299ページ)。
 よって、原告側の「本多勝一らは途中から「確かに戦闘行為で百人斬るのは無理だが、あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」と内容をすり替え始めた」という主張は、原告側のとんでもない勘違いか読み落としか、あるいは嘘を承知の上でのことなのかはわかりませんが、いずれにせよ誤りであると考えるほかないだろうと思います。

つーさんつーさん 2006/08/10 00:03  なんだかみなさんアツイ議論されていますな。けっこう、けっこう。しかしですな、このエントリーはmomongaaさんのご指摘「センチメンタルですねえ〜」に尽きてますな。ここのブログ主は以前も特攻隊の生き残りの手記に涙したり、ポーランドの親日逸話に感動したり、ある種の話に極めて感情移入しやすい癖があるわけですな(爆笑)。まあプチナショナリストの悪癖であるとご本人も自覚しているようですが、かたや冷静にプチリベラルとして夕張市の不正を暴いたりする面も持ち合わせているところが興味深いところなのでしょう。このテーマですが、いいじゃないですか、センチメンタルな感情移入で。私は好きですな。このような切り口はいかにもここのブログ主らしいですよ。そうは思いません、みなの衆?

ダートダート 2006/08/10 00:22 次から次と日本の過去を断罪して悦に浸る日本人が
現れますね。いいエントリーです。

そういった人に
「沖縄戦で苦しんだ私の母の前で、日本人の一人として
腹を切って詫びろ」と言っても逃げるだけでしょうね。

kawakawa 2006/08/10 00:29 この手記に普遍性があるなら背景や前提を無視しても汲み取るべきものがあるんだろうと思いますが、やはりこの手記の肝は後世向けたメッセージ性なんだと思うんですよ。

もう他の方も仰られてますが、メッセージ性に共感するには感情移入が不可欠です。
感情移入するには、やはりこのメッセージを発した人の言動や、それが発せられた状況を無視できないんですよね。

そこをあえて切り離して考えようという趣旨なのだとは思いますが、それはむしろやらないほうがいいんじゃないかと。
肝心のメッセージ性・希求性が弱くなっちゃいますから。

ダートダート 2006/08/10 00:38 この手記を知って私は驚きましたし、感動もしました。

しかしmal氏の意見ももっともだと思い、この手記の評価は
難しいですね。

いまごろになっての手記の感想ですいません。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/08/10 07:16 kemu-ri さま
>鮎川さん、話を南京事件全体に拡散させるのはどうしてですか。
とのことですが、私は
南京攻略におけるいわゆる事件と、この百人切りの問題は、そもそも別物でしょう。
と書いています。良く読んでくださいね。
また御指摘の資料ですが、如何に東京裁判を始めとする戦勝国による復讐劇が不当なものであったかという事を裏付けるものでしかありませんね。

seiryu95 さま
仰るとおり、事件は個別具体的に検証すべきものであるとは思います。
しかし、申し訳ないですが国際法の観点から述べれば日本の反省など済んでおりますので。
この、いわゆる百人切り事件についても、死刑判決は甚だ不当としか言いようが無いのです。

本当に申し訳ないのですが歴史と国際法(特に戦争に関するもの)について、より一層お調べ戴きます様。

seiryu95seiryu95 2006/08/10 11:30 >鮎川龍人様
 日本が反省したかどうかと百人斬り報道の真相も、また別個独立の問題です。ここで問題になっているのは死刑判決の是非ではなく、報道が名誉毀損となるか否かであり、その前提として百人斬りの真相が問題になっている点をお忘れなく。
 また、鮎川様ご紹介のHPを拝見しましたが、正直あのレベルの南京事件否定論を持ち出されると困ってしまいます。ここではテーマからはずれますので詳述はしませんが、日本軍の陣中日誌や戦闘詳報などからも不法殺害の事実はいくらでも出てくるのに、なかったと主張し続けるのは正直理解に苦しみます。
 また、kemu-ri様ご紹介のHPも拝見しましたが、これは戦時中の軍旗の乱れや不法行為を示す日本側の資料を紹介したものでした。このHPの資料が信じられないというのであれば(その当否は別として)まだ論理の流れは理解できるのですが、あのHPがなぜ「戦勝国による復讐劇が不当なものであったかという事を裏付ける」ものとされるのか、理解できませんでした。

kou.kou. 2006/08/10 12:58 >日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。

「誰がいつ言ったか」を抜きにしてこの文章を読めないとは、想像力豊かというかその逆というかいやはや。
日本軍の行為に対して批判的な人の多くは戦争や軍事力に否定的で、上記の文章のような理念には賛同すると思ってましたが、どうもそう単純ではないようですね。

オケラオケラ 2006/08/10 16:26 そう遠くないむかし、ある財団の理事長だか会長だかがCMで盛んに、
「世界は一家、人類は皆、兄弟」「一日一善〜」とか言ってたことがありました。

言っていること自体は、たいそう立派な理念ですから、誰が・いつ・どのように
といったことに拘らない人は、そりゃ賛同するでしょうね。

幼かった私は、その会長さんのことをなぜみんな取り上げないのか不思議でした。
こんなに良いこといつも言ってるのに、いつもCMにばかり出てくるだけで、
あまり新聞や、TV番組のなかで見たりしなかったからです。

父にそのことを聞くと、語るのも嫌な様子。

その後級友から、戦犯の事等々会長さんの素顔についていろいろ教わりましたが、
会長さんの理念に共鳴し積極的に賛同するような人は私の周りでは皆無でしたね。
幼かった私は、なんで皆そんな昔のことに拘ってるのかなあ、と思ったものです。

鮎川龍人鮎川龍人 2006/08/10 16:55 seiryu95さま。
法治主義の立場から死刑判決は妥当でしょうか?
当事者が否定しているのに?
決定的証拠はなにも無いのに?

この時点で報道の不当性は明らかではないですか?

kemu-riさまご提供の“資料”についての一々の検討は控えますが、私が考える南京大虐殺の定義、つまり「政府または軍の指揮・命令による南京の非戦闘員に対する意図的・組織的虐殺行為」の資料はどこにもありません。kemu-riさま以外の方の資料においてもありません。
これでは日本や日本軍が責められるのは不当としか言えません。
現在までに出ている資料から公平に言って「当時の日本軍は、あの時代にしては、なんと良心的な軍隊であったのだろう」という感慨しかありません。
残念ながら。
なにしろ日本人が被害者の場合が凄すぎますのでね。

こえだこえだ 2006/08/10 17:13 外はすっごい暑いですが・・・ここも暑いですねえ。
>オケラさん
あまりに面白かったので賛同の一票を。
このコマーシャル、バージョンが幾つかあって、確かこの会長さんが母親を背負って階段をあがるみたいなのもありましたよね。未だくそがきの頃でしたが、覚えてますよぉ。
私も大人になって、御母さんがおばあちゃんになっても背負ってあげるんだ、って思いましたもの!その話を母にするとこのじいさんと同郷である母は「オオワル、A級戦犯」と言ってましたね。偽善者って言葉を覚えたのはこの人がきっかけだったような・・・・

masashimasashi 2006/08/10 18:41 >オケラさん、こえださん
懐かしいフレーズを聴いた感じです(笑)。
私も、当時何故親が毛嫌いするのか、理由がわかりませんでした。
強いてあげると、ギャンブルで収益をあげているからだと。。くらいのイメージでした(笑)。
人間は、徐々に知識を積み重ねていくものだと感じ、子供たちにも少しずつでいいからいろいろな知識を自分のものにする努力を続けてほしいと感じました^^

木走さんの今回のエントリは、かなり批判も浴びているようですね。
私自身は、木走さんの日の当たらない資料に日を当てたいという、天の邪鬼っぽい性格が少し出過ぎたものであり、目くじらたてるほどではないと思いますが。
でも、久々に(少しかみ合わないものの)議論になっているのが、興味深いです。最近、ここでの議論が少なくなっていたので、実はみんな木走さんの釣りに見事にかかったのかな(笑)?
冗談はさておき、冷静に議論できる場所とネタをいつも提供していただいている木走さんに感謝です。ちなみに、ここのところ忙しくて、まともなコメント無くすみません(苦笑)。

dokendoken 2006/08/10 19:53 このエントリー、センチメンタルな私のつぼにヒットしました。
そしてコメント欄の一部の意見を読んで暗澹たる気持にさせられました。知りもしない故人をそんなにも貶めなくても・・・

rice_showerrice_shower 2006/08/10 21:08 Seiryu95さん、
>〜チベット侵略が持ち出されるのはほとんど日本の戦争犯罪を相殺したり正当化したり〜<
日本軍の(戦時には不可避な)部分的悪行を挙げ、自らの正戦論を主張するから(and/orそれに便乗するから)、「どの面下げて? お前が言うな!」とツッコミを入れているに過ぎないでしょ。
私、20年くらい前、初めて南京を訪れた際、その現場に行ってみました。 “血の酩酊状態”に陥った人間が何をやらかすかを承知しているので、そこで多くの蛮行が行われたであろう事は容易に想像し得、故に愚かな人間を(もちろん日本人だけではない)赦せ、の思いで、黙って手を合わせてきました。 
少し離れたところで人民解放軍の若い兵士が、もちろん笑顔とまでは行かないけれど、口の端を緩めて私のその姿を見つめていたのを憶えています。
戦争を知らない世代の現地の若者が、私の「南京弁で聞かないね」の問いに、「生粋の南京弁をしゃべれる人間はみんな日本人に殺されたんだ!」という相手の“イノセントなギャグ”に、一緒になって大笑い出来る感性が備わっている私からすると、貴方は日常においてもリアルな体験に基づいて、face to faceのリアルな議論や、ブラックな笑いを駆使したり捌いたりする機会、能力が著しく希薄なのだろうなぁ、と憐憫の情を覚えるものです

seiryu95seiryu95 2006/08/10 23:54 >鮎川龍人様
>この時点で報道の不当性は明らかではないですか?
 まず、東京日々新聞の報道については、誰もあの報道が真実だとは主張していません。問題はあの報道が名誉毀損に当たるか否かであり、毎日新聞が名誉毀損に当たらないと主張している理由は既に木走様へのコメントで指摘しています。
 また、南京国際法廷の裁判が不当なものだったとしても、それは百人斬り(または据えもの斬り)の事実がなかったことには直結しません。望月五三郎手記等の新証拠が出てきている現時点においては戦闘中の百人斬りではなく、捕虜若しくは民間人の据えもの斬りだったという本田氏の主張は大筋で妥当だと考えます。
 
>、私が考える南京大虐殺の定義、つまり「政府または軍の指揮・命令による南京の非戦闘員に対する意図的・組織的虐殺行為」の資料はどこにもありません。

 虐殺肯定派の人々はこのような定義の虐殺があったとは主張していません。
 相手が主張していない定義を勝手に持ち出してその証拠がないことを批判するというのは議論の仕方としては妥当でないように思います。

>「当時の日本軍は、あの時代にしては、なんと良心的な軍隊であったのだろう」という感慨しかありません。

 はあ、どこまで資料を読まれたのかは知りませんが、「従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し。」という資料を御覧になって、上記のような感慨しか湧かないのであればもはや何を言っても無駄でしょう。

