木下恵介はなぜ天才なのか

kimgood2008-02-17

*やわらかい監督
木下恵介といえば「木下恵介劇場」である。小学生の頃のことなので、よくは覚えていないが、ホームドラマの元祖のようなイメージである。黒澤などと「四騎の会」を作る前に、木下はテレビにも活躍の舞台を広げ、黒澤は自分も一時その気になったこともあったらしいが、自責の念が強く、TV界に身を投じることを肯んじなかった。木下恵介のことを資料的に調べているわけではないので、単なる憶測だが、この転身のなかにもぼくは監督の“柔らかさ”といったものを感じるのである。もちろんそれは節操のなさと表裏のことなのだが。


木下は黒澤と新人監督賞を同年に分け合っている。黒澤は言わずと知れた「姿三四郎」、木下は」「花咲く港」という作品である(同名の芝居が古川ロッパにあるが、何か関連性があるのか。矢野誠一エノケンとロッパの時代』に記述あり)。木下は翌年、「陸軍」という戦意高揚映画を撮ったが、出征する息子を延々と追う母親の姿を写したのが不的確と軍から横やりが入った。辞表騒ぎになったが、幹部の慰留で居残ることになったらしい。
ここに見える木下は、芯の強い印象で、先の“柔らかさ”とは一見矛盾するようだが、俗なたとえで言えば柳の枝のような頸さ、それが木下の真骨頂ではないか、と思われる。この特徴がどこまで彼の作品に顔を見せるかが、探求の1つの目的である。


1959年に「二十四の瞳」が公開され、その年のキネ旬のベスト1がこの映画、次がやはり木下の「女の園」、3位が「七人の侍」である。のちに「七人の侍」の名声が高まるにつれ、この年の専門家の評価に疑義が出されることが多かったらしいが、ぼくは当時の鑑識眼が狂っていたとは思いがたい。というのは、非常に明快に、しかも説得力のある描写で木下作品は反戦と民主主義とは何かを描いているからである。「七人の侍」にしても、農民のしたたかさを謳った映画ということになるが、それはある意味、苦さをもった結論である。全編に通るのは“英雄主義”であることに変わりはないからである。


例によって、少しずつ彼の作品を追いながら、木下って誰なのか、ずっと食わず嫌いできた監督のことを語ってみたい。ぼくは最近になるまで「カルメン故郷に帰る」も「笛吹川」も「喜びも悲しみも幾歳月」というのも一切、見たことがなかった。もちろん「24の瞳」も。ヒューマニスティックなタッチの監督で、場合によっては感涙も呼ぶ、といった体の映画で、最初から結論が分かっているようなものなど見たくもない、と思っていた。なかばその思いは今も変わらないのだが、いやかなりしたたかな監督だぞ、という思いも一方で感じるようになってきた。それは「女の園」「日本の悲劇」などを見たからである。それと、黒澤や小津に関連した話をいろいろ読んでいると、ときおり木下の名が散見されるのである。きまってそれには「天才」という冠が付いている。何を指して天才と言うのか、それを知りたいとも思ったのである。


山内静夫という晩年の小津に付いた映画プロデューサーが雑誌『諸君』で、小津のことを中心に日本映画のことを語っている。その山内も木下を天才と呼んではばからない。打ち合わせもなしにぺらぺらと映画の中身をしゃべり出したら、もう脚本が出来上がっていた、という逸話を語っている。これは小津が野田と数ヶ月も旅館や山荘に籠もって脚本書きに苦しむ姿との比較で出てくる話である。


※これを書いて後日、田中小実昌の「ぼくのシネマグラフティ」を見ると、木下恵介の作品はすべて見ている、と書いていた。感想など一切書かれていないので評価は分からないが、コミさんが好きな監督なのかもしれない。


当時においては天才と見えたものが、あとになって秀才の技と見られることは多々あることである。あるいは、ある作品だけはひときわ輝いたが、あとはそれほどでもない、ということがある。
木下監督は、結局、一時は天才の光芒を放ち、やがて世相に沈んだ監督ではないのか、と思う。天才で在り続けることは難しい(脚本家の石堂淑朗氏が木下監督について同種のことを言っているようだ)。

世界は黒澤、溝口、小津を発見したが木下は未だしである。それにはいくつかの理由が考えられそうだが、海外の評価は別にして日本国内の評価さえ十分ではない。必ず“天才”の名が付されるのに、である。おそらく他の3巨匠はテレビに身を売らなかったことで延命したのではないか。俳優でいえば、健さんや渥美、あるいは吉永小百合である。この3人とも名優とは言えない。映画が落日の産業となったあとで名をなした人たちだが、テレビに身を捧げなかったことで輝きを増した好例であろう。
あと木下の器用さがマイナスに働いているとも思う。日本は才気煥発を軽く見る風土がある。ある一つのテーマや作風を押す人間を評価する。木下はそういう範疇には入らない監督で、悲劇から喜劇まで、都会的から田舎的まで、現代から戦国時代まで、時と空間を自在に行き交っている。それがいわば木下なのだが、今となれば潜在的に評価を下げる一因なっているのではないだろうか。巨匠と呼ばれず“天才”と別立てで呼ばれる理由がそこにありそうである。
あと、本項でも触れるが、エキゾシズムの問題がある。彼は58年に「楢山節考」でベネチア映画祭に呼ばれているが、その前に黒澤、溝口が海外で賞を取っている。映画祭の主催者とすれば、同じ国からそうそう選ぶわけにはいかないという事情があるのではないか。黒澤の「羅生門」が51年にベニスでグランプリを取っていて、その翌年に木下は洋行中のついでにカンヌ映画祭に顔を出す。そこでこういう映画祭では日本独特の感覚をもっと押し出すべきだと感じたという(長部日出雄『天才監督 木下恵介』)。ところが、それを前面に押し出したときには、すでに日本映画のエキゾシズムは選ばれにくくなっていた、という事情があるのではないか。さらにいえば、小津的な日本らしさは、しばらく後まで西洋で発見されていなかったがために新鮮だったということがあるのではないだろうか。木下の位置は海外評価においても微妙である。


長部日出雄は木下は次第に時代に逆行するようになった、との立場である。作品的には「野菊の如き君なりき」の頃を指している。小津、溝口を措くとしても、では黒澤はどうなのか。ぼくは後に述べるように、木下の地自体が非常に土着的な要素を持っていたと考える。時代に逆行したのではなく、時代に追い抜かれたのではないか。あるいは、そもそも追い抜かれるとか抜かれないとかの場所にいなかったのではないか。彼が題材に取った深沢七郎がそうだったように。木下は最も日本的な諦念に満ちた映画を撮ったが、それは海外が評価する“日本”とは異質であり過ぎたのではないか。



*「大曽根家の朝」(46年)
新文藝座で30分ほど爆睡していたので、前半で見落とした部分があることを断っておきたい。音の保存が悪く、それだけでも見ているのが辛い上に、抑揚のない映画で、室内劇だけに工夫が必要だろうに、ただ漫然と撮っているだけの作品である。大曽根家は戦前にあってリベラルなおうちという設定で、一人叔父にあたる小沢栄太郎だけが食えない時局主義者という設定である。小沢の演技が秀逸である。ラストに東野英二郎が「見よ、大野家の朝だ、日本の夜明けだ」と言うのにはがっくり。
※あとで長部日出雄の本を読むと、ラストは本来まったく違っていて、大曽根家の家の門を開くところで終わるのだったが、GHQから注文があって、もっと民主主義を歌い上げ、GHQを褒めよ、ということなので小菅刑務所に長男を迎えに行くシーンが追加されたという。こういうことがあるから、ある程度、資料を調べなければいけない、ということになる。
池澤夏樹氏が故加藤周一についての思い出を書いた文章で、小沢栄太郎扮した軍人のことをまるで暗喩したような文章を見つけたのでそれを記しておく。
「おそらく熱烈な愛国主義者の多くは、隣人を愛さないから、その代わりに国を愛するのである」
※この評を書いたあとで小林信彦『一少年の観た<聖戦>』を読んだ。そのなかで、氏はこの映画を絶賛している。敗戦でどういう作品を撮っていいか迷っていた邦画界にあって、最初に本気で戦争犯罪を追求した作品、という。「一軒の家に<日本>をシンボライズさせた着想がみごとで、ラストでの杉村と小沢の対決まで息もつかせない」と評している。こうも評価が違うと、もう一度、見直す必要がありそうである。小林先生も小沢の演技は「当時の日本人には身近に思いあたる人物像」で「抜群の演技」とおっしゃっている。同書は、アメリカ映画に心奪われていた少年が、洋物禁止以後の日本映画のなかにアメリカ文化の残映を探る、という面白い本である。それぞれの監督たちも検閲の目をくぐりながら、いかにアメリカ物を換骨奪胎するかに腐心したらしい。満州の陣地を敵から守る映画は、西部劇のインディアン物を下敷きにする、などなど。


