仕事完了!

わすれないうちに一筆をば。

寝る前に、あ、まだ寝れるかわかんないか…

メモです。メモしないともう忘れそう。あとで書き直そう。



生産と消費
生きると死ぬ
どちらも必要。
社会復帰とは、必ずしも働ける状態にことではない。
生産が必要なら消費もまた必要、消費があって初めて生産が成り立つ。
どちらが善でどちらが悪でもない、
どちらかに属するだけでも社会復帰を果たしているのでは?。

インフォームドコンセント

インフォームドコンセント
という言葉がある。
直訳すれば同意と説明だが、それでは不十分。
医師による、病状や治療法の説明と、それに対する患者の同意。
これがきちっとできることは
まぁ”良い医者”の必須条件ともいえるのではないだろうか。
そして、これは中々できない人が多い。
どうしても、患者と同じ目線に立てないからだ。
医学界という環境のせいだろうか、
上から見る人が多いのだ。

先週、あまりにも歯が痛くて、
仕事もままならない。
考えることができない。
痛すぎて眠れない。
しかも、鏡を見たら顔の形が変わるくらいはれていたので
朝一で歯医者に行った。

4年ほど前に治療した虫歯のところが
下手くそで、ばい菌が入り、
炎症を起こして、歯を溶かしていた。
レントゲンを見ると本当に歯が解けているのが
素人目にもわかった。

で、行った歯医者。
めちゃくちゃ丁寧だった。
そこで登場するのが冒頭の
インフォームドコンセント

今では医師には当然の義務として求められることなのだが、
これをめちゃくちゃ丁寧にやってくれた。

しかし、こっちは頭がおかしくなりそうな痛みと戦っている。
一刻も早く直して欲しい身。
まったく耳に入らない。
病気の名前すら覚えていない。
原因がわかったならさっさと治療して欲しいのだ。

インフォームドコンセント
時と場合によっては、そこまで大事?
と疑問を感じてしまった。
そして、その説明をしてくれる先生をみていて
思ったこと。

医師としての引き出しを繰り出し、
治療に望まんとする自分を魅せる…
そんな心理が医師に働いているのではないか?
と思ってしまった。

あきらかに俺はそれどころではなかったから、
彼の説明なんかこれっぽっちも聞くそぶりすら見せなかったのだから。
それでも説明し続ける…
果たしてそれで、医師と患者に信頼関係は築けるだろうか?
そこまで、俺の同意が必要なほど、危険な治療だったのだろうか?
彼は”良い医者”なのだろうか?と。

そんなことを思ってしまった。

そういえば、
高校生の時、国体の遠征で和歌山の田舎に行った。
ボロボロの宿舎だったせいか、
めちゃくちゃひどい喘息がでてしまって
一晩苦しみぬいた。
これまた朝一で顧問に病院に連れて行かれ、
点滴を打たれた。

試合も朝一だったので、さっさと治療を終わらせて
試合に行こうと思っていた。
だから、点滴をするという医師に、吸入でいいと俺は言い張った。
でも、許してくれなかった。
点滴を打つと試合開始どころか、前半すら間に合わない。
せっかくの国体でそんなことは我慢ならなかった。
でも、向こうも譲らなかった。
さらには、試合に出ることも禁止された。
まぁそんなこと言われても出る気だったけど、
喘息、相当重かったのだ。
出れば危険な状態になる可能性が高かったようだ。
今でもひどいんだけど。
夜寝れないことなんかこの時期とかしょっちゅう。

で、治療は泣く泣く点滴を受けることになった?された…
そして、駆けつけた試合は…最後の数分でたのみ。
しかも負けていたから悔しいことこのうえなかった。

ここで思うのだ。
さっきの歯医者とは逆に、この医師はどうなんだろうか。

俺は治療方針に同意していない。
でも、俺の体を心配してくれて、
無理にでも試合に出させない。より効く治療をする。

どっちかっていうと、患者より目線が上にあり、
パターナリズム的な接し方と治療をしたわけだが、
自分の体の分別もつかないようなガキに
体の大切さを問うたわけだ。
これはこれで、”良い医者”ではないだろうか?

当時ははらわた煮えくり返っていたけど。

そんなことを考えた先週だった。

医術は仁術。

演劇と一緒で、結局は人と人とが繋がって・向き合って

いかないといけない世界。

技術・決まりうんぬんよりも、

どれだけ人と人がお互いを大切に思えるかってことなのかな。


うわー、長いな。仕事終わりにだらだら書いてしまった。

多分、卒論を今の方向性に決めた原点となっている本がある。
北山修が書いた「みんなの精神科」。

そもそも北山修は、精神科医なのだが、”フォーク・クルセダーズ
というフォークグループで大学在学中にデビューし、レコード大賞やら
有名な「帰ってきたよっぱらい」を作ったおっちゃん。

その人が、医療に携わっていて感じたこと
精神科と”みんな”の日常に壁がありすぎるという状況に
疑問を抱き、精神科に行くって”オシャレ”なんじゃね?
という提案をしている本がその「みんなの精神科」

神経症という病気があるが、これは心の風邪のようなもんなんだよ」

といった偏見を取り除くような説明から

「なぜ女性はゴキブリが嫌いなのか?ヒステリーという病気とは?」

といった心の病のこと、また、

「精神科の普及の為には、影響力のある人がテレビやラジオでそういう運動を
してくれたらと思うが、スポンサーの問題で無理だ」といった

その運動の難しさそして可能性・・・

はては、

ジョン・レノンが、精神分析医のところの通っていたとか

映画の解説、尾崎豊、障害者を扱った映画を作った人に

その勇気をたたえて贈る賞がある

ということなんかが書かれている。

短く説明したので、御幣は多少あるかもしれないが、

そんなことが書かれていたと思う。

  

日本には、流行というものがある。

彼によると日本人の1割が何か変わったとしても何も変わらない。

しかし、3割の人が変わると多くの人が変わってしまう現象が流行である。

そこに演劇が絡んでこないかなぁと思うのである。

また、前述もしたが、

日本には、障害者を扱った作品が皆無だ。

例えば、映画「レインマン」に代表されるような

病人や障害者を中心にすえ、喜劇っぽいというと語弊があるかも

しれないが、大勢の目を集中させるための娯楽要素を織り交ぜ

訴えなくてはいけないことを描く作品

これを作る人がいない。

作れない状況にあるというのも一つの要因だろうが。

だからこそ、

そんな作品を作ってみたいとも思う。


そんなところが原点の一つだった。

日本においての医学の偏見を演劇によって普及させる研究

On Apr 24, 2006, at 8:10 PM, 松岡 wrote:

喜久田さんのテーマは医学の事を演劇によって知ってもらう普及キャンペーンである。
医学において日本では海外に比べると認知されていない事が多いと言う現状がある。このような事で様々な問題が生じてくる。
例えば精神科に通っていても周りの人には話す事ができず一人で抱えこまなければならないと言う実情がある。このような事を取り除くためにも自分の好きな演劇を利用できないかと考える。一般の人達には難しくて理解しにくい医学の実情や問題などを芝居にすることで、わかりやすく人々に伝えるようなことをしたいと言う。
このテーマに向けてのプロセスは現時点ではまだはっきりと決まってはいないが最終的には自らキャンペーンする方向性で考えている。