>rice_shower様
>日本軍の(戦時には不可避な)部分的悪行を挙げ、
 戦時には不可避ですましてしまうのですか。万単位の犠牲者が出ている事件を部分的悪行ですましてしまうのにはちょっとついて行けません。
 それに南京事件を肯定している日本人で、だから中国のチベット侵略は正しいのだと主張しているような人がいるのですか?そんな人は見たことがありません。
 中国が日本の侵略を持ち出してチベット侵略を正当化しているのならそれは非難されるべきですが、それはチベット侵略を持ち出して日本の侵略を相対化しようとする行為も同様に非難されるべきです。本当に侵略されたチベット人民の痛みを理解し、共感しているのであればそれを自己の免罪の道具として利用するような行為は恥ずべき行為として批判されるべきだと思います。

>私、20年くらい前、初めて南京を訪れた際、その現場に行ってみました。

 おや、奇遇ですね。私も10年ほど前に南京にいったことがあります。記念館も訪れましたが、当時の人々の犠牲を思うと胸が痛みました。
 その後、現地の復旦大学の学生と会食する機会がありましたが、そのときには戦争についての話題は出ず、楽しいひとときを過ごしました。

うしうし 2006/08/11 02:11 >TEPOさん

百人斬りの真贋の話ではないのはお分かりいただけますか?
「すばらしい文章」を残した同じ人物が何を言っていたかは大事なことだと思いますよ。
馬鹿なシナ人を騙して片っ端から斬ってやった、と言っていた人が
「根本精神は「愛」と「至誠」です。」などとよく言えるもんだと思うんですが、
木走さんは美辞麗句に心奪われて、それと相反する物は信じたくない心境のようです。

真田孝高真田孝高 2006/08/11 03:20 単純に考えて、「歴史上の出来事」を政治利用しようとする方が悪いでしょう。
そのように考える人がいるから問題になるだけでしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060810-00000111-yom-int

(1)圧政の結果、本来、自分達に向けられる国民の不満・反発を反日キャンペーンによってそらす。
(2)現在進行形の深刻な人権弾圧から目をそらさせる
(3)日本に外交的、経済的譲歩を迫り、現在の日本人から搾取をする。

何が目的かわかりませんが、どうせこんなところでしょう。
それにまんまと乗せられて圧政者の片棒を担ぐ愚は避けたいですね。

masashimasashi 2006/08/11 05:08 >seiryu95さん
お久しぶりです^^
チベット問題が昔の日本の行いに対する免罪にならないと言うのは、おっしゃるとおりだと思います。ただ、当時の日本軍は他の国家の軍隊と比べて不当に悪いことをしたのでしょうか?私には、どうもそこに合点がいかない部分があります。
もちろん、その所業が良か悪かと問われれば、当然「悪」な部分が多いのでしょう。ただ、それは現時点での比較であり、当時の戦争状態において必ずしも相対的に不当とは言えないのではないかと感じています。
・・戦争なんて、基本的に不当な行為の連鎖なのですから。
もちろん、中国から見れば当時の日本軍に軍事力で圧倒されたわけですから、日本=即悪でしょうね。しかし、中国人の気持ちの問題は理解できますが、それが必ずしも「日本軍が特殊に悪」には結びつかないと感じています。
青龍さんもその点は理解されていると思いますので、私の勝手な思いこみかもしれませんが。

日本軍においても絶対的に悪いことが数多くあったことは事実でしょう。しかし、それを現時点での絶対的尺度で見るのは少し厳しすぎるのではないかと思っています。
他方、中国のチベット侵略&圧政や、北朝鮮の人権問題、ダルフールでの虐殺などは現在進行形の問題であり、通常考えればこちらの方が強く非難されるべきかと思うのですが、リベラル系の方々があまり強く叫んでいるように見えないのが、私としては非常に不思議な部分です。
・・・実は、上記についてはすべて中国が関わっていますよね。

両者が相殺されないことは、鮎川さんも、riceshowerさんも十分認識されていると思います。ただ、中国との対話の中で戦時中の日本軍の行為がことさら取り上げられていることに違和感を感じている私がいます。
日本人として、過去の問題があった行為については、当然反省して今後そうしないように誓う必要があるのは当然ですが、それは感情面での対応だと思っています。理性的には、現在の絶対的な判断基準に照らしてではなく、当時の相対的判断基準で考えなければならないと思っています。
この点について、青龍さんはどう考えられますでしょうか?

少し、百人切りから話が離れてしまったことをお許しください。
なお、私も20年以上前に一人旅で上海他を訪れましたが、当時日本人を非難するような状態に遭遇したことがありません。現状での日本憎しの状況には不当な違和感を感じています。

rice_showerrice_shower 2006/08/11 07:03 >masashiさん、
貴方におかれては、くどくど説明せずとも、私の言わんとすることを理解頂けるので、嬉しい限りです。
ホロコースト、南京、百人斬りetc.etc...、これらを“特異な出来事”と思わず、“人の本性”なのだと自認する。 この自己認識出来てこそ、邪悪な快楽を
コントロールし得る、同じ過ちを繰り返さない、ということなんですね。 
「ボクシングは殴り合いだから野蛮」と単純に嫌悪する人が、極度の怒りに我を失い人を殺してしまったりする。
加虐性は人の本性で、それが時に死すらを求める、という事を自覚していてこそ、ギリギリの状況での自己抑制が可能なんですね。

GedolGedol 2006/08/11 08:45 コトの真偽は問題にしないとのコトなので、それ以外についてヒネクレ分多めで。

私はこの引用文を一読して「胸糞悪いなぁ」と感じました。なんとなく、です。で、その胸糞悪さの源泉は何だろうかとイロイロ分析して見ましたが、おそらく「私の死を以て今後中日間の怨みや讐(あだ)や仇(かたき)を絶対にやめて頂きたいのです」の一文ではないかと思います。
 この一文が入る事によって、この文章は「自分の刑死」が日中国民の怒りと恨みを捨てる契機に足るものであると言う前提であるコトが判ります。この「責任能力のない事項について自分が責任を取るかの様な態度」、つまり「夜郎自大」的感覚が私の拒絶反応を起こしたのだと思います。これが東条英機の手記だったら、また感想が変わって来ると思いますけど。

 勿論、近々死にゆく事が判っている人の手記としては特に不自然でもおかしい事でもありません。私が死に立ち会った人の中にもやはりこの様な精神状態になった人は幾らかおりますし、私が同じ立場になった場合でも同様の事を言うかも知れません。死への恐怖をやわらげるための本能的な「一工夫」とも言えると思います。
 ただ、コレは基本的に自己消費のために供するべき文章であって、余人が「感銘を受ける」のに向いているモノだとは思えません。

seiryu95seiryu95 2006/08/11 22:37 >masashi様
 ご無沙汰しております。また私の拙い主張にお付き合いいただければ幸いです。
>ただ、当時の日本軍は他の国家の軍隊と比べて不当に悪いことをしたのでしょうか?私には、どうもそこに合点がいかない部分があります。

 「不当に悪いこと」という表現は少々おかしいように思います。悪いことならばそれが不当なのは当たり前だからです。masashi様の仰りたいのは、日本軍の行った不法行為の程度が当時の他の国家の軍隊のそれと比べて特にひどいものだったのか、ということだと思います。
 これについての答えは難しいです。なぜなら、評価の前提となる事実についてmasashi様がいかなる認識をお持ちなのか判らないからです。
 私の認識(例えば、南京事件においては少なくとも4万人以上の捕虜・民間人の不法殺害があり、それに付随して虐殺・強姦も多数生じた)からすれば、当時の軍隊を基準にしても、その不法の程度はかなりひどい部類に属するものだった、と考えています。
 もちろん、原爆投下やホロコーストのように規模・程度の上でさらにひどい事例が存在することは否定しませんが、それは日本軍の不法行為の有無・程度を議論する際にはほとんど意味がありません。問題とされるべきは日本軍の行為が「当時の国際法」に照らして合法な行為だったか否かであり、その点では南京における日本軍の行為が違法であったことは疑いがないと思います。

>もちろん、中国から見れば当時の日本軍に軍事力で圧倒されたわけですから、日本=即悪でしょうね。しかし、中国人の気持ちの問題は理解できますが、それが必ずしも「日本軍が特殊に悪」には結びつかないと感じています。

 そもそも、「日本軍が特殊に悪」だと主張しているひとがこのコメント欄での議論ではいないように思います。あえていうなら、日本軍は、中国において当時の国際法を基準としても違法な行為を数多くした、ということ主張しているにすぎません。それ故、理性的に考えて、当時の相対的判断基準で考えても日本軍は非難されるべきことをした、というのが私の考えです。

>ただ、中国との対話の中で戦時中の日本軍の行為がことさら取り上げられていることに違和感を感じている私がいます。

 うーん、日本軍の行為が取り上げられる原因を作っているのは、他ならぬ日本人ではないかと思うのですが(もちろんそれを中国側がうまく利用しているという面は否定しませんが)。小泉首相の靖国参拝や南京事件否定論などわざとやっているのではないかと思うような行動が目につきます。今回の百人斬り訴訟にしても百人斬りがあったと主張している側が訴訟を起こしたのではないことに留意すべきだと思います(訴訟を起こした結果、都合の悪い新証言が出てきたのはまさに藪蛇というしかありません)。
 国交も回復し、賠償問題も解決している以上、日本が変に当時の侵略を正当化するような主張をしなければ、戦争問題の政治的利用価値はかなり小さくなるでしょう。

ダートダート 2006/08/12 00:13 seiryu95氏による
「日本は中国に口答えするな」という姿勢は一貫していて
天晴れですね。

「歴史問題、永遠に言い続けよ」江沢民氏、会議で指示
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060810i111.htm

靖国参拝、「どんな条件でも反対」中国5割 日中世論調査
http://www.asahi.com/politics/update/0803/001.html

↑を読む限り
中国は日本人が滅びるまで許さないようです。凄いですね。

それにしても
過去に囚われて現在進行している悲劇から目を逸らすの
はいかがなものですかね。ダライ・ラマ14世が平和的に
チベットへ帰国出来ることを願ってます。

トリルトリル 2006/08/12 19:51 中国にとって、歴史とは未だに中華王朝イデオロギーそのものなんじゃないかなー。
その部分を卒業しないと、日本とだけじゃなく、世界ともその内に衝突するよ。

南京の4万?・・・そんなモノだろうね。
これは城壁内に限らず外から逃げ込んだ分なども考察しなけりゃいけないだろうし、周辺地域も入れなければならないと思うが、そうなるともう少し多いと思う。
が、正確な数を弾くのは無理だろう。
少なくとも中共がウダウダ言うより、国民党の持っているプロパガンダでない状況を正直知りたい。
そういうモノがあるならば、だけど。

ApemanApeman 2006/08/13 00:40 >少なくとも中共がウダウダ言うより、国民党の持っているプロパガンダでない状況を正直知りたい。

犠牲者30万人、というのは国民党政府が行なった南京軍事法廷における事実認定に起源をもつ数字なんですけど…。

masashimasashi 2006/08/14 00:55 >rice showerさん
ここでのご挨拶はお久しぶりですね^^
私などは、まだまだ物事の表面面しか捉えられないので、気の利いた言葉は言えませんが、rice showerさんのコメントは興味深く拝見させていただいています。また、よろしくお願いします。