*「お嬢さん、乾杯」(49年)
佐野周二が34歳で独身の自動車修理業、その弟分が佐田啓二、零落の金持ちのお嬢さんが原節子。縁談を持ち込まれてその気になったのはいいが、相手は家も抵当に入れているほどの落ちぶれぶり、金を目当てに自分と結婚する気ではないか、と佐野は思う。まして、婚約までいって相手が何かで死んだといういわくありげなお嬢さんだ。彼がモーションをかけてもなかなか心から応じてくれない。


身分違いが筋を運ぶ手だてになっていて、なかでも彼女の誕生祝いにピアノを届けたシーンが印象に残る。祖父、祖母は急に具合が悪くなったといって、その場を退散する。あとで、物乞いをしているような気分になった、といったことを言う。内心では財政的な援助を欲しているのに、露骨にそれをやられると自尊心が傷つくというわけである。実業家、にわか金持ちの佐野には、そのへんのデリカシーが足りないのも確かだが。



喜劇仕立ての映画ということになるのだろうが、それにしては中途半端。面白いのは、結婚が決まって、佐野が彼女を家に迎えに行ったときに、彼女はどういうわけか不在で、彼女の祖父祖母、そして母親と話をするシーン。ばあさんがしきりに、最近、原節子は元気がない、悲しい曲ばかりピアノで弾いている、あれは婚約者が好きだった曲だ、などとマイナス情報ばかり聞かされるシーンである。
町でボクシングを見て、路上でそのマネをしたときに、大きな犬が来て逃げ出し、その犬が画面に戻ってきて、うしろから小さな犬に追いかけられているというこじんまりとしたジョークもはさんでいる。
ラストに、田舎に帰る佐野を追いかけて原が車に乗り込むところで、『愛染かつら』の主題歌がかかるが、これも監督の遊びである。


佐野が佐田とダンスを踊る変なシーンがある。佐田が目をつぶって陶然としているのには呆れる。原節子に「ああお腹が減った」と「私は惚れました」の2つのセリフを言わせただけでも、この映画に価値がある、と誰かがどこかで書いていたような気がする。


長部日出雄が『天才監督 木下恵介』でこの作品を非常に買っている。木下作品で一番好きな映画とも言っている。とくに、二人がデートをして、原を小さなトラック(これしか空きがなかったらしい)で送り、原の家の前で下ろしたあとのシークエンスを細かく分析している。ぼくはこのシーンがもう一つよく分からなかった。というのは、お互いに惹かれていて、もう一歩前に進みたいのだが、何をどうしたらいいのか分からずにいるシーンなのだが、門を開けようとして戻ってきた原がすっと頭を下げて何かをする。それが何だか分からなかったのである。そのあと佐野は「ああ手袋」とセリフを言う。長部によれば、原が佐野の革手袋にキスをしたらしいのである。そうと分かればほのぼのとしたコメディタッチだが、少なくとも映画館では笑い声は起きなかった。ぼくはこの映画より「二人で歩いた幾春秋」のほうが大笑いしたものである。


長部によれば、木下監督はいろんなジャンルの映画に挑戦し、新機軸も打ち出し、カメラワークも自在で、しかも大ヒットをいくつも飛ばした“天才”ということになる。しかし、ぼくが見るかぎり『日本の悲劇』、あえていえば『女の園』の2本が“すごい”と感嘆の声が出る映画で、あとは非凡とは言い難い。これから『楢山節考』なども見ることになるが、この評価はそう揺るがないように思う。


*「カルメン故郷に帰る」(51年)
日本初のカラー映画で、その色出しの苦労は主演高峰秀子の自伝に書かれている。フジフィルムの研究陣と四つに組んだ開発だったようだが、それでも仕上がりが心配でモノクロでも撮っておいたという。笠智衆の顔だけやけに黒く焼けていたとは高峰の弁である。
東京で名を挙げたカルメンが友達と連れだって故郷に凱旋するというので一騒動が起きる。芸術家というふれこみだが、実はストリッパーで、カルメンもその源氏名みたいなもの。戦前のことはすっかり忘れて、世をあげて”文化国家”を叫ぶご時世。カルメンは幼少のころに牛に頭を蹴られて、少しおつむが弱いという設定。そういう彼女だから自分の芸を芸術と思いこんでいる。


もちろん分かる人は分かっていて、カルメンの振る舞いを悲しいものと見るわけだが、なかでも父親がいちばん辛い思いである。ところが、村人は機会があればカルメンの芸を見たいと思う。ここらあたり単にスケベ心というのではなく、カルメンと似たり寄ったりの感性で村人は”芸術”と思いこんでいる様子なのだ。興行主が現れて小屋掛けができる。
安普請の舞台でカルメンとその友達はちょっと露出の多い、ハワイアンのような格好で足を上げたり、跳んだりする。そのうちに板の床の揺れが増幅して、止まらなくなる。それに合わせて各席もゆっさゆっさと揺れている。伴奏音楽もまた狂騒の度を増し、しまいに小屋が潰れてしまう。
この場面の皮肉の強さは抜群である。文化、文化と騒ぐが、内実は一つもありはしないではないか、という苦い監督の思いが直に伝わってくる。


木下恵介の批判精神の生き生きと感じられる快作で、甘ちょろい映画を撮る監督というイメージが強かっただけに、あれ、これだけストレートに社会問題を扱う監督ってほかにいるだろうか、と思ったものである。それでいてエンタメで、いわゆる傾向もの(左翼もの、イデオロギーもの)でもない、月並みな言い方だが庶民の目線の社会批判という体の映画である。高峰秀子も頑張っていて、この人はこういう芝居をやっても、下品にならないところが得である。


*「海の花火」(51年)
九州長崎呼子が舞台である。漁業組合を作って船を買い、船長や船員を雇って操業するも赤字続き、その存続が危うくなり、出資者や関係者から解散を迫られるのが笠知衆。一徹で、男気のあるタイプで、幼なじみの山本武はところん信じてバックアップする。
2人娘があって、長女が木暮三千代、次女が桂木洋子。長女を慕うのが東京のぼんぼんの省吾、次女を慕うのが船員の一人。
問題が組合がらみとあって、俄然、見る気が起きた映画である。



冒頭の魚獲りの様子などドキュメントな映像で期待がふくらむが、あとがどうも…である。一応、社会派映画ということになるのかもしれないが、見ていてもそういう気分にはなってこない。笠が政治の横暴に怒って農林水産省にまで掛け合いに出かけるのだから社会派なのだろうが、全体がドタドタとしてまとまりがない。組合の存続をめぐる関係者間のごたごたと、東京での婚約破棄のごたごたを並列に進め、ほかにもいくつか枝葉を付けるので、煮え切らない気分だけが残る。これだけ多彩に演出できるんだ、と言いたいのか。省吾役をやった役者が新人で、演技が極端に下手なので、よけいに東京部分は不要である。
※あとで長部の本を読んで知ったのだが、前作「少年期」が当たらなかったのは都会が出てこなかったからだ、というので、「海の花火」に東京の話を追加したそうである。さもありなん、である。それにしても、会社の言うことをよく聞く監督である。


