強風の中のモンちの散歩。
それも、すごく寒い。
吹きさらしのfarmよりも谷のravineの方がましだろうと、速攻で下に降りる。 しかし、あまりの強風でまわりの木もミシミシ言ってるし、枝がバラバラと落ちてくるし、 結局、倒木によって道が分断されていて(モンちが進めなかったので)そこで引き返した。
しかし、風で木が倒れるときって、落雷のようなすさまじい音がするのだな。 今日の散歩の間で2、3回聞いたし、一回は立っている木が実際に倒れていく瞬間を見た。
10/26/2008: 一転の快晴。
付記(10/27/2008、月曜日):道を塞いでいた倒木はきれいに除去されていた。
nanoプロジェクト
CF-cylinder @ westgrid
robson での計算: 最初に流していた jobs(10/21/2008) が終わっていたので、結果を回収しておく。
「会議と書類の大学」@tatsuru
引用:彼ら(文科省や大学基準協会)は大学に向かって 「まっとうな教育研究をすることよりも、 『まっとうな教育研究をしていることを証明する仕事』を優先させよ」と言っているのに等しい。 子どもがぴいぴい泣いているのを放っておいて、 「子どもをちゃんと育てていることを証明する書類」を書いている親や、 殺人事件が起きたときに、デスクにかじりついて 「凶悪犯をきちんと逮捕していることを証明する仕事」を書いている 警察官が不条理な存在であるということは誰にでもわかる。
困ったものだが、適応主義者しかいない組織では、 まあ「彼ら」の言いなりなんだろう。 会議が多いとか、書類が多いとか、文句を言っている人ばかりで、 そういう「文句」=「問題」をどう克服するかという非適応主義者 (畳の上に碁石を置くような、あるいは、紙の外にはみだすように絵を描くような)を、 知らない。大学のセンセイは、もし本当に頭を売り物にしていて、 もし問題解決のプロフェッショナルを称するのなら (研究とは、そもそも、分からないことを分かろうとする活動なわけで)、 その能力の1割でも使って(そういう犠牲をきちんと払って)、 何かするべきじゃないのかな。 あるいは、「彼ら」には愛想よく、裏で舌を出すような、したたかさを持つか。 (文句を言ってる人は、結局、裏も表も「適応」してるように見える、の意。)
人生の定理 破局の時には順応主義者でない人達が生き残れるチャンスがある(リップマン・ベアズ)
8/15/2010: 「29学会長緊急声明」を見てがっかりしたこと