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2017-01-14

[]悩める大名、石高と軍役 悩める大名、石高と軍役を含むブックマーク

2016年のNHK大河ドラマ真田丸」は、大河ドラマとしては最近珍しい

ヒット作であったと大変好評のようである。

ツイッターのトレンドではたびたびランク入りし

放送終了後には「丸ロス」なる言葉が交わされたほどだ。

1月8日から、女性ながら井伊家の惣領となった井伊直虎を描いた

「おんな城主 直虎」が放送中である。これにも期待したい。


さて、真田丸で話題となった一つのキーワードが、石高である。

戦国時代末期(主に江戸時代)、各国ではそれまで土地の価値を銭で換算していた「貫高制」から

米の収穫量で表した「石高制」へと移行した。

これにより、領民の年貢も米で納めるようになった。

現在では、その石高が領主の力を計る目安ともなっている。

例えば、真田幸村の兄である信之は松代9万石を領した。

一方で、豊臣五大老の一人、上杉景勝は関ヶ原合戦以前は会津120万石であるから

両家の実力差は歴然としている。

だが、南部氏の盛岡藩青森県南部から岩手県中部という広大な領地にも関わらず20万石に留まり

南の仙台藩は60万石(常陸国竜ヶ崎など飛地含めず)と、実に3倍の差がある。

これは、表高の測量に起因している。

幕府は全国で検地を実施し、それをもとにした石高を大名に安堵していた。

この数字を「表高」という。

とはいえ、この検地は毎年行われていたわけではなく、その間に大名たちは

治水や開墾事業に勤しみ、米の収穫量向上に努めていたので実際は石高は大きかった。

その実際の石高を「実高」といい、仙台藩では明治初期の段階で「百数十万石」であると計算されている。

一方、前述した盛岡藩は山が多く、気候的にも米づくりに適している地域ではなかったことから

どうしても石高は少なくなったが、それを補って余りある名馬の産地でもあり

北上川沿いに砂鉄の産地でもあった。

また、直接石高には含まれないものの、漁業による収穫もあった。

この漁業による収穫は「海高」または「海石」といい

稲作が盛んではない対馬藩松前藩などは、これも勘案されたようである。


この石高は確かに大名たちの力を表す指標ではあったが

必ずしも歓迎されるものではなかった。

幕府が戦などで各藩から人を動員する場合

石高で割当を決めるからである。

例えば関ヶ原の合戦の場合、徳川家康は100石ごとに3人程度の動員を命じた。

馬上から足軽、兵站など様々な人足も含むのだろうが

この賦役は大名にとってはもちろん、陪臣や領民にとって大きな負担になった。

仙台藩が享保12年(1727)に定めた「御軍役御定」によると、100石以上の藩士は主従合わせて4人の負担としており

1000石になると、馬上2、足軽6、長柄3、持槍8、馬4など主従合わせて44人の動員となっている。

もっとも、仙台藩においては平時においても足軽は1617人おり、在郷足軽(陪臣の領地にいる足軽)も1601人いた

(旗本や不断組、名掛組などを含めると5000人以上に上る)から

ゼロから集めるわけではなかった。

その証左に、慶長出羽合戦では、上杉景勝に攻め込まれた最上義光の援軍として

伊達家は留守政景を総大将とし馬上500騎、鉄砲1000挺(「仙台市史」)を中核とする

援軍を山形に派遣しているし、南ルート上杉領の白石城を攻略、最終的には福島城まで迫っている。

仙台藩は急な情勢の変化にあっても、十分対応できていたのである。

だが、それは肥沃な土地に恵まれた仙台藩だからこそできたのであり、そうでない藩は悲惨であった。

例えば、福島藩は表高でこそ10万石あったけれども、悪地ということもあり実高はまったく伸びず

藩の財政は窮乏したという。転封されたところが余りに荒れ果てていたため移封を願った大名もいたようである。

そこへ軍役となるとたまったものではあるまい。

真田丸」で真田信之が9万石の大名にも関わらず、気苦労が絶えないのは身内が敵同士になったということもあろうが

中規模の藩ならではの悩みを抱えていたのかもしれない。

2017-01-12

[]「法治」と仁政 「法治」と仁政を含むブックマーク

最近、多くのところで聞かれるのが「法治」というものである。

法治とは、当然のことながら法律を施行し

それを基に国家を統治する考え方である、

この法律というものを思想として体系的にとらえたのが、春秋戦国時代に出てきた「法家」である。

秦の商鞅、韓の韓非子らがよく知られているが

最も早く法を明文化したのは鄭の子産であろうといわれている。

これは、晋の叔向が子産に文を送り

国民は皆、人ではなく法に従うようになる。これは危険である」と

警告するほど衝撃的なことであった。


時代は流れ、わが国の江戸時代中期の仙台藩主に伊達重村という人物がいる。