>青龍さん
こちらからメッセージを投げかけながら、所用でお返事が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。
しかも、変な問いかけで申し訳ございませんでhした(笑)。

まず、私の文章がいつもながらつたない日本語で、うまく伝えられていない点、毎度のことですが申し訳ございません。「不当に悪い」というのは変ですね。「相対的に見て過度に悪く捉えられている」というのが実際の印象に近いです。例えば、ロシア兵の日本人に対する行為なども大きく「政治」問題にされていないだけで、ひどいものがあったようですし、韓国のベトナムでの行為などは下手すれば日本の中国における問題以上に凄惨かもしれません。
私の認識は、(いつもながら)青龍さんとは違うと思いますが、ひどい行為もあったものの、おそらく他の国の軍隊と比して「平均的には」秩序だっていたと考えています。もちろん平均値であり、局部的にひどい事例があることは想像をふまえ認識しています。
少なくとも、日本の軍隊が形式的にではあっても戦地において問題を起こさないように数多くの綱紀粛正指令が出ていることは、他国の軍隊(特に欧州がアジアに行っていたこと)と比べると格段に異なると思っています。仮に、それが誤った優越意識(アジア解放)であったとしてもです。
なお、綱紀粛正の発布が多いことは、逆に考えればそれを守らない人も多かったことを表すので、小さなレベルでは無茶なことをする兵士もいたのでしょう。ただし、全体としてそういう行為を無視したり、推奨していたわけではないというのは、公式資料から読み取れると思っています。さらには、私が元々武道をしていたこともあり、武道精神を持つ日本人からは弱者を虐げる行為は想像しにくいという気持ちを持っています。当時の日本人にも全てではないでしょうが、やはりそういう精神が受け継がれていたことは想像に難くありません。
・・・何故かと問われて、それに答えるのは難しいですが、武道とはそういうものだと私は思っています。・・もちろん、ここでも武道精神のかけらもない人も当然居るでしょう。それは否定しません。

以上のような観点から、私は当時の日本の軍隊が他の国の軍隊と比較して、相対的にひどい軍隊であるとは考えていません。それと、私自身南京事件はあっても南京大虐殺に対してはやや懐疑的な見方をしているのも理由になるのでしょう。中国人は一度公式に言い出したことは決して曲げませんし、その言う数についてはあまり意味を持ちませんから。
私は1万程度と個人的な感想は持っています。それでも非道い事に違いはありませんが、それも全て日本軍が行った事かどうかはわかりません。当時は、中国国民党兵が中国人を殺していることも多いので。
数についての議論をしても始まりませんね^^

なお、当時の日本軍の行為が当時の法律に照らし合わせて合法的であったかを問うことは、私自身はあまり意味があることではないと思っています。
それと同等以上に中国国民党軍が不法行為を行っている可能性もありますよね。便衣兵などは、国際法上は許されない行為だと思うのですが(自国の一般民衆を巻き込むわけですから)、日本軍の不法行為は問題にされ、数多くの戦犯がすでに刑を受けましたが、他国の不法行為は現在まで裁かれたことすらありません。それは、ある意味戦勝国としては当然のことかもしれませんが、ここで青龍さんに批判的な方々は、もう戦後60年もすぎた現在だからこそ、日本の不法行為のみを取り上げる現状に疑問を持っているのではないでしょうか?

日本軍が行ってきた不法行為に対して、問題があるというのはそのとおりでしょう。また、他国が行った不法行為を持ってして日本軍が行った行為が免罪されるわけではないというのも、おっしゃるとおりかと思います。しかし、私たち戦後世代の感覚で言わせていただくと、もう60年たっているにもかかわらず、戦争責任により私たちの活動まで制限されることには疑問を持っています。そして、中国や韓国のそういう制限を付けようとする行為は、感情的なものと言うよりは政治的な圧力と感じています。
本来であれば、第2次世界大戦中の中華民国の不法行為をあげて、その不法性を別途追求すればいいのでしょうが、現実には東京裁判を経た(その上、多くの年月を経た)現在そんなことはできないでしょう。
だからこそ、日本人が自分自身で冷静にかつなるべく客観的に、日本軍の良い点も悪い点も明らかにする必要があると思っています。それは、中国や韓国の言うことではなく、日本人自体が自分自身で考えて行うべきだと思います。
私自身、最近の無分別な愛国表現は、正直悲しい感じで見ています。私がバランス良いかどうかはわかりませんが(苦笑)、現状においては青龍さんのおっしゃる内容は、やや厳しすぎると感じる次第です。
百人斬り訴訟については、おそらく青龍さんと私の考えはそれほど離れてはいないと思います。日本軍に対しては過度の幻想を抱きすぎるのも問題だと思います。そういう時代なのですから。

seiryu95seiryu95 2006/08/14 03:59  かなり長くなってしまいました。木走様すみません。
>masashi様
 お互いかなり長文になっているのでこれ以上続くのであれば、次回からは
私のBlogの方でお返事しようと思います。

>私の認識は、(いつもながら)青龍さんとは違うと思いますが、ひどい行為もあったものの、おそらく他の国の軍隊と比して「平均的には」秩序だっていたと考えています。もちろん平均値であり、局部的にひどい事例があることは想像をふまえ認識しています。

 「平均的には」どうであったかを問うことは意味がないのではないでしょうか。問題とされているのは、局部的(かどうかは議論の分かれるところですが)なひどい事例の有無とその評価なのですから。
 日本が被害者であった事例を見ればそのことは判ると思います。たとえ、アメリカが「平均的には」秩序だっていたとしても、原爆投下や空襲のような事例の有無や責任を問うことは何もおかしいことではないのです。


>なお、綱紀粛正の発布が多いことは、逆に考えればそれを守らない人も多かったことを表すので、小さなレベルでは無茶なことをする兵士もいたのでしょう。ただし、全体としてそういう行為を無視したり、推奨していたわけではないというのは、公式資料から読み取れると思っています。

 仮に、綱紀粛正の命令がなされていても、それにもかかわらず日本軍の不法行為が続いていたのであれば日本軍の責任であることには変わりありません。不法行為が継続していることを認識しながらその実効的な防止策(日本軍にはそれを採る義務があるのですから))を採らなかったことは、それらの行為を推奨はしていなくても黙認していたといわれても仕方がありません。また、綱紀粛正の命令があったから、命令違反が小規模なものだったというのは少々論理のすり替えがあるように思います。
 また、この論理は、不法行為を防ごうとした軍上層部とその命令を無視した個々の兵士、という図式を持ち出すことで戦争責任を個々の兵士に押しつけている点で妥当でないように思います。
 
>・・・何故かと問われて、それに答えるのは難しいですが、武道とはそういうものだと私は思っています。・・もちろん、ここでも武道精神のかけらもない人も当然居るでしょう。それは否定しません。

 ここでも、戦争における不法行為の責任を、兵士個人の資質に帰している点に問題があると思います。もちろん、不法行為の実行を行った兵士個人に責任はあると思いますが、補給が不足したまま先の見えない行軍を続行したことにより、兵士の精神状態が悪化していた点や、捕虜の殺害については実際に命令が出ていることなど、軍上層部の責任は決して軽くありません。

>私は1万程度と個人的な感想は持っています。それでも非道い事に違いはありませんが、それも全て日本軍が行った事かどうかはわかりません。当時は、中国国民党兵が中国人を殺していることも多いので。
数についての議論をしても始まりませんね^^

 この点については俄には首肯しかねます。日本軍の戦闘詳報などの公式記録からでも
数万の殺害の事実は確認されていますから(現存する戦闘詳報や陣中日誌が全体の一部にすぎないことを考えると1万程度というのはいくら何でも過小評価しすぎであると考えます)。

>なお、当時の日本軍の行為が当時の法律に照らし合わせて合法的であったかを問うことは、私自身はあまり意味があることではないと思っています。
それと同等以上に中国国民党軍が不法行為を行っている可能性もありますよね。便衣兵などは、国際法上は許されない行為だと思うのですが(自国の一般民衆を巻き込むわけですから)、日本軍の不法行為は問題にされ、数多くの戦犯がすでに刑を受けましたが、他国の不法行為は現在まで裁かれたことすらありません。それは、ある意味戦勝国としては当然のことかもしれませんが、ここで青龍さんに批判的な方々は、もう戦後60年もすぎた現在だからこそ、日本の不法行為のみを取り上げる現状に疑問を持っているのではないでしょうか?

 まず、便衣兵については、軍服を脱いで攻撃を仕掛けるという意味での便衣兵は日本の記録にも存在していないことを指摘しておきます。敗走の過程で軍服を脱いで逃走した兵士は存在しましたが、それ自体は犯罪行為ではありません。特に日本軍が捕虜を殺害している(これは日本側の記録にきちんと残っています))状況では、日本側がそれを責めることはあまりにも勝手でしょう。
 次に、日本軍の不法行為と対置させるのに中国国民党軍の不法行為の「可能性」を持ってくるのは少々不公平にすぎるように思います。日本軍の不法行為は日本軍の公式記録や兵士の日誌などからかなりの確実性を有しているのですから、それと中国側の不法行為を対置させたいのであれば、中国側の不法行為を認定するに足りる資料を持ってくる必要があるのではないでしょうか。
 最後にこれが一番重要ですが、masashi様は最初現在の基準で裁くことの不当性を主張されていました。それに対して私が過去の基準においても当時の国際法に違反していることを指摘したら、それすらも意味がないと仰られています。現在の基準でも過去の基準でも裁くことができないとしたら、いったい戦争犯罪というのは何を以て裁くべきなのでしょうか。
 他国の戦争犯罪が裁かれていないことを理由に自国の戦争犯罪が指摘されることを批判するのは、チベットを免罪の道具にすることと何ら変わりはありません。
 また、近年の南京事件に関する論争は、否定論に対する反論という形でなされていることは押さえておくべきだと思います。日本政府自身が南京事件を始めとする中国における戦争犯罪についてその存在を認め謝罪している以上、虐殺があったと考える者にとってそれ以上何もなければ、虐殺の有無を議論する意味はほとんどありません。しかし、このような不法行為の有無や評価について否定論が出てくるのであれば虐殺肯定論を採る者として、その主張の問題点を指摘するのはごく当たり前のことです。このような反論行為を、いつまでも日本の戦争犯罪だけを非難しているととらえるのは、前後の文脈を無視した不公平な評価でしかありません。

>しかし、私たち戦後世代の感覚で言わせていただくと、もう60年たっているにもかかわらず、戦争責任により私たちの活動まで制限されることには疑問を持っています。そして、中国や韓国のそういう制限を付けようとする行為は、感情的なものと言うよりは政治的な圧力と感じています。

 中国の主張に政治的な側面があることは否定しません。そのことは前回も申し上げました。しかし、そのような中国の主張を効果的にしているのは、他ならぬ日本側であることは指摘しておく必要があります。


>私自身、最近の無分別な愛国表現は、正直悲しい感じで見ています。私がバランス良いかどうかはわかりませんが(苦笑)、現状においては青龍さんのおっしゃる内容は、やや厳しすぎると感じる次第です。

