怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

お昼は弁当。無難。
扇町へ。かつやを覗いてみようとしたらすでに閉店していた。売上の問題だけならこんなに急に閉店するとは考えにくいので、やはりあの件の影響なのかもしれない。経緯を知りたい。
天満の駅前のセブンに寄ったら女の人が傘立てをひっくり返していたので手伝おうとしたらかえって恐縮され、やっぱりこういうのは店員さんに任せておいたほうがよさそう。
天神橋筋の商店街はなにかと面白くて変なものを変な値段で売ってて飽きない。ときどきはこういうところをだらだらと歩きたい。そしてガクブチの大和は何度見ても安いので、今度なにか買おうと思う。しかしちゃんとした作品のちゃんとした額装はどうなんだろ。それは不安。
扇町パラダイスへ。ようやく通りすぎることなく入れるようになってきた。
ぽけ。
スダユウコ。けっこういい感じのギターと曲なのと、みんぱくで働いてるというのは興味深かった。が寝不足がたたったのが残念。
豊川座敷。彼の心情を言葉にすると陳腐な文字の羅列になってしまうから何も書けない。
酒でもまぎらわせないのをわかっていて、それでも飲むしかなくて、でも結局は音楽でぶつけるしかない。座敷くんの音楽は身を削って血が肉が音になった代物で、今日の座敷くんはまさにその座敷くんらしさが噴出した夜だったと思う。そんな音を聞いて心が震えるのは当然のことで、それを感じとれないような奴は表現者であることも音楽を聞くこともやめたほうがいい。
だけれども、座敷くんが血を吐いた結果であるその曲を単に享受してる自分ってなんなんだろう。僕は他人の血肉をわずかな金銭で購っては喰らい捨てるだけの俗人だ。僕はそんな自分をやめることができない。最低だ。
影野わかば。座敷くんと似た表現者であるけれども影野さんは血や肉を削っているのではなく、肉体からあふれ出す精神が音楽の形に変わっているのだろうと思う。肉体からあふれ出す精神とか言うとちょっと石川淳っぽいけど。精神が変わり勢いが変われば、噴水が形を変えるように彼女の音楽もまた変わっていくし、しかしそれが彼女の精神である限りはいささかも変わらない。僕は、影野さんはいつか突然憑きものが落ちたように音楽をやめる瞬間が来るのではないかと思っていて、つまりそれは彼女にとって音楽が必要不可欠なのと表裏一体のことだ。必要でなくなった瞬間に音楽は終わる。もしそうなったら、それは悲しいとか喜ばしいとかそういうことではなく、ただの必然にすぎない。照明が突然落ちた瞬間が示唆したように、彼女は肉体の中に巣食うなにかから物語りを託された黒子だから。
計谷コーヘイwithノーリグレッツ。アマチュアバンド的な雰囲気で楽しくやってるバンドだけど、曲がいいな。
明日は影野さんワンマン。
座敷くんは途中から見えなくなったけど、きっとまた泣きながら飲んでるんだろう。バカな奴だ。ほんとに。