三国連太郎が雇われ船長を演じているが、いまだ怪優の面影を宿していない。木暮がまるで原節子のように恥じらい多く演じるのが新鮮といえば新鮮である。山本武のこざっぱりした演技が光っていた。笠が身軽に動くのには、改めてそういう時もあったのね、と感慨ひとしおである。


*「善魔」(51年)
なんとも気持ちの悪い映画である。三国が善人を演じているのだが、まるで魅力に乏しいのである。いわゆる、ヤボテンでありトウヘンボクである。新聞記者という役どころで、その上司が森雅之である。三国はこの映画の役名を自分の俳優名にしたそうだ。何度も触れる作家の長部は、この映画の三国をべた褒めしている。ぼくはその理由がさっぱり分からない。


森は、悪が強いほどに善が強くないと太刀打ちできない、と言い、それを“善魔”と呼ぶのだが、ここまでは分かる。ところが、ひたすら善人で押し通す、ロボットのような人間・三国が最後にはその“善魔”ということになってしまっては、劇の深みも何もどこかに吹き飛んでしまう。ぼくは、監督に主題の整理がついていないのではないかと思う。


森雅之の昔の女友達が淡路千景、その妹が桂木洋子、父親が笠知衆である。三国は病弱の妹に惚れ、急死したあと、結婚式を挙げたいと言い出す。純情物語という設定だが、ぼくにはいささか身勝手で、異常な人間に思える。まして、上司の女関係を暴いて、淡路との恋の再燃を邪魔するに及んでは、何の権利があるのかと思う。最後、野辺で死者を焼くシーン、三国が一人去っていく森を見ながら、淡路に「これでよかったのですか」と無表情に言うのだが、まるで機械人間のような冷たさである。動きもぎごちないので、余計にそう見える。


男同士がしゃべっているときの言葉はそうでもないのだが、男女の会話となると突然、気持ち悪いほどに改まって、人工的になってしまうのはどうしてなのか。背中がぞくぞくして気持ちが悪い。原作の岸田国士は言葉を大事にした戯曲家だと佐藤忠男が解説で書いている、とうていそうは思えない。森を指して部長と言うとき、「ぶ」にアクセントがあるのはどうしてなのか。三国は発音も悪い。ぼくは小津の映画でこういう違和感を感じたことがない。


いろいろ難点はあるが、ぼくは楽しんで見ることができた。というのは、善は悪のようにいかに強靱に、そして狡猾になれるかというのを正面から問うた姿勢に好感を覚えるからである。新聞社内の権力争いみたいなものもスケッチされていて、今にも通じる話だな、と思ったものである。できれば、大物官僚である淡路の旦那が画策していたというのであれば、さらに面白かったのだが。



*「少年期」(51年)
木下監督はこの年に3本撮っていることになる。なかでいちばん充実しているなと思われるのがこの映画である。声高に反戦を言い立てるわけではないし、筋や設定もありきたりだが、短いシークエンスをじっくりと重ねながら、それでいて軽さもあって、見応えのある映画になっている。


笠知衆が“主義者”ということで大学を追われる。英文学の先生らしい。空襲も激しくなってきたこともあって長野県諏訪に疎開。一人東京に残るといった長男一郎もあとで合流。学校での教練に付いていけなかったことが大きい。東京での担任が三国連太郎で、召集にあい戦死する役だが、子供たちを前に「一生懸命に生きなさい」と諭すが、その話し方、セリフがくさい、くさい。


疎開先では例によって地元の子のいじめ。チャボというあだ名の背の低い先生も強圧的だ(あとで好人物と分かるが)。田舎の人びとは笠のもとに憲兵が来たことで、いろいろな噂をし始める。行軍中の兵隊さんが民家に泊まる際にも、笠のところだけは除外である。


一郎は母親っ子で、反対に父親に疑念を持ち始める。なぜいつも本ばかり読んで、何もしようとしないのか。多くの人がお国に命を捧げているのに、なぜ父親はそっぽを向いているのか。ついには予科練に入りたいとも言い出す。母親は田村秋子という人で文学座の女優さんらしい。ちょっと美人からはずれた素朴な味わいのある人である。


そんな息子に母親が言う。「歴史の大きな流れで見てみないと、分からないことがあるのよ」。つねに夫をかばう彼女だが、仕事疲れ、生活やつれから、つい「なぜこんなに辛抱して生きているのか分からなくなるのよ」と泣き崩れることもある。そういう弱さもきちんと描いているのが、監督のすごいところである。


何といっても笠がいい。いつもの飄々とした感じに、芯の強い人物像も加味されて、また別の笠を見るようだ。同じく東京から疎開してきた夫人がチャキチャキで、ひそひそ悪口を言う村人に正面から立ち向かう。「日本人同士でいがみ合っているかぎり戦争に勝てない」とも言い放つ。この女性がいないと、なかなかこの映画は晴れ晴れしてこない。あるいは、一郎が農家に買い出しに行ったときに、そこの嫁は「金でなくて着物を持ってこい」と現金なことしか言わないが、老婆は「飯を食べていけ」と親切を言う。再び言うが、こういうバランスの良さが監督の持ち味と思われる。


笛吹川」や「喜びも悲しみも幾年月」で見せた、淡々とシークエンスを重ねていく話法がすばらしい。一直線にシナリオを書くわけにはいかない種類のもので、小津や山中をはじめ戦前から活躍した日本の監督が得意とするやり方かもしれない。ハリウッドから学んだものもあるのは当然にしても、濃やかさ、静かさ、淡々とした感じは日本で発達したものではないか。この映画は田中澄子と共同脚本である。


加藤泰の本を読むと、戦前に?という女性脚本家がかなり活躍したらしい。この田中澄江、そして水木洋子と、映画の世界では早くから女性が活躍したことがわかる。誰か女性脚本家の系譜をたどる本でも書いてくれないものだろうか。


*「カルメン、純情す」(52年)
ひどい作品である。最後まで見るのが苦痛だった。ヨーロッパ旅行から帰国後第一作だそうだが、やりたい放題にやった映画である。斜めの画面。洋行帰りの芸術家の部屋では奇妙な音楽が鳴り、当人以外は両親も家政婦も現代美術のような服。ご都合主義のストーリー。再軍備反対の映像をお手軽に挟み込む手法。何から何まで不快である。抑制を失うとこういう無様な映画になるという典型のようなもの。
長部日出雄氏の『天才監督 木下恵介』では、この映画に寄せられた当時の絶賛の言葉が数本挙げられているが、にわかには信じがたい。どう見ても駄作だからである。


*「日本の悲劇」(53年)
この映画が封切られた53年は小津が「東京物語」、溝口が「雨月物語」、成瀬「あにいもうと」を撮った年である。なんと豪華な年だろう。黒澤はこの年は撮らず、翌年に「七人の侍」が封切られている。「日本の悲劇」は映画人に衝撃をもって迎えられたらしい。名作の誉れが高いが、他の3人に比べて木下評価が低いのはなぜなのか。海外で受け入れられるには、ある種のエキゾシズムが必要で、木下の作品にはそれが欠けているのではないか。それは、いまとなれば誇りに思っていいことなのではないか。脚本は木下恵介である。


噂に違わず、すごい映画である。10人近くの人間を動かして、余裕の演出である。それに省略するところは大胆に省略して、決して冗長にならない。たとえば旅館の仲居役の望月優子の長女が甥に犯されるシーン。何もその場面を撮さず、窓ガラスが割れたのと、みかんが畳を転がるだけで暗示する。甥は思いを遂げて、玄関口で「このことは黙ってろよ。そしたらこれから優しくしてやるからな」と言い残していなくなる。あるいは、金を無心していた娘が出奔したことが分かったあと、カットが娘の部屋から旅館の台所へ飛び、俯瞰のショットで悄然と椅子に座り続ける後ろ姿に移行する。あるいは、望月の長女を呼び出し場所で待つ上原謙の塾教師。時間が過ぎても来ず、腕時計に目をやる。そして、次のカットが卓上時計のカットで、裁縫を習う長女のシーンへと飛ぶ。この映画には、この種の転換の切れ味の良さがある。