 繰り返しますが、私が今回問題にしたのは南京事件と百人斬りの有無・内容とその評価についてです。問題とされるべきは個々の不法行為であって、それを超えて日本軍全体が悪辣だったとか質が悪かったとか評価しているわけではありません。
 それを厳しすぎるといわれると、ちょっと困ります。今回のように過去の戦争犯罪の事実すら否定されているようなときに、それが間違っていることを主張するのは決して過去の問題の蒸し返しではありません。むしろ、蒸し返し政治問題に発展させているのは否定論者の方なのですから、masashi様が問題にするべきだとしたらそちらなのではないでしょうか。

kemu-rikemu-ri 2006/08/14 04:18 話が南京事件全体や日本軍一般に拡散しているようですが、野田少尉の話に戻します。
野田少尉は「今般中国の裁判に於て俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定させられましたことに就ては私は断乎無実を叫ぶものであります」と述べていますが、しかし鹿児島で野田は「据え物斬り」を行ったことを自ら披露しています。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2632;id=sikousakugo#2632
「野田が鹿児島を訪問したのは三九年五月に戦地から岐阜へ帰り、八月に北朝鮮の会寧へ転勤した合い間の七月で、鹿児島一中、付属小、それに父が校長をしていた田代小学校と少なくとも三ヵ所に顔を出したようだ。その時、鹿児島一中の三年だった日高誠(のち陸士五十八期を卒業)は、野田が全校生徒を前に剣道場で捕虜の据え物斬りの恰好をして見せたのを記憶している。彼は違和感を持ったが、あとで剣道教師からも「とんでもない所行だ」と戒められたという。どうやら一般住民はともかく、野田が白兵戦だけでなく、捕虜を並べての据え物斬りをやったと「告白」したのは事実らしい。」
これは東京日日での「虚報の武勇伝」とは独立した問題です。野田が言う通り「捕虜殺害をやっていない」のなら、なぜ地元の学校の剣道場で「捕虜の据え物斬りの恰好をして見せた」のでしょうか。

こういう調査の結果を踏まえると、野田の手記には、肝心な自らの所業に関して「ウソ」をついている可能性大、とみるのが妥当でしょう。

私が野田の手記のいくつかの発言を「正しい」と思いつつ、決して感動も共感もしないのは、このように野田がウソをついている可能性が大きいと判断するからです。
むしろ野田を誤審の犠牲になったイノセントな存在、それでも復仇を戒める高潔な存在であるかのように見せるのは、それこそ「原告団」が流布したい「イメージ」にすぎず、そのイメージ操作を批判的に読み解くのが「メディア・レテラシー」ではないかと思うのですが、この点で木走さんのリテラシーに疑問を持ちます。

asdfasdf 2006/08/16 01:18 議論?が白熱してる所申し訳ない

>>この野田毅元少尉の獄中手記がなぜ話題にならないのか私には理解できません。

たぶん手にとって立ち読みするにしても購入するにしても
相当勇気が要る雑誌に載ってしまったからだと思います

せめて文藝春秋か中央公論辺りならば、もう少し読まれたでしょうね

しかし…
>>チベット侵略を持ち出して日本の侵略を相対化しようとする行為

相変わらずですなぁ

asdfasdf 2006/08/16 01:34 >>たぶん手にとって立ち読みするにしても購入するにしても
相当勇気が要る雑誌に載ってしまったからだと思います

補足しますが勿論笑うところです(恥)

masashimasashi 2006/08/19 10:40 >青龍さん

またまた、お返事が遅くなってしまったこと、深くお詫びいたします。
また、非常に長くなったので、この場をお借りするのは難しいですね^^。木走さん、どうもすみません。
個々の内容にコメントを返していると長くなりすぎるので、簡単に。

まず、私の文章が細かいところに矛盾がある点は、深くお詫びします。言葉尻まで気にせずに一気に書いているため、ちょっと書きすぎがあることは申し訳なく思っています。
では、要約して何点か。
日本軍に局部的に悪い点があったことは認めます。そもそも戦争なんてそんなものでしょう。ただ、その事実がもっとも重要で、その量や内容が(それを私は「平均的」という曖昧な言葉で表現してしまいましたが)問題にならないとは思っていません。本来戦争などは、殺し合いなので狂気の連鎖です。当時の法に基づいても問題があることは、私も認めています。
あくまで、日本軍が他国と比較して相対的に悪いとは思えない。。と私が感じているが、敗戦国という点から日本軍が事実以上に悪く言われているのではないか?という疑問点が、今回の問いかけの発端です。
綱紀粛正の件は、愚問でしたね。それを違反する人が多かったことと、それすらしない国が数多くあることでは比較対象にもならないと言いたかったのですが。

私も、第2次世界大戦で中国への侵攻したことは、現時点で評価すれば決して良かったことではないと思います。そう言う意味で当時の指導者は問題視されるべきでしょう。・・・歴史的評価の上でですが。

しかし、実際の蛮行は戦闘の延長線上で現れますよね。そして、その蛮行が問題とされておると思うのですが、そこで兵士個人の資質に押しつけていると言うのは、私の感覚からして言えば違和感があります。・・・それは、結局中国への侵攻を決定したやつが全て悪いという、戦争そのものの責任に広く拡散させすぎているように思います。・・もちろん、それが問題であることは私も認めますが、実際の蛮行の主因をそこに求めるのは変じゃありませんか?

あと、南京大虐殺で、戦闘による死亡者数を加えるのは意味が違うと思うのですが、あくまで戦争は事実ですから、問題とされるのは虐殺されたとされる一般市民の数を考えるべきだと思うのですが。
このあたりも青龍さんと私の評価軸が全く異なっているように思います。
数万人を殺すことなど、決して容易なことではありません。特に、建物の破壊があまり無いことは、南京攻略後の映像でもわかるのですが、爆弾等の武器を使わずに、通常の銃や刀のみで数万人を殺すことなど(当然逃げることを考えると)決して容易なことではありませんよね。

中国国民党軍の話は余分でした。持ち出したことはお詫びします。
また、「当時の日本軍の行為が当時の法律に照らし合わせて合法的であったかを問うことは、私自身はあまり意味があることではないと思っています。」これは、変な事書いていました。問題がないわけではありません。これも深くお詫びします。勢いでかくと駄目ですね(苦笑)。
趣旨は、戦争というものは不法行為の連鎖がお互いに起こりやすいものである。という事を書こうとしたのですが、変な文章になってしまいすみませんでした。

私は、戦争から学ぶことは多いと思っています。それは、過去の行為をこれからの糧にすることに意味があると思っています。過去の過ちを反省することは非常に重要ですが、それは単純に過去を断罪することにはイコールではないと考えています。

青龍さんのおっしゃることが理解できないわけではありません。ただ、根本認識の違う部分で、その歩み寄りが決して容易でないことは、「日中間の問題と重なり合うな」と思うところです。

clawclaw 2006/08/20 15:10 ▼「痛憤」とか「感銘」とか「断罪」とか「反省」とかはしたい人がすればよろしい。(@∀@)
大事なことは「記録」でしょう。多数・複数の証言記録を突き合わせていけば事件の概要は把握できるものです。たとえそれらの間に矛盾が生じていたとしても、全体として何が起こったかは見えてくる。そのなかで「遺書」は資料のひとつにすぎません。

▼さて、当時の南京周辺には50万人ほども日本兵がいたので、1人の兵士が1人の中国人を殺せば
50万人の死者を出すことも実に容易です。(@∀@)
また殺害方法にしても、第16師団にいたわたしの祖父のように「捕虜の手足を針金でしばって川に投げ込む」という方法であれば銃弾すら必要がない。(実際には死にきれない捕虜が浮いてきたところを銃撃したりしていますが)
ゆえに「日本刀でそんなに殺せるわけがない」というのは反論として意味を持ちません。

▼要するに「虐殺」なんてのは簡単に起こせるってことです。
ルワンダの大虐殺ではナタを持った民間人がウン十万を殺害しましたが、皇軍兵士はアフリカの民間人にすら劣る殺傷能力しか持たなかったのでしょうか?(@∀@)

▼そろそろ現実を直視して、「なぜ虐殺が発生することになったのか(そして今も発生しているのか)」について考えるべきでしょう。虐殺が発生する条件を知れば、それを防ぐことも可能になるかもしれない。

▼もう一つ。「戦略なき国家が吹きまくる笛に調子に乗って踊っていると、いずれ破滅する羽目になる」というのも、この事件の教訓でしょう。うちの祖父は「中国や英米と戦争して勝てるはずがない。上司にゴマをすって取り入って、危険な戦いを回避しよう」という戦略で戦場を生き延び、もちろん軍隊生活では勲章の一つももらいませんでしたが、戦後はある功績で叙勲されています。政治的には保守派ながら、口癖は「国の言うことは信じるな。逆目を張れば間違いない」。(@∀@)

KYKY 2007/12/06 12:47  ↑
 実際に「日本軍最強伝説」を盲信する人を見ると、マジでドン引きしますね。

 >皇軍兵士はアフリカの民間人にすら劣る殺傷能力(以下略)

 「軍隊の役目」を知らない馬鹿が抜かすパターン。「殺すこと」が主目的なのではなく「敵地の占拠」が本来の目的(の1つ)。無意味な殺戮と破壊は目的の遂行を阻害するばかりか部隊の危機を招きかねない。

 他に言いたいことはあるけど、いい加減脳内妄想は止めてね。

とうとう 2013/08/15 12:09 お疲れ様です。

この「百人斬り裁判」について分かりやすく解説したサイトを見つけましたので、
ご紹介します。

やる夫で学ぶ百人斬り裁判
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1373676357/

2005-03-31 『「ナヌムの家」で慰安婦問題と向き合う』を考察する

[][][]『「ナヌムの家」で慰安婦問題と向き合う』を考察する 18:04

今日の産経新聞から。

従軍慰安婦の記述は不適 歴史教科書で文科政務官

 下村博文文部科学政務官は31日の参院文教科学委員会で、従軍慰安婦に関する教科書の記述について「子どもたちの成育、発達段階を考えると、中学生の歴史教科書に慰安婦という言葉を入れることは適切ではない」と述べ、中学校の教科書にはふさわしくないとの考えを示した。

 下村氏は、中山成彬文科相が昨年11月、「従軍慰安婦や強制連行という言葉が(教科書から)減ってきてよかった」と述べたことに関連、「慰安婦は当時存在し、それは否定しない」としつつも「強制連行や従軍慰安婦という言葉は当時、使われていない」と指摘。「使われていない言葉を教科書に使うことは適切でない。その意味で減ってきてよかったという視点から(ホームページなどで文科相発言を)支持した」と述べた。

 また、従軍慰安婦などの言葉について「マルクス・レーニン主義(者が使う)用語として、1960年代になって学説として出た」と強調した。民主党の神本美恵子氏への答弁。(共同)

産経新聞(03/31 14:52)

http://www.sankei.co.jp/news/050331/sei082.htm

 従軍慰安婦という言葉がマルクス・レーニン主義者が使う用語として、1960年代になって学説として出たことは知りませんでしたが、おそらくここの読者のみなさまの考えも二分されるのだろうやっかいな問題を今日は取り上げてみます。

