"東大と同等の質量のカリキュラム"が無理な理由三つ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51184470.htmlの話。

予算が違う。

具体的にはhttp://passnavi.evidus.com/teachers/topics/0703/0303.pdfでも見てもらうと判る。国立大学運営費交付金全体のうち、東大が8%、京大が6%、上位10校を足すと43%。学生数の差を考慮していないとはいえ圧倒的だと言える。
wikipedia:科学研究費補助金のような研究費補助金だと格差がさらに拡がるが、研究費補助金は研究室に直接かかるもので大学院との関係が深い。先ほどの運営費交付金は事務や運営、教育といった面にかかる予算が中心、つまり学部との関係が深い。つまり、学部レベルでも予算が一桁違うということだ*1

規模が違う。

総合大学の強みというのは専門以外も学ぶことができるという点にある。経済学の人に微分方程式を教えることもできるし、社会学の人に統計分析を教えることもできる。本当に教えているのかどうか知らないけれど。
数学に強い経済学者や統計に強い社会学者もいることは確かだ。しかし、それは「道具として使いこなしている」という域を脱しているとは思えない。問題は解けるがそれが何故正しく解けているのかはよく判らないという状態だろう。そのこと自体は経済学者や社会学者として正しい在り方だと思うが、教える側としてはあまり正しい在り方ではない。

学生が違う。

研究者を目指している人向けの授業と卒業すればいいやという人向けの授業は分けた方がお互い幸せだろう。同じ法学部と言っても、法学者になりたい人、弁護士になりたい人、官僚になりたい人、……がいる。質について語るのならば高低だけではなく方向性も考慮しなくてはならない。
卒業すればいいやという人なら「入試の成績だけで箔が付くなら4年も通わなくても良いよね」という結論にもなるかもしれない。それはそれで正しいような気がする。

*1:これが公正な配分かというと疑問だけど、それはまた別の話。