木下監督はドラマの監督というイメージが強いが、この種のテクニカルな演出も趣味のひとつではないかと思う。のちの「笛吹川」では部分彩色を全編にわたってやるような無謀なこともやっている。


簡単なストーリーを言えば、娘と息子の2人の子供を育てるために、ときには客に体を売るようなこともした旅館の仲居が、結局は子供2人に見放され、鉄道自殺するというものである。息子は大きな病院に養子に入ることで母親から離れ、娘は年の離れた塾教師と出奔することで母親を拒絶する。息子のセリフに、母親はさまざまな人生を見てきたつもりでいるかもしれないが、今の時代には通じない。自分は自分のやり方でやっていく、というのがある。生んで育てた以上は、子供には親の面倒を見る義務があると親は考えるが、2人の子供はそれは親のエゴだと切り捨てる。冒頭に「この母子関係はこれからの日本に多くなっていくと思われる」式の文字による説明が入る。


劇の進行と合わせて過去の映像が挟まれるのが特徴だが、その際に無音か、ある人物だけの声を生かして他は消すなどの操作をしている。たとえば、闇物資の買い付けで警察に追われるシーンは無音である。列車でエセ民主主義論を男がぶつ場面では、その男の声だけで、列車のゴトゴトも何もかも音が消されている。2人の子供が鍋焼きうどんを食べるシーンでは、過去の悲惨な貧乏の様子が何度も差し挟まれる。長女が結局は塾教師と逃げることを決意する場面では、先の甥によるレイプの暗示場面が流される。「私はばらばらに壊れてしまったんです」と言う長女の肩を抱き寄せるところで、2人の出奔を暗示する。


それとデモや社会的な事件の映像、新聞記事なども随時挿入される。その入れ方がまったく不自然に感じられない。こう説明を書いてくるとガチャガチャとした猥雑な映画に思われかねないが、映画の出来はあくまで淡々とした静かなものである。急展開と静寂がうまい具合につなげられているからであろう。その典型が息子を大病院に訪ねて、ひさかたぶりに「お母さん」と呼ばれたことで心がほどけ、息子の籍を移すことに同意し、次は熱海に帰る列車のシーンに飛ぶ。汽車の窓に体をもたせて大きく口を開けて寝入る母親。手前の湯河原で目を覚まし、下りる。階段を途中まで行って、そのまま逆向きにホームへと引き返す。じっとホームに佇む姿を柱の間に(ホームの待ち合い室のなかから撮った感じか)収める。それが思いのほか長い。そこに東京行きのアナウンスがあって、そっちの側へと体を移すのをまた柱越しに撮る。向こうから列車がホームへと突進してくる。猛烈な感じで望月は走り出し、列車に身を投じる。この間のリズムの良さは抜群である。手前の柱が全景を黒く分断して、妙な不安感を醸し出している。


役者のネームの筆頭が佐田啓二、これが望月に目をかけてもらっているギターの流し。彼が2階建ての旅館の前で「湯の町エレジー」を歌うところから映画は始まる。流しは一人では商売にならないといったことが触れられる。ところがそれっきりで、しばらく佐田は姿を現さないのである。二度目は、息子から養子に行くと話があったあと、意気消沈の彼女のもとに佐田が現れ、自分のためにと歌を所望する。佐田は貧乏農家の次男、妻は病身で、そのために仲間から袖にされた、という。流しは一人では商売にならないといったことが触れられる。望月は、親孝行しなよと金を渡す。佐田は親に干物でも買ってやると喜ぶ。もう一人、望月が気に掛けるのが、自分の勤める旅館の板前。口が悪く、気性も荒い。この男が惚れるのが不見転(ミズテン)と呼ばれる、どんな客とも練る芸者。望月は、あの女とは付き合うな、と言い、女が出る宴席で、芸もないくせに堅気をいじるな、といった喧嘩を売る。女中だって三味線が弾ける、といってやんやの客の前で歌い出す。望月は浜町の生まれで、父親は腕のいい職人だったという。くだんの板前は余計なことをするなと望月を殴りつけるが、あとで女の本心に気がついたのか、息子の件で悄然とする望月に声をかけ、寒ざましでも付けてやるかと優しい言葉をかける。


ラストはこの板前と佐田のシーンである。佐田が「湯の町エレジー」を歌い、板前はもう1回と所望する。佐田がいい人だったと言えば、板前も言う。佐田が歌い出すと板前はうなだれてじっと動かない。それでエンドマークである望月は自分の土地をまんまと夫の弟に取られたり、株屋にうまいこと乗せられて蓄えをなくす馬鹿な女である。ところが、こと困っている人間がいると、本心から助ける人間でもある。その丸ごとの人間性を木下は愛しているのではないか。戦後、失ったものはそういう損得なしに人のことを思う心性ではないか、と言いたいのかもしれないと思う。2人の男は、望月にとっては新しい息子のようなものである。それが一服の救いとなって映画が終わることは、観客としても喜ばしいことである。


望月の息子が発音の甘っちょろい役者、演技も素人っぽいし、カマっぽい。上原謙は家付き娘に馬鹿にされる夫役だが、これも妙になよなよしている。佐田の美形も加えると、おのずと木下の趣味が透けて見えるといった感じである。


繊細かつヌケヌケとしている、というのが木下映画で感じることである。この映画でいえば、冒頭のナレーション代わりの文字による“説明”である。終戦後8年いまだ民心不安定とか、この母子の物語はこれから増える、といったことが文字で表示されるわけだが、別にそんなもの亡くても映画は十分に機能すると思われるが、そういうことをヌケヌケとやって平気なのである。小津には恥ずかしくてできない部類ではなかろうか。先に触れた「笛吹川」のパートカラーも、最初はちょっとした遊びなんだろうと思ってみていると、全編にわたってそれをやるのには驚いてしまった。たとえば、一家の主婦が死ぬと、その顔に赤味を入れ、それが急速に青白く変化をつけるのである。


木下という監督は社会性やヒューマニズムという点で黒澤と比べられるべき監督であろう。しかし、木下から「七人の侍」や「野良犬」が生み出されることはない。
ひと言で言えば、木下には黒澤にあるヒロイズム賛歌みたいなものが見られない。英雄はどこにもいないのである。みんなが同じ地平にいて“善”を求めるというのが木下映画の特徴と言っていいのではないだろうか。


ここで友人Tさんの『日本の悲劇』評を見ていただきたい。ぜひ見てみてよ、と勧めたのである。


Tさんの評──


新文芸座の木下特集、「陸軍」は見られませんでしたが、「日本の悲劇」を見ました。


おっしゃるように、これまでの「木下観」がまったく誤りであると、痛感しました。じつに映画らしい映画で、映画界はもっと「木下話法」をしっかりと映画史に刻むべきだと思います。


はじめのシーン、旅館厨房の長回し気味のあたりから、あ、面白いなあなんて感じがし始めましたが、電話を契機に息子、そして娘のうどんを食べるシーンに移って、この二人のどこか冷めた台詞回し、ニヒルな表情に、もうすっかり引き込まれました。回想シーンがぶっきらぼうに入りますが、これは全編を通して必要な要素で、ここで観客はまず慣れてしまわないといけないようです。


語り口もテンポもよく、お母さんがよく泣くのはまあ措くとしても、それとの対比で二人の子供が実にいい。上原謙はあいかわらずダイコンですが、桂木洋子扮する姉娘が、上原の妻を嫉妬させたいばかりに取る態度などは絶品で、娘を連れて下宿先にやってきたのを、部屋に上がるな、いやぜひ上がれと、自分の母の在不在でコロっと変わるあたり、ほんとに面白いです。脚本も木下自身ですね、さすがだと思います。


