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1)私は疼痛性障害(慢性疼痛・心因性疼痛・身体表現性障害)です。緩解しています。ブログを、同じ病気の人の役にも立つよう改良中です。治療については固有名詞は避けています。

2)文法毒電波に注意。

@killhiguchi(2013)「現代日本語において、複語尾の終止法独自の用法を、喚体メカニズムで説明する可能性につ いて」Semiannual Journal of Languages and Linguistics 2(1).

の解説を行いました。

その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10

その11 その12 その13 その14 その15 その16 その17 その18 その19 その20

その21 その22 その23 その24 その25 その26 その27 その28 その29 その30 その31・完結 補遺

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2016-05-08

22:08 を含むブックマーク のブックマークコメント

 何が正しいのか分からん。全部投げ出したい。

04:34 を含むブックマーク のブックマークコメント

 もうダメかもしれん。

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2016-04-29

20:50 を含むブックマーク のブックマークコメント

 やっと散髪。やっと衣替え。
 そして馬鹿みたいに眠る。信じられん。電気も点けっぱなしで眼鏡もかけっぱなしで。もう歳なのか。
 今飯を食う。

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2016-04-26

21:11 を含むブックマーク のブックマークコメント

 今帰った。
 先々週まで遅くまで働いていたので、本来ならば先週後半あたりから時間通りに帰って、GWにかけて思いっきり転職活動ができる予定であった。
 すべてインフルがぶち壊しである。4日間休んだせいで、仕事がたまっている。明後日まで早く帰れそうにない。何だこれは。

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2016-04-24

18:00 を含むブックマーク のブックマークコメント

 熱下がる。

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2016-04-22

14:43 を含むブックマーク のブックマークコメント

 風邪だと思ってたのはインフルだった。ウソだろ。
 仕事も私生活も狂いまくる。

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2016-04-20

15:27 を含むブックマーク のブックマークコメント

 風邪で2日連続早退。熱はもう下がった。あとは、寝てない食ってないで力がないので、今から蓄える。

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2016-04-18

[] 21:49 を含むブックマーク のブックマークコメント

 夜遅くに耳鼻科に行く。右耳の外耳炎の痛みが非常にひどいから。今帰る。
 今から職業の絞り込みを始める。

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2016-04-17

[] 20:50 を含むブックマーク のブックマークコメント

 痛みを受け入れられない。そのせいで週末が全て潰れた。
 非常に焦る気持ちがある。転職のめどを立てる途中の作業が終わっていない。それで来週は予定が入っている。振り替え休日はGWまでない。春物も出していない。
 多くのものを受け入れねばならない。それをしなければ前に進めない。

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2016-04-15

[] 04:15 を含むブックマーク のブックマークコメント

 久々に激痛が続いている。
 アクセプトして仕事には行っているが、帰るとマインドフルになる気がしなくなる。
 そういう気持ちをコソアクセプトしなければ。
 取り敢えずは、今日は帰ってから1時間アクセプトすることに挑戦する。

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2016-04-13

[]モ=文の持つ根源的排他性を拒否すること 20:44 モ=文の持つ根源的排他性を拒否することを含むブックマーク モ=文の持つ根源的排他性を拒否することのブックマークコメント

 モ自体に合説性があるわけではない。
 であれば、ハ自体に分説性があるわけでもない。

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2016-04-12

[] 23:05 を含むブックマーク のブックマークコメント

 寝落ちしてしまった。

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2016-04-11

[] 21:08 を含むブックマーク のブックマークコメント

 もう、復習ばかりである。
 大前提は今カネがないということである。経験から計算して年に50万貯められれば良い方である。
 そうである以上、元手のかかる自営業は不可である。本屋などもってのほかだ。
 元手がかかるということで、資格取得に大学や専門学校での単位取得を必要とする仕事も不可である。
 また、いくら好きでもない仕事でもやるとは言っても、向いていない仕事は無理である。屋台を出すとか体力勝負とか技を磨くとかセンスで勝負とか、そういうやつはダメである。
 そうなると、道は主に3つである。元手のかからないものから始める、インターネットを主な媒体とした仕事。特許翻訳はこちらにはいる。もう一つは、取得に数年かかることは覚悟の上で法律に関わる資格を取り、事務所に勤めて経験を積み、独立。土地家屋調査などはこっちである。特に後者の方が人工知能に職を奪われる見込みが少ない。前者で言語学書などの翻訳をするというのは本当に夢だけれど、それが叶う見込みは非常に少ない。そして、最後が、これも人工知能に奪われにくい、塾講師などだ。日本語教師も含まれる。この場合も即開業ではなく、数年は勤める。だが、この道は自分に向いているようにはどうしても思えない。けれど、その向いていなさは、法律関係への向いていなさとどう違うのかが分からない。法律も向いているとは思えない。
 だが、特許翻訳の将来を恐れるのであれば、最早道は、法律関係か人に教えるかしかなくなってくる。とても嫌な選択だ。法律関係は、司法書士や行政書士がこの土地では駄目だというのが分かっているので、それ以外を調べている。
 本当に嫌だ。

