純文学雑誌の想定読者は団塊世代だ

http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-348.htmlより


>だが、大文字の「純文学」には、力や勢いがないように私は感じている
>以前からの疑問がある
>文芸五誌なり芥川賞なりは、どんな読者が想定されているのだろうか
>クラシックな文芸ファンだろうか
>そういった方々は、どれだけの層が、日本にはいるのだろうか
>文芸五誌も、若者向けにアピールするようになってきているのだろうか


どうでも良いことだが、個人的に思うのは、純文五誌と言ったときに
上二つ(文学界・新潮)と下三つ(群像・すばる・文藝)には格差があって
元々純文学と言った時に、明治大正期のストックを持っていたのは新潮社で、
その新潮に文藝春秋社という小さな出版社がどう立ち向かうかというところで
第三次文学界(1949年創刊)編集長菊池寛が考えたのが、芥川賞だったのではないかと。


当時文芸同人誌がいっぱいあり、また新潮(1904年創刊)のように先行する商業文芸誌もあり、それらを網羅して新人作家の中のトップを決める賞を作った。
これにはずるい所があって、書き手がエントリーしなくても勝手に賞の選考にエントリーされる。作家の意志と無関係に勝手にエントリーされて別の作家に賞が与えられると、その作家は受賞した作家より下であるかのような印象が与えられる。つまり、新潮の作家と自前の文学界の作家を並べて、文学界の作家の方へ賞を与え、新潮より文学界が上という印象操作をすることが可能なシステムであった。


また、多くの文芸同人誌に目を通して同人誌の作家にも芥川賞を与えることで、文芸同人誌の書き手や読み手を文学界の読者に取り込む狙いもあったと思われる。


団塊世代は第二次大戦の終わった1945年〜46・47年辺りに生まれているとして、生まれた地方や育った家の裕福さによってある程度の時差はあるのだが、家にテレビが来たのが高校生の時で、大学で東京などの都会に出てくると一人暮らしなので当時高級品であったテレビなど買えず、そのまま社会人になると、忙しくてテレビを見ない生活を送っている。少年マガジンなどの週刊マンガ雑誌を手にしたのも大学に入ってからである。テレビの普及が1959年の皇太子御成婚のパレードと1964年の東京オリンピックを見るためにうながされたとすれば、1946年生まれが、御成婚パレードを経験したのが13歳のとき、東京五輪は18歳。http://www.f-ncv.org/ncv/rekishi.htmによると1962年でテレビの普及率は49.2%。46年生まれが16歳地点で、二世帯に一台テレビがあるかないかぐらいであった。


wiki少年マガジン より
「1970年には150万部を達成。少年漫画雑誌売り上げ1位の座を獲得し、『朝日ジャーナル』『平凡パンチ』と共に大学生の愛読誌と呼ばれ、黄金時代を築いた。」


永久保存版写真集 平凡パンチ 甦れ、アイドルの時代 平凡パンチの三島由紀夫 That’s WATANABE ヒットソング・コレクション~ザ・ヒットパレード&シャボン玉ホリデー~
週刊漫画雑誌が流行るまでは、子供向けの雑誌として「少年倶楽部」などの月刊少年文芸誌があり、江戸川乱歩怪人二十面相などが連載されていた。テレビやテレビゲームや電話やネットがなかった時代には、雨の日の休日は活字を読むかラジオを聴くかしか娯楽がない。当時は交通網が発達していなかったため、雑誌の郵送料が高く、週刊漫画雑誌のように一週間で読み終わる物ではなく、文字が多く載った月刊文芸誌で読むのに一ヶ月掛かる、別の言い方をすれば一ヶ月もつ雑誌が人気であった。つまり、団塊世代はテレビも漫画雑誌もない時代に、月刊文芸誌を読む習慣を持って大人になっており、会社務めを始めてからは、テレビを熱心に見る時間もないとすれば、高校時代に少しテレビを見て、大学時代に少し漫画雑誌を読んだが、基本月刊文芸誌を読む習慣を持った人たちだ。彼らは会社に電車通勤を始めてから、片道一時間の電車内で往復二時間活字雑誌を読む習慣を持っている。これが自転車通学や徒歩通学の中学生・高校生だと月刊活字雑誌を読む時間を作ること自体が困難だ。ただ中高一貫教育の有名私立に電車通学する子供とかになると、話が変わってくる。彼らの多くは遠い学校へ電車通学のため、地元の学校に通う幼馴染みとは疎遠で、近所に友達はなく、家では暇な時間帯が多い。親は教育熱心でテレビや漫画やテレビゲームに関して制限を加え、勉強することをうながすが、本人としては勉強以外の娯楽は欲しい。教育したい親と勉強したくない子供との妥協点として読書やアマチュア無線や電子工作などがメインの娯楽になる。


テレビとネットがない時代、世論や世間は新聞や月刊活字雑誌によって作られるものであり、映画や演劇はあったとしても、活字メディアに記名記事を書く人達も十分有名人であった時代だ。ビートたけしの「TVタックル」や爆笑問題の「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」。活字雑誌でも時事ネタを面白おかしく扱った連載を持っているのは、ビートたけし爆笑問題浅草キッドとお笑い芸人ばかりだが、テレビ以前は大江健三郎石原慎太郎サルトルら活字作家達のポジションだった場所に、お笑い芸人が納まったのだ。
今ちょっと調べたら、浅草キッドの連載コラムだけで4本もあるのな。
http://www.asakusakid.com/column/index.html
週刊ポストで連載の「ビートたけしの21世紀毒談」で検索すると、週刊ポストよりも、Sky PerfecTV!のフジテレビ721で放送の「チャンネル北野」の一コーナー「ビートたけしの21世紀毒談」の方が上にくるのな。週刊ポストは衛星放送の一コーナーより下なのか。