 制度としての従軍慰安婦は間違いなくあったのだろうと考えていますが、現在の私のこの問題に対するスタンスは無色です。

 一部リベラル派が主張している大半が強制的連行に近い形(そうなるとこれは明らかに犯罪行為的色彩を帯びてきます)で女性達が集められたのかは、その割合が何%ぐらいであったのかが実証されていないのではないかと思っています。

 また、一部保守派が主張している当時の日本軍は直接これに関与しておらず、朝鮮人斡旋業者が本人は知らぬ間に親に金を渡し、本人を連行(つまり、本人としては強制連行に近い経験をした)したケースはあっても、大半が本人の意思のもとに募集したというのも、やはり割合が何%であったのかが実証されていないのではないかと思っています。

 今日ここで議論したいのは、一部従軍慰安婦擁護派と一部従軍慰安婦否定派の議論のあり方についてです。

●JANJANのある記事をめぐって

 インターネット新聞JANJANにおいて、今、ある従軍慰安婦関連記事が議論になっています。

「ナヌムの家」で慰安婦問題と向き合う(上) 2005/03/25

http://www.janjan.jp/world/0503/0503244913/1.php

「ナヌムの家」で慰安婦問題と向き合う(下) 2005/03/31

http://www.janjan.jp/world/0503/0503295134/1.php

 これは、ある韓国の大学に留学中の日本人女性が、「ナヌムの家」という元慰安婦であったおばあさん達が住んでいる施設で体験した、体験レポートを記事にしたものです。

 記事の内容、記事に対する熱い討論は、是非JANJANを御覧いただくとして、いつもながら、この記事をめぐるJANJAN上の討論は、虚しいというか悲しい水かけ論にまたしても終始しています。 反対派は、記事の持つルポとしての価値などいっさい評価せず、慰安婦の話がいかに信憑性がないか、事例を列挙しながら、記事を批判しています。また、リベラルな賛成派は、実証性も問わず盲目的ともいえる記事賛美を繰り返します。

 自省・自戒を含めてですが、なぜ朝鮮半島のことになると日本人はこうも冷静さを失うのでしょうか?

 もし、この記事がアメリカ先住民の虐殺資料館体験ルポだったとしたら、おそらくもっと冷静な議論がされているのでしょう。

●私はルポとして評価したい

 記事と討論に関する木走の個人的意見を述べたいと思います。

 まず、木走はこのルポルタージュ的記事を高く評価しています。

 高く評価している理由は、記者本人が現場に行き経験したことを記事にしていることにつきます。この記事自身が一次ソース(情報源)であり、新聞やテレビ・インターネットで知ったソースを再発信している、2次ソースや3次ソースの駄文記事ではないことです。

 これはメディアリテラシー的にいわせていただくと、その内容の賛否は、読者の判断にゆだねられるとして、読者の知見を広めるという意味で、価値ある情報なのです。

 メディア(記事)は、事実をアウディエンス(聴衆・読者)に対して媒介することが目的であります。その原点のところで、このルポはしっかり役割を果たしているのです。

 もっとも、細かく見ればもちろん、木走的にも不満もあります。

 日本人拉致事件とリンクしていないとか、ではどうすべきかという具体的提案がないとか、実証性の問題がいっさいふれられていない(そもそもおばあさんたちの話は本当に実話なのか)とか、あげればキリはないでしょう。

 以下は、今日、JANJAN誌上で、私がこの記事に対し書いたコメントです。

[7212] すばらしい記事です。

名前:木走まさみず

日時:2005/03/31 13:05

 すばらしいレポートでした。

 土肥郁美記者という一人の日本人女性が「ナヌムの家」を通して多くのことを学び悩みそして心の内なる葛藤を乗り越えて、自己の中でひとつの「行動原理」を獲得していく体験レポートとして、秀逸であります。

 私は残念ながら「ナヌムの家」にいったことはございませんが、機会があれば是非向学のためにもうかがいたいと思いました。

 さて、私は深く考えざるを得ないのは、土肥郁美記者の記事の結語です。

記事より引用====================

 今も、世界では戦争が行われている。ハルモニたちのような女性がどこかで、助けを求めているかもしれない。私の存在は、世界的な規模で見たら、本当にアリの大きさにも満たない、小さな小さな存在である。しかし、そのアリの集団が国家を形成している。アリも集まれば、大きな力になれると私は信じている。

======================引用終了

 戦争の悲惨さを訴える反戦活動、あるいは戦地で犠牲になる弱者達(女性だけでなく子供や老人も含めてよいでしょう)に対する支援活動、それらに微力ながらも参加していきたいという、土肥記者の心情がよく表れています。

 しかし、ここでの表現をお借りすれば、「アリも集まれば、大きな力になれる」のは事実として、いかにして賛同する「アリ」を増やしていくのか、その方法論が描かれていません。

 自分の信じてることを大きな声で、一人でも多くの人々に叫ぶことによって、心ある「アリ」達がある程度集まってくれることもあるでしょう。

 しかし、たとえば土肥記者のレポートの(上)のご意見版にも展開された議論を見ましても、唾を飛ばして自分の信じることを叫んでも、反発を買うケースが多いのです。ここは方法論を考察しなければなりません。

 『大義の支持者』と『真理の探究者』という言葉があります。

 人はある出来事に対し、『大義の支持者』に陥ると、自らの意見に対し、信じるがゆえに思考を停止してしまい、その実証性を検証しなくなります。

 誤解を恐れずいえば、多くの宗教の信者がそれにあたるのでしょう。それを否定するわけではないのですが、その宗教を信じない人々と冷静に実証的に話し合うことが難しいのも事実です。

 いっぽう、『真理の探究者』は、物事の実証性を重んじます。本当にあったことは何だったのか、自分が信じていてそうあってほしいと考えている事実も、あるいはその事実が実証されると自分の今信じていることが否定される事実も、『真理の探究者』の前では、等しく平等なのです。

 一人の「アリ」が多くの賛同者を増やしていくためのは、その内なる熱情・パッショとともに、冷静なる『真理の探究者』の姿勢が絶えず必要なのではないでしょうか?

 この記事を拝読しつつ、私はそんなことを考えていました。

 いろいろな意味ですばらしい記事をありがとうございました。

http://www.janjan.jp/world/0503/0503295134/1.php

 何やら、私が書き込んだ後も、JANJANの左右論客達が揉めているようです。(苦笑)

 読者のみなさまのご意見をうかがいたいです。



 (木走まさみず)

<関連テキスト>

●『大義の支持者』と『真理の探究者』

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050222

●朝鮮半島歴史問題をメディアリテラシーしてみましょう。

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050227

masashimasashi 2005/03/31 20:12 忙しいと言いながら、またまたお邪魔を(笑)。従軍慰安婦の問題については、いろいろな人の意見を参考にした個人的な感想は持っていますが、自分で直接いろいろな資料に当たってないので、「めでぃありてらしぃ」的には態度保留です(笑)。
ただ、かつてのJANJANでの議論を通じて感じてきたのですが、事実を問題とするケースにおいて論理的なアプローチをするのか、あるいは感情的なアプローチをするのかが立場に応じて比較的明確に分かれている問題なんだなと感じていました。
例えば、従軍慰安婦問題では、軍(あるいは政府)が直接関与した強制的な従軍慰安婦が「無かったこと」を証明することは実際上できませんから、あったことを(およびその程度)を証明する問題かと思います。しかし、こうした問題を議論する時にいつもそこに感情論(主に「怒り」「悲しみ」)が持ち込まれ、事実問題の追及が矮小化されているように感じています。
これは、自己の主張を正当化するための一つの方法論なのでしょうね。論理的な議論を積み重ねて結論に至ると言うよりは、非常に強力なイメージ(感情)を全面に押し立てて主張することで、社会的な既成事実化を図って自己の主張を有利に展開しようと言う手法なのだと思います。
そう言う方法を取る相手と、論理的に話し合おうと思っても、本来違う土俵で違う競技を行っているようなものですから、理系の人が考えるようなアプローチにはならないのかも知れません。戦略的に異なるのですよね。

また、社会的に見た場合には自分に直接関係ない問題をわざわざ掘り下げて考えようと言うような酔狂な人が少ない(つまりメディアリテラシーなど気にしない人がまだまだ多い)訳ですから、強烈な感情的アピールは大きな武器になると思います。そして、声の大きな(比較的感情的な)人の方が最終的には大きな利得を得ているような気がします。
個人的には、感情的なスタイルは好きではありませんが、そういう戦略をとることは理解できます(自分も必要であればそういう方針をとることもあると思います)。問題は、メディアがそれに荷担することが気にくわないですけどね。なんか、メディア論みたいになりそうなので、この辺で。

kazukanakazukana 2005/03/31 20:46 JANJANっていつもこんなにお祭り騒ぎしているのですか?(爆
記事とそのご意見版ですか、BBSみたいなやつ拝読しましたが、お世辞抜きで木走さんの意見が一番冷静で、かつ、読みやすかったですよ。僕の個人的意見では、この記者の女性は申し訳ないですがかなりエモーショナルというか感情的な文章で、いわゆる一般紙でいる記事のレベルには程遠いと感じました。ただのルポならばそれなりに評価できますけど、「日本が戦争準備している」みたいな、香ばしい決め付けは、これはいただけませんね。 木走さんの評価とは分かれて申し訳ないですが、僕的にはやはりこの記事はかなり偏っているなあと感じました。もっとも、中立性を保つというには、難しい話題なんでしょうけどねえ。masashiさんのおっしゃるとおり、感情的アピールが大きいほうが特にJANJANでは受けるのでしょうか?
 どうでもいいことですが、JANJANってプロ市民みたいな人の集まるところと思っていたのですが、けっこう右よりの人もいるんですね。びっくりしました。

海岸通り海岸通り 2005/03/31 21:32 木走さん。ひさびさにJANJANにコメントされたんですね。もっといっぱい記事とかコメント書いてくださいませ。
>kazukanaさん
JANJANは最近すごく荒れているんです。一部の人なんですが体制批判記事や反戦平和記事にことごとくクレームを付けて”荒らし”的コメントを書き連ねている人たちがあるのです。私個人は、自由討論の場ですからいろいろな意見の人がいてその中で議論しあうのは大歓迎なんですが、この記事に対するコメントもそうですが、少し感情がむき出しの誹謗・中傷が多くなっているのです。とても残念なことです。

この記事については、私としては良記事だと思っています。従軍慰安婦の中には不確かな言説をする方がいるのかもしれませんが、かつて日本が侵略戦争で行った多くの過ちのひとつとして、私たち日本人は忘れてはいけないことだと思います。過去ばかりとらわれては未来に向けて友好親善など図れないという人々には辟易しています。木走りさんがおっしゃる実証性に関しては正論だと思いますが、事実の証明ができるまで何も語れないとするならば、当時の慰安婦になったハルモニたちの多くがハングルの読み書きもできない
貧困層からかき集められたことを考えるとき、自分の生年月日も知らない人が大半であることを考えるとき、私は暗然たる気持ちになってしまうのです。

