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活動日誌(中国帰国者の会) RSSフィード

2014-04-01

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尼崎、コスモスの会のHPが、本日立ち上がりました。

素敵なHPです。

様々な問題が解決されない状況のなか、活動を発展させていらっしゃることに敬意を表します。

みんなで励みにさせていただきます。

去年の9月、尼崎市の改正中国残留邦人支援法施行5周年事業で石井小夜子元理事長が講演しましたが、その講演録も掲載していただいています。レジュメは初公開です。

その講演の後、二世の方たちとの交流会で、いろいろお話を伺いましたが、二世の方たちが元気に活動されているのが印象に残っています。

今後も、交流をさせていただければありがたいです。

多くの方に、HPを紹介します。

2014-03-31

憲法学習会

「中国残留邦人問題」から学ぶ〜憲法学習会 

2013年度国立市国分寺市地域生活支援事業 

2014年2月9日(土)、金沢大学の石川多加子准教授をお迎えして開催しました。前日の大雪が残るなか、多くの方が足を運んでくださいました。

自民党が2012年4月に「日本国憲法改正草案」を決定し、最近は集団的自衛権の行使や国家安全保障会議など、憲法「改正」に関係する動きが新聞紙上に出ています。

日本国憲法はそもそも私たちの暮しの中でどういう役割を果たしているのか、そして自民党の日本国憲法改正草案が提起している内容はどういうものかを知り、その違いを自分たちで考え判断する根拠を持ちたいと開催しました。

石川さんのお話から、日本国憲法の三大原則「主権在民」「平和主義」「基本的人権の尊重」は互いに関連しあい、日本国憲法全体を通して貫かれていて、私たちの人権、自由、生命を守ることを一番大事なこととして保障しているのだいうことを改めて大切なこととして感じました。

自民党の日本国憲法改正草案と日本国憲法の条文を読み合わせ、自民党が何をどう変えようとしているのか、具体的なお話を聞きました。

本来、政権に就く人や公務員など、公権力を持つ人が、その権力によって国民の自由や生命や財産を奪うことのないように憲法遵守義務が課せられているのに、自民党の日本国憲法改正草案では、憲法を遵守しなければならないのは国民だとあり、立憲主義の原則を覆すものです。

日本国憲法は三大原則を基本にし、人権は何よりも尊重されますが、憲法改正草案では人権よりも公益や公の秩序、つまり国益を優先するとあります。また、これまで歴史の中で先人たちが努力し積み重ねて獲得した人権という価値を、最高法規の97条で削除していることにも驚きました。

自民党はいろいろな手法を駆使して、憲法「改正」のみならず、実質的憲法「改正」をしようとしているようです。

「中国残留邦人」は戦前、戦中、情報が操作され、言論の自由も奪われる中、国策によりソ連国境沿いの危険な地域などに開拓団として送られ盾のように配置されました。1945年に戦争が終わったことも知らされず、何十年も放置され、中国で暮らさざるを得ませんでした。

私たちの会は、二度と中国残留邦人を生み出すような社会にしないために活動してきています。そのためにはきちんと事実を知り、自分で考え、判断することがとても大切なことです。

何も言えなくなる時代がくるまえに、今、私たち誰にでもできること、憲法の内容をもう一回学習しよう。そしてみんなで議論し、そして何が大切なのかを自分で判断していくこと。それが私たちの平和的生存権を行使する事だと講師の石川さんは話されました。

記録ができましたら、会報「明天」に掲載いたします。

2013-11-10

『中国残留邦人』−私たちは歴史の中に生きている−」(一橋大学「満州の記憶」研究会主催)

11月3日一橋大学学園祭特別企画で学生団体「満州の記憶」研究会主催の「『中国残留邦人』−私たちは歴史の中に生きている−」が行われ、「中国残留邦人」の西田瑠美子さん、石井小夜子前理事長が話をしました。

最初に、西田さんが自身が「満洲」にわたることになった経緯や「満洲」での体験、そして帰国したくても帰れなかった辛い経験など、研究会の方たちの分かりやすい質問に応えながら話しました。

多くの帰国者一世が高齢化され、当事者の方から話を聞くというのは本当に貴重な機会になってきました。西田さんのお話からも、国が送り出しながら人々を切捨ててきたことに対する怒りが伝わってきました。

そして石井前理事長からは、西田さんのお話の歴史的な背景、国の政策の問題が語られました。

会場に大勢集まってくださった方たちにも、この問題が私たちに語りかけていることが伝わったのではないかと思います。

若い世代の研究会の方々がこのような会を催されたこと、そして準備の段階から、ていねいにすすめてくださったことに心から感謝いたします。

2013-10-18

尼崎市で石井前理事長が講演しました

9月28日(土)、尼崎市の改正中国残留邦人支援法施行5周年、「中国残留日本人への理解を深める集い」で、石井小夜子前理事長が講演しました。

まず、元「中国残留婦人」の奥山イク子さんが自らの体験を話されました。国によって翻弄されたご自身の体験、そして二度と「中国残留邦人」を生み出さないように、決して戦争を起こさないように、そして最後に憲法9条を「改正」してはいけないと力強く言われたことが心に残りました。

