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2009-11-08 突然の神社めぐりと旧友との再会

[][]大崎の旅〜伊達氏の名残を求めて〜 大崎の旅〜伊達氏の名残を求めて〜を含むブックマーク

今日は晴れ、やや暖かい。

綺麗な秋晴れだ。それでもって

山々は絶好の紅葉狩り。

俺も国道沿いの紅葉を愛でながら

自然の芸術に心から感謝したのである。


さて、今日はプランの一つである

大崎の旅〜伊達氏の名残を求めて〜を実行した。

というのは、実は俺と竹馬の友であるところのなかたか氏から

お招きを受けて、大崎へと行ってきた。

まず向かったのは、斗瑩稲荷神社という。大崎というより栗原に近い。

で、なぜか俺が持ってる地図に載っていなかったんで

住所からさがして、そこに向かった。

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ここは、4号からちょっと外れて少し走ると看板が見える。

学校のすぐそば。この神社が正一位となっているのは

伏見稲荷神社が正一位をもらっているためだ。

そこから分霊を受けたのだから、その神社も正一位だろという理屈だろうが

よく稲荷神社でも、ほぼ神社の形を成していない神社もあって

そことの区別はつけたほうがいいとは思うが。

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稲荷神社では、このように鳥居をたくさん建てるところがある。

伏見稲荷もそうだが、山形の栗川稲荷もそうだったな。

確か、この鳥居は寄進すると購入でき、境内に建てることができる。

で、氏子たちが願い事を込めて鳥居を立てると、このようになるって寸法だ。

なぜ稲荷神社だけの現象なのかっていうとわからないが。

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この社殿は、瓦屋根造りとなっているが…その理由は追々。

この神社の創建は、多少ドラマチックだ。

社伝によると、源義経が頼朝の勘気を受けて、奥州へ下向した際

吉野の山に似たこの地をすっかり気に入り、鼓を打っていた。

ところがそこへ白狐が現れ「その鼓は自分の母の皮で作ったものです。

どうかお返しくだされ、さすれば私は義経様を守護するでありましょう」という。

そこで、義経は鼓を返して、武運長久を祈願した。その白狐がのちに義経の道案内を務めた

狐忠信だった。というもの。

永禄5年に、仏教僧の管理下に入った。その時に社殿が新しく作られたために

瓦葺になってしまったのだろう。神社神道では瓦は屋根瓦というて蔑視してさえいる。

そんな瓦を屋根に使った神社は、なんらかの形で仏教の影響を受けている。

社務所には七五三で訪れた家族連れが休憩していた。

そう、今日は県内の神社で一斉に七五三祭が行われているからだ。

邪魔になっては、ということでご朱印をいただいて、さっさと退散した。

次は古川に戻って、文字通り古川神社へ。

隣はグラウンドになっていて、ちょうど子どもたちの試合が

行われていた。親の応援のほうが力入ってたな…。

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この鳥居フォントがユニークだな。

というか、鼻節神社のフォントもこんなだったが。

鳥居も、この神社には3本くらいあるのだが

多分増設してるんだと思う。こういうことをする神社は

他にもたくさんあるが、鳥居をたくさん増やす理由はなんだろうか。

単に古いから?

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敷地は広いが、割とこじんまりした拝殿。

この地に創建されたのは大正時代なんだが

どうも腑に落ちないのは、どうやらこの神社は諏訪神社らしいってことだ。

というのは愛称がお諏訪さんというらしいこと、地名も諏訪だし

この古川神社、いくつかの神社が集まってできたものらしい。

武甕槌神、大国主神、武御名方神を祀っていることからも

ホールディング神社といおうか、ご当地神社ではないようだ。

ご朱印をやってないといわれてしまったが、そういう理由だからかもしれないな。

次に向かったのは、ちょっと南部にある祇園八坂神社だ。

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この神社では、道路に鳥居がどんとあって、仕方なくくぐらざるを得ない。

なかなか大きい神社で、駐車場も5台程度だがある。

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この社殿もやや小さい。だが、木瓜紋なのは

やはり八坂神社といおうか。

この神社は天慶3年(936)藤原秀郷が奥州征伐にやってきたとき

武運長久を願って、京都祇園社より勧請したもの。

これは極めて稀なことで、今では京都祇園鳥取祇園と並ぶ日本祇園の一つとして

有名なのだそうだ。

しかも、明治天皇の御行幸では今は社務所として使っている建物御宿泊遊ばしたという。

社殿は慶長5年に、伊達政宗が新しく建設した際、その管理を祗園寺に委ねた。

境内の建物は瓦葺だし、鐘楼もあるが、その名残だろう。


そのあとに向かったのが、荒雄神社である。

ここは荒雄公園の隣にあって、吉野作造記念館にも近い。

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この神社は、なんだか他の神社とは違う軽さがあるな。

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でかい…この社殿は誠にでかいぞ。

というか縦に長いので、でかく見えるんだが

この神社の由来というのが、昭和天皇、つまり先の御上だが

御即位遊ばした時に、荒雄村議会において神社を勧請しようってことになった。

そこで京都のいろいろな神社に分霊をお願いした結果

ここにめでたく神社の創建がなったのであった。

つまり、この神社は近代の勧請型神社である。

近代の神社創建には、偉人を顕彰するための神社と民間人が勧請して創建される

勧請型神社がある。これは後者だが、議会による可決があるってことは

行政も入っているということだ。今では考えられぬことだが

当時は日本の宗教といえば神道であったので、喜んで神社を創建した時代であった。

ちなみに、ここにも社務所はあったが、宮司さんが玄関先でタバコを吸っていた。

ご朱印はやってないというので、諦めて立ち去ったが、しばらく宮司さんは

タバコを吸いながらまったりしていた。


その後に、なかたか氏と会う。

彼とは、もう20年近い付き合いだから竹馬の友である。

しかしずいぶん痩せたものだ。ちょっと心配。

中華料理屋に行って一緒に飯を食ったが、その安いこと!

味はともかく、幸楽苑より安い。びっくりしたぜ。

いろいろ話をしたが、彼もどうやら神社好きらしく

今度はご朱印帳を買うことになった。もがよし氏の広報がここまで広がるとは!

でも、本当に会えてよかった。

これからもちょくちょく会えることになったので

いろいろいけるといいな。

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