団塊世代より下で、小学生の頃からテレビや週刊漫画雑誌に触れていた世代だと、テレビや週刊漫画雑誌などのビジュアルメディアの影響力が、活字月刊誌の影響力を上回っている。例えば今、同じ集英社から出ている少女向け漫画雑誌「りぼん」と少女向け活字雑誌「コバルト」だとどちらの方が発行部数が多いか?みたいな話じゃん。


男性向け活字ポルノ本の読者が30代以下にはいなくて、50代以降と高齢化しているとか、団塊世代向け雑誌で団塊パンチdankai (団塊) パンチ 2008年 04月号 [雑誌]創刊とか、そういう情報を見ても、月刊文芸誌という制度は団塊世代向けの物であったような気がする。


文芸五誌に関して言えば、上二つは団塊世代向けに読者と一緒に歳を取る方を選んだと思うし、文藝が専門学校生・大学生・高校生辺りを想定読者としているとすれば、すばるは30歳前後の女性を想定していると思うし、群像は70年代後半から80年代初めまでは映画とのコングロマリットで攻めたと思うが、それ以降は新人賞に評論部門を設けて、評論・方法論を重視した作りが他との差別化になっていると思う。

大きな物語

>いずれにせよ、私は「大きな物語」を求める
>「大きな物語」を提示するものが、「文学」であるとも思っている
>しかしゼロ年代の文学作品は、「小さな物語」に自足したものばかりではないか
>「小さな物語」に埋没し、内閉し、融和し、快感を感じ、果てること
>私はそれを拒絶する
>各個人の私的な生活へと埋没し、人間の快へと奉仕する卑小な文学を拒絶する


この文脈での大きな物語は戦争だと思う。本当に大きな物語を提示したければ、中東でもチベットでも行って現地からの情報を発信すれば良いと思う。


週刊金曜日でルポタージュ大賞を取った「ルーマニア・マンホール生活者たちの記録」ルーマニア・マンホール生活者たちの記録を読んで衝撃的だったのは、活字が写真に勝てない現実を目の前に突きつけられたからだ。著者のことを悪く言いたくないし、まあ立派だと思う。私と同世代で、会社員を辞めて突如ルーマニアに行ってルポを書くため2・3年そこに暮らした決断力と行動力には頭が下がる。けれどもそこで書かれている情報は、日本人が日本にいながら得られる情報と、その延長線上にある想像の範囲内で、まあ貧しい国の人たちは苦労しているんだろうなぁという感じしかしない。何のコネクションもなく現地に入った著者には、現地のジャーナリストや知識人や政治家にインタビューする機会もない。現地の子供達としゃべり、現地の子供達と生活する中で、小学生レベルの現地の言葉なら通訳なしで会話できるぐらいになった著者は、結局現地の大人からはほとんど情報を得ていない。そして、いくら現地の情報でも、3歳や8歳の子供達から得られる情報は内容が薄い。正直、活字を読んだだけでは、本当に著者が現地に行ったのか、日本でロイター通信を読んで想像で書いたのかすら判別できない。けれども、その活字の横に添付された写真がルーマニアのマンホールに住むネズミや子供、地下に転がる残飯や汚水や毛布の生々しさを伝えていて、確かに現地でなければ撮れない写真になっている。ピューリッツアー賞的な戦場や紛争地域に行って現地の様子を伝えるといったときに、活字では写真に勝てない、活字では現地に行ったことすら伝わらないという現実に衝撃を受けた。

共通の話題としての大きな物語

http://d.hatena.ne.jp/kidana/20050530
みたいな話で、あまり親しくない人間と肩の凝らない話をしなくてはいけない場合。共通の話題として、スポーツ新聞の芸能欄的な話やTVのワイドショー的な話をする。話し相手は日本語ペラペラの外国育ちの日本人で、日本の芸能情報は全く知らず、仮に彼が台湾出身であれば、台湾の芸能ゴシップ情報はかなり詳しいとする。お互いに自分のプライベートに関してあまりしゃべりたくなく、芸能・スポーツ情報で雑談をしたいが、先方は台湾のそれしか知らない。例えばブルース・リーの話をすると「彼はアメリカに渡った香港系中国人で、台湾人ではない」と批判される。こうなった時に、台湾の大きな物語(芸能ゴシップ)を持つ彼と、日本の大きな物語に依存した自分では、共通の物語・話題がない。


日本人が外国に行く時、その国の文化や歴史について勉強してから行くように、彼も当然、日本の文化や歴史について勉強していて、それを共通の話題として提供しようとする。例えば、五重塔の持つ宗教的意味合いについて聞いてくる。が、当然、私にはそんなことは分からない。彼は日本人なら当然日本文化について外国人に説明できる程度に詳しいはずだと思っているが、私のように教養のない日本人には、難しいことを聞いても答えられない。台湾の大学で日本文化を研究している大学教授の方が私よりよっぽど詳しいだろう。私に分かるのは、家の近所でおいしいラーメン屋はどこかとか、職場への通勤はこっちの裏道を使った方が早いとか、そういうことだけだ。


外国人がその国に行く時、勉強していく現地の文化は中世から精々1960年代ぐらいまでの伝統文化で、イギリスで言えば、ビートルズが人気あるらしいよとか、日本だと美空ひばりが人気あるらしいよとか、そういうので、現地の若い人と必ずしも共有できる文化ではない。日本で外国文学といったときに、イメージされる文学も現地のリアルタイムの文学というよりもは、40〜50年前のその国の文学であったりする。現地の比較的教養のない若い人たちにとっては、そんな何十年も前の純文学より、今週のテレビのワイドショーの方がよっぽど共通の話題として使える大きな物語であったりする。