続いて、グループ「天の風」の歌と楽器演奏を楽しみました。馬頭琴に合わせてお2人の歌モンゴル族の歌唱法のホーミーでの歌を聴きました。

その後、石井前理事長が「中国残留婦人問題と女性の人権」というテーマで話しました。

集いの終了後、支援策が実施されて支援相談員や通訳として活躍している二世の方たちとの交流の場を作ってくださいました。「残留孤児」の性別により、二世の国籍が左右されるという、いまだに男女差別が残っている実態が不当だという意見等が出されました。また、中国籍二世の在留期間更新時に在留期間を短くされるケースが出てきていることを報告し、今後注視していくことを確認しました。

その後会場をかえて、兵庫のいくつかの市や大阪で役割を担っている二世や地域の支援者の方々も来てくださり、楽しい交流会を催してくださいました。おひとりおひとりが帰国者問題への向き合い方やご自身の意見をしっかりと話され、関西の元気をいっぱいもらって帰ってきました。

これを機に、また関西の方々と交流ができればと思います。

尼崎のみなさまに感謝、感謝。

2013-07-20

震災のあと、改憲のまえ 「不安」の正体をかんがえる講演会(三鷹市地域生活支援学習会)

2013年6月9日 三鷹市公会堂さんさん館で震災のあと、改憲のまえ 「不安」の正体をかんがえる講演会を開催し、弁護士で反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児さんにお話しいただきました。

「経済最優先」の政策が進められるなか、貧困、震災・原発被害の渦中にある人の声が顧みられていない。違憲とされた選挙制度が改善されず、憲法96条改憲が持ち上がる。貧困問題に向き合い、社会構造の問題、基本的人権の問題として訴え続ける宇都宮さんにお話を伺い、感じる違和感や不安の正体を探りました。(会報 みんてん31号PDFはHPにあります。ご覧ください。)

2013-01-21

講演会 人々はなぜ「満洲」へ渡ったか(国立市・国分寺市地域生活支援事業) 

この講演会は、「中国帰国者の会」が委託を受けている国立市・国分寺市の2012年度地域生活支援事業として行います。市民の方たちに広く帰国者問題を知っていただき、共に考える機会にできればと思います。

2007年に「中国残留邦人新支援法」ができましたが、その実態は年金生活保護に準拠した給付金制度で、戦後補償とはかけ離れたものでした。その上、支援の対象は基本的には一世のみで、配偶者や二世三世にとっては、日本語学習の機会も少なく、就労支援もほとんどありません。差別や無理解の中、苦しい生活をしている人がまだ多い状態で、帰国者の現状は厳しいものです。

わたしたちは、この現状を変えていくための活動をする一方で、「中国残留邦人問題」を二度と起こさないために学習を続けてきています。

今回は金沢大学の小林信介先生お招きしました。

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■中国帰国者問題から学ぶ

「人々はなぜ「満洲」へ渡ったのか」

〜めまぐるしく変わる社会情勢の中で騙されない、流されないために〜

戦前戦中、大陸侵略の地「満洲」へ多くの人が送り出されました。送出されたのは、「貧しかったから」など、経済的な理由がよくあげられますが、それだけが理由だったのでしょうか。

当時の政策や社会的背景をお話しいただきます。そして、現在を見極める力を得たいと思います。

講師:小林信介先生 (金沢大学大学院 人間社会環境研究科

日時:2013年2月3日(日) 午後1時30分〜4時00分

(開場:午後1時15分)

ところ:国分寺市立いずみホール 会議室  (参加費無料)

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現在、私たちの周りにも原発問題をはじめ、私たちが自分たちで考え、決断しなければいけない問題がたくさんあります。

原発問題からは国策推進のために私たちが騙されていたこと、そしてそれは帰国者問題となんら大きな変わりがない事に、いまさら気がついたりもしています。同時に騙された自分たちにも責任があることを痛感しています。

国に騙されないようにするには、事実を知る努力をし、自分で考え、判断することだと会の学習会の中で話し合っています。それは、私たち自身が、国策を推進する位置に立たされてしまう危険性をいつも持ち合わせていると思うからです。同じ過ちをおかさないよう、小林先生のお話を伺い、中国帰国者問題から「今」を読み解く目を鍛えていきたいと思います。

どうぞご参加ください。

2013-01-08

講演会 わたしたちは歴史の中に生きている 第2弾 (三鷹市中国残留邦人等地域生活支援事業)   

歴史に学ぶ〜「中国残留邦人」問題を契機に、日中関係を考える〜



★2012年は日中国交正常化40周年でしたが、様々な問題が起こり、

日中関係に大きな変化をもたらしました。

★日中関係がギクシャクしていることに、多くの人が不安を感じています。

「中国残留邦人」やその家族、中国出身者からはとくに強い不安の声が

聞こえてきます。

そして、“なんとなく疑問も感じるけれど、よく分からない”、

“不安を感じているけれど考える糸口を得られず、言葉を失っている”、

という状況が続いているように感じます。

★わたしたちが感じている“不安”の正体を知るために、

そして友好な日中関係を築いていくために、「いま何が起きているのか」

を、過去の歴史を学ぶことから照らし出していきたいと思います。

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★日時: 2013年1月20日(日) 午後1時30分〜4時30分

      (開場:午後1時15分)

★講師: ◆井出孫六さん (作家)

