(半)透明なもの


実際われわれは、光をそれ自体として見ているわけではない。
そうではなくて、何か下にあるもの(委ねられたもの)において
見ているのであり、これが(半)透明なものである。
(半)透明なものは、色を持たないために、それ自体としては
もちろん目には見えない。さらに、何も持たないために、
あらゆるものを受け入れることができ、その点で視覚において
媒介となることができる。それゆえ、(半)透明なものは、
つねに外部にある色によって見えるものになる。
外部にあるものの色が、(半)透明なものにおいて、
精神的で志向的(印象的)なものに変わるのである。


アルベルトゥス・マグヌス『デ・アニマ注解』の引用
 /岡田温司『半透明の美学』より抜粋)