根岸又郎根岸又郎 2005/03/31 22:14  木走さん、みなさま、はじめまして。旧「名無し」です。

 戦時中、「従軍慰安婦」は存在した。この一語を以て、進歩的文化人や支援者達は小躍りするかも知れませんが、それは彼らの早合点と言うものです。私が言いたいのは民間業者が日本軍向けに行っていた「売春」は存在しただろうが、日本政府・軍が「国策」として、「従軍慰安婦」に関与した事実は無いと言う事です(両者を混同すべきではない)。
 まず、当時 ── 戦後になって「従軍慰安婦」と呼ばれる事となる女性達の多くが、大和撫子 ──「日本女性」だったと言う事実です。そして、彼女達は「強制連行」されて来た訳ではなく、自ら「志願」してその世界に飛び込んだと言う事実です。よく、「従軍慰安婦」と言うと、軍の管理する施設に「隔離」され、外界とは接触を許されずに、来る日も来る日も、日本兵の相手をさせられたと言う事になっていますが、これも虚偽です。彼女達は、食べ物にも事欠くご時世の中、「三度の飯」が保障される「従軍慰安婦」の世界に自ら飛び込みましたが、軍の管理する施設に隔離等されてはいませんでした。又、時として、「客」として通ってくる常連兵士と街に出て、ご馳走を飲み食いし、ダンスを踊ったりして楽しんだ共言います。こう言う証言に接すると、当時の「従軍慰安婦」達と、現代の風俗嬢達と、一体、待遇で何処が違うのか?と考えざるを得ません。
  
 第二次世界大戦中のアジアには、日本を含め悲しいことに自分の娘を売って、一家が生き延びなければならないどうしょうもない貧困が各国に存在していた。このような社会状況の中で、娘を買って、公娼や私娼経営者に売春婦として斡旋をしていた「女衒」と呼ばれた仲介業者が日本人にも朝鮮人にもいた。売られた各国の娘は、客に体を提供、収入をえ、前借金に充当させられた。これが当時の売春業の実体だ。
 太平洋戦争に突入、日本軍は、中国大陸や東南アジアに戦線を拡大するにおよび、一部売春業者が、これら軍隊を相手に売春業を現地で始めた。売春相手が、民間人か軍人かの違いはあるが「女衒」が娘をカネで買って業者(日本人も朝鮮人もいた)に供給している構造に変化はない。

 最後に、「従軍慰安婦」を声高に叫ぶコリア人に問いたいと思います。コリアでは中華秩序 ── 朝貢制度によって、宗主国・支那と属国・コリアと言う関係が成立して以来、歴代コリア王朝は、歴代支那王朝に対して、「貢女」(コンニイ)と呼ばれる若い女性 ── つまりは「宮廷慰安婦」を「献上」しており、コリアは「貢女」の名産地として有名でした。又、李朝時代には、「妓生庁」と言う役所を設置し、国家管理下に、「妓生」(キーセン)を育成していました。そして、この伝統は、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が推進した国策としての売春観光政策(キーセン・ツアー等) ── 「売春立国」や、北朝鮮の最高指導者・金正日(キム・ジョンイル)肝煎(きもい)りの「喜び組」として
脈々と受け継がれているのです。こう見てくると、コリアにおける「貢女」・「妓生」・「売春立国」政策・「喜び組」と、「従軍慰安婦」の何処がどう違うのか? と考えざるを得ません。この点を明確にしないまま、日本の「従軍慰安婦」を殊更(ことさら)問題にするコリアの不条理こそ、問題ではないでしょうか?

 以上は、私個人の意見ではありません。多くの日本人の良心の叫びです。

kibashirikibashiri 2005/03/31 22:53 みなさま。コメントありがとうございます。今日は年度末で本職の方で時間がいっぱいいっぱいです。たぶん、完徹になります。(汗
したがって、みなさまのコメントは明日しっかりとさせていただきます。もっともしっかりROMはしていますので、このあともご自由に書き込みしてくださってけっこうです。(管理人がROMって有りか?)
ひとことだけ。根岸又郎様。名乗っていただき光栄です。考え方は全然木走と離れていますが、参加いただき光栄です。(微笑
では、みなさま、今宵木走はやくざな本業にいそしみます。(涙

kibashirikibashiri 2005/04/01 10:45 masashi様。
>声の大きな(比較的感情的な)人の方が最終的には大きな利得を得ているような気がします。
>問題は、メディアがそれに荷担することが気にくわないですけどね。
 おっしゃるとおりです。左右を問わず言えることなのですが、もう少し科学的アプローチができないものかなと、いつも私は考えています。昔の話ですから実証が難しいこともあるかと思いますが、現存する資料とか証拠となる物証とかをもとにして、冷静に客観的学問的評価できる手法を採用できればいいんですけれど・・・
 それにふがいないのはメディアですね。メディアには、このような分野にこそ冷静に知的アプローチを試みてほしいのです。

kazukana様。
>JANJANっていつもこんなにお祭り騒ぎしているのですか?(爆
はい。毎日がお祭りです。(爆
>ただのルポならばそれなりに評価できますけど、「日本が戦争準備している」みたいな、香ばしい決め付けは、これはいただけませんね。
そうですね。純粋な分だけ、やや視野が狭くなっているきらいは感じますね。記事の結語のほうは、ちからが入り過ぎかな、とも思います。でも、まあ、木走として一人の女性の体験ルポとしては興味深い記事だと思いますけどね。

海岸通り様。
>事実の証明ができるまで何も語れないとするならば、当時の慰安婦になったハルモニたちの多くがハングルの読み書きもできない貧困層からかき集められたことを考えるとき、自分の生年月日も知らない人が大半であることを考えるとき、私は暗然たる気持ちになってしまうのです。
 重い考察です。実証する手法があればいいのですが・・・
 この問題は私も正直勉強不足なので、今後いろいろ調べてじっくり考えてみたいですね。

根岸又郎様。

名乗っていただきありがとうございます。

>民間業者が日本軍向けに行っていた「売春」は存在しただろうが、日本政府・軍が「国策」として、「従軍慰安婦」に関与した事実は無いと言う事です(両者を混同すべきではない)。
 純粋に教えていただきたく思うのですが、そういいきれる根拠はどこらへんにあるのでしょうか? 私が不思議に思うのは、科学的領域での話ならばひとつの学説が科学的に証明されれば、相反する学説や古い学説は普通退けられるのですが、この問題はそう単純ではないのでしょうか?

>第二次世界大戦中のアジアには、日本を含め悲しいことに自分の娘を売って、一家が生き延びなければならないどうしょうもない貧困が各国に存在していた。このような社会状況の中で、娘を買って、公娼や私娼経営者に売春婦として斡旋をしていた「女衒」と呼ばれた仲介業者が日本人にも朝鮮人にもいた。売られた各国の娘は、客に体を提供、収入をえ、前借金に充当させられた。これが当時の売春業の実体だ。

 ここの部分はとても頷けました。当時日本においても、特に貧しい農村部で娘を売ってしまう悲劇は決して希有なケースではなかったと聞いています。
 貴重な情報ありがとうございます。


 みなさま、コメントありがとうございます。この問題は今の私としては関心がありますが、知識がないのでスタンスは決めかねている状態です。もうすこしじっくり勉強してみたいです。

rice_showerrice_shower 2005/04/01 11:39 あるコリア系日本人の方との対論の中で、同氏が「サイエンスの世界では、学術誌と一般雑誌の区別が厳然となされており、学者以外が口出しする隙がない状態です。 ところが南京事件など近代史に関しては、一般の素人の書いたものと歴史学者の書いたものが一体渾然となっているために、100人いたら100人とも意見が異なるということになっているんだと思います。 しかも素人がいかにも専門家面しているし...」と発言されていたのですが、私が慰安婦問題や南京事件について、いまいち深い興味を持ち得ず、虚しく感じるのは、“事実すら共有出来ていない、そしてベースを欠いたままでの史観のせめぎ合いになっている”この一点に尽きます。  
証言を引き出す側に“香り”がついているため、仮にそれが当事者の語る事実であっても共有されない。 前にも言ったように史観の(完全な)共有は不可能です。 だから、言いっぱなし、書きっぱなしで終わってしまう。
韓国に物言う前に(北は置いといて)、先ずは日本の擁護派、否定派の間で、事実の共有から始めてもらえないものか。
JANJANの記事については、事実なら自分がオスであることが恥ずかしくなるほど痛々しい話だ。
しかし、日本の帰国中国残留孤児の多くが生活保護に依存して生活していることから、「ナヌムの家」のハルモニも、一般社会では差別も有り、生活が出来ないから、ここに身を寄せているという状況も推測され、その証言が創作ではないか、との疑惑が呈示されるのもreasonableだと思う。  
例えば、一般の生活保護と、ここで生活する際の、経済的、物理的環境の差なども知りたいものだ。

ふにふにふにふに 2005/04/01 12:17 はじめまして。
いつも拝見させていただいています。
さて、従軍慰安婦(あちらよりの人は追軍売春婦と呼ぶのかな?)問題ですか、またややこしいネタを・・・・・
私が以前より気になっている事なのですが、軍隊というところは、巨大な官僚組織なんです。
それこそ、戦艦の建造から始まって、鉛筆一本の発注にも書類が必要な。
そこで、旧日本軍が、慰安所に関して作成した書類というものがほとんど出てこない。
以前韓国だったかで証拠だ! といって出てきた書類は、「売春宿で最近性病が流行っているので、経営者に注意するように」といったものや、「あまりにもひどい業者がいるので、営業を停止しろという命令」だったりで、具体的に、女性を慰安所に連れてくるように、というような命令や、どこどこに慰安所を作るので、予算がこれくらいかかって・・・・etc というような資料が出てこないんです。(もしそんな資料が出てくれば大騒ぎになると思います)
まあ、反対派の人は書類なんか作成しなかったとか、すべて焼き捨てられたから無いんだとか主張されるわけですが、ドイツの例などを考えても、一切の資料が出てこないというのは異常だと思うのです。
そのため、私は所謂「従軍慰安婦」には懐疑的です。
慰安婦として働いていた方たちは、日本人・朝鮮人・中国人にかかわらず、可哀想だとは思います。(自分でお金を稼ぎに行った方についてはなんとも言いませんが・・・当時は商売として認められていたわけですから)
ですから私の今の時点での結論は、「文句の言い方、言う相手が違うんじゃないの?」
というものです。
新資料や、決定的な証拠が出てくれば別ですが、それを行わなければならないのは、肯定派でしょうね。
否定派は、あえて探さないでしょうから。(中には律儀に調べている人もいるでしょうが)
無いことを証明するよりは、あることを証明するほうが、まだ簡単なのですから・・・・・・

kibashirikibashiri 2005/04/01 17:58 rice_shower様。「先ずは日本の擁護派、否定派の間で、事実の共有から始めてもらえないものか。」なるほどそれだったのか、データや条件が不一致なところで科学的考察を試みても意味なにですものね。しかしなあ、考えてみると確かに「事実の共有」ができれば一気に話は進むとは思いますが、それ自体遥か彼方のゴールというか、ほぼ到達不能に見えてしまうのは私だけでしょうか?

