松代の防空壕を訪ねて

 湯田中駅から特急成田エクスプレスの中古車であるスノーモンキーに乗車。実は乗車直前まで全く計画を立ててなかったのだが、昨日購入した長電フリー切符が廃止の決まっている屋代線も有効とのことでこれは乗るっきゃないと松代へ行くことにした。


 松代は信州の小京都と呼ばれるオシャレな街で、真田幸村ゆかりの城下町として真田邸や松代城址、真田宝物館などがある。しかし、実は戦中に日本軍が本土決戦に備えて巨大な防空壕を作った街でもあり、昔からトンネルや鍾乳洞の類が好きな自分にとって訪問せざるを得ない場所だった。

 松代駅から徒歩20分ほどの場所になるのだが、駅前にちょうど100円でレンタサイクルがあったため、自転車を漕ぎつつ松代の街並みを視察。象山神社をさっと見学し、向かった先は象山地下壕。入館料は無料だが係員がちゃんと常駐しており、ヘルメットを被るように指示される。これはかなり本格的だ。

 防空壕の入口を降りていくと、中には巨大な施設が広がっていた。あまりの広さにびっくりしてしまった。

 見学可能なエリアは碁盤の目状に広がる防空壕の真ん中を貫いて一度曲がり、奥の方まで行って戻ってくるというワンコースのみなのだが、それでもかなり歩く。観光ガイドには見学の目安所要時間20分と書かれていたのだが、20分で往復するのはちょっと難しい広さだ。

 防空壕の後は真田邸を訪問するべく晴天の下自転車を漕ぐ。走っているだけで楽しい街並みだ。小京都というのも頷ける。

 真田邸はこぎれいな施設で庭園が美しく、真田幸村ファンはぜひとも訪れるべき場所だ。蔵のイベントが行われておらず、蔵へ入ることができなかったのが残念ではあるが……。

 興味深かったのは「ふすま」と「杉戸」の使い分けである。古来から杉戸は境界の意味があるらしく、部屋の仕切りに杉戸を使うことにより、パブリックな空間とプライベートな空間を仕切っているのだとか。


 
 欲を言えばもうちょっと滞在時間が欲しかった。防空壕を訪れるだけの時間配分で、幸運にも自転車で時間短縮できただけなので、そこまで余裕があるわけではなかったのだ。

 真田邸の前に信州名物おやきの店があり、ここで食べたおやきがめちゃくちゃおいしかった。あとで長野駅前で買ったおやきの100倍は美味しい。

 短時間の滞在だったが、松代の街並みは結構気に入った。屋代線で終点の屋代へ向かい、しなの鉄道とJR線を経由して長野駅に戻った。それにしても、屋代線が廃止されたら松代への交通手段がバスだけになるので、これはちょっと不便だ……。一般的な観光客にとって鉄道がとおっていない観光地となると、ちょっと自分で行くにはハードルが高いと感じてしまうのではなかろうか。かつての日比谷線車両が走る屋代線にはぜひとも頑張ってほしいのだが、すでに廃止が決まっているのでどうすることもできない。
 今できることといえば、長野電鉄の本線系統だけは潰れないように乗り支えしていくことだろう。湯田中駅から先、湯田中温泉新湯田中温泉、星川温泉、安代温泉、渋温泉角間温泉上林温泉、地獄谷温泉と続き、さらに山道をバスで登れば志賀高原、白根火山、そして草津温泉へと道は続いている。今度は渋温泉から草津の方へ降りてみるのも一興かもしれない。温泉街の本来の姿を残しつつ、巡浴祈願のできる渋温泉。是非訪れてみてはいかがだろうか。


あ、帰りはちゃんと食べましたよ。これ。

温泉薬師

 大湯のすぐ裏手の階段を上がっていき、温泉街が見渡せる高台へ至ると温泉薬師がある。こちらに最後のスタンプがあり、手ぬぐいの最後ど真ん中にぼーんと押すと完成だ。薬師様へお参りを行い、会社でうまくいきますようにとか、文筆の腕があがりますようにとか、彼女できますようにとか、そんな願い事を唱えておいた。

