「飲みニュケーション」についての僕の方針

※ だいたいmixiにアップしたモノと同じですが、多少表現を変えているところがあります


直前のエントリーは、「飲みニュケーション」についての周りの状況を書いてみたのですが、自分から見て、「飲みニュケーション」がどのように映るかを記してみます。


1)社内政治的には参加しないのは不利なのかもしれない

何の間違いか?わたしは「管理職」(労基法に定義されている「ホンモノ」の管理職ではないですよ〜(^^;))の端くれでありますが、やはり、お酒の場では、職位別の「ここだけの話」が沢山出てきますね。それを考えると、社内政治的には、「裏情報」を収集するために飲みニュケーションを取る必要があるのかもしれません。


2)部下とのコミュニケーションを取るのは飲むことが必須というわけではない

自分自身が「下戸」であるので、部下を持ってからでも(属性としては「男性」「年下」で既婚の人も独身の人もいました)、あまり積極的に飲みニュケーションを取ろうという行動には出ませんでした。まあある程度ランチには行ってたし、クォーターに1度くらいは夜も行ってたので、それで十分と判断しています。

また、自分が職制で上の立場になってしまうと、特に夜の場で、うっかり「自慢話」やら「説教」やらの誘惑に負けそうになってしまうというトラップがあると感じていました。

新入社員だった頃、そういった「自慢話」や「説教」に閉口した身にとっては、こういったトラップにはまるわけにはいきません。というか、こういうのって、却って、職業人としての自分の能力の無さをさらすことになるのではないかとさえ思っております。

ちなみに現時点では「形の上での」部下は1人おりますが、ライン定年になった方でありますので、実質上部下とはいえないですね〜(^^;)。


3)自分の体質的にどうかと思う

先に書いたとおり、自分自身は典型的な「下戸」であります。

飲むとすぐ赤くなりますし、それを通り越すとすぐアタマが痛くなって、昔々「ギルの笛が発する超音波ににやられてアタマを抱えて転げ回るキカイダー」というのは、おそらくこんな思いをしているのだなと想像しております。(←歳ばれるって)

奈良漬けで酔っぱらうほどの極端な下戸ではありませんし、最初の「乾杯」程度なら飲めなくもありませんが、正直言って、アルコール飲料は全然おいしくありません。

明日から「禁酒法」が施行されても、家に帰るとアルコールが一滴もない(消毒用のぞく)自分にとっては何も困ることはありません(笑)。

最近では公知の事実になりつつありますが、下戸の自分にとっては「アルコール=アセトアルデヒド発生源=毒物」以外の何モノでもないのです。


4)コミュニケーションは仕事で大事なのかもしれない、だけど自分の身体と心はもっと大事だ

先月福岡に行ったときに、支社の皆さんとお酒の場がありました。そのときにある程度ビールを飲んでいましたら(←無理してます)、「おお、おまえも飲めるようになったのか」と言われました。

邪推かもしれませんが、それは「まあそれなら仲間と認めてやるぜ」あるいは「一緒に酒を飲めないヤツは仲間として認められない」という意識の裏返しなのだと感じました。

2年前まで大阪支社に勤務していて、現在本社勤めのわたしとしては、「本社の人間がやってること(考えていること)が支社にいるとよく分からない(から酒の場で情報収集したい)」という気持ちもよく分かるつもりですし、だからこそ意識して出張の際には支社に寄り、原則夜の席にも顔を出すようにしています。

現在の立場として、あらゆる場面で、会社の様々な部署(支社)の人から協力を得ないとどうしても回らない仕事なので、「支社の管轄に寄りながら顔を出さない」というのが、かなり心証を害するリスクをとる行為であると判断しています。

しかしながら、現実的には「心証を害して仕事が不自由するリスク」よりも「無駄な時間を取るリスク、少なくともロングスリーパーの僕にとって睡眠時間を異様に削るリスク」と「酒によって直接身体に害が及ぶリスク」の方が大きいのではないかと再検討する必要があります。


5)プライベートに関してもコミュニケーションにかける時間・内容と自分の身体にかかる負担とのリスク配分を再検討する必要がある

プライベートの範疇での夜の席は、ビジネスの夜の席よりも身体にかかるリスクは非常に小さいのは言うまでもありません。

1つは上に挙げたような「有言、無言の飲酒の強要」がまずあり得ないこと。僕の勤めている会社では、さすがに「俺の酒が飲めないのか」という人はほとんどいなくなりましたが、それでも意識として「酒の場にいないヤツは仲間ではない」という部分は根強く残っています。