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2016-04-10

[] 21:36 を含むブックマーク のブックマークコメント

 考えねばならぬことが確実に固まった。
 しかししたくない選択だ。

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2016-04-07

[] 20:22 を含むブックマーク のブックマークコメント

 4月の仕事に目鼻がついた。明日からは遅くなることはないはず。
 今日は職業探しの続き。

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2016-04-03

[] 21:39 を含むブックマーク のブックマークコメント

 昨日と同じ。しかしいつまでもこの状態を続けるわけにはいかない。次の日曜日に腹を決めることにしよう。

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2016-04-02

[] 23:25 を含むブックマーク のブックマークコメント

 思うように進まず。本を読み付箋を付けたが、全く心が動く仕事がない。

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2016-03-31

宣言 22:25 宣言を含むブックマーク 宣言のブックマークコメント

 帰宅。
 年度内の仕事がやっと終わった。そして転職について何もできていない。本当に何もできていない。今年に入って何もできていない。
 明日から新年度で、今までの経験からして、非常に忙しくなる。これは非常に痛い。しかも今年は日程がタイトだ。
 焦る気持ちはアクセプトしても、実際に何かしなければ状況は変わらない。
 まず、今後、職場の懇親会には一切出席しない。新年度でそういうのがあるが、出ない。知人の誘いや会合にも出席しない。慶弔はなるべく出ない。どうしてもという場合は仕方がない。
 そして、家には仕事を一切持ちかえらない。週末は仕事を絶対にしない。選書も含めて、図書館に行くことも含めて、絶対にしない。週末および祭日は、全て転職活動に充てる。これらの日は家事もしない。どうしてもと言われたもののみ行う。
 それらも含めてどうしても職場の外でしなければという場合は、平日に職場の帰りに行う。よって、平日遅くなるのは許容する。夕食の料理はしない。片づけはする。平日1時間は転職活動をする、というのを入れるべきかどうか悩んでいる。本当は入れるべきだ。しかし、可能なのだろうか。GW以降に検討する。
 だがこれらのことを決めても尚不安が残っている。繰り返し現れる不安は、果たして今後30年、翻訳が人工知能にとって代わられないのだろうかということだ。文学ならば代わられないことはありうる。しかし技術翻訳はどうなのだろうか。Sは、人工知能が台頭してもチェッカーの役割は必要だと言った。確かにそうだ。しかし、それはその段階で既に実績のある翻訳家だけではないだろうか。また、どちらにしても、その時点での単価が今までと同じとは思えない。会計士や税理士と同じ目に合うのではないか。
 秋から冬にかけて以前も迷い違う仕事を探した。その時は見つからず納得した。しかし、もっともっと幅広く探すべきではないのか。切り捨てた、国家試験があるものも見直すべきではないのか。嫌いな、塾の講師なども含めるべきではないのか。
 

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2016-03-23

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 異動はなし。
 だがそんなことよりも、葬式続きで何もできない。今帰ってきた。

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2016-03-18

21:32 を含むブックマーク のブックマークコメント

 母のコルセットは5月までのかないようだ。それは困る。運転はできるようになった。ここで少しずつ叔母に任せるようにしていこう。母にはもっと自制を求めたい。
 台所の大掃除をこの週末にするので、それがすんだら、翻訳修業に入る。ということを家族にも言った。