この姉娘が伯父の息子、つまり従兄弟に乱暴されるシーンも、あ、これは、と思うとパッと外から家屋を移すシーンなって、それが必要十分な間合いで続く。窓ガラスが割れて、ミカンが転がる。三つミカンが転がって、二つは三和土に落ちながら、一つだけ上がりかまちの縁で落ちないで止まりますが、これなんかそうなるまで何度も撮り直したとは思えず、映画の神様が味方したんじゃないかとわけもなく嫉妬を覚えるくらいです。


上原謙が言い寄る場面では、姉娘が、誰も信用しない、と強く言いながら、上原の手を握ります。あのアンビバレントな挙動などは、これも絶品で、全編を通じて彼女は上原に恋心を寄せるようなことは一切ないのに、過去の悪夢と現状打開への夢とがないまぜになりながらとりあえず目の前の男の手を握る、それも男の手として握っているというより、何か握らなくてはいけないものを手がもとめているという、必死さとでもいいましょうか、もがくような何かがにじみ出ていて、これは小津にも黒沢にも成瀬にも撮れない絵じゃないでしょうか。


娘に逃げられた母親が、進退窮まったように列車に乗り、「旦那」候補が投宿している湯河原を過ぎ、東京の息子に会う。墓地での移動カメラも面白いですが、そうやって息子への希望も断たれて帰りの汽車を湯河原で降りる。階段下から、降車客が去った後に残る彼女を捉えるシーンも素晴らしい。川島雄三なら、これに近いものが撮れるかもしれませんが、そこからホームの長い場面になって、遠景に列車が移って、そしてなんとなんと、自殺するのは観客にも判りますが、彼女が走り出し、履き物がバラバラと一足ずつ脱げるんですね! このおぞましさに近い乱れ絵の悲しみは、ロッセリーニが観たらうなることと思いました。


木下というのは、脚本と、演出と、映画的話法が、しっかりと三位一体となった作家ではないかと、あらてめて思った次第です。


*醒めた目線「女の園」(54年)
民主主義が理想をもって語られた戦後間もない時期の全寮制女学園が舞台。立派な家庭婦人になるのが女の道と考え、あらゆる面で圧政と規律を強いる学校に女生徒が反発し、ストに入る過程を描いたものだが、実にバランスのいい人物配置になっている。
高峰秀子は貧乏人との結婚を親に反対され、しばしその圧力から逃れるために女学園に入学。ところが勉強に着いていけずノイローゼ気味になり、最後は自殺する。その恋人田村高広はかつて学生闘争に参加したことがあるが、就職を前にその種のものから下りようと考えている。岸恵子が演ずるのは生来の自由な考え方の女で、強制的な学校に生理的な反発をし、最後にはさっさと辞めていく。久我美子が演じるのはブルジョア娘で、この女学園にも資金を出している家系である。彼女は共産党ともつながっているようだ。彼女が学内をひっかき回すのは”頭でっかちで迷惑なこと”と断じる先輩が出てくるが、これが最初は味方なのか、敵なのか分からない。久我は自分でも自分の行いが、本当に真心から出たものか自信を持てずにいたので、先輩のひと言は核心を衝いたものだった。
生徒に権力を振るう古狸の先生が高峰美枝子、ところが彼女は不倫で子をなした過去を持つ女である。女生徒取り締まり係が金子信雄、次第に生徒を管理することに疑問を持ちだす役回りである。
ほかにも多彩に人物を配置して、それぞれ遺漏するところがない。単に民主主義賛歌をうたっていないことは、田村高広だけを取り出しても分かることである。それにしても、ストーリーを変えても、違うドラマに援用できるほど、必要不可欠な人物設定である。原作阿部知二、脚色が木下恵介となっているから、この脚本の功績は木下ひとりにあることになる。


ただ一つ違和感があるのは、高峰秀子が妄想癖でもあるかのように、学校と家の圧力に押しひしがれそうな様子なことである。最初からそれで押していき、最後は自殺だから計算は合うわけだが、どうもドラマを引っ張る牽引役として際立たせ過ぎているような気がするのだ。言ってみれば、あざとい、といった印象である。もう少し最初は押さえ気味にして、次第に妄想が募ってくる感じにしたほうが、真実味があったのはないだろうか。群像を描く場合に、どうしてもこの種の簡略話法は必要なことなのかもしれないが、それも程度の問題ではあるだろう。
その他大勢の女生徒が血気にはやり急に歌い出したり、大声を張り上げて走り出したり、群れ集う場面などは書き割り的で、ご愛敬と言ったところ。


*「遠い雲」(55年)
よろめきドラマといった類で、不幸な結婚生活を経て今は未亡人の高峰秀子、亡き夫の弟で彼女を慕う佐田啓二、そして昔の思い人田村高廣。よろめくのは高峰が田村にである。舞台は飛騨高山で、祭りや獅子舞やいろいろその土地の風趣が織り込んである。


田村は材木関連の仕事に就いているらしく、久しぶりの帰郷。やがて北海道に転勤するので、その前に休養で高山に戻ってきたという設定。田村は徐々に高峰の旦那が女遊びを繰り返し、彼女を不幸にしていたことを知るにつれ、なぜかつて無理してまでも思いを断ち切ったのかと悔やみはじめる。再会はその高峰の旦那の墓地で、これは命日を知っていて彼女に会える可能性を意図的に探ったものと思われる。日傘を差した彼女が晴れやかな顔を見せるシーンは、とても美しい。いろいろと高峰の映画を見てきているが、このシーンの彼女がいちばん美しいのではないだろうか。


田村は強引に彼女を誘うが、高峰は迷いながらも踏ん切りがつかない。墓地で、そして夜の散歩のシーンで得意の横移動の長いショットが続く。これが実に気持ちいい。高山にはブラックジャーナリズムがあるという設定で、これが二人の噂を広め、ゆすりのネタに使おうとする。口さがない噂が広がるが、高峰の姉も、そして始めは恋路の邪魔をしていた妹も、高峰の応援に回る。高村のほうも兄、妹、そして母もサポーターである。とくに高峰の姉は、かつて愛した人がいたのに貧乏な相手だったために、母に仲を引き裂かれた経験があるために余計に高峰の恋を後押しする。


最後、高村が東京へ戻る列車に高峰が切符を買って乗り込もうとしたときに、その汽車でちょうど不渡り手形の処理案件から帰ってきた亡き夫の弟佐田啓二と顔を合わせてしまい、高峰は出奔を断念する。佐田が「ありがとう」と言うと高峰も同じことを言う。面白いのは、田村から「東京へ行こう」としたためた手紙がきたとき、高峰を囲んで母、姉、妹が注視をする場面である。高峰は気配を察してさっと別の部屋に行って、手紙を読む。こういう一見ユーモラスな演出が好感である。


ハラハラドキドキの場面になるとドンジャカドンジャカ効果音を鳴らすのは閉口である。こと音楽に関しては黒澤とは対極にあるような使い方である。黒澤は緊迫した場面に逆にのんびりした曲を流すなど、独特なやり方をする。
音で感心したのは、田村がジャズ公演の会場から高峰を連れ出し、横移動の長い散歩のシーンで、突然、高峰が雑貨屋で牛乳を沸かす小さな鍋と、もう一つ行平鍋のようなものを買い、それを包んでもらったときに、自分を邪険にしたと思ったらしい田村が「もう帰ります」と言って踵を返す。その途端、パッと荷造りされたその買い物を地面に落とし、パンと音がすると、ジャズ会場の様子に切り替わり、フラメンコのような踊りが写されるのである(ジャズのはずなのに、フラメンコとはおかしいのだが)。わざわざ飛騨高山でジャズ公演にしたのは、これをやりたかったからだろうと思う。


