粗食のすすめ

粗食のすすめ (新潮文庫)

粗食のすすめ (新潮文庫)

粗食のすすめ購入

今日は、別にやってるブログで書いた書評ネタをこっちに転載します。どう考えても、こっちの方が内容的にしっくりくるので。

ということで、以下転載です。

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今年は健康な生活というのが自分にとって重要なテーマになっていて、毎日1万歩歩くとか、食べる量を減らしてダイエットするとか、いろいろやっております。


まぁおかげさまで、7キロほど痩せてちょうどいい感じかなとは思ってるわけですが、テレビや新聞などでの、最近の食に関する話題を聞いていて、すごくおかしな気分になってしまいます。


たとえば、赤福の話とかで言うと、まぁ赤福自体、僕はけっこう好きで、ちょくちょく買っては食べてたわけです。
で、その原材料名とか見ると「小豆、餅粉、砂糖」だったかな? それはもう、ものすごくシンプルで添加物のたぐいが全然入ってなかったわけですよ。


まぁ、比較的、良心的な商品とは言えるんですね。


でも、あんこのついた餅に関して言うと、好きな人なら知っていると思いますが、おいしいのは一日だけです。

たぶん浸透圧の関係で一日以上経つと餅がかたくなってしまってぜんぜんおいしくなくなってしまうんです。


これは別に、腐ったとかなんとか、そういう「食えない・危険」な状態になったわけではないのですが、まぁ商品としては、もう全然ダメって事になるわけです。
こんな餅のかたくなった商品を店頭に並べていたら、「まずい餅だ」という事で会社が潰れてしまう。


だから「賞味期限」というものが設定されていて、「これを過ぎて食べたら、おいしさは保証しまへんで。」という事なわけです。


このあたりの「賞味期限問題」はやたらと最近話題になってますが、ようは賞味期限というのは「おいしさ」の問題で食の安全とか健康とかとは、ちょっとまた違う話なんですね。


でも、たとえばエッセイストの神足裕二とかは、「昔は匂いをかいで食えるかどうか自分で判断してたものだ。自分の体で判断せよ。」とか言う話をする。いやまぁ意見としては、すごく正しいと思うんだけど、なんか問題の本質から遠ざかってるような気がするわけです。


お菓子としてのアンコ餅や大福のたぐいなんて、大量生産されているものなら、各種の増粘多糖類とかで、「何日たっても柔らかい餅」のものが、赤福の半値以下でスーパーに並んでるわけです。


そういう薬だらけの餅は、たぶん匂いをかいでも古いかどうかわからないし、そういう餅をまた、平気でみんな食べてるわけですよ。



そういう僕だって、もともとアンコ類が好きなこともあって、けっこう食ってるわけです。



このあたりの食品添加物の話に関しては、



食品の裏側―みんな大好きな食品添加物 (単行本)
安部 司 (著)

http://www.amazon.co.jp/%E9%A3%9F%E5%93%81%E3%81%AE%E8%A3%8F%E5%81%B4%E2%80%95%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E5%A4%A7%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E9%A3%9F%E5%93%81%E6%B7%BB%E5%8A%A0%E7%89%A9-%E5%AE%89%E9%83%A8-%E5%8F%B8/dp/4492222669


が事情をよく表していて、すごく面白かったんです。ずーっと売れてますよね、この本。


だから、そんな事を考えていくと、赤福はけっこう「まし」な存在なんです。


でも、しかし!


本当の問題は、実はそんなところにはないわけです。
問題の本質は、「なんで、甘いお菓子をそんなに欲しがるのか?」ってところにある。


何より、もっと問題は、「上白糖くらいまで、精製してしまった白い砂糖なんて、実は薬物と同じなんじゃないの?」という、本質的な問題があるわけですよ。


これは、あんまり世間で問題にはしませんわね。
だって「砂糖」なんて、普通に料理で使ってるし。
ねぇ?


でも、正直、赤福を食べる時でも、僕は「この砂糖、というもの自体が大問題なんだよなぁ。」と思いつつ食べていたわけです。


黒糖とかなら、まぁ良いのですが、砂糖はかなり問題だと思うのですよね。
なんていうのかな、砂糖を口にすると、食に対する自分の欲求そのものが狂ってしまう感覚を覚えるのです。


やたらと何個も赤福を食べたくなるとかですね、あるいはお茶が欲しくてしょうがなくなるとかです。


「おいしくて、つい、もう一個食べちゃうのよね」とか、「おまんじゅうにはお茶が良くあうのよ。」とか、普通に言ってるけど、どうもそれは違うんじゃないか? って思えてきたんですね。


それは砂糖の中毒症状なだけなんじゃないか? って。


いやまぁ、ここまで言い切ってしまうと問題発言になってしまうんでしょう、多分。でもやっぱり、あまりに精製度の高い食品というのは、「おかしい」と思ったほうがいいんだと思うのです。


化学調味料だって、サトウキビからできてるから自然由来の製品だ、とか無茶な事を言ってたりするけど、精製度を高めてしまったら、なんだって薬剤と一緒ですわなぁ。
塩だって、電気的に取り出す方法だと、ほとんど塩化ナトリウムであって、にがり分のない不自然な「薬剤」だと考えてもおかしくはないと思う。


で、です。


こういう「精製度が高すぎる」って事の根本はどこから来たのか?って事を考えていくと、ようは「白米」に行き着くんですよね。
玄米を精製したものが白米ですから。


で、やっと、この表題の本の幕内さんの話になるんですが、この方は、精製して落としてしまったヌカの部分に、どんな微量元素が入っていたのかを人間はまだ発見してないんじゃないのか? みたいな事を言っておられるわけです。