 カランカランと下駄の音を鳴らせながら浴衣で歩く渋温泉の街並み。宿までのわずかな距離が妙に愛おしく感じられた。宿で着替えると駅へ向かうバスまでの時間を調整しつつチェックアウト、帰りのバスに揺られながらこういう温泉街もいいなあと感慨にふけっていた。

外湯めぐり 九番湯・大湯

 さて、待ちに待った九番湯だ。万病に効くという謂れで、ここで大願成就を願うため結願湯とも呼ばれている。温泉街の中心にあるがさすがに風格が違う。なお、この大湯だけは宿泊客でなくても観光協会で500円のチケットを買えば入浴できるシステムとなっており、今までの外湯とはだいぶ雰囲気も異なるのだが、幸いにも自分が訪れたときは誰もいなかった。
 誰もいなければお湯も熱いのかしらと一瞬不安になったのだが、それよりもお湯の見た目に歓喜してしまった。今まで無色透明の湯がほとんどだったものの、この大湯だけ
は完膚なきまでに土色に濁っていてすさまじい。

 天井も広く、浴槽もなかなか広々としている。源泉がそのままかけ流されている部分と、木で仕切られてやや温度が抑え目になっている部分があり、これなら観光客でも気兼ねなく入浴することができるだろう。なお、この大湯には蒸し風呂もあり、いわゆるスチームサウナなのだがこれはすこぶる熱かった。

 しかしなんというか、わざわざ熱い思いをしていろんな外湯を巡った甲斐があったとこの浴場に入って痛感した。すべての苦労が洗い流されていくというキャッチコピーそのものである。この大湯こそ、渋温泉が大切に育ててきた伝統そのもの。外湯めぐりという昔ながらの温泉入浴スタンスを大切にし、スタンプラリーというちょっと心踊る楽しみもあり、あとは外湯というものを楽しむことができれば、この渋温泉は最高のものとなるだろう。

外湯をめぐる冒険

 外湯めぐりが目的だったのでのちの予定など皆無に等しかったが、前日までに八か所の外湯を無事めぐることができ、二日目はゆっくり起床した。早朝に外湯入ると熱すぎて入れないんじゃないかという危惧が自分を焦らせた節はある。起きてみれば前日の酒が残っているのも否めず、結果オーライではないか。こういう旅館でまったりするのが今回の主目的だ。ちょうどいい。
 前日入浴したものの、ほとんど記憶になかった旅館の大浴場を訪問。この金喜ホテルには地下の大浴場と一階の貸切浴場があり、基本的にいつでも入浴可能、貸切風呂は使いたいときに中から鍵をかければ家族風呂としての利用もOKという単純かつ明快なシステムだ。