結局、高峰は地縁血縁のなかに戻ることを決心するわけで、いつもの木下節は健在である。小津の家族は細やかな情を交わし合うが、いずれは離ればなれになることが前提にある。とくに父親に焦点が当たり、彼は自分の孤独を甘受して娘の旅立ちを願うりりしさがある。木下映画では母親に焦点があり、その娘も含めて血縁が離ればなれになることは想定外のことである。よりドラマチックな要素を秘めているのが小津映画である。木下以外の3人の巨匠は、いずれもドラマ性が強いと言えるのではないだろうか。いちばん通俗的に見えて、ドラマ性を基軸にしてるように勘違いされるのが、木下映画ではないだろうか。少なくとも今まで見てきた木下作品で、強くストーリーで引っ張られるというのは、この「遠い雲」ぐらいなものではないだろうか。そういう意味では、木下映画ではこの「遠い雲」の高峰がいちばん大きな振幅を見せるキャラクターではないだろうか。ほかは淡々と運命を受け入れるのが大半である。深沢作品に親和性を見出すのは、その理由に拠るのではないだろうか。


*「夕焼け雲」(56年)
望月優子、東野栄二郎が魚屋の夫婦、はすっぱな長女が久我美子、長男が「野菊」の田中普二、あと3人の子供がいる。次女の和子が東野の兄のところへ貰われていくところがほぼラスト。
ひたすら汗して働きながら貧乏から抜け出せない親を尻目に、長女は資産家狙いに執心し、結局、ふた周り違う男の後妻に入るが、もとの男とも付き合いを続ける。父親が心臓で死に、長男が魚屋を継ぎ、包丁さばきも板について、仕出しの商売も好調。その時点から3年前のことを振り返る、という設定になっている。



例によって、最初にナレーションと文字で惹句のようなものが示される。安易といえば安易だが、戦前から続いてきた手法、観客に事前説明することで無理を強いない手法としてはありえる手法である。



淡々と撮られた映画だが、いい出来である。このあたりのレベルの映画だけを選んで、木下映画祭なんかやれば、かなり評判になるのでないだろうか。つまり「女の園」「日本の悲劇」「少年期」「野菊の如き君なりき」「夕焼け雲」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」あたりである。



*「喜びも悲しみも幾年月」(57年)
灯台守の夫婦の話で、主題歌は一世を風靡した。ぼくも記憶にある。戦争の渦中にありながら、ひたすら日本全国の灯台を守るために転々とする夫婦を描いたもので、新聞に報じられたり、ちょっとした噂話にのぼるのが戦争である。それが戦後になってもろに世の動きに巻き込まれることになる、という不思議な設定になっている。なっている、というのは変で職業上そうなったわけだろうが、監督にはその逆転の様がこの映画を撮った動機ではないかと思われる。


子供のことで夫婦が喧嘩をし、「おまえ」と佐田啓二が言うシーンがある。いつもは「きみ」なのだが、それは結婚のときにそう呼ぼうと決めた、と言うのである。思わず「おまえ」を口にして悪かった、と謝ると妻の高峰は「うれしかった」と答える。ここのシーンは秀逸である。


東京の学校に行かせた息子が自堕落な生活を送り、病気になって死ぬと、「何もかも世間が悪い」ということで収めてしまうが、このセリフを主人公たちに言わせて木下監督は平気だったのだろうか。彼が反戦を言い、民主主義を顕彰することと、個の自立とはパラレルな問題ではないらしい。それがために、「女の園」のような作品と「楢山節考」のような作品が一緒に撮れるのではなかろうか。言えば前者は頭で作り、後者は心で作る、といったような棲み分けである。


*「風花」(59年)
「野菊の〜」とほぼ似た設定の映画である。地縁血縁の濃い旧家で、幼少時から親しんできた二人が、身分違いがあって結ばれない、というものである。今度は攻守ところを変えて、女性が貴で、男性が卑という設定である。


広大な田んぼを有する大地主の娘が久我美子、その兄と心中をはかり一人生き残ったのが岸恵子、彼女は身ごもっていて生まれたのが川津祐介。久我と川津は恋心を抱き合うが、血がつながっている。映画ではそのへんの禁忌は何の問題にもなっていない。
岸が若い母親で、川津が19歳になっても若々しい。言葉遣いも甘ったるく、妙な色気が漂う。川津がまるで知恵遅れのような表情を見せるが、そういう役柄ではない。この母子の結びつきは異常に強く、結局、久我の結婚を機に外の世界へと旅立つことになる。「二人で一生懸命働こう」とまるで夫婦のようなセリフを岸が言う。木下監督は「少年期」でも母子の強い密着の様子を描いたが、これはもっと密着度が強い。


「野菊」では過去の映像を楕円の枠のなかに閉じこめたが、この映画ではいくつもの過去が突然切り替わる。少年の川津がしゃべっている絵のすぐあとに、同じ構図で彼の青年の様子が続くのである。しかも、同じシーンが2度も3度も登場する。これは何回か見ないと、その構造を明らかにできないが、まったく違和感がないのだからスゴイ。ハリウッド物で過去のある1点を巡って、いろいろな角度からそれを撮り直すというのがあるが、それよりはるかに洗練されたものを感じる。ぼくは初めて“天才”という言葉を使いたい。しかも、日本の古臭い田舎を舞台にした映画でそれをやるのである。恐ろしや、である。



「野菊〜」もそうなのだが、登場人物のなかで逆境を強く切り開いたり、声高に村の封建制を糾弾するような人物は一人も出てこない。黒沢の映画との違いが、これだけでも明らかである。
都会を扱った映画には多少そういう人物が出てこないわけでもないが、こと農村が舞台となると、じっとその抑圧を甘受する人間ばかりが描かれる。その典型が「笛吹川」ではないだろうか。あるいは「楢山節考」にもその種の諦念が流れているはずである。戦後世相を笑う「カルメン」を撮ったような監督が、なぜそういう抑制した筆致を選んだのか。そして概して田舎を舞台にすると、この監督は出来がいいのではないだろうか。
それと、黒沢、小津、成瀬、溝口作品にはしがらみ多い土俗を扱ったものはないのではないだろうか。戦国時代などに材をとっているものがあるが、近代農村の旧弊を扱ったものと限定すれば、木下の独擅場である。
なぜこういうことが起こりえるのか。木下を抜かせば4人とも東京の生まれである。木下は浜松の生まれで、漬け物屋の息子である。ただし、彼の生家のあった商店街は芸者もいたくらいの場所で、田舎の感覚とはちょっと違っている。一考に値する問題である。農村そのものではなく、農村が持っているメンタリティ(引き延ばせば日本人となる)を取り上げた監督が今村昌平だが、そもそも日本映画において都会が題材となっても、田舎が取り上げられることは少なかったのではないだろうか。映画は娯楽であり、田舎の人間がわざわざ映画を見に行って自分のみじめな環境をスクリーンで再確認したいとは思わないだろう。そういう意味では、映画において田舎は新しく発見された場所ということになる。


「風花」では、何が事が起きるたびに長く立派な板の橋を人びとが行き交うが、これは「笛吹側川」でも使った橋、川ではないか。



*「笛吹川」(60年)
部分着色をほどこした変な映画で、その違和感は最後まで抜けない。大きな橋のたもとに住む農民が戦災に翻弄されるさまを描いたもので、それこそ淡々と人は死に、淡々と生まれてくる。侍になりたくて息子たちは家を出奔する。そのあとを追って戦地まで着いていく母親という設定が木下らしい。その母親もあっけなく死んでしまう。著作権の関係でDVD化されなかった作品というが、何か深沢側からの縛りがあったことを伺わせる。


*永遠の人(61年)
例によって芸術祭参加である。戦地からびっこになって帰ってきた名主の跡取り(仲代達也)に、小作人の娘(高峰秀子)が犯される。彼女の想い人(佐田啓二)が戦地から戻り、婚儀が進んでいる話を聞くが、二人で出奔することに。翌早朝、待ち合わせの場所に男はやってこない。幸せになってほしい、との手紙を残して。


