「日本は見すてない」ポスターについて思う事

はっきり言って胸糞悪い。何だ、この他人事のようなキャッチフレーズは。これがいつも冷淡な北朝鮮寄りのマスコミが使うならまだ分かる。自国民を拉致されたまま何年も放置してきた日本政府にこんな事をほざく資格なんてありゃしない。
 
イマイチ言っている意味が分からない方へ。例えば、横田めぐみさんのお母さんが書いたものにこの著作がある。

めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる

めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる

これが「めぐみ、お母さんはあなたを見捨てない」というタイトルならどうだったろう。ごく普通の感覚なら「被害者である自分の娘に対して、何故こんな物言いをするのだろう?」と受け止めるはずだ。拉致被害者は、犯罪者でも何でも無いのだ。「見捨てない」などとは、グレてヤクをやって盗みに入って人を殺すようなどうしようもない人間を庇う時にでも使うがいい。
 
去年9月に行われた衆院選において民主党は「日本を、あきらめない。」というキャッチフレーズの選挙ポスターを作成したが、民主党嫌いの小泉支持者だけでなく、一般の選挙民にまで不評を託った。「別に俺たちゃ日本を諦めてなんかいないよ。一体、何様のつもりだ?それが政権を取ろうとする政治家の言う事か!」というのが彼らの率直な感想だったのだろう。2chの、この日本政府作成のポスターについて語るスレにおいて、すかさず“岡田元党首が「インスパイアしやがった!!」と怒るAA”が登場した。これら2枚の無神経なポスターは根っこの深い所、国家運営者としての能力・認識の欠落を表している、という点で共通しているのである。それを端的に示す見事なAAであった。
 
もう一つの視点として。この「見すてない」という物言いは、様々な方面に配慮して、刺激を与えたくないという意志薄弱な政治判断の結果とも言えなくは無い。この際に適当なフレーズとしては「日本は絶対に、全ての拉致被害者を取り戻す!(奪還する!)」というほどの固い決意を示すものでなくてはならないと思うのだが、どうにも、小泉政権にはそんな気はさらさら無いらしい。何せ「拉致問題の解決とは何人が帰って来た時点でそう判断するのか」と国会で質問されても答えられないのだ。“「奪還」もせずに、北朝鮮と国交正常化を為そうというのか、それは許されない釤という批判を浴びたとしても、「いえ、決して彼らを見捨てたわけじゃないんですよ?」という論理で誤魔化す為の、姑息な(誤用)言葉遊びに過ぎぬのではないかと思う。
 
追記:「産経抄」において俺と全く同じ様な内容で、このポスターに異議申し立てをしてた。言っとくけど、パクったんじゃないからね(笑)。俺の方が早いし。
 
産経抄 平成18(2006)年4月19日[水]
(ttp://www.sankei.co.jp/news/column.htm)

政府が、拉致問題解決への強い決意を示すのは結構なことだ。横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんの父親が、韓国拉致被害者、金英男(キム・ヨンナム)さんである可能性が高まり、韓国と連携して救出にあたろうとする機運が盛り上がってきたところでもある。
 
▼時宜にかなった取り組みだと喝采(かっさい)したいところだが、二十万枚も張り出すというポスターの標語には大いに異議がある。「日本は見すてない」とはどういうことだ。「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」。めぐみさんの母、早紀江さんが著書のタイトルにこめた悲痛な叫びと比べると、まるで人ごとのように聞こえる。
 
▼覇気が感じられないところは、「日本を、あきらめない。」の標語に似ている。これを掲げた民主党が、前回の総選挙で大敗を喫したことは記憶に新しい。確かに政府は、長らく拉致問題に冷淡だった。公然と北朝鮮に肩入れする政治家や文化人も少なくなかった。
 
▼平成十四年に金正日総書記が、拉致を全面的に認めてからも、政府は解決に大きな力となるはずの経済制裁に踏み切れないでいる。被害者やその家族を見捨ててきた反省から、もう見捨てない、という意味をこめているのか。まさかね。
 
▼金さんの拉致を認めていない北朝鮮に対して、韓国はあいかわらず経済支援中心の融和政策で臨む構えだ。誘拐犯と身代金交渉をするがごときで、ますます足元をみられるのがおちだろう。
 
▼こんな時こそ政府には、何としても被害者を取り戻すのだ、という気概を国民に示してもらいたい。本日発売の『別冊正論』で、父の滋さんが「戦争を仕掛ける覚悟で奪還する」との米議員の発言が印象的だと語っている。戦争うんぬんではない、心構えの違いをいっているのだ。

 
[更に追記]:2chの別スレで見掛けたこの表現の方がもっと分り易いと思ったので、転載します。

285 名前:名無しさん@6周年 本日のレス 投稿日:2006/04/19(水) 15:54:15 i47+2UUc0
「見捨てない」は国家の責務として、あまりにも当たり前なことで、警察官の宣伝に 「警察は被害者を見殺しにしない」というキャッチコピーを使うのと同じことだ。 消防隊が「消防は火事を見て見ぬふりしない」、ゴミ清掃員が「ゴミを未回収にしない」 と書くのも同じようなもんだろ。
 
ようするに「日本は見捨てない」は「政府は職務怠慢をしない」という、改めて言うまでもないことを言っている。