ふにふに様。はじめまして、ようこそです。
>またややこしいネタを・・・・・
はい、身の程知らずを後悔しております。(汗
軍隊主導の従軍慰安婦制度そのものが捏造であれば、「文句の言い方、言う相手が違うんじゃないの?」って感じなのは、よく理解できます。
>無いことを証明するよりは、あることを証明するほうが、まだ簡単なのですから
そうですよね。ふにふに様のコメントは、とても納得がいきますです。

うーん、みなさまの貴重なコメントを拝読するにつれ、ますます、考えさせられてしまいました。しかし、南京虐殺問題しかりですが、うかつなことは発言できないなあ、と再実感した木走でした。

もう少し真剣にいろいろ調べて勉強しなければならないですね。

・・・・・・

出直してきま〜っす(ガクっ

2005-03-20 空襲について考えてみる。「ガラスのうさぎ」〜「サムサラ」

kibashiri2005-03-20

[][][]「ガラスのうさぎ」アニメ映画に〜東京大空襲60年 13:20

 このアニメ映画は、できれば多くの若い世代に見てもらえたらと思います。

 東京大空襲で母と2人の妹を失った作家高木敏子さん(72)がその経験をまとめた児童書「ガラスのうさぎ」が、初めてアニメ映画化されました。

 大空襲から60年を迎えた10日、高木さんや四分一(しぶいち)節子監督が都内で会見し、「戦争を知らない子どもたちに見てほしい」と呼びかけました。

 原作(金の星社)は77年に出版され、国内で210万部を超えるロングセラーに。実写映画やテレビドラマも制作され、英、独、中国など9か国語で翻訳出版されました。

 アニメ化について、高木さんは「思いが伝えられない」と断ってきたが、孫たちに「やっぱりアニメだよ」と言われて決心したそうです。「戦争で人を殺したり、殺されたりする時代に二度としないでほしい」と語られていました。

 アニメ映画「ガラスのうさぎ」(84分)では、女優の竹下景子さんが母親の声を演じています。シネ・リーブル池袋(豊島区)で5月14日公開。その他の映画館での予定や自主上映についての問い合わせは、下記製作委員会へ。

【お問い合せ】

 映画「ガラスのうさぎ」   製作委員会 事務局

 TEL/FAX:042-396-7815  e-mail:usagi@ggvp.net

HP http://www.ggvp.net/usagi/

製作発表会で原作者高木敏子さんの発言(2005年3月10日

60年前、東京大空襲で亡くなった母の遺体が見つからなくて父を責めた。一片の骨冴え見つからなかった。その父も二宮駅で亡くなり、死んだ後小田原で火葬するまで、電話も一本の薪も惜しい時代に多くの人が集まり薪を集め、運んでくれた二宮の人たちの人情は忘れることは出来ない。

「戦争」の2文字を起こさせてはならない。

  アニメションはきらいだった。過去3回アニメ化を断った。今回は孫の世代に分かる映画を作ってもらうならやっぱりアニメだよという孫の言葉が背中を押した。

  初めからすんなり行ったわけではなく、6回脚本直しをした。アニメ「ガラスのうさぎ」は良く出来た。良い映画だから皆さんも応援して欲しい。 アニメについて認識不足だった。

映画「ガラスのうさぎ」製作委員会のこの映画に関するコメントです。

●原作は世代をこえて読み継がれる、ロングセラーの映画化!

 「ガラスのうさぎ」は、戦争を知らない子ども達に戦争の悲惨さと恐ろしさ、平和と命の尊さを知ってほしいという願いから刊行され、27年間ロングセラーを続け、今日まで210万部を超えるベストセラーとして多くの人々の間で読み継がれている名作です。日本で広がった感動の輪が、海外でも多数翻訳出版され、世界へ大きく広がっています。また、出版と同時に多くのメデイアで制作され話題を呼びました。そして、今回は、終戦60周年記念作品として、2005年新春に装いも新たに「ガラスのうさぎ」がアニメーション映画として甦ります。

●平和の祈りを込めて・・・

 映画「ガラスのうさぎ」は、12歳の少女が戦争・東京大空襲下の体験を通して、戦争の本当の悲惨さや恐ろしさを知り、そして、その後の混乱と厳しい生活を生き抜きながら、平和への願いを渇望する感動の作品です。

 21世紀は平和の世紀として、世界の人々が豊かで自由な生活を願った世紀の始まりでした。しかし、2001年9月11日の同時多発テロに始まる平和の危機は、アフガニスタン、イラク戦争と続き、終結宣言のあとも尚、世界の国々を巻き込んで泥沼化しています。

 終戦から60年近くの歳月が経った日本では、戦争を知らない世代が多数を占めています。戦争体験が風化された今日だからこそ、戦争の悲惨さを伝え、平和の尊さを伝えてゆく願いを込めて映画は制作されます。

●全国ヒットの映画「もも子、かえるの歌がきこえるよ。」のスタッフが再結集!

 企画・製作は、「5等になりたい。」等、数々の名作を生み出してきた桂壮三郎。監督は「もも子、かえるの歌がきこえるよ。」で好評を得た四分一節子。音楽は、「阿修羅のごとく」「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS」等、映画・TVで活躍している大島ミチル。脚本は、小出一巳、末永光代が担当し、全国の話題をよんだ「もも子、かえるの歌がきこえるよ。」のスタッフが再度結集しました。

 物語はこんな感じ・・・・

太平洋戦争末期、東京下町に住む少女・敏子は敗戦色が濃く物資が欠乏した厳しい世の中で、家族とともに一生懸命生きていました。しかし、昭和20年3月10日の東京大空襲で、敏子は母と二人の妹を失ってしまいます。焼け跡から、空襲の猛火で形の変わったガラスのうさぎを堀り出した敏子は、戦争の恐ろしさを目の当たりにします。更に疎開の途中、駅で米軍機の機銃掃射を受け、父までも亡くなってしまいました。たったひとりになった敏子は、絶望の果てに死を見つめ深夜の海辺をさまよいますが、「私が死んだら、お父さん、お母さん、妹たちのお墓参りは誰がするの。私は生きなければ……」と孤独と悲しみの中で、心を奮い立たせるのでした……。

 終戦から60年の歳月が経とうとする日本では、戦争を知らない世代が多数を占めています。戦争体験が風化された今日、哀しいことにこの国では『平和』とか『反戦』という言葉は、すっかり色をあせ、ともすればその言葉を口にするだけで、イデオロギー論的な反論をされるような世相であります。

 しかし、戦争が悲惨であり平和が尊いものであることは、イデオロギーにも時の政治にも一切相関しない、いな、相関させてはいけない普遍性を有しているのではないかと、私は考えます。

 爆弾を落とす側の視点ではなく、落とされる側の視点で今一度、私達の国で起こった出来事に思いをめぐらすことは、このような時代だからこそ必要なのではないかと考えます。

 私は原作本でしか『ガラスのうさぎ』を読んでおりませんが、是非多くの人にこのアニメを見ていただきたいと願っています。



(木走まさみず)

<関連テキスト>

●3月10日〜どんよりとした東京の空を見上げながら

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050310

[][]サムハラ〜哀しきお守り 15:16

 読者のみなさんは「サムハラ」という言葉をご存じでしょうか?

 ちなみに、サムハラはこんな漢字です。

http://park7.wakwak.com/~tensi/samuhara211.gif

 愛知県で医師をされている大島信雄氏の手記から抜粋です。

 少し長いですが、とても興味深いお話です。

(前略)

実は、亡父・大島辰次の遺品の手帳の中で、この文字を見た記憶があるのです。

 この文字のお陰であったかどうかは分かりませんが、一夜にして十万人余が焼け死んだあの東京大空襲(昭和二十年三月十日)の最中、当時在京の家族五人のうちただ一人、父親だけが九死に一生を得て、生き残ったのです。本所・深川一帯は一面焼け野原になりましたので、この手帳が焼け残ったということは、父親が空襲下も身につけていたに違いありません。

 当時、深川区立八名川国民学校の初等科三年生だったわたくしは、学童集団疎開で、新潟県北蒲原郡築地村(現、中条町)のお寺にいて、空襲でのことは後で知らされました。兄(六年生)も一緒に疎開していたのですが、ちょうど卒業、進学の時期で、その直前に帰京していましたので、死者の数に加わってしまいました。

 父親の遺したその手帳は、年記と称して、身辺の出来事を毎年一ページずつを使って書き続けたもので、今で言うなら自分史メモでしょうか。

 その巻頭近くの空いたページの中央に、「*さむはら*」と大書され、「弾丸よけの/文字/芳雄斈校から写して/来る。/昭和二十年三月七日」との説明が付けてあります。

 空襲が三月九日深夜から翌十日の未明にかけてのことですから、三月七日といえば、その直前です。兄芳雄は、卒業式の打合せか何かで登校し、友だちの誰かからこの文字を写させてもらったのでしょう。子供心にも大空襲必至との予感があったのか、あるいは冗談半分でこんなことが学童の間で流行っていたのかも知れません。

 多分兄の筆跡であろう拙い鉛筆書きの紙片も、一緒に遺っていたはずだと遺品の中を探してみましたが、今のところ行方不明です。

 余談になりますが、世間は狭いもので、原田チイ子先生(南設楽郡鳳来町海老、静厳堂医院、帝国女子医専卒、旧姓八幡)は、戦時中に新潟県北蒲原郡中条町の、父親の開設する八幡医院に耳鼻科医として勤務しており、八名川国民学校の疎開学童との接触もあったやに聞いております。

 空襲に遭いたくない、空襲があっても死にたくないという気持ちは、大人も子どもも同じで、当時、空襲避けのおまじないがいろいろとあったようです・・・

(後略)

(「豊川医報」通巻第93号、p5-10、1997年6月)より部分引用

 戦争を体験していない私が、「サムハラ」という言葉を知ったのはやはり今は他界している親族からで、その親族は海軍士官として太平洋戦争を経験したのですが、海軍の兵隊さんも少なからず砲弾除けのお札として持っていたそうです。

 上の大島氏の手記を読んでも感じるのは、当時の庶民の「おまじない」とかにすがりながらも、日増しに悪化する空襲や艦砲射撃の中でどうにか生きていこうとする「けなげなすがた」であります。

 私には、一部リベラル評論家の述べる軍国主義絶対悪論にも、あるいは一部保守派が主張する旧日本擁護論にも、評論するつもりはありません。

 しかし、このようななにげない手記を拝読すると、戦火をにげまどった人々がいまの私達と何もかわらない普通の人々であったことがよく理解できます。

 60年前日本各地の空襲で生命を落とされた人たちは、一説には50万人とも言われているそうですが、「サムハラ」この哀しきお守りは、どこまで庶民を守れたのでしょう・・・・

 戦時中のおまじないに関して、作家の高見順が日記の中に書き残しています。

 最近の話題から。

 ○爆弾除けとして、東京ではらっきょうが流行っている。朝、らっきょうだけで(他のものを食ってはいけない。)飯を食うと、爆弾が当らない。さらに、それを実行したら、知り合いにまた教えてやらないとききめがない。いつか流行った「幸運の手紙」に似た迷信だ。

 またこんなのも流行っているとか。金魚を拝むといいというのだ。どこかの夫婦が至近弾を食って奇蹟的に助かった。その人たちのいた所に金魚が二匹死んでいた。そこで、金魚が身代りになったのだといって、夫婦は金魚を仏壇に入れて拝んだ。それがいつか伝わって、金魚が爆弾除けになる、金魚を拝むと爆弾が当らないという迷信が流布し、生きた金魚が入手困難のところから、瀬戸物の金魚まで製造され、高い値段で売られているとか。

(高見順「高見順日記 第三巻」昭和二十年四月二十四日付の日記から抜粋、1964、剄草書房)

 「サムハラ」と瀬戸物の「金魚」。

 読者のみなさんはどのような想いを抱かれたでしょうか?