女は夫への憎しみによって生きている。手込めにされてできた長男に冷たくあたるところがあり、彼は高校生で自殺する。次男は安保闘争で警察に追われ、母に無心するが、父親を許すまでは母親を許さないと言う(これを演じているのが妙に素人っぽい)。末娘はかつての想い人の息子と結婚をする。その二人に子どもができ、想い人の病床で女は、「まるで私とあなたの子」と言う(ちょっとやり過ぎ)。想い人は「何か私はあなたの夫に悪いことをしたような気がする」と言う。その顔はまるで悟りを開いた人のよう。翻然と女は家にとって返し、夫に今までのことを誤り、娘夫婦のことも許してくれと頼む。夫は冷たく拒絶するが、結局翻意し、二人は病床へと向かうところで映画は終わる。


よくできた映画で、伴奏のフラメンコ歌謡さえなければ、と思う。夫婦の諍いの場面で、夫が「憎しみの果てに何があるか見てやろう」式の生な言辞を吐くが、そういうときに高鳴りのギターの音が、まるで浄瑠璃や能の囃子方に聞こえる効果がある。あえてそれを狙ったのは明白で、台詞が大見得を切ったような生硬な感じなのも、意識的なものだろうと思う。


自殺するかもしれない長男を探しに一散に畑の中を走る女を、村の衆を、想い人を遠いカメラでずうーっと追うシーンがすばらしい。やがて狭い道で二人が鉢合わせになるのが分かるので、よけいにこのシーンは見事である。緊張感のあるときに、遠いカメラで撮るのは、木下作品に多いのではないだろうか。


他の項でも書いたが、木下に田舎の旧弊を一方的に断罪する視点は弱い。人間の業として眺めると、社会階層の相克など後景に引いてしまう。たしかに台詞の一つに、「おまえは小作の恨みを俺への復讐に変えたな」式のものがあるが、どうも筋を通すための粉飾に近い。


庄屋の家が、どうも「野菊の如き君なりき」のそれと似ているような気がする。後ろに見える山の感じを含めて、同じロケーションではないだろうか。


*「二人で歩いた幾春秋」(62年)
新文藝座で木下特集が始まった。できうるかぎり見たいが、なかなか時間が許さない。この作品はタイトルからいってヒット作「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)の柳の下のドジョウ狙いかもしれないが、ぼくはこっちのほうが出来がいいように思う。というのは、「幾歳月」の夫婦と比べて“割れ鍋に閉じ蓋”的なユーモラスな夫婦で、しかも自分たちの人生をあくまで肯定的にとらえて、けっして「時代が悪い」などとは言い出さないからである。


夫は道路工夫で、妻は役場の小間使いである。「幾歳月」と同じく佐田啓二が夫、妻が高峰秀子。夫は口論になると決まって「おまえが可哀想だからとら江という名前を言わずにきたが、いまは言うぞ」と言う。妻は夫の性格を見抜いているので、夫の不満や怒りの和らげ方が上手である。それがこの作品をヒューマンな感じにしている。手塩にかけて大学までやった一人息子が家に帰ってきたとき、夫は怒り心頭で、暴力さえ振るいかねない勢いである。それを腹巻きを後ろから何度も引っ張って、押しとどめ、懐柔するシーンには吹き出してしまった。あるいは、二人は相思相愛の夫婦だと人から言われ、妻は「ああそうです」と答え、「学校も一緒なら生年月日もほとんど同じ」と言う。そして夫は「結婚記念日も一緒だ」と軽くジョークを飛ばす。


全編にわたって夫の下手な和歌が詠まれる。今村の「ニッポン昆虫記」が63年の作だから、あきらかにこのやり方を今村は学んだようだ。一つ一つの何気ないシークエンスを淡々と重ねていく手法は、木下の得意とするところ。ユーモアの質も上等。とてもリズムのいい映画で、ぼくはこの映画、買いである。


小津、黒澤、溝口には喜劇的な要素がほとんどないと言っていい。小津に無いことも無いが、明らかに笑いを狙ってというのは無いのではないだろうか(戦前の作品は知らないが)。小林信彦のような人はそういう映画や芝居で育ってきているので、彼の木下評が気になるところである。



先に出来がいいと書いたが、問題はすらすらと筋が進むことである。それが問題なのは、こういう映画は作ろうと思えば量産がきくからである。木下がテレビでホームドラマを演出したのと、どれほどの差異があるのか。テレビが浮薄で、映画が重厚などと言うつもりは毛頭ないし、そもそもテレビドラマを見ない人間だからその資格がない。ただ、少なくとも今まで述べてきた作品とは何かが違うのだ。彼がテレビに進出したのが64年である。この映画の2年後のことである。



*「香華」(64年)
上下に分かれた3時間はある映画だが、ふつうに通して見ていることができる。出来も普通である。クローズアップを何度か使っているが、あまり木下監督がやらない手法ではないかと思う。有吉佐和子の原作だそうだ。男を次々と替える母親と、それとは正反対の惚れたら一途な娘の確執を描いたものだが、徹底的に反目することはまったくなくて、監督の地が透けて見えるようである。血縁であるかぎり、そこからは抜け出せない、という牢固とした考え方が彼にはあるようである。地方の陋習を扱っても、それをマイナスと捉えても、是が非でも打開すべきものとしないのは、こういう資質から来るのではないかと思う。


例によって幼なじみの親しい男女の変形が登場する。大家の使用人の息子、あだ名がロッカンで三木のり平が演じている。これが母親の3番目の旦那になる。まったくギャグをやらないが、しみじみ味がある。
自分のことと男に好かれることしか眼中にない母親を乙羽信子、その娘を岡田茉莉子。母親は遊女にまで身を持ち崩し、娘は芸者から妾になり、旅館業で成功する。ラストが昔の仲間と和歌浦の旅館で、打ち寄せる「片男波」を見つめる二人の後ろ姿で終わるが、まったくだらしがない終わり方である。だらだら撮ってきて、締めの仕方が分からなくなったのではないかと思われる。



*「野菊の如き君なりき」(66年)
純情恋愛映画である。その種のものをほとんど見ないので、こういう機会でもなければ触れえない作品である。幼なじみの2人が、因習で引き離され、男マサは遠くの中学へ、女タミは結婚へ。流産と、男への思い断ちがたく、女は実家に戻され死ぬ。


杉村春子が母親役、これがいつもに比べて寛容な役で、いいものを見た、という感じである。タミのお婆さん(浦辺粂子)が理解のある人で、みんなが素封家に嫁にやらせようというときに、彼女一人、タミのことを考えろ、と諭す。私は一生でいちばん幸せだったのはお爺さんと結婚できたことだ、と言う。この女2人に、杉村の使用人オマスもまたマサとタミを支援する。封建的な規制を描きながら、この3人は救いである。


杉村の長男が田村高廣、明確な意思表示はしないが、この男はマサとタミのサポーターである。その妻がいびりの主役だが、タミが死んでマサが駆けつけた夕食の席で、ぬるい味噌汁をマサに注ごうとしたとき、「おまえはそういう奴だ」と厳しいことを言う。この田村の首尾一貫性は劇を締めている。


みんなに監視され、何をしても勘ぐられる2人。杉村がその2人を遠くの草刈りに出させる。2人は別々に出立し、長々とその間の映像を映し、やがてお互いの姿を認め合い、手を振る。この間のゆっくりした映像処理は、さすが、という感じである。


マサの年老いた今を笠知衆が演じる。回想場面がすべて楕円の枠付きだが、余計なことをしたものである。このやり過ぎ感が、きっと後年、軽く見られ、木下が疎んじられた大きな理由ではないかと思う。人によってはそれを「才」の発露と言うが、単なる思いつきの映像であって、おべっかを言ってもしょうがない。