プライベートの場と言うことで、実験的に、先週金曜日の「10年愛同期会」(分からない人はごめんなさい)では、夜の場でありながらも、全くアルコールを飲まずに通したのですが、自分で感じる限り、それによって支障が出たとは感じませんでした。

まあ、翌日「婚活デート」が控えていることを話していたので、それのために気合いを入れてた(笑)のかと思われたみたいですが、実際は、この日記に書いてあるような理由が大きかったのです。

正直、アルコール抜きということで支障が出るようだったら「2度と出ない」という選択肢も考えていましたが、それは杞憂だったようです。

アルコール抜きだったので、金曜の晩は、比較的短時間の睡眠にもかかわらず、すっきりと目が覚めて、翌朝午前中のデート前の仕事(取材)も無事こなすことができました

※ 婚活の方は残念な結果に終わりましたが(^^;)

もう1つは、あるていど自分に必要な「睡眠」に関してリスクヘッジがしやすいケースが多いのです。

特に、金曜、土曜の夜の席ですと、次の日が休み(とは限りませんが(^^;))なので、多少時間が長くなって就寝が押してしまってもなんとかなるケースがほとんどです。

さらにもう1つ加えればただ、「勉強好き」の自分としては、職場における夜の場と比べると、プライベートでの夜の場の方が、圧倒的に「勉強になる」可能性が高いということです。

実際、今仕事に役立っている知識、あるいは人生に感動をもたらした知識は、ほとんどが「プライベートの夜の場」から得られたものでした。

わたしがプライベートの夜の場で、時間コストをかなり低めに見積もっているのはそういった理由もあります。

それらの知識は確かに「仕事、収入に結びつくような人脈作り」には何もつながらないかもしれません。


もちろん、仕事(収入)がかかっている場とプライベートの場を同一視点で比較はできませんが、特に最近「身体にかかるリスク」を考えると、そのリスクを「収入のメリット」でカバーできなくなってきているなあと感じております。

特に、正社員であっても「安定性」が崩れている昨今、「社内にコミュニケーションをさく労力」の金銭的リターンが非常に悪化していると思わざるを得ません。

偶然、天のギフトで、わたしは「コミュ下手」「飲み下手」という素質がありましたので、「(社内の)飲みニュケーション」には消極的にならざるを得ませんでした。

また、わたしの現在の年齢(と能力(^^;))から言えば、社外にいくら「人脈」を構築したところで、転職は非常に難しいと言えます。

プライベートの夜の場の場合、仕事先での夜の場に比べると、わたしの現在の状況で、そういった意味では「金銭的なリターン」は非常に少ないと思います。

「その労力を社内外の政治的な、あるいは純粋にビジネス的な関係構築に使いなさい」あるいは「あなた1人の力で出来ることなどたかがしれているのだから」といったご指摘があるのは承知しておりますが、正直のところ、わたしにとって、あまり「人脈作り」は、金銭的リターンが多くても「人生の喜び」にはつながらないなあというのが実感です。


6)自分の「家族」「地域社会」に対するスタンスは正しいのか

先のエントリーで触れた「働き方の多様性」ですが、自分はたまたま「男性正社員」であり、実質上「家族の世話」と「地域社会への参加」を放棄している人間です。すなわち、少なくとも過去においては「飲みニュケーション」の中核を担う立場であり、またそれを期待されている立場の人間です。

ですが、その生き方自体が正しいのかという問題は常につきまといます。

現在父親が「身障者1級(ペースメーカーが入っているため)&要介護1」という状況で、誰がその介護負担をするのかということもありますし、現時点できわめて健康な母親も、高齢のため今後どういった状態にあるかはまさに予断を許しません。

もちろん、自分自身も、とくにここ数年、身体能力の衰えは明確に感じるようになってきました。

そういった中で、戦後の特殊な?状況で発達してきた「飲みニュケーション」という文化について、最初はきわめて個人的な、ある意味勝手な理由で参加していなかったのですが、最近はむしろ、自分の周囲の状況がそれに適合しなくなっているのではないかと思っております。


7)結局は自分の「人生の方針」をブレなく決められるかどうかに収束する

先の項目で取り上げた「周囲の状況」という要因もありますが、仮にこの先「身体に無理すれば、ある程度夜の時間を飲みニュケーションに使える現況」が続いたとしても、僕は「飲みニュケーション」を基本的に放棄、少なくとも縮小する方向に行こうと考えています。