(木走まさみず)

<関連テキスト>

●3月10日〜どんよりとした東京の空を見上げながら

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050310

masashimasashi 2005/03/20 15:07 すっかりご無沙汰しています。ブログを続けられている木走さんと、wikiで頑張っていられるkeiさんには脱帽です。あ、もちろん、愛さんやくまりんさんは雲の上の人ですが(笑)。
私も昨年末にブログかwikiの書き込みを始めようかと思ったのですが、冗談ではないくらい忙しくなってしまい、いろいろな場所への参加も見合わせているような状況です^^;
また、時間ができればぼちぼちと書いてみたいと思いますので、その時はよろしくです。しかし、福岡・佐賀で大きな地震がありましたね。今のところ人的被害は聞こえてませんが、被害が小さいことを祈っております。

kazukanakazukana 2005/03/20 19:22 「ガラスのうさぎ」は小学校の映画鑑賞会で見た記憶があったんですが、今回が初の映画化なのでしょうか? 木走さんの純粋なお気持ちはとても伝わってきますが、後援団体とかに胡散臭い香ばしいグループは関わっていないのでしょうか?
この映画が、この種の純粋な活動にすぐに群がってくるヤカラに利用されないことを願うのみであります。
 私としては、「サムハラ」の話がまったく知らなかった話なので、じっくり読ませていただきました。金魚の話はちょっと、身につまされました。それにつけても、木走さんのこの手の話は暖かいですね。きっと木走さんは誰に対しても優しいんですよね。あ、フジサンケイグループ以外には。

hiromihiromi 2005/03/20 19:39 はじめまして。ぐぐったらここを見つけました。 
小学生の頃、塾の夏休みの課題図書が「ガラスのうさぎ」がありました。当時、読んでいる途中で、涙が止まらなかったことを思い出します。今回、アニメ化という話を聞いて、是非みてみたいと思いますが、どうやら私の県では上映予定がない見たい。

今、私は二児の母親ですが、子供にもいつか必ず見せたい、読ませたいと思っています。
このブログはなにやら難しい話をされているようですが、いろいろな階層の方が、このようなアニメにも関心を持っていただくことはいいことですよね。
失礼しました。

名無し名無し 2005/03/20 19:57 木走氏へ。このようなセンチメンタリズム丸出しのサヨアニメの片棒を担いではいけません。この作品は、1980年頃から、日教組が学校現場で反戦運動に徹底利用したいわくつきの作品のひとつです。特に後半は自虐史観に侵された、なんの考察もない平和憲法賛美だけの百害あって一利なしの作品であります。

guldeenguldeen 2005/03/20 20:31 ↑まぁまぁ。評価を下すのは、作品を見た後でも遅くは無いでしょう。
ちなみに、世の中には「アニメ・火垂るの墓」を米国留学中にゼミ仲間に見せたつわもののオタクも現実にいるようで、上映後の雰囲気は一様に皆だんまりになってしまうようです。

kibashirikibashiri 2005/03/20 22:58 masashi様。お久しぶりです。お久しぶりです。お仕事忙しくてなによりです。地震はあまり大きな被害はなかったようでなによりでしたね。お暇になったら是非遊びに来て下さい。

kazukana様。うーん。「香ばしいグループ」ですか・・・木走としては、もうすこし単純に作品を評価したいです。他がにどのような方々が絡んでいるのか全く存じ上げてませんが、作品がよければよろしいんではないでしょうか? あと、フジサンケイグループにも別に何の思い入れもあるいは敵愾心も抱いておりませんです。はい。

hiromi様。こちらこそようこそです。コメントありがとうございました。私も二児の父親ですが、なんの情操教育もしておりません。(汗 

 「このブログはなにやら難しい話」をしてるわけでもありませんので、よろしければ今後も遊びに来て下さい。「いろいろな階層の方」が出入りしているのは事実ですが。(汗
名無し様。ようこそです。うわー、強烈なコメントありがとうございます。(大汗
たしかに、作品後半の平和憲法に触れているところは、木走としてもちょっと本当にその若さでそう捉えたのかなあと疑念が無くはありません。でも、やはりこの作品のすばらしさは実話に基づいた、戦中と終戦直後の話にあるのだと思っています。私としては、イデオロギー抜きで鑑賞してみたいです。あと、できれば、次回から名乗っていただけると嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。

guldeen様。おお、ようこそです。フォローありがとうございます。予想してはいましたが、案の定、一部の方から突っ込まれております。(苦笑
 へええ、「火垂るの墓」をアメリカ人に見せたのですか? あれは、アメリカ人にはキツイでしょうね。

みなさま、コメントありがとうございます。

MEICHIKUMEICHIKU 2005/03/20 22:58 トラバありがとうございます。実写版について述べたのが東京大空襲のあった日である3/10、今回のアニメ化を知ったのは実は3/11でした。今の時代では「アニメ」の方が伝わりやすいのでしょうが、蝦名由紀子さん主演の実写版の方も合わせて見てもらいたい作品です。

kumarinkumarin 2005/03/20 23:06  別にいいじゃないですか。映画もそうですがそれが小説であろうが学術書であろうが、自虐史観だろうが自由主義史観だろうが犬や猫のしつけじゃあるまいし、人間が見るものでしょう。自虐史観がダメだとかまたその反対に自由主義史観は戦争賛美だとかそれぞれの勝手な思いこみで他人に対していろいろ言う人がいるけどお前らそれほどものを知っているのかと思うんですね。なんかご自分の無知を棚に上げていませんか?
 そんなことに拘泥していると他者の思想や文化に何一つ触れることが出来なくなります。どんなものに触れても自分の知性で選択するべきもの選択していけばいいんです。名無しさん、まだ見てもいないアニメ映画を「平和憲法賛美だけの百害あって一利なし」とは貴方の考察こそ停止していますね。

kibashirikibashiri 2005/03/20 23:33 MEICHIKU様。ようこそ、はじめましてです。とてもステキなコメントだったのでトラバさせていただきました。「蝦名由紀子さん主演の実写版」も、是非見てみたいですね。見る手段はあるのでしょうか?
今度そちらにもおじゃまいたします。今後ともよろしくお願いいたします。

kumarin様。コメントありがとうございます。しかし、名無し様のようなコメントいただいたのは、初体験なんですがなんか強烈ですよねえ。この種の話題だと一部の人はなんでそういう反応になるのかなあ?
 でも御陰様でJANJANで鍛えていただきましたので、不肖・木走は平気であります。しかしなあ、JANJANでは保守派のレッテル張られたり、ここではサヨのレッテル張られたり、忙しいのでありました。

rice_showerrice_shower 2005/03/21 01:12 えー、私いい歳こいて一時『エヴァンゲリオン』に激しくはまったりしていた、隠れアニメファンなのであります。 『ガラスのうさぎ』、レンタルになったら見てみようかと。
ところで、前にも言ったのですが、異質を拒絶する激しい言葉使い、振る舞いと“心根の強さ”は別物なんですがね。 
私は自分自身に対してもクリティカルであれ、がモットーでして、出来るだけ多くの“他者の思想や文化に触れたい”と思っています。 
何やら危ない、不気味な国との印象だったイランの映画を見てみたら、すごく繊細で、深くて、淡々と人間愛を謳う感じの作品で、調べてみると彼の国では小津安二郎が尊敬されていると知り、急に親しみを感じられるようになったりもします。 無知はいけません。 自戒を込めて。

福山達也福山達也 2005/03/21 06:50 木走様、こんにちは。私のブログへの転載依頼、引き受けました。私も機会があればこのアニメ映画を是非見たいと思います。(木走様のコメントは削除しない方がいいと思っています。)それでは、また。

kibashirikibashiri 2005/03/21 11:31 rice_shower様。おお、『エヴァンゲリオン』ですか。私の愛読書ベスト5には、『ゴジラが見た北朝鮮』とともに『エヴァンゲリオン研究序説』があります。綾波レイは私の永遠の恋人であります。(爆) しかし、『エヴァンゲリオン』も全体の凄惨なストーリー展開は反戦映画に通底しているものがありますよね。

福山達也様。親切にご協力いただきありがとうございます。福山様のブログは若い来場者が多い見たいなので彼等の反応に期待したいです。

みなさま、コメントありがとうございます。いろいろ反響があったようなので、このテキストはJANJANに記事投稿を検討しています。

t-catt-cat 2005/03/21 15:55 TBをありがとうございました。
今日、NHKの総合で、過日放映された東京大空襲番組の再放送がありました。平時なら何よりも大事とされる人の命の重みに軽重が生じてしまうのが戦争の恐ろしさなのだとしみじみ思いました。諸手を振って平和を唱えていいものか迷う今ではありますが、だからこそ当たり前になっている日常の尊さをかみしめながら改めて平和について考えてみたく思います。

kibashirikibashiri 2005/03/21 18:21 t-cat様。ようこそ、コメントありがとうございます。「諸手を振って平和を唱えていいものか迷う今ではありますが、だからこそ当たり前になっている日常の尊さをかみしめながら改めて」という文章表現に、t-catさんのとても健全な優しい心情があらわれているように思います。また、いつでも遊びに来て下さいませ。

ぶるうぶるう 2005/03/21 23:57 こんにちは。TB、コメント共にありがとうございました。
なかなか他ブログの方との交流は難しいと思っていたところでした。
こちらこそ、時々お邪魔させていただきますのでよろしくお願いします。

kibashirikibashiri 2005/03/22 00:25 ぶるう様。ようこそいらっしゃいました。こちらこそよろしくお願いいたします。ブログのひとつの利点は、同じことに興味を持つ同士の交流だと思います。どうか、いつでも遊びに来て下さい。私もうかがいたいときにおじゃましますね。

通りすがり通りすがり 2006/01/12 23:29 通行人だけど、書き込んじゃう。わりい、わりい。
>しかし、戦争が悲惨であり平和が尊いものであることは、イデオロギーにも時の政治にも一切相関しない、いな、相関させてはいけない普遍性を有しているのではないかと、私は考えます。

本当なら書き込む資格が無いんだろうけど、思わず笑っちゃったから、つい書いちゃう。
 平和主義だって充分イデオロギーですよ。しかも、絶対反対できないという恐るべきもの。
 その恐ろしさに気付いてますかね?
 星新一『白い服の男』を参照の事。(究極の平和を実現したデストピアもの)
 「平和、人権、民主主義」これらが一体何を意味するのか、そっから、考えていかないと。
 呉智英って人の本(『封建主義者、その論理と情熱』その他)なんかが参考になるかもね。

木走さん、いきなり肝心な所で論理を破棄しちゃうんだもんな。こけたよ、思いっきり。

BaatarismBaatarism 2006/01/13 01:22 あの悲惨な時代を繰り返さないためにどうすれば良いかは、イデオロギーを問わず常に考えておくべきことでしょうね。僕は1930年代という時代に関心を持ってるのですが、それは何故あんな戦争を始めてしまったのか、その鍵を探すためです。あの時代へと至った原因を一つでも見つけられれば、それを繰り返すリスクは少なくなるでしょうから。