*「楢山節考」(D)
三味線と浄瑠璃、舞台転換にバックの幕が落とされるなど、クラシックムードたっぷり。すべてセット撮影。例によって、変な色づけをあっちこっちでやっている。起伏のない話だから、何かこういう演出をしないともたないのだろうと思う。45才で後家となって嫁いでくるのを望月優子が演じている。たっぷり太って貫禄十分だが、その素朴な優しさは記憶にとどめておきたい体のものだ。我が母を捨てに行くのが高橋貞一で、『遠い雲』で田村高廣の兄役をやっていた。ラストが現代の姥捨て駅の風景で、別にこんなの不要である。


*「二十四の瞳」(D)2011.1.9
見た日付を入れたのは、上記までの木下作品を見てからすでに2年は経っているからである。なかなかDVDがツタヤやゲオに入らない、入ったと思えば次から次とレンタルする人がいる、ということと、やはりどうも積極的に見る気にならなかったからである。


今回、自分の不明を恥じるばかりである。なんだ、もろ反戦の映画なんだ、という驚きである。それと「カルメン」と同じく和製ミュージカルを目指したものだということ。ほぼ冒頭の授業の場面で高峰秀子が生徒に「天皇陛下はどこにいる?」と尋ね、子どもの一人が「押し入れ」と答えるところから、うん? である。不穏な雰囲気がすでにして漂ってくる。そのうちに、同僚教師が思想傾向の偏った雑誌を持っているというので警察にしょっ引かれると、「私も持っていて、授業にも使った」と高峰が言い出す。子どもが戦争に狩り出されると、こんななら教師を辞めたい、とも言い出す。反戦の思いがじわっじわっと伝わってくる仕組みになっている。あるいは、女の子はたいてい貧しく、小学校を出て大阪などに奉公に出される。妹が学校に入学すれば、姉が退学して釣り合いをとる。赤ん坊が生まれて、その世話で学校を休む子もいる。母親は子を遺して死んだのだが、父親は「どうせ乳をもらえないこの子は、やがて死ぬだろう」と諦めたように言う。


この映画は人と時間と音楽の円環の構造を持っている。人とはクラスの子どもたちである。小学生から次第に長じて大人になり、その子どもたちがまた生徒として還ってくる。しかも、よく似た顔の人物を充てるので、よけいに永劫回帰の気分がしてくる。時間は昭和3年4月4日から始まり、18年後の4月4日、また初赴任の学校に戻ることで円環をなす。しかも、昭和3年では洋服を着て自転車通勤するのがモダンガールだと非難されたのだが、教え子たちが再復帰した先生にプレゼントしたのがぴかぴかの自転車である。音楽は「仰げば尊し」で始まり、終わる。これらを監督は意識的に造作している。


もう少し人の円環について詳しく触れたい。高峰が子どもが作った落とし穴に落ちて、脚の筋をおかしくする。これでは自転車で片道50分はかかる通勤はできない、と岬の分校から本校への転属を受け入れる。それを子どもたちに伝えて、次の場面。すでに5年の月日が経っていると説明の文字が出る。子どもの顔が映し出されるのだが、みんなもう成長した顔なのである。そっくりさんかと思うが、よく見ると先の子どもたちである。これは時間を置いて撮ったということだろう。すごいことをやるものである。もっと驚くのは、初赴任から18年経って、もちろん戦後だが、岬の学校へ再赴任をするが、そこで受け持つ子が最初に受け持った子と同じ顔の子なのである。ということは、先の映像とこれは一緒に撮っておいたということである。しかも、成人した子どもたちが先生の再赴任を祝って慰労会を催すが、その顔がみんな子どものころの顔によく似ているのである。恐ろしいことをするものである。


円環する音楽についても先に触れたが、この映画の全編に児童唱歌が流れ、実際に子どもも歌う。料亭の娘は歌手志望でもある。木下恵介の弟木下忠司が音楽を担当しているが、木下にはミュージカルへの思いがあったのではないだろうか。これだけ歌が満ちあふれた映画も珍しいのではないだろうか。岬分校の校長、といっても校長一人に先生一人の学校なのだが、笠智衆が演じていて、彼は小学校出で、オルガンを習っていない。高峰が脚を怪我したあとオルガンの練習をするが、一向にうまくならない。それで口立てでドレミとやるが、まったく生徒が付いてこない。このあたりのユーモアは得難いものである。


死を描くシーンが印象的である。ある子の母親が蒲団に伏している。父親が仕事に出ようとすると、「今日は家にいてくれ」と頼むが、この不況で遊んでいるわけにはいかない、と出て行く。子どもは学校へ行き、高峰と話をし、そして下校する。友達数人と港の道を左へ歩く。右へ小さな船が交差する。どうもそこには死者が乗せてあるらしい。先の子どもが何かに気づいて走り出す。そして、次の場面はその子の家の室内。高峰もいて、葬式が終わったあとと分かる。この辺の映像の流れ方はほれぼれするほど見事である。


同じく高峰の母親が隣の間で伏しているらしく、高峰を呼ぶ。こちらでは子ども3人が暗い部屋にいる。開け立てた襖の間から見えるのは、蒲団の足先である。高峰の声がして、医者を呼んでこい、と言う。次のシーンは、野辺送りのシーンである。次に、末の子が柿の木から落ちる。医者を呼びにやらせるが、次のシーンはもう墓場である。この素っ気なさは、のちの「楢山節考」につながるものである。


映像で長部日出雄の本でも触れていることだが、大阪に奉公に出たはずの女の子が高松の金比羅様の近くの食堂で働いているのに高峰と同僚先生が出くわす。修学旅行に来ていたのである。高峰は胸がいっぱいでものが食べられない。お茶だけ飲んで、みんなのところに戻る。女の子があとを追うが、船はすでに港を出ている。女の子は右にゆっくり歩き、それに友達を乗せた船がゆくっり併走し、やがて追い抜く。その移動撮影は、監督も大満足だったらしい。


食わず嫌いとはよくいったものである。こういう映画なら、もっと早くに見たものを。味わいとしては、「喜びも悲しみも幾年月」に似ているような気がする。小さな話をいくつも淡々と繋げていく手法である。もちろん円環構造など違う部分もあるが、テイストが似ているのである。こんなにのんびり絵を繋げて映画になるんだ、という驚きがある。黒澤のような迫力のドラマツルギーとは対極にある。


*破れ太鼓(D)2011.1.14
阪妻主演で、土方上がりの男が成功者になり、妻と6人の子どもを含めて専制を振るう。背広を脱ぐと腹巻きにステテコというスタイルの男である。豪壮な洋館に住み、長テーブルで食べるのはカレーライスである。これは土方時代の大好きな食事だったらしい。


妻は村瀬幸子、長男が森雅之で、オヤジの会社を飛び出し叔母(沢村貞子)とオルゴール会社を興す。次男は家でピアノばかり弾いている。これは監督の弟木下忠司が演じている。三男が大泉晄で、顕微鏡を親に買ってもらい、末は博士だと言う。後年の怪優の面影はない。4男は名前知らず。長女は小林トシ子、働いているふうではない。次女が桂木洋子で、芝居に熱を上げている。長女の恋人が宇野重吉で画家志望、その母親が東山千栄子で画家、父親が滝沢修でバイオリン弾き、どちらもプロかどうか分からない。滝沢は額の毛を剃っているのではないだろうか。しばらく彼と分からない。名優はこんなこともしていたのね、である。こう見ると分かるが、土方の阪妻以外は雲や霞を食って生きているような連中ばかりである。


全体の調子は「カルメン純情す」に近い。監督にある芸術市場主義的な傾向が、この映画ではまだしも実業家が主人公なので抑えられている。といっても、最後は長男のオルゴール会社に身を預けるのだが。それにしても、阪妻の調子が映画に合っていない。暴れる、怒鳴る、どつく、どれも中途半端で迫力がない。演技も中途半端で、なんで木下はこの映画を作ったのだろうか。長部日出雄の本に書いてあったように思うが、忘れてしまった。この映画でも全編に音楽が流れる。家族でオヤジをテーマにした「破れ太鼓」を歌うシーンもある。作品的には失敗作だが、木下のミュージカル指向、洋風指向が分かる。