ビタミンがどうとか言うけど、それはたまたま人間が発見したから名前がついてるだけで、もっと大事なものを失ってしまってるのかも知れないわけです。


その代表例が繊維質ね。繊維質なんて不要なものだと思われていたんだけど、実はこれが、体内の余分なものを掃除してくれる重要な機能を持っていて、そういう機能の大切さを発見したのは、つい最近なんだって話ですわね。


そういう具合に考えていくと、昔ながらの玄米食とか、あるいは3分つき、5分つきのお米、あるいは、胚芽米とかをキチンとたべて、それにわずかな野菜と魚を中心とした少量の動物性タンパク質があれば、健康維持には問題がないはずだ、としてるわけです。


昔からの伝統食は、その地域の人間の体にあった食べ物で、それで、その地域の人種が種族を長らえさせてきたのだから、そこに重要な知恵があるはずだ、という考え方をされてるわけです。


これにねぇ、僕は大賛成なんですよ。
なんちゅか「おいしい」ものを食べるとか、すごくウソくせぇ!って思うわけです。砂糖にしろ化学調味料にしろ、そういうものに慣れてしまった体が「おいしい」と思う感覚こそが、実は「薬剤依存の中毒体質」なのではないか? って思う。


不自然なものを「おいしい」と勘違いする生活に、日本人は慣れすぎたんじゃないか? って思うんですね。
だから、こと食に関しては、僕は「おいしさ」をベースにした考え方は、あまり重視しない事にしてるんです。「ほんとうのおいしさとは何か?」なら考えるけど。


幕内さんのたとえ話で面白いのは、「日本人が欧米風の食生活をするのは、石炭ストーブに石油を入れるようなもの」というくだりですね。


伝統的な食生活(=石炭)をしていれば、キチンとカロリーも燃焼されるけれど、石炭ストーブに石油(パンや肉類など)を入れてるから不完全燃焼を起こしていて、うまく燃えない状態になって太ってしまうと。


食物繊維や、まだ発見されていないかも知れない微量元素やらはストーブで言うなら「空気」みたいなもので、(実際ビタミンB2とかはタンパク質の吸収に関わる栄養素ですから、説明として合理的です。)そういう微量元素も適量に取るべきだと。


で、そういう微量元素を「主食」以外で取るから、たくさんの量が必要になって、ストーブの中で空気も足りず、不完全燃焼になってしまう、体に残るっていう悪循環になっていく、という話です。


キチンとご飯でカロリーを補給していれば、ちゃんと燃えていくのに、ご飯を押さえて副食でバランスを取ろうとするから、肉も食い、油を取り、砂糖を取りというところへ行ってしまうんだということですね。


子供や若い人には、まず主食たるご飯をちゃんと食べさせなさいと。そうすれば、カロリーが足りて、甘いものを欲しがったりはしないと。まず、そこが間違ってるんだって話なんですね。


この本を読んで、僕なりにすごく実感したのは、「●●健康法」とか言って、そういうのを読んだとたんに「●●」ばっかり食べて、他を食べない人って言うのが続出するじゃないですか?


あれって結局「これさえ食べておけば大丈夫」という完全食品を求めてる行動ですよね? で、その発想そのものが、考えたらすごくおかしいと思いません? なんで「これさえ食べとけば大丈夫」というような超偏り思考に、「みんな」がなるのか?


ふと思ったんですが、それって「米」の事と違うの?
みんな「米」を求めて「これさえ食っておけば大丈夫」思想を無意識に発動させてるんと違うの?って思うわけです。
結局、日本人という体に、そういう文化が染みついてるんだと思うわけですよ。


で、おそらく「白米」ではない、玄米とか胚芽米とかは、そういう「完全食」に近い存在なんでしょう。日本人にとっては。
だって「主食」と「副食」という考え方自体が、日本独特の考え方なんだもん。


お米は水田の技術で、同じ田んぼで毎年米を作れるけど、麦はそういうわけにはいかないのよな。連作障害が起きるから。だから、「ずーっとパンばっかり食う」とかができないわけですよ、欧米の環境では。


で、しょうがないから肉を食ったり、そのほかの食材で穴埋めしてるわけ。地域ごとで、食文化は違っていて当たり前だって話です。


こういう大前提から、キチンと考えないとダメよなぁって、つくづく思うのです。


あんまり長々書くのもあれなので、このあたりでやめますが、食に関しては1980年あたりだったか、アメリカで出た「マクガバン報告」ってのがあって、この報告に触れてない書籍は、基本的には信用しないというのが僕のスタンスなんですが、さすがにこの本ではそういうところはキチンと押えてる。さすがです。


牛肉の狂牛病騒ぎの時にも「全頭検査しないとダメだ」とか、「国産ならいい」とか、「オーストラリアの牛ならいい」とか、いろいろ言ってた人がわんさといたけど、もっと大事なことは、「肉なんか食っていて良いのか?」っちゅう話なわけですよ。


牛乳も最近すごく人気が落ちましたよね。やっぱり牛乳なんて、日本人の体にあんまり合ってないんだと思うよ、それは。たぶん。


もっともっといろいろ紹介したい内容がわんさと入っていて、すごく良い本でして、いろいろ書きたいのですが、まぁ、ここまで。文庫だし、多くの方に読んでいただきたいと僕は思いました。


で、この本をどこで知ったかというと、食とは全然関係ない「年収10倍アップ時間投資法」(勝間和代・著)だったりするわけですよ。


だから本は多読しないといけないんですね。
どこにどんな基礎的な良書の紹介があるやらわかったもんじゃないから。いやほんと。
こんなに良い本があるなんて、ちーとも知らなかったもの。私。


多読しないと、こういう本にはなかなか出会えないっていうのが、これまたこの国の不幸なところよなぁ。
うーむ。


まぁそんなことで。