 ひとまず地下大浴場の方へ潜入。決して広い大浴場ではないが、このようなこぢんまりとした旅館なら十分な広さと言えるだろう。渋温泉は旅館の風呂に何度も入浴するような温泉地ではなく、外湯にいくらでも入ることができるのが魅力なので、内湯は最低限整っていれば問題ない。
 草津温泉など日本の代表的な温泉地に行けば外湯がずらりと並んでいる。そもそも、伝統的にかつては温泉旅館に宿泊者用の浴室(=内湯)は存在せず、人々は温泉旅館に素泊まりして町の共同浴場(=外湯)に通うのが一般的であった。温泉の配管技術がさほど発達していなかったため、各旅館へ温泉をひくのが困難な時代があった。
 時代が下ると各旅館へ温泉が行きわたるようになる。全国で初となる温泉計画都市といえば群馬県伊香保温泉である。以前ブログに書いたとおり(http://d.hatena.ne.jp/kikuties/20090726参照)、この街は最奥の源泉から石畳の階段を下へと作り、階段の両脇に温泉宿を配し、源泉の配管を階段とともに上から下へと通すことによって、各温泉旅館へ温泉を配給することを可能としたのである。温泉街を訪れる人々は外湯から内湯へと入浴場所を変えていった。
 今では地下数千メートルまで掘削を行い、都心でも温泉を湧出することが容易くなり、わざわざ遠出して温泉街へ赴かなくてもそれなりに良質の湯に浸かることができる。自分もいわゆる温泉銭湯や温泉スーパー銭湯へ出かけることは多い。もっぱら観光客が温泉地を訪れたなら、足を運ぶのは内湯の方だろう。外湯は現在、地元住民が入ることを目的として維持管理されている。共同浴場に入り放題の温泉地もあれば完全に地元住民しか入れない温泉地もあり、外湯の扱いは各温泉地によって色濃く差が出る。草津温泉は外部者でもわりと入浴がたやすいが、一般観光客の立ち入りを禁止する時間帯を設けるなどの対策に出ている。それはなぜか。地元住民と観光客との争いが絶えないからだ。
 地元住民は源泉の良さを第一に考え、浴槽を水でうめる観光客を排除しようとし、新聞の投書欄などで物議を醸したのが福島の飯坂温泉である。飯坂といえば僕の地元の温泉街だが、昭和の栄光に比べて現在の零落ぶりが著しく、駅前の温泉旅館はほぼ廃墟という状態である。あれだけ有名だった飯坂温泉をここまで不人気にしたのは、外湯における地元住民と観光客の対立構造が一因だと論じた温泉ファンのサイトもあった。確かにそれは一理あると感じた。以前天王寺穴原湯を訪れたことがあったが、熱すぎて入っていられなかったのだ。共同浴場の壁には「最近、外湯めぐりを楽しむ観光客が増えています。観光客が入ってきたら、浴槽に水を入れてあげましょう」みたいな張り紙があった。46度以上のお湯は入れないというかもはや体にも良くないので、日常的にそれを利用している人々と観光客の間に溝ができてしまうのは避けられないのかもしれない。最近では、対策のひとつとして飯坂温泉駅前に新しい共同浴場を作り、こちらは浴槽によって温度を変えて観光客でも入れるようにしている。
 渋温泉は宿泊客を一日間だけ住民として受け入れ、特別に外湯をすべて回れる鍵を貸すというスタンスである。もちろん、観光客に対して水を入れっぱなしにすることを禁止する張り紙はあるものの、渋温泉の源泉は熱いことが特徴であり、火傷防止のため水を入れることは推奨されていたし、昨晩の土産物屋のおばちゃんも水を入れないと入れないと言っていたので、その点はまあ新聞で地元住民との対立が描かれ、観光協会が対策に乗り出した飯坂よりはうまくやっているのかもしれない。僕が以前、草津や飯坂などを訪れた際は地元住民の水でうめまいとする態度があまり気に食わず、観光として発展させるのであれば観光客に優しくするべきだと考えていたのだが、いろいろ温泉街を回ってみると、そんなに単純な問題でもない気がしてきたのだ。外湯の伝統を守るというのも一つの使命であろう。
 ただし、草津ほど有名な温泉地になってしまうと、やはりマナーの悪い客も多く、最近では盗難も頻発しているのだとか。共同浴場で暴れたり、物を盗んだりするのは言語道断である。お湯の温度問題はどのラインでお互い妥協するか難しい問題だが、観光客のマナー低下によって共同浴場の扉を閉ざしてしまう温泉地が増えているのは実に悲しいことだ。
 渋温泉の「宿泊者一日だけ地元住民」というスタンスはまあひとつの冴えたやりかたかもしれない。わざわざ宿泊までしてきた人が物を盗むのはちょっと考えにくいし、ある程度人口を抑えられるので外湯も混雑することがない。まあ、最近では人が少なすぎてお湯が熱くなるという問題もあるのだが……。