        著書:『終わりなき旅―「中国残留孤児」の歴史と現在』

           『中国残留邦人―置き去られた六十余年』 など。

      ◆太田昌国さん (編集者・民族問題研究者

        著書:『「拉致」異論』 『暴力批判論』

           『チェ・ゲバラ プレイバック』 など。

★ところ: 三鷹市市民協働センター 第一会議室

       三鷹市下連雀4-17-23/TEL: 0422-46-0048

       http://www.collabo-mitaka.jp/access.html

★参加費: 無料

★事前予約: 不要

★主催: 三鷹市 ・ NPO法人中国帰国者の会

 (お問合せ先 TEL/ 03-3353-0841 石井法律事務所内)

★NPO法人中国帰国者の会のHPにチラシも掲載しています。

http://www.kikokusha.com/

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★戦前・戦中の「開拓団」や「大陸の花嫁」という国策によって「満洲」

へ送り出され、戦後、国に棄てられた「中国残留邦人」。

侵略国の日本人という立場を背負って中国人の家に入ることを余儀なく

された、そして同時に、中国で命を助けられた人たちでもあります。

日本の「無策」と、冷戦や日中関係に左右され続けた「中国残留邦人」。

訪日調査が開始されたのが1981年(「孤児」のみ)、

最初の支援法ができたのは1994年、新支援法の施行は2008年でした。

新支援法でも配偶者、子どもや孫に対しては何の保障もなく、様々な

かたちで問題が引き継がれています。

このような状況は、現在の日本の様々な問題を映し出していると言える

のではないでしょうか。

★「中国帰国者の会」は、1982年に「中国残留婦人」の鈴木則子らが

立ち上げ、帰国後の日本語支援や生活支援、法施行等への取り組み、

帰国者の体験の「聞き取り」等の活動をおこなってきました。

聞き取り集『わたしたちは歴史の中に生きている』発行企画の第二弾

として、この度、講演会を開催いたします。

皆さまお誘いあわせのうえ、奮ってご参加ください。

2012-06-29

インタビュー記事

 最高裁の裁判長を務められた宮川光治さんが2月に退官され、東京弁護士会の月刊誌『LIBLA』(2012年6月号)に、インタビュー記事が掲載された。

 最高裁判事の任期中、一番記憶に残った事件として、故鈴木会長ら3人が起こした「中国残留婦人国家賠償請求事件」を挙げられている。

 最高裁決定で反対意見を出された宮川裁判長は私たちの記憶にしっかり残っている。鈴木さんも当時、最高裁で受理されなかった悔しさはありつつも、裁判長が反対意見を書かれたことにとても感銘を受けていた。

 「宮川裁判長の反対意見には心を打たれました。これは私たちの今の運動に対して大きな力になるでしょう。そして何よりも私の支えになります。」と言っていた。私たちも、すごく誇り高い気持だったことを覚えている。

 鈴木さんは亡くなる直前まで帰国者の心配をしていた。そして侵略者の一員として送られたこと、大きな力に流されてはいけない、騙されてはいけないと、私達にいつも話していた。

 大きな力が猛威を振るっている現在こそ、私たちは筋を通して自分たちで考え、自分たちで選ぶということをしていきたいと、いま改めて思う。 

2012-01-07 庵谷磐さんが永眠されました

当会の前副理事長であり、「中国残留邦人問題」の第一人者であった庵谷磐さんが1月5日にお亡くなりになりました。天寿を全うされたとはいえ、残念でたまりません。

庵谷さんは1917年に旧「満洲」「奉天」で生まれました。留学先の東京帝国大学で「満洲開拓団」を学ばれ、卒業後1941年に満鉄に入社、撫順炭鉱に勤務、1946年に引揚げるまで、戦前戦後の「満洲」をつぶさに見てこられた歴史の証人ともいえる方です。引揚後も孤児全教などで「中国残留邦人」の支援活動をされました。

鈴木会長たちが原告になった裁判でも証言をされました。国の責任で解決するべき問題を「個人次元」の問題としていることの問題性がよくわかりました。また、印象に残っているのは、関東軍から満鉄の家族を避難させるよう、そして全施設を破壊するようにと命令が出ていたが、撫順炭鉱では命令に反し施設をできる限り保全し、後に避難民の収容施設として使うことができたというお話でした。しかし、だから撫順では日本人孤児を保護する施設があったからあまり「残留孤児」はいないのではと長年思っていたが、ボランティアを始めてから多数の残留孤児がいることを知ってショックだった、救出できなかった人たちがどれほどいたかという無念さと開拓団の被害が想像を絶するものであるということを改めて実感させたと、語っていらっしゃったのだと思います。

弁護団会議でお会いした庵谷さんは問題に対していつも明確なお話をされ、とても優しくて穏やかだけれど、権力に対して毅然として立ち向かう厳しさをもっていらっしゃる方だと思いました。

「血の通った行政を」と結んだ、庵谷さんが裁判所に出された意見書は帰国者の会のホームページに掲載されています。中国帰国者問題がよくわかりますし、庵谷さんの思いもよくわかる意見書です。