僕は、結構ひろさちやさんの著作が好きなのですが、最近の著作『けちのすすめ』にこういった文言があります(p176)。

※ 本のできとしては、正直良いモノとは思えないので、ひろさちやさんの場合、他の著作をお買い求めください(笑)

どうやって損をするのかという智慧を磨く生き方は、実に面白い生き方です。
どうやって自分の評判を悪くしようか
どうやって他人と仲良くせずに生きていこうか。
どうやって出世街道から外れていこうか。

この文章を読んで気がついたのですが、結局、自分の場合「自分に無理してでも人に嫌われずに仕事も巧くやろう」という欲に絡み取られているわけです。

先に書いた項目で「(下ブレの)リスク」という、人間関係を表現するのにはどうかという言葉をあえて使いましたが、そのくらいの表現を使わないと、自分の「欲」をはっきり映し出せなかったのです。

自分の本当に持っている「欲」って何だろうと考えますと

  • 時間的な余裕
  • 身体に無理を掛けない行動
  • できるだけ「勉強」の時間が多くなるようなライフスタイル
  • できればインターネットに容易に接続できる環境

といったあたりに収束していきます。
前にストレングスファインダーのところでも触れましたけど、

  • リーダーシップ
  • 目標をしっかり持った生活
  • 家族や友に囲まれた生活

といった部分には自分はあまり関心がありません。

※ と考えたとき、「婚活」には相当な疑念が浮かぶのですが
  コレに関しては原稿を改めます

収入には関心はありますけど、それは「時間的な余裕が増えるから」であって、家とか、クルマとか、ブランドモノとか、ゲームとかはさして買いたいとは思いません。

食事も(食の関係のサイトをやってるのに反してますが)、たいしたもの食べなくても十分だし(健康を害しない範囲でね(^^;))、最近はダイエットのため「1日1食で少食」生活をしているので、そもそも食欲自体が落ちてきています。

旅行も最近は出張ですら疲れるようになってきたので、もう行きたいとは思いません。

幸い、日本では書籍の価格が安いのでこれは助かります。

そう考えていくと、自分にとって重視すべきなのは収入や地位や人脈(これは「友」も含みます)ではなくて、基本的に「時間」です。

最近たびたび引用するLammyさんのブログで、プロフィール(http://lammy.cocolog-nifty.com/about.html)として次のような一文があります。

身動きが出来なくなって、初めて、自分の生き方、働き方に大きな問題があるということに気が付きました。
仕事は幸せだけど、心は?鏡を見て、自分のことを素直に可愛いな、と認めてあげられる?
知識の習得、頭の使い方、論理性ばかり突き詰めてきて、心(ハート)や身体(ボディ)や人生観(ミッション・スピリット)と、真剣に向き合って来ませんでした。
当時は、自分のボディサイズや内臓の強弱、苦手な食べ物といった、生活する上での基本的なことすら知りませんでした。
頭でっかちで身体の声を無視しがちな経営コンサルタントが体の声にきがつき、そしてライフワークバランスに目覚めてから新しいライフスタイルにいきつきました。
いえ、もしかしたら、新しいのではなく、単に今まで無理をして周囲の「稼ぐぞ」「出世するぞ」という流れに合わせていただけで、もともと「のんびり、ゆっくり、出世は目指さない」ほうが性に合っていたのかもしれません。
ライフワークバランスを保つことの大切さ、そして自分の内側から湧き出てくる声に耳を傾ける大切さを、一緒に振り返ってみませんか?

わたしは、ミリオネーゼでもあり、また真摯なクリスチャンでもあるLammyさんのちゃんとした真似は出来ませんが、ミッションスピリットに真剣に向き合うことだけはできるかもしれないと思っています。

その中で、「飲みニュケーション」が自分のミッションスピリットに合致するかというと、全部不一致ではありませんが、かなり一致しない点があることを、特に最近痛感しています。

今すぐ結論を出そうとは思っていませんし、将来ともにこの考え方が変わらないことをお約束するものではありませんが、当分は、多少「不義理」をしてでも、自分のミッションスピリットにあった行動をとることは、少なくとも自分にとっては幸せをもたらすものだと感じている今日このごろです。

とんでもない長文になってしまいました。
もし、ここまで読んでくれた方がいらっしゃったら、あらためて感謝申し上げます。