 ホテル金喜の大浴場の扉を開くとかぐわしい木のにおいが漂ってきた。お湯は無色透明だが良く見るとちゃんと湯の華が舞っていてなかなかの泉質である。これはいい。

 貸切風呂の方は豪華な檜風呂で、茶色の湯の華が舞っている。大浴場とは異なる泉質らしく、すこぶる気持ちがいい。朝に入浴したら窓が開けっ放しになっていて、すぐ裏手の通りが丸見えだった。後からホテルの裏手通りを通って下を確認したら誰もいない貸切風呂が丸見えだった。このあたりも非常におおらかである。

外湯めぐり 八番湯・神明滝の湯

 このように、源泉から出る樋には木の板がぶら下がっていて、お湯の量を調節したいときにこれを樋に差し込む。左右のどちらかを差し込むかによって湯量が異なるので、細かい調節が可能だ。お湯を止めてしまうと、差し出し口ではなくもっと手前からお湯がそのまま排水溝へと流れていくシステムだ。なんともぜいたくだ。

婦人病に良く効き、子宝に恵まれる湯とのこと。そこまで浴槽は広くなく、最初に手をつっこんだときにかなりの熱さを感じたが、しばらく水を入れていたらいつのまにか適温になっていた。
 無色透明で特筆事項はない湯だが、入っていてきもちよかった。この湯に無料で入れるなら、ここまでやってきた価値もあるだろう。

 初日の外湯めぐりはこれにて終了。あとは旅館のお風呂に入ったりしたが、詳しいレポートは翌日分に記載する予定である。途中の玉村ギャラリーで買った酒を飲みまくり、けっこうべろんべろんに酔っぱらった状態で眠りについた。

外湯めぐり(再) 四番湯・竹の湯

 日も暮れて夜になり、再びここを訪れてみるとなんとか入浴できる温度になっていた。相変わらず水をドバドバ流しながら入ると、床はタイルでありながら浴槽は木造のため、非常にいい雰囲気と香りが楽しめる。源泉がこんなに熱くなければ非常にいい湯なのだが……なにかいい方法はないだろうか。一応通風に効くらしく、ゆっくり入浴して患部を暖めると効果あるらしいが、はっきりいってそれどころではない。二回目に入ったときは落ち着いて入浴できたものの、長湯できる温度ではない。
 まあ、これで堂々とスタンプを押すことはできる。九つの湯を達成するのもようやくゴールが見えてきた。それにしても梅がないのはなぜだろうか、梅毒の関係だろうか。

外湯めぐり(7)六番湯・目洗いの湯

 実は昼間のうちに土産物屋のおばちゃんからいろいろ情報を聞き出した。まず、六番湯は九番湯についで渋温泉を代表する外湯とのこと。それ以外はやはり平日ともなると来客が少ないため、お湯に入らない人が多いと必然的にお湯が熱くなってしまう。外湯を独占して入るのは気持ちいいが、平日に渋温泉へくるとそういう苦労があるのか……。あと、午後三時くらいはまだ早くて地元の人が外湯に入ってこないのだが、もう少し夕方になるとお湯も熱くならなくなるとのこと。もうちょっと時間がたてば、四番湯に再チャレンジするのもいいかもしれない。そんなことを考えつつ、おばちゃんが目玉の一つと言っていた六番湯へ足を運んだ。


 
 中に入ってみると、木造の建物に他の外湯よりも広めの浴槽が広がっていて、お湯にはモロモロの白い湯の華が多量に舞っている。ここは広いのでうめるための水道蛇口も二カ所設置されている。
 これはなかなか素晴らしい。名前の通り目の病に効くお湯らしく、ついでに肌もきれいになる美人の湯でもあるらしい。目に効くといえば福島県の微温湯温泉が僕の中ではホットであるが、ここも非常にいい湯だった。確かに、今まで入ってきた中では最も観光客向けの外湯と言えるかもしれない。