映画「殿!利息でござる」では、スケートの羽入弓弦選手が演じて話題となったが

本作の背景には、重村が官位叙任(に関わる費用)に拘るあまり藩の財政を逼迫させたことがある。

それだけ見ると、重村は暗君だったのかと思われがちだが

実は名君であったのだという説もある。

例えば、「獄払い」という言葉がある。

仙台藩では、大藩ということもあって家臣同士の政争が絶えず、流罪にされたり

失脚する家臣が続出した。

一方、庶民に対しては大きな弾圧が起こっておらず、特に重村時代

仁政であたり、一時期仙台の獄舎には一人も囚人がいなかったことさえあった。

この重村の仁政を表したのが、この「獄払い」という言葉である。


領民に対して厳格であるべきなのか

それとも寛容であるべきなのか。

わが国でも、法律に対しては様々議論があるが

どうすれば犯罪を減少させることができるのか

知恵を出していきたいものである。

2017-01-04

[]皆様へ新年のご挨拶を申し上げます 皆様へ新年のご挨拶を申し上げますを含むブックマーク

読者の皆様に謹んで新春のご挨拶を申し上げます。

不肖菊地は残念ながら喪中にして、皆様と新年の慶びを相通ずること叶わず

いささか寂寥の感が致す次第であります。

来年は平成30年の節目でもあり、改めて皇室の弥栄を申し上げ奉り、皆様と交歓するの機会を設けられれば

幸甚に存じます。


わが国を取り巻く現状は、米国大統領選においてトランプ氏が大統領に就任するほか

英国EU離脱欧州の相次ぐテロ事件によりますます混迷の度を増していくものと

推察されます。

また、支那・中共の尖閣諸島海域への侵入事件や北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発

など、東アジア地域も決して平和下にあるとは言えない状況にあります。

行動する保守運動に籍を置くものとして、かかる侵略・挑発行動を断固挫かせるとともに

国内における反日勢力には容赦のない鉄槌を食らわせるべく、活動を厳にすることをお約束いたします。

本年はわが国にとり、大きな試練の年になると存じます。

わが国の国益を第一に見据えた外交政策、わが国の国民を第一とする福祉政策の充実など

安倍政権への課題は山積しております。与党に対しては是々非々で当たり

保守側からの監視を怠り無く実施致します。


昨年は思いも寄らず、旧しばき隊の面々や、在日朝鮮人の方々と

対話の機会を得ることもできました。

これは、在特会が在日特権廃止の旗を降ろしたとか、親在日側にシフトしたと

いうわけではありません。

これまで対立していた双方の言い分を直接ぶつけ合い、互いの無理解や誤解を無くすことで

新たなアプローチを模索することができると考えたのです。

そして、その効果は確かに出ていることは皆様の周知の通りです。

これにより、例えば行動する保守と在日側(ただし反日ではない)との対立を解消することも

可能になると思いますし、次代への禍根を残さないための一歩になりうると期待します。

半面、存在しない「ヘイト」を基に路上で罵詈雑言の応酬を繰り返す、または相手の出自のみで

思想信条を判断することは、実に危険なレッテル貼りであり、思考停止の最たるものであると考えます。

また、「反差別」を掲げながら相手には耳を塞ぎたくなるような言葉の暴力を浴びせかけることや

集団で暴力を加える、一人を集団で脅迫するなどの行為を行う者どもに対しては

まったく共存の余地がなく、かかる輩とは断固対決することを表明するものです。


一方、喜ばしいニュースもございます。

本年、創業100年を迎える老舗企業は1118社に上ることがわかりました*1

この中には、「スバル」のブランドで知られる富士重工業株式会社や、カメラ製品の株式会社ニコンなど

国家の産業を支え、世界最先端の技術を開発し、世界に冠たる「モノづくり大国」へと成長させた企業

その貢献は極めて大であります。100年の礎となった先人に深く頭を垂れます。

もちろん、今や世界へ発信されている「おもてなし」の心や、現在まで受け継がれてきた「職人芸」ともいえる

卓越したセンスで大勢の人の心を魅了している

小売り・飲食・宿泊業などの老舗企業にも同様に敬意を表したいと思います。

一般に、企業寿命は30年といわれている中で

ここまで事業を継続していることは、文化や技術の継承はもちろん

雇用や産業の安定化に寄与していることを忘れてはいけません。

改めて、すべての老舗企業に感謝の意を送りたいと思います。


本年が皆様にとりまして、実り多き一年になるよう

心よりお祈り申し上げますとともに

白雉日報社を何卒、よろしくお願い致します。


白雉日報社

主筆 菊地 内記

*1:2017年に「周年記念を迎える企業」調査 http://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20161208_07.html

