平和の温故知新@はてな

ライトノベル関連のニュース、感想、考察などを書いていました。管理人まさかの転職により2013/04/06を持って更新停止。……のはずが、たまに更新されることも。

ヌルいライトノベルサイトであり続ける、ということ(あるいはたった一つじゃない冴えたやり方)

君はライトノベルのために死ねるか(架空力学のセカイ)
以下、時系列順に関連エントリです。一番下が最初で、サイト名が明示されていないものはこのサイトの過去ログです。
「ヌルいラノベサイト界隈は決起するべき(要約)」という意見に対する返答
前島氏の自決について思う(架空力学のセカイ)
見出しは酷いが中身は堅実だった「ダヴィンチ4月号ライトノベル特集」感想 その1 その2

「論点その1、について」について

論点をずらしている、と指摘されたので再度確認いたします。
取り上げられている「ダヴィンチ」の特集タイトルについて、
3度目になりますが私個人としては「酷い(=良くない)」と感じています。
過去記事の題名も以下のようなプロセスで決めました。
・特集の題名→酷い釣りタイトル
・特集の内容→堅実
・総合評価→「見出しは酷いが中身は堅実だった」
題名に関する感想はcherry-3d氏と同じはずですが、
それに対する憤りの度合いが違うのではないか・・・という認識です。
私の場合、特集の内容まで読めばそれほど気にならないタイトルであると判断しましたが、
cherry-3d氏は「悪質な釣り」と感じたというだけかと思います。
なぜ認識が違うのか、については後述します。

「論点その2,について」について

こちらについては特に議論すべき点は無いかと思います。
強いて感想を言うのであれば

「対象をあいまいにぼかしつつ、その実、kim-peace氏のブログを標的としてエントリ」

であったと明言して頂いたことで、私の勘違いでないことが確認できて安心しました。

「論点その3,について」について

ライトノベルは、やはり自分たちの(この言葉の胡散臭さはひとまずおこう)ジャンルのことは、自分たちが、自分たちの言葉で外に向けて語れるようにならなければなければならないと思います。

という主張については、理解は出来ますがやはり納得いたしかねます。
というのもcherry-3d氏が「こうでなければならない」と主張する部分について
私はその必要性を実感できていないからです。
ダヴィンチ」に限らず、ライトノベルについてバックボーンの違うSF専門の方が語っていたとしても、
内容が納得できるなら好感を覚えますし、そうでないなら首を傾げるだけです。
たとえ五十年後でもいまライトノベルが持っている「面白ければOK」という要素は変わらないと思います。
面白いからこそライトノベルを読んでいる私としては特にそれほど問題に感じないのをご理解いただけるでしょうか。
やはりこの点についてもcherry-3d氏との認識のズレを感じています。

「まとめ、について」について

まず私が「不愉快」と書いた件について、前回エントリではかなり説明不足であったので、
これについて補足をさせていただければと思います。
私は過去、ライトノベル・フェスティバル(以下LNF)というイベントに、3回ほど参加しています。
ゲストの方のお話を伺ってたり、新たな知り合いを得ることも出来ました。
全ての機会において楽しい時間を過ごすこともできましたし、
昨年は持ち込みで企画を行う、という形で微力ながらお手伝いもさせていただきました。
もちろん来月に開催される第7回のイベントも参加する予定ですし、とても楽しみにしています。
このように、このイベントは私にとって「大事に思っている場所」であることをご理解いただけたらと思います。
その上で、「前島氏の自決について思う」のエントリを一読したとき、
ライトノベル・ファン・セミナー」という架空のイベントと「LNF」を重ねて見ていました。
「自分が大事に思っている場所はテロの標的にならなければいけないようなものなのか」と悲しく、また不愉快に思ったという経緯があります。
これについて
「『お世話になっている』の一言で済ませても通じるわけが無い」
「私がLNFを特別視し、迂遠なパロディを気にしすぎている」
と言われるのであればごもっともだと思います。
ただ、cherry-3d氏のエントリ注釈2番では、私が「パロディそのもの」を不快に感じたようにお考えのようですが、それは誤解であると申し上げておきます。


さて、以上を踏まえた上でcherry-3d氏の言う「微温的な態度」に関する指摘についてです。
これに関しては前回エントリの「論点その2」で既に回答をしているかと思いますが、
私のブログはもともとこういう傾向があり、あえて自虐的に言うなら「ヌルい」傾向です。
とはいえさすがに

ライトノベルについてブログを書いてはいるが、自分からせいぜいリンク2つぶんくらい、友達の友達間の人間関係さえ保てれば、ライトノベルがどうなろうと知ったこっちゃない

・・・などとまで考えているわけではありません。
ダヴィンチ」の特集記事レビューに関しては掲載内容に対して、感じたことをそのまま書いたつもりですが、
そうは捉えていただけなかったようで残念です。
今回のライトノベル特集記事に関する一連の認識のズレはcherry-3d氏は危険視し、
私は危険と感じなかった、という事に尽きるかと思います。
いくら私でも、もし明らかに虚偽の内容を捏造しライトノベルを貶めるような言説が雑誌などであったとすれば、
知り合いが関わっていようといまいと反論、批判を行うでしょう。


これまで長々と書いてきましたが、私のライトノベルやそれにまつわる言説に対するスタンスは
「面白いから読む、面白ければOK」
「外部からの評価についてはよほど悪質でない限り静観」
というものです。
極論を言ってしまえば「外部からの評価はどうでもいい」のです。
もちろん、低いよりは高い方が嬉しいですが積極的に評価を高める必要があるかというと疑問を感じます。
とはいえ、こうしてプロのライターであるcherry-3d氏にヌルくあることの危険性について指摘されたわけですし、
私は私なりに「どうするのがライトノベルに対して良いことなのか」ということについて考えてみたいと思います。




余談

今度、ある雑誌に載る原稿で、id:kim-peace氏発(でいいのかな?)の「現代学園異能」という単語を引用しています。

この単語は「複数人の意見が合わさって出来た」という認識ですので
「発案者の一人」くらいにお考えいただければ良いのではないでしょうか。