ご冥福をお祈りいたします。

2011-09-16

後楽園憩いの家

三鷹市で憩いの家を実施していますが、毎月第1、3日曜日には後楽園憩いの家を始めました。

一世、二世を中心におしゃべりを楽しみながら、過ごしています。

これまで、お花見に行ったり、温泉旅行に行ったりもしました。

第1日曜日には日本語の学習も始めます。

先日は、支援相談員を経験した二世が、一世の相談をうけ、自治体につないだり解決に向けて動き出したりもしています。これから、どんな活動ができるか、模索していきたいと思います。

AkiraAkira 2011/10/19 16:51 I knew this is first time to leave massage for here. I had returned from China in March of 1980. After that I have never contacted by any community like this. But I'm growing up in Northern Japan. At current time I'm staying in North america for learning about interpretation skill. Also unfortunately I don't have any system which for typing Japanese right now. However recently I've seen some organisation which is supporting people returnee from China still having activities. Also I'd like to know
what's going on about second generation of people returnee from China or third generations too. I still have fluent language skill that include Chinese and Japanese too. When I visit this web site I found one of the leading person of this organization past way.
I just say I'm regret about that. Even I'm not understand how much influence did she have. But I hope you don't lose its purpose or her will to exist until as long as you could. I'll often visit this web site for watching what's kind activity will you have.
See you soon.

齊藤靖齊藤靖 2012/02/21 13:09 はじめまして

貴団体の活動については以前より拝見させて頂いておりました。
延辺日本人会及び延辺日中文化交流センター広報の齊藤靖と申します。

吉林省延吉市の日本人会には、残留孤児2世、戦前延辺に住まわれていた方がいらっしゃいます。

2012年1月末、東京で新年会を開いたのですが、世代を超え交流することができました。

当日の様子です
http://4travel.jp/traveler/enyasu/album/10640031/

最近では中国、韓国の歴史を知ることを通し、満州での日本人、日本のことを知る、いろいろと企画を立てています。

戸田郁子さん巡る韓国歴史の旅
http://yanbian-city.in/tour/sub.htm

秋には中国東北部を巡り、歴史を学ぶ旅も企画中なのですが、
会員の皆様の中に吉林省延辺に縁のある方がおれば、私が日本人会の東京での窓口を担当しておりますので、下記ブログにご連絡頂ければと思っております。

私の吉林省延辺中心のブログです
http://ryukeimi.jugem.jp/

貴団体のますますの発展を祈っております。
今後とも宜しくお願い致します。

                        齊藤 靖

2011-04-12

鈴木則子会長のお別れの会へのご参列ありがとうございました

4月10日、日中友好会館大ホールで鈴木会長のお別れ会をいたしました。会場には200人を超える方々がご参列くださいました。会場に行く途中、神田川の川沿いに咲く桜が満開でした。

井出孫六さまを始め、ご参列いただいた帰国者の方々からお別れの言葉をいただき、献花とともに会長にお別れをいたしました。

東北地方大震災後の原発事故が起こしている深刻な事態に対する国への対応は、鈴木会長が訴えたことと根は同じ問題であるということや、鈴木会長らが最高裁まで裁判を闘い抜き、宮川裁判長の上告を受理すべきとの異例の少数意見を引き出したこと、そして帰国者のために捧げた人生であったなどのお別れの言葉をいただきました。

私たちは会長の遺志を引き継ぎ、安易に大きな力に流されないで一人ひとりが自分で考え、判断していくことなど、会長が残してくれたものを私たちのなかで大切にしてていきたいと思います。

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隋 2011/10/08 13:02 私は9年前に、中国からきたものです。

先日、職場の年輩な方から「「中国残留婦人」をしっていますか」という本をいただきました。


日本語が読みやすく、土日にいつも外出する私ですが、前週週末一気に読み終わった。

「戦争」とはなにか、戦争を論じるときに、双方の国についてよく議論されるのですが、実は取り残されるのは「中国残留婦人」の存在です。もしかして、もっとたくさんかもしれません。

日本人の女性は国家のため、中国へ渡り、さまざまな苦労を経験し、生き延びて、日本へ戻ってくることを書いている本です。

P102あたりを読むと、涙が止まらないです。戦争を経験する双方の国の人間が国家レベルではなく、個人レベンル、人間としての行動が書いてあります。本当に感動的でした。

今日の平和時代に生きる私たちがどのようにすれば、この平和が長く続けられるのか本当に考えさせてもらいました。


本を読んだら、平和時代に生きる私たちは誰も憎まないで、国籍関係なく、元気に前向きに積極的にいきていくことが苦難を経験し、歴史を今日まで作り上げてきた先輩たちへの一番のレポートかもしれないと思いました。

現在、あの時代のことについて語る方がこの世から去ってしまったことにとても残念です。

一人の人間として中国残留婦人の方のことを尊敬します。

2011-03-07 鈴木会長のお別れの会

鈴木会長が1月26日、永眠しました。

転業開拓団として「満洲」にわたり、敗戦後、国に見捨てられて逃避行中に足に怪我を負い、そのままの足でずっと歩き続けました。

杖を突きながらどこへでも出かけていきました。

たくさんの方から、惜しむ声をいただいています。

「未判明孤児」にとっては実のお母さんのような存在でした。「残留婦人」にとっては、自分の気持ちを国に対してしっかり訴えてくれる存在でした。わたしたちにとっても、不当なことに決して黙っていない、権力に対して毅然として立ち向かう、かっこいい女性でした。