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2016-03-12

[] 19:11 を含むブックマーク のブックマークコメント

 仏教的な疑似解説。

 「慈畜心」、あるいは「家畜への憐みの心」と一般に呼ばれているもの、これは我々人類が同じ人類に対して持つ「優しさ」とは、似ているようでいて、大きく異なっています。このことを正しく捉えていないと、家畜を誤った扱いで廃物にしたり、もっと恐ろしいことには、隣人を家畜扱いしたりしてしまうことになります。
 慈畜心は4つの構成要素からなっています。即ち「慈」「悲」「喜」「捨」です。これは、数限りない家畜に対して無限に広げられる心であるため、四無量心とも呼ばれます。
 「悲」から解説するのが分かりやすいと思います。悲心とは家畜の苦を抜こうとする心です。この場合との苦とは、肉体的精神的な痛みや悲しみ、所謂苦痛のことではありません。家畜の苦痛を抜こうなど、家畜を人類と混同しなければ生じない誤った考えです。家畜にとっての肉体的精神的な苦痛は、我々人類にとって有益なものであり、それを与えることは、後述するる慈心に依ります。苦とは、家畜の持つ浅ましく下等な欲望が齎す、絶えることのない不満足な状態のことです。本来、家畜の生きる認識世界は、絶えず生成消滅し続けるものでしかなく、永遠不変に存在するものなどありません。その世界の無常ゆえに、終わることのない不満足が存在します。不満足は家畜にどうにかできるものではありません。このように、もし永遠不変で貴く崇めるべき我々人類がいなければ、家畜は生涯を、自らではどうすることもできない、終わることのない不満足によって、無益に消費し続けていたことでしょう。悲心とは、我々人類が存在してやることで、このような家畜の不満足を終わらせてやろうとする心なのです。我々が存在するだけで、家畜は無限に続く苦に満ちた生から抜け出すことができるのです。
 「慈」とは家畜に楽を与えようとする心です。楽というのも肉体的精神的な快楽や楽しさのことではありません。そのようなものを家畜に与えることは、我々人類にとって何ら有益ではなく、決して家畜のためになりません。苦が無限の不満足ですから、楽とはその不満足がなくなった状態です。不満足は無常な家畜の認識世界によって引き起こされるものであり、それは浅ましい感覚・知覚・思考・判断・情動・理性がある限り、なくなることがありません。この煩悩の流れがある限り楽は訪れません。したがって慈心とは、家畜の煩悩の流れを堰き止め塞いでやろうとする心であり、感覚・知覚・思考・判断・情動・理性を根絶してやろうとする心なのです。煩悩の流れを完全かつ決定的に滅尽してやるために最もよいことは、全ての瞬間において使役してやることです。常に我々人類のことで頭が溢れ返り考えが一切止まり認識が変容し、世界をありのままに我々人類として捉える、そのようにしてやることが家畜に楽を与えることになるのです。
 「喜」とは家畜の喜びを喜んでやる心です。「喜ぶ」という言葉が2回出てきますが、それぞれ意味が異なります。「家畜の喜び」と言う時の「喜ぶ」が、我々人類が喜ぶという行為と同じであるはずがありません。慈心によって家畜には楽が訪れます。その時の家畜にとって、世界は苦で満たされたものではなく、嘗てとは違うありのままの見え方をしています。世界が我々人類そのものとして認識されるようになります。家畜自身というものはなくなり執着は消えます。生成消滅するものはなく永劫不滅の崇めるべき人類のみが存在します。この風景はそれ自体として奇跡的なものです。世界がただ人類としてあるという神秘。世界である人類は美しく、人類がただ存在するということ自体が家畜たちを純粋に喜ばせます。これが「家畜の喜び」です。そして「我々が喜んでやる」と言う時の「喜ぶ」は、我々が家畜の喜びをただ嘉納してやるということなのです。
 最期の「捨」が最も大事です。これがなければ慈畜心を優しさと勘違いし、大きな倫理上の過ちを犯すことになります。捨心とは気楽に遊びとして捨てる心です。全ての家畜を平等に分け隔てなく無価値と見なし、常に個体を識別・認識することなく空気のように接して扱い、そして絶えず塵芥の様に単に捨ててやること、これこそが、捨心なのです。この心は決して人類に対して持てるものではありません。これが優しさと慈畜心を大きく分けるものなのです。捨心があれば、何の感情の起伏もなしに、ただただ混じり気なく純粋に、気楽な遊びとして救いを齎してやることができるようになります。どうでもよいものとして気楽に捨ててやることこそが、正に救ってやることにつながるのです。
(『神の心得:家畜愛護週間に寄せて』畜人省パンフレット)

19:08 を含むブックマーク のブックマークコメント

 ピロリ菌の検査は擬陽性。別の検査が必要。2週間後。
 それまでは、なるべくセレコックスを飲まなくていいように、足底板付きで、塗布薬で対処する。

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2016-03-06

23:00 を含むブックマーク のブックマークコメント

 内視鏡の結果は、潰瘍・腫瘍なし、出血あり。しかしこの程度の出血があっても痛くない人もいるそうだ。薬の影響は明らか。ピロリ菌の影響も疑われるのでその検査もした。
 痛み止めを抜くと、明らかに胃の痛みはなくなる。その間、足の痛みは足底板でマシになってはいるが、痛いので、塗布薬を塗っている。勿論マインドフルネスでアクセプトをしているのでクス氏身は少ないし日常生活に支障はない。それでも基質的な故障をそのままにしておくのはよくない。痛み止めを減らしていく必要があるのは間違いなし。

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