2016-12-29

[][]今宮天王寺〜幸村最期の地を巡る〜 今宮・天王寺〜幸村最期の地を巡る〜を含むブックマーク

29日から、大阪に行ってきた。

活動がほぼすべての日程で埋まっていたので2時間ほどしかフリーの時間がなかったが

その中で、行けるところまで行ってみたので

レポートしていきたいと思う。


まず、仙台空港から関西空港までのフライトだが

8:30出発にも関わらず、前日駐車場を予約しようと思ったら

空港周辺の駐車場が満杯という悲惨な状況だった。

仙台空港の周囲は民間の駐車場がいくつかあって、送迎付きなので

いささか離れていても問題ないのである。

その中で予約を受け付けているところもあるわけだが

前日は全滅だったわけだ。

そこで、ちょっと早めに出て(といっても7時頃だったが)

別の駐車場に行ったら、あっさり入れることができた。

とはいえ、見た感じ時節柄混んでいるようだった。

仙台から関空までは1時間ほどで到着する。LCCピーチ・アビエーションで

ずいぶんと安く行けるようになった。年末年始なのでこの時期はお高めに設定されているが

それ以外では1万円もしない。なので今年2度も関西に行けるという恩恵に預かっている。

さて、今日は早起きしたこともあり、機内ではすぐに寝落ち。

ピーチでは大阪京都行きのチケットも割引しているので機内で購入することもできる。

ちなみに僕は特急「ラピート」のチケットを購入。

関空はほぼ和歌山県側にあるので、大阪市街地まで1時間はかかる。それはバスでも電車でも同じで

それがネックといえようか。大都市ゲートウェイ空港ならではの事情である。


最初に向かったのは、今宮戎神社

今宮戎駅のすぐ近くで、寺院にも隣接していてちょっとした門前町のような状態となっている。

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典型的な明神鳥居である。

ちなみに、読み方は「えびす」と読み、恵美須町にある。

本神社の祭神は、天照大神、事代主命、素戔嗚尊、月読命、稚日女命で

推古8年、聖徳太子四天王寺建立にあたり、同地西方守護神として建立されたのが

はじまりと伝わる。聖徳太子自らが市場鎮護の祈願を行ったという。

南北朝時代に一時断絶していたものの、後奈良天皇の御代に綸旨をもって再興

四天王寺との縁があり、戎神社を奉祭し、爾来商工業者の守り神として

崇敬を集めてきたそうだ。

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本殿は神明造で、祭神とうまくマッチしている。

拝殿は大きく、特徴的な破風がおもしろい。

年末ということもあって、大晦日の準備で忙しいようだ。

「神道辞典」によれば、1月の例祭には100万人もの人でにぎわうのだという。

聖徳太子による建立ということもあり、祭神は天照大神であるし

四天王寺の守護という面でも実に聖徳太子らしいといえる。

関西では、神道と仏教のつながりが深いようで、例えば春日大社と興福寺、比叡山日枝神社など

枚挙に暇がない。確かに、戎神も仏教由来の七福神の恵比寿、そして伊弉諾と伊弉冉の子である蛭子(ヒルコ)と同一視されており

そのあたりも非常に興味深い。


さて、その今宮戎神社からさらに東に向かうことおよそ10分。

ちょっとした丘のようになっているところに鎮座しているのが安居神社だ。

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細い路地を入ったところにあって、いささかわかりにくい。

本神社は、実は敷地内で真田幸村が最期を遂げたことで知られ

大河ドラマ真田丸」の放送もあって、一躍「聖地」となった。

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本神社の正式名称は「安居天満神社」という。祭神は少彦名神、菅原道真