4月10日(日)日中友好会館地下ホールで、鈴木会長のお別れ会を行います。1998年に、「長期に渡り中国からの帰国への日本語教育及びその施設の運営に努力した」功績で、日中学院の倉石賞をいただいています。

お別れの会は午後2時から、開場は1時半からです。どうぞご参加ください。

2010-12-19

忘年会

中国帰国者の会の忘年会が開かれました。中国帰国者の方達が中心になって企画、運営し、140名もの方々が参加しました。

今年も毎年参加してくださっている菅伸子さんがお忙しい中、参加してくださいました。

帰国者の方達が中国の歌や踊りを披露されました。

元「残留婦人」の皆さんは「故郷(ふるさと)」を合唱しました。長年帰国できなかった方々が中国でも歌っていたのだと思います。日本語を忘れないためにも・・・。ご本人たちもですが、 聴いている私たちもおもわず涙がでてしまいました。戦争はむごいです。

2010-11-22

憩いの家

2006年9月からスタートした三鷹「憩いの家」は、開設から4年が過ぎました。2007年4月からは、地域生活支援事業として三鷹市の委託事業になっています。開設当初からたくさんの元「中国残留婦人」や元「中国残留孤児」とその配偶者の方たちが参加されています。

11月の「憩いの家」では、医療機関による差別の問題が話題になっていました。

中国人」「中国帰国者」と聞いた途端に態度が変わったり,診療拒否をされり・・・。帰国者の人たちはその現状を嘆いていました。「医療の仕事に関わる人でしょう? 病気を治す人、命を守る職業の人でしょう。」

「尖閣諸島の問題などで、中国と日本の国家間の関係がギクシャクしているけれど、そのことから単純に中国人、中国帰国者を差別しているのではないですか、マスコミがそれをあおっているのではないですか、そういうことがとても危険なことなのではないでしょうか」

そんな話し合いのあと、私たちも教えられていない歴史の事実をきちんと知るために、元「中国残留婦人」のかたたちに、お話をしていただきたいと、お願いしました。

どの方も、「やりましょう!」「私たちにできることがあれば、やりましょう。」

いま、「残留婦人」の方にしかできないことが、伺えないことががあるんです。

この企画は、中国帰国者の会の出前授業として、実施していく予定です。乞うご期待!

2010-06-05

中国語学習会

中国帰国者に教わる中国語学習会は二年目を迎えている。私たちが帰国者の方かたちから中国語を教わり、帰国者三世は母国語を学ぶ。今の私たちの先生は二世の配偶者Yさんとその息子で三世のJ(小学校5年生)。Jは、学齢期前に来日しているため、中国語の読み書きはできない。でも家では中国語を話しているので発音はバッチリ。

テキストをYさんが読み、発音チェックはJがしてくれた。今日は特に有気音「t」と無気音「d」の違いを薄紙を口の前に持ってきて練習した。発音した時に紙が動いたら有気音、動かなかったら無気音。

Jは、中国語をノートに写し、この教室で中国語の読み書きを練習している。学校で日本の漢字を学んでいる彼にとっては、中国語が外国語になるのかもしれない。

今日勉強したのは、你们学校有多少台电脑?(あなた方の学校にはコンピューターが何台ありますか?)

Jは家ではできるだけ日本語で話すようにしているそうだ。「だって日本語で話さないと、お母さんの日本語が上手にならないでしょ。」と、羨ましくなるくらい優しい。

今日もたくさん勉強したね、と、みんな満足して帰って行った。

2010-04-03

新学期

4月。新しい学校へ、新しい学年へと、気持も新しくなるような希望に燃える季節。この春、帰国者の子どもたちの進学、進級にもさまざまなドラマがあった。

帰国して6年目のFさんは、この4月から都立高校の1年生になる。

2月、家庭の経済的事情で公立一本を受験した。一校しか受験しないというプレッシャーがあるだろうと、志望校を何ランクも落としての受験だった。しかし結果は不合格。担任から連絡をいただいた。「日本語の問題だと思います。」学校生活の中で何ら問題なく日本語を話しているように見えたが、確かに、作文の中での「てにをは」にも問題はあった。問題文そのものが理解できなかったのではないかというのが先生のお話だった。日常会話と学習の言葉の習得とは別のものだ。

Fさんの父母は中国残留孤児家族。母親は中国で学校に行くことができなかったため、中国語の文字さえ学ぶ機会がなかった。そのため来日後、日本語学習も思うように進まない。Fさんは両親の病院での通訳、役所での通訳などを一人背負ってがんばってきた。

「都道府県立高校の中国帰国生徒及び外国籍生徒への高校入試特別措置」が全国で実施されており、特別入学枠などが設けられている。東京都では一律に小学校4年生以上で編入した子に特別入学枠での受験が適用される。家庭でのバックアップがある場合には、4年生以上で可能かもしれない。しかし、帰国者家族の中で、家庭ではほとんど中国語ですごし、学校では何とか遅れをとらないように、周りからその遅れが見えないようにがんばってきている子どもにはとても厳しいものだと思う。大阪では小学校1年生から適用されている。

Fさんは2次試験を受け、見事合格した。

長年、国に翻弄され続ける帰国者とその家族。問題はまだまだ存在してる。問題を少しでも良い方向に向けて解決していき、帰国者の人たちが安心して暮らせるようなやさしい施策が作られていくことは、私たちの暮らしが本当の意味で豊かになることにつながっていくと思う。

2010-03-18

生活相談

毎週一度開いている生活相談室。今週、聴覚障がい者の帰国者家族の方が来られた。聴覚に障がいのある高校生のEさんとその母親。母はほとんど日本語が話せず、人とのかかわることがなく家にいることが多い。

Eさんは日本の手話で話し、母親は中国語。互いのコミュニケーションがとれないし、母親は学校のこともよく分からない。聾学校の先生がHPで私たちの会を見つけ、連絡をくださった。

みなが自己紹介したあと、久しぶりにお母さんが中国語で話し始めた。Eさんは、「お母さんがこんなに楽しそうに大きな声で話すのをはじめて見ました・・・。」

本当に幸運なことに、2年前にスタッフになってくださった方が、手話を話される。中国語と、手話とが飛び交い、いつもと違う雰囲気だが、みな充実している。学習支援を受け、高校に合格したばかりの中学3年生は、「これから手話を教えてもらいます。もう友達になりました。」

いつも支援を受ける側になりがちな帰国者だが、どの人も大切な存在だから、困ったことがあったら、その状況を変えていくために一緒に考えていく一人ひとりになっていきたい。

お母さんも高校生のEさんも、来週も来ます!と嬉しそうに帰っていかれた。私たちにとってもとても嬉しい出会いです。

2010-03-15

学習会と聴き取り実行委員会

帰国者と市民が一緒に帰国者問題についての学習会を開いています。

昨日は第2回目の学習会で、帰国者問題がなぜ起こったのか、その歴史を学びました。

なぜ「満洲」に送り出すことを誰も止められなかったのか・・・。なぜソ連侵攻が分かっていて、開拓民をそこにとどめたのか・・・。それぞれの立場から疑問が出されました。

これから、どうすることが同じようなことを繰り返さないことになるか、みんなで考えていく学習会にしていきたいと思います。

その後引き続き、聴き取り実行委員会を行いました。

2010-03-13

写真展

地域生活支援事業として三鷹市で開催していた鶴崎燃さんの写真展「海を渡って」が昨日で終了しました。たくさんの方々がご来場くださいました。ありがとうございました。8日に開催した鶴崎さんと鈴木会長との対談に参加された方が寄せてくださった感想を掲載します。




「もし、あの時期に残留邦人の方と同じ立場に置かれたら、自分も何も考えずに満州へ渡っていたと思う。…現在、かつての満州の地で夢を求めて働いている日本の若者たち。とりあえず将来役に立つだろうと語学を学びながら、派遣社員としてわずかな賃金で働いている彼らを見ていると(昔と今と)何も変わらないのではないかと感じた。…」対談での鶴崎さんの言葉です。

私は、鶴崎さんの写真展を三木淳賞奨励賞受賞前後で2回見せて頂きました。写真の中に知り合いの姿を見つけ、自然と顔がほころんだり、なんともいえぬ空の色や、今も中国に残る朽ちかけた日本式の家屋に残留邦人の方々のご苦労を重ね合わせて思いをはせたり・・・しかし、屈託なくカメラに向かって微笑んでいる日本の若者たちの姿には、何ともいえぬ思い、説明できない何かを感じたままでした。

対談で鶴崎さんの言葉を聞いた時、あの若者達の微笑を見て感じた何ともいえぬ思いは、彼らの笑顔の裏に65年以上前の残留邦人の方々の笑顔を重ねてみていたからかも知れないことに気づかされました。当時、満州を目指して海を渡った時、人々はみんなこんな風に希望に満ちた笑顔をしていたのかも知れないと。過去と現在、私達は多くの犠牲を払ってたくさんのことを学んできたはずなのに、鶴崎さんの言うように、何も変わっていないのかもしれない。しっかり、ゆっくり写真を鑑賞していたつもりでしたが、私は鶴崎さんのメッセージを受け取る事ができていませんでした。

鈴木さんが、国は未だその責任を認めていないことについて語られた時、鶴崎さんは「そういった問題を解決した日本に生きていきたい。その為に、写真を通してできる事をしたい。」とおっしゃいました。私は、どんな日本に生きていきたいのか?その為に、私には何ができるのか?彼の言葉は、最後まで強烈に私の心に残りました。

2010-03-09

写真展と対談

当会主催、三鷹市地域生活支援事業の写真展が昨日から始まっている。

三鷹市役所2階の市民サロンは、写真展「海を渡って」の会場となり、多くの方が観に来てくださっている。

初日である昨日、鶴崎さんと鈴木則子さんの対談を行った。

鈴木さんは「満洲」へ渡った経緯や中国に取り残された後のこと、帰国してからなぜ会を立ち上げたかなど、鶴崎さんからの質問に答え、この問題は過去の問題ではないのだと話された。

また、鶴崎さんからは、作品を通して、この問題は現在の問題でもあるのだということを映し出したかった。もし当時の状況の中にいたら、自分も周りからの無言の力に押されて「満洲」に渡ってしまったかもしれない。今、何をしたらいいか、考えていきたい・・・。