もともとは少彦名神だけであったところ、菅原道真が大宰府に左遷される際に

この神社で休息したという伝承から、菅原道真も祀られているのだそうだ。

とはいえ、やはり真田幸村の存在が非常に大きく、拝殿の中にも赤備えの甲冑や

日本一の兵」という墨書も見ることができた。

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右側は「真田幸村戦死跡の地」と刻まれた石碑で

左側は休息をしている幸村の銅像であり、触れることで御利益があるとされている。

大坂夏の陣茶臼山に陣取った真田・毛利勝永勢らは、南側から寄せてきた松平忠直勢らを打ち崩し

そのまままっすぐ徳川家康本陣に迫った。

家康の切腹も覚悟させたという真田勢の相次ぐ猛攻撃しかし、陣を立て直した徳川勢の救援により

失速していき、消耗した。

疲れ切った真田幸村は、安居神社で休息していたが

そこへ徳川勢が押し寄せ、ついには打ち取られてしまった。その地がこの安居神社の境内であるということで

多くの観光客が訪れている。

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絵馬には真田丸ファンによりメッセージや、絵心のある人がイラストを描いて飾っている。

本来は天神社なのだから、学業成就にご利益があるはずだが

真田幸村関連ということもあり、勝負ごとに関するご利益もあると見られているようだ。

社務所では「勝ち守」も頒布されているが、「真田は勝ってはいないだろ…」というツッコミは無粋というものだろうか。

天下人の家康を追い詰めた功績や「日本一の兵」と評される幸村であるから

確かに(勝敗は別にして)勝負に強くはなりそうである。

この形式は、いわゆる「顕彰型神社」であって、「東郷神社」や「乃木神社」などと性質は同じだが

素地となる天満神社は残っているわけだから、顕彰型にカテゴライズしたとしても、ユニークな形といえる。

2016-12-22

[]「海賊とよばれた男」に見る出光の「痛快事」 「海賊とよばれた男」に見る出光の「痛快事」を含むブックマーク

大人ベストセラー小説海賊とよばれた男」の劇場版を観に行ってきた!

公開されたときにすぐ観に行きたかったが、仕事が忙しくてなかなか時間が取れず

本日ようやく行けたというわけ。

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本作は、百田尚樹氏の「海賊とよばれた男」を原作にしており

石油取り扱い業者の国岡鐵造(岡田准一)率いる国岡商店が

中小企業から出発し、さまざまな障害を乗り越えて一大石油元売り会社に成長するまでを

描いた作品である。

モデルとなっているのは出光興産であることは有名な話だ。

従って、クレジットにも出光興産から資料協力をいただいたことが記載されている。

まず、中小企業が安定した軌道に乗せるための小回りのきく経営。

これが多少の強引さもあって、「海賊」と呼ばれるわけだが

やはり一番困難なのは、大東亜戦争からの復興であろう。

文字通り全てを失い、0からのスタートであるが

日本人がいる限り必ず立ち上がる」という鐵造の力強い言葉は

確かに社員の心を打ったのである。

日本企業として、外国メジャー資本に乗っ取られることは、国岡としては到底容認できないことであった。

そこでメジャーは国岡に対してさまざまな圧力をかけるわけだが、最後の手段で取ったのが

イランからの石油の輸入であった。イラン英国は当時対立の真っ最中であり

イランからの石油を積んだタンカーが拿捕される事件も起きていた。

その半面、イランには大手メジャーの圧力は及んでおらず、国岡が食い込むのはそこしかなかったのである。

これもまた、出光の「日章丸事件」をモチーフにしており

西側各国の圧力をガン無視して、独自の貿易ルートを確立した痛快時であった。

その後、1980年代に米国イランの対立が強まる中、米国はわが国に対してイランとの石油の取引をやめるよう要求したが

わが国政府はこれを拒否、日・イの間の石油取引は出光が先駆けであったといえる。


さて、本作では岡田准一による鐵造の若い演技から晩年まで幅広い演技を見ることができる。

実に良い演技で、素直に感心した。

百田尚樹氏の作品では、「永遠の0」に続いて2作目になるが、ますます深みが出ていて

岡田准一の好演は本作の屋台骨とさえ言って良い。

また、モデルとなった出光興産は、現在でも独立系元売りとして国内2位(首位はJXホールディングス)

の売り上げを誇っている。もちろん、エクソン・モービルやロイヤル・ダッチ・シェルなどの世界的な

メジャーには劣るものの、ここまで資本・人的な独立を保っている企業も珍しい。

本作で出光興産に興味が出てきた方は、ぜひ同社の歴史や経営についても学んでみると

新しい発見があるのではないだろうか。

 
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