写真展は12日(金)午後5時まで開催されている。ぜひご覧ください。

http://www.kikokusha.com/images/20100308photo/20100308photo.pdf

2010-02-25

写真展

鶴崎燃さんが「海を渡って」で第11回三木淳賞奨励賞を受賞されたことはこの日誌でもお伝えしました。

2007年、鶴崎さんが「中国帰国者の方たちを撮りたい」と当会に来られました。若いカメラマンがこの問題を題材にされることは、少し意外でしたが、とても嬉しいことでした。

長野県や中国にも取材、撮影に行かれました。会の事業にも参加され、帰国者の方たちの話に耳を傾けられました。

この問題は何なのか…と、一つ一つ探りながら撮影を続けられ、「切り捨てられた過去と現在」という歴史の不連続性を見事に映し出しました。

その写真展を今回、早くから帰国者問題に取り組んできた歴史のある三鷹市で地域生活支援事業として開催します。まだこの問題に出会っていないという方にも、この機会にぜひ見ていただきたいと思います。

現在も確かに存在している私たちの国のこの問題の本質を、鶴崎さんのこの作品をとおして一緒に考えていければと願っています。

詳しくはコチラをご覧ください↓

http://www.kikokusha.com/images/20100308photo/20100308photo.pdf

2010-02-10

テレビ番組(ドキュメンタリー)

「民教協スペシャル 少年たちは戦場へ送られた」が、2月11日午前10時半からテレビ朝日で放映される。

詳細は以下でご覧ください。

http://www.minkyo.or.jp/01/2010/01/002424_2.html

2009-12-27

忘年会

毎年行ってきた忘年会、今年は中国帰国者の人たちが中心になって企画、運営した。会場は三鷹市公会堂の会議室。押し詰まっての開催となったが、150人ほどの参加者があり、帰国者手作りの料理と中国の音楽、歌や踊りを楽しんだ。

地域生活支援事業がきっかけとなり、地域で楽器演奏などの活動を始めた人たちが、日ごろの練習の成果を発表した。楽器はアルトサックスやフルート、ギターなど、中国で練習していたが、帰国後は演奏する機会がなかった。地域生活支援事業をきっかけに、音楽を趣味とする人たちが出会い、グループを結成して練習をはじめた。今回、その成果を発表した。

また、憩いの家に毎月集っている高齢の元「残留婦人」のかたたちが、盆踊りや歌を披露した。

2009-12-13

写真展(続き)(2009年12月8日〜14日開催)

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パンフレットから引用


「海を渡って」 鶴崎 燃 (TSURUSAKl MOYURU)


内容:満州国の存在は歴史の教科書で習い、中国残留邦人のことも作者は子供の頃からニュースで知っていた、しかし、中国残留邦人は異国の地となった場所に取り残され、何十年後かにやっとの思いで帰国できた時には、言葉や年齢の事情もあり、いい仕事が見つからない。多くの人が今も生活保護を受けなければ生活できない状況だ。二世、三世の問題もある。

 一方で、中国には今やたくさんの日系企業が進出し、多くの日本人が海を渡っている。かつて日本人によって造られた街や建物があちこちに残る満州国の地も例外ではない。

「かつて海を渡った人の今」

「今、海を渡った人」

 同じ時間に存在するこれらが、どうも繋がって見えない。過去が切り捨てられてきたからではないか。国が積極的にこの問題に取り組んでこなかったため満州国の後遺症は個人に押し付けられている。

 過去の経験は共有し、未来へつないでいかなければいつかまた何か別の形で後悔する時が来るのではないだろうか。


授賞理由:中国残留邦人の帰国後の生活と、中国北東部、かつての満州国に今も残る当時の面影やその地で働く日本人の若者たちの姿を並置させた「海を渡って」は、満州国の存在からは遥か遠くに隔たった写真家の、幻のようにあてどなく、しかし確実に存在した国家に対する真撃なアプローチの成果である。

 異国の地に取り残され、何十年後かにやっと日本に帰国できたものの、生活はうまくゆかず、高齢の身のうえや子孫の未来を案じながら暮らす人々の現実と、今や多数の日本企業が進出し、日本の若者たちが夢を求めて働いているかつての満州の光景、それらに繋りや関係を見い出せぬまま、二つを対比させる作者の眼差しには、二つの国の間の、あるいは過去と現在の間の途方もない亀裂に対する無力感や苛立ちとともに、見えない歴史を見ようとする意志が秘められている。


賞品:賞状と賞金10万円並びに副賞として、デジタル一眼レフカメラニコンD90,AF-S DXズームニッコールED18-70mmF3.5-4.5G(IF)


鶴崎 燃氏 プロフィール

1975年愛知県生まれ。中部大学土木工学科卒業。2003年名古屋ビジュアルアーツ写真学科卒業。卒業後1年間同校助手を勤め、その後写真家大石芳野氏の助手となる。現在大石芳野写真事務所に所属しながらフリーとして活動中。

2009-12-09

写真展

5月にこのブログで紹介させていただいた鶴崎燃さんの「海を渡って」が三木淳賞奨励賞を受賞されました。

作品展は12月8日(火)から14日(月)まで、ニコンサロンbis(新宿エルタワー28階・ニコンプラザ新宿内)で開催されています。どうぞごらんになってください。

http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/news/index.htm

高橋高橋 2009/12/11 09:50 ご無沙汰しています。
鶴崎さんて餃子の会にもきてらした方ですよね、今週の日曜に写真展行こうと思います!
ご紹介ありがとうございます。

2009-11-14

外国人支援団体との交流会(東京弁護士会主催)に参加 その

11月13日、東京弁護士会主催、外国人支援団体との交流会に参加。「改定・在留特別許可に係るガイドライン」の概要と問題点についてのお話を伺った。

法務省は本年7月、不法滞在者に対する在留特別許可のガイドラインについて見直しを行った。改定ガイドラインでは在留特別許可の判断のための積極的要素、消極的要素が、細かく具体的に挙げられている。

在留特別許可が「恩恵によって」許可されるものではなく、「特別な事情のある人がもつ人の権利として」許可するという判断がなされているかどうかが大切。たとえば、カルデロンのり子さんの場合、かわいそうだからではなく、日本で生まれ、日本で教育を受け、日本で暮らす権利があるから許可されたのだということだ。

中国帰国者の2世、3世の中にも中国国籍の人がいる。「中国残留邦人」の家族として日本に帰ってきた人たちだ。来日後の支援がほとんどなく、言葉も文化も違う日本で犯罪に巻き込まれたり、罪を犯してしまった人たちも、特別な事情のある人といえるのではないかと思う。

中国側から見ても、帰国者の家族として日本に帰った人たちが罪を犯したからと、送り返されることをどう思うだろうか。日本の中で犯した罪はきちんと日本の中で償い生活することを保障するべきではないだろうか。

2009-11-13

外国人支援団体との交流会(東京弁護士会主催)に参加

外登法廃止−改正入管法の概要と問題点についての学習会、交流会に参加した。

入管法の改正により、市町村が交付していた「外登証」がなくなり、法務省が「在留カード」を発行し、同省が外国籍住民の情報を一括集中して管理することになる。身分事項、住居地、所属機関に変更があった場合には、14日以内に地方入管局に届けなければならない。所属機関からも所属している外国籍住民の情報を届け出ることになっている。

中国帰国者の家族にも中国籍の人たちがいる。1984年に改正される前の国籍法は父系主義だった。そのため、中国帰国者本人が女性の場合、その子孫は基本的に中国籍だ。帰化という方法もあるがそのハードルが高く、日本国籍を取得できない人もいる。

国が外国籍住民に対する管理を強化することは、マイノリティーに対する人権侵害だ。具体的にどのように実施されていくのか、注視していく必要を感じた。

2009-10-31

学習会

中国帰国者問題についての学習会を始めた。生活相談室、地域生活支援に参加している人たち(帰国者、学生、市民)が集い、この問題についての事実を調べていく。二度とこのような問題を起こさないよう、自分で考え、判断する力をつけていけるように。一世、二世の方の話を聴いたり、資料を調べたり、講師を招いて話を聴いたり、試行錯誤しながらになると思うが、少しずつでも着実にすすんで行きたいと思う。

2009-10-14

新支援の運用等について東京都へ要望書

http://www.kikokusha.com/images/pdf/shin_shien20091014.pdf)を提出。担当部署である生活福祉部生活支援課の課長・係長と面会し、40分ほど要望のポイントを説明しました。その後、東京都議会の各会派をまわり、東京都に提出した要望書と同じものを提出・説明しました。

2009-09-14

歌とギターのコンサート

9月12日、国分寺市いずみホールで「歌とギターのコンサート」を開催。多くの方がご参加くださり、会場は美しい歌声と優しいギターの音色で包まれました。

歌は、中国で音楽を長年勉強して来た中国残留孤児2世の配偶者、劉麗。ギターはドイツに留学、帰国後、ギターアンサンブルや他楽器との演奏などで活躍のギタリストの佐藤達男氏。

劉麗は初めてイタリアやイギリス中世・ルネッサンスの歌に挑戦、佐藤氏も中国民謡などを編曲、初めて演奏されました。

中国の歌を聴き懐かしかったとの感想をくださった方たち、美しいギターの音色にうっとりしたという方、また、中国民謡と古典音楽との対比が面白かったという感想もありました。

このコンサートは地域生活支援事業の一環として行いました。地域生活支援事業とは、中国残留法人支援法が2007年に成立、帰国者が地域の一員として生き生きと暮らしていけるようにという主旨で各自治体で実施されているものです。

当会は三鷹市、国分寺市、国立市から委託を受け、地域支援事業を行っています。今回は国分寺・国立市の地域生活支援事業として実施しました。

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2009-08-30

子どもの権利条約国連採択20周年記念イベント2009夏への参加

子どもの権利条約国連採択20周年記念イベント2009夏「子どもたちは表現する・おとな達は考える」が全労済ホール/スペース・ゼロで行われ、当会もブースを出し会報「明天」を配布しました。

子どもたちの基本的人権を国際的に保障することを定めた「子どもの権利条約」は1989年に国連で採択され、2009年に採択20周年を迎えました。

中国帰国者3世の中には、未だに「帰国者だと分かったら困る」、中国語を話す親に「学校に来ないで」と言わなければならない子がいます。文化の違いを認めようとしない周りの偏見や差別を肌で感じている子どもたちです。多様な文化があることを知り、尊重しあえることの大切さを実感します。

国連子どもの権利委員会に出された政府レポートに対して、現在当会ではNGOレポートを出すべく準備しています。前回に続いて帰国者の